隠棲

小日向葵

隠棲

 かごめかごめ

 かごのなかんとりば

 いついつでよる



 遠くから童歌が聞こえる。山の中に打ち捨てられた、今にも崩れそうな庵にひとり。金色の髪の妖は、夕暮れのこの時間が好きだった。

 あと少しで冬が来る。人の往来も完全に途絶え、辺りは雪に覆われて一面真っ白になる。人の暮らしの音も聞こえなくなってしまう冬より、祭りで賑やかな夏より、静かに寂しい秋が好きだった。

 ここに居を構えて何年になるだろうか。

 様々な者々と関わり別れ、ただ移ろいゆく時をたゆたう。不老不死を持て余す妖は、朽ちていく庵に自らの行く末を重ねてみていた。

 烏の鳴く声が微かに聞こえる。そろそろ日が落ちる。食わずとも死なぬ体とは言え、飲まず食わずでは間が持たない。朝方にもいで来た柿を齧って、その渋味に顔をしかめた。

 その何年か後、俄かに山中が騒がしくなった。人足が行き来する音、木に打ち込まれる斧の音。道を切り拓き、山頂に寺を建てる工事が始まったのだ。庵は山陰に隠れているのでまだしばらくは見つかる心配もないように思えたが、またここも駄目になったかと妖は嘆息して、ふらりと表に出た。



 遥か西より、父母と共に辿り着いた東の果て。黒髪に黒い目で小柄な人間ばかりが住むこの地では、故郷のように人に紛れて生きることは難しい。一族に伝わる術の大半を失った妖には、ただひっそりと隠れ生きるしか途がない。

 父と母は、娘が十六になった年に命を絶った。血を吸って死人を操る術も、眷属を作って勢力を拡大する術も、これから教わるはずだった。元より生きることに疲れていた夫妻は、教えもしないのに娘が不老不死の力を使いこなし、また不完全ながらも変化の法を使うのを見てしまい、絶望したのだった。

 陽光の中で灰になって行く両親を見る娘の目に、涙はなかった。いつかこうなる時が来ると判っていたからだ。生き続けたいのなら、遠く故郷を離れる必要はない。

 娘は血を与えられずに育った。それは両親の微かな希望であり、根拠のない憶測だった。血を飲まなければ、呪いにも似た一族の力は顕現しないのではないかと考えたのだ。娘の命に限りがあるのなら、その命尽きるまで共に生きて……それから果てればよいと夫妻は考えていた。

 だが希望は無残にも打ち砕かれた。怪我をした小鳥に自らの血を与えて傷を癒やし、また替えの足りない着物を補うために自らの身を縮めて幼き日の服を纏う。そんな姿を見てしまえば、夫妻の目論見はもう十二分に潰えたと言っていい。

 せめて娘に、眷属を拵える方法だけでも教えてからとの逡巡もあったが……まだ幼かった頃の衣装を纏って日差しの中で笑う娘に夫妻は駆け寄って、そして灰になった。




 「もう細かい所までは思い出せないけれど、だいたいそんな感じだよ」


 妖はそう言って笑った。幽谷に隠れ棲む彼女の元へ、まだ若い化け猫が訪ねて来た、その際の雑談である。金の髪を持つ妖の女王がいるという噂を聞いて、遥か九州から訪ねて来たというその猫又は、なんだかんだ言って妖の棲む谷の洞穴に住み着いてしまった。


 「西洋にも、うちらんような猫化けはおるかの」

 「どうかな、怪異の在り様は土地の在り様だ。鍋島は西洋にはないからな」

 「そがんもんと。江戸ではいよいよ開国やとか言うて、異人も入って来っらしいんや。それなら、異国ん化け猫にも会えるかなて思うて」


 鈴と名乗ったその猫又は日に三度渓流に降りて、魚を捕って来た。特に食事を必要とはしない妖だったが、食事を一度断った際に大泣きされてからは仕方なしに受け入れている。生で食べるのかと思いきや、煮たり焼いたり蒸したりと意外に料理の引き出しが多かった。


 「鈴は帰らないのか?ここはもうすぐ雪に閉ざされる。春まで川も凍って魚は捕れんし、食うものの蓄えはないぞ。無論、行燈の油もだ」

 「やっばり南育ちん猫じゃ、生きていけんかね。うちは姉さんと一緒におりたか」

 「冬の間だけ、普通の猫のふりでもして麓の人間に飼われてみるとか」

 「うち姉さんに飼われたか。人間はもう嫌」


 ぽん、と音を立てて鈴は猫の姿に身を変え、妖の膝の上へ飛び乗った。尾が二つに裂けた猫又の、まだ若い姿。妖の手はその背中の艶やかなびろうどの毛皮を、ゆっくりと慈しみ撫でる。


 「でもお前にここの冬は無理だ。あたしもようやく見つけたここを退く気はない。あと五十年は、人間の手も入らないだろうからな」

 「嫌や嫌や、姉さんも南に行きましょ?肥後や日向やったら、うち案内できっし」

 「あたしは誰の世話にもなろうとは思わない。最初に言っただろう?あたしには食事だって本当は必要ないんだよ」

 「だけん放っとけんとや」


 鈴は猫の姿のままで必死に食い下がる。


 「なんであんたらは、あたしを構いたがるのかね」

 「たぶん、姉さんはうちらと根っこば違うけんやて思う」

 「違うから?」

 「同じやったら、憧れん」

 「そんなもんかね。だが半月もしたら雪は降る。とっとと帰れ」

 「今から魚貯めてん間に合わんかね」

 「捕り尽くす気か」


 結局鈴は渋々、九州へと帰って行った。雪と氷に閉ざされた洞穴は、妖がただひとり、ひっそりと生きる場所に戻る。賑やかだった日々がすぐに過去へ押しやられて、ただ静寂だけが周囲を満たす。



 生きるとはなんだ。


 命とは、なんだ。


 一人きりになって、妖はただそれだけを自分に問い続ける。妖怪と呼ばれる存在も死ぬ。人間にはない超常の力を備えていても、いつかは死ぬ。不老不死の吸血鬼は死なない。次の世代を産み出せば、死ぬことが許される。父母はそうして灰になった。



 耳の奥に、いつか聞いた童歌が聞こえるような気がする。

 まだ人里近くに住んでいた頃。父も母も生きていた頃。




 よあけのばんに

 つるつるつっかけて

 なべのそこのそこぬけ

 ぬけたそこはどこいきよった




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隠棲 小日向葵 @tsubasa-485

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