自由な魂

 思えば、僕はそのことについて佐々木と話したことがある。中学三年の夏、あれは体育の時間だった。二人揃って体操服を忘れて、見学をしていたことがある。グラウンドで走る同級生たちを二人で見ていた。その日は空が青く澄んでいて、大きな入道雲が建物の裏から見えていた。ちょうど白川が走りを終えてゴールすると、佐々木が突然こう言い出した。


「体育座りってさ、こんなのまるで奴隷とか囚人みたいな座り方だよね」


「え?」


「囚人というか、まるで死体を埋める時の姿勢みたいな」


「そうかな。まあ、確かにわからないでもないね」


「僕、どうせなら死体のほうがいいな」


「どうして?」


「囚人や奴隷になって不自由に縛られるくらいなら、死人の方が自由なんじゃないかと思うんだよ」


「そうかな。僕は生きてた方がいいけどな」


「いや、不自由の中で一番辛いのは、内心を侵されることだと思っててさ。これは多分、死ぬよりも辛い。自分の一番大事なものが、自分の外部から強制されてしまうんだよ? 道徳とか、頑張る意味とか、正しさとか。囚人や奴隷はそういったことも強制される。そんなの、僕は絶対耐えられないね」


「だから、死人の方がいいの?」


「そう、死人は魂だけでしょう? 魂、自我だけがあるってことは、肉体的な制約、社会的な制約を受けない。真に内心の自由が成立すると思うんだ。何にも縛られない自由な魂!」


「佐々木くんは、魂があると思っているの?」


 佐々木はしばらく考えてから、こう返した。


「魂はないけどさ。ないものを信じるのもロマンあると思うんだ。それで幸せならね。きっと、事実や正しさだけの世界では、僕は窒息してしまう。そういったものの前で、人はあまりにも無力だし、簡単に圧死してしまう。壁の前の卵だよ。正しさという壁に投げつけられる卵。正しさに殺されるくらいなら、僕は正しさを殺して自分の間違いに殉死するね。僕にはそういう虚構のようなものが必要なんだ。それも僕の内心の自由だと思う」


 僕はそのとき、彼の体育座りの意味、その片鱗をようやく掴んだ。実際、佐々木は異邦人だった。それも黄泉の国からの異邦人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る