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僕が図書館で借りたのは次の二冊。
塚本学『人物叢書 徳川綱吉』(吉川弘文館)
大石慎三郎『元禄時代』(岩波新書)
さっそく本を携えて若月さんの入院している病院に行き、スライド式のドアを開けたら、中に見知った顔がいた。若月さんの警察時代の後輩にあたる、現・警視庁捜査一課の網野警部である。お互いに挨拶を済ませたところで、
「ちょうど今、網野くんから、藤井紋太夫殺人事件の新解釈を教えてもらっところなんだ」と若月さんが言った。
「ほんとうですか?」
「いやあ、ぼくの推理じゃないですけどね」と網野警部は前置きして、「『光圀伝』って漫画があるんです。冲方丁さんの小説を三宅乱丈さんがコミカライズしたものですけど、そのクライマックスが紋太夫殺害のシーンなんです。紋太夫は光圀を崇めるがばかりに、光圀が中心となる世を作ることに義を見出し暴走、秘密裏に画策していたのを知った光圀がそれを阻止するために殺す、という話です」
「陰謀論とはまったく真逆の解釈ですね」と言ってから、僕は若月さんに訊いた。「若月さんはどう思われます?」
「漫画も小説も読んでいないのでちゃんとしたことはいえないが、そこに描かれている紋太夫像は、
「藤田東湖……名前はなんとなく聞いたことありますけど、どんな人でしたっけ?」と僕は正直に訊いた。
「水戸藩士で国学者。彼の理念は尊王攘夷と右翼思想の基礎になったと言われている」
「いつ頃の人ですか?」
「江戸末期。徳川光圀より百年以上後の人間だ。その東湖が――鈴木氏の本に書いてあることだが――水戸黄門を右翼思想の始祖に祭り上げた。具体的にいえば、仏教は外国渡来の宗教だから廃止して神道のみを信じるべきという
「なるほど、そういうテーマだったのか!」網野警部がぴしゃりと膝を打った。
「いやいや、ぼくが勝手に言ってるだけで、本当にそうかはわからないよ」
「そうですが、勉強になりました。しかし、そう言われたら、『光圀伝』に書かれてあることが歴史的事実かどうか、微妙ですね」
「フィクションだからね。司馬遼太郎だってそうだよ」
「司馬遼太郎もですか……うーん……」ファンなのだろう、網野警部は困った顔をした。
数日後、ふたたび若月さんを見舞った時には、こないだ渡した二冊とも読み終えていた。
「この二冊――鈴木氏の本もそうなんだが――世間で流布されている水戸黄門、柳沢吉保、徳川綱吉のイメージがいかに実像とかけ離れているかを教えてくれる本だね」
と若月さんは満悦至極の笑顔で言った。
「平塚さんに言わせると、徳川光圀と将軍徳川綱吉は不倶戴天の敵だそうだけど、実際はそうでもなかったようだ」
「綱吉の生類憐れみの令に抗議するため、水戸黄門が犬の毛皮を送ったっていう話がありますけど、嘘なんですか?」
「まったくの嘘だ。もっとも――鈴木氏の本によると――徳川光圀が肥前小城藩主・鍋島元武に宛てた手紙で、生類憐れみの令を批判することを書いているらしい。だが、それは親しい仲だからであって、誰も彼もに広言していたわけじゃない。ただし、水戸黄門が水戸藩主を引退する時、二人の間に何か遺恨に残る確執があったんじゃないかと鈴木氏は書いている」
「柳沢吉保とは?」
「隠居した後、徳川光圀は綱吉の要請で江戸参府をするんだが、再会の挨拶をした後、綱吉からぜんぜん連絡がなく、困り果て、従兄弟の紀伊藩主・徳川光貞に相談したら、柳沢に取り次ぎを頼んだらどうだろうとアドバイスされ、そうしたそうだ」
「それで会ったんですか?」
「うん、会った」
ドラマだったら意地悪く無視されるんだろうが実際はどうだったんだろう?
「本を読んでみた印象だが、徳川光圀と徳川綱吉、ふたりはタイプが似ている気がする。具体的にいうと、学問好きなこと。徳川光圀が『大日本史』という歴書を編纂していたのは有名だが、他にも中国・
「家柄や格式の武士たちには面白くなかったでしょうね」
「うん。だから是が非でも二人を悪役にしたかったのかもしれない」と若月さんは笑った。「さらに言うなら、徳川光圀も綱吉も自分で能を舞っていたそうだ。これも当時の武士としては異例なことだったらしい」
「能といえば、事件の起きたのは徳川光圀が能を舞った後でしたね」
「そうだ」
「何て能でしたっけ?」
「『
「どんな内容です?」
「実はぼくもよく知らないんだ。図書館に予約しとこう。確保できたら連絡するからまた頼むよ」
(つづく)
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