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「あらましはわかりました」と僕は言った。「次は背景ですね。まず、藤井紋太夫。いったいどういう人なんです?」
「その前に、水戸黄門のことはどの程度知ってるかね?」
「あんまり知りません。諸国を漫遊し、天下の副将軍、ご隠居と呼ばれているくらいしか」
「だったら水戸黄門のことから話そう。本当の名前は徳川光圀(とくがわみつくに)。幼名もあるがそれは省く。水戸黄門はあだ名だね。他にも、水戸
「事件当時、何歳だったんですか?」
「一六二八年の生まれだから、満年齢で六十六歳だ」
テレビで水戸黄門を演じたのは東野英治郎、佐野浅夫、西村晃、石坂浩二、里見浩太朗らだが、六十六歳という年齢と、通り魔殺人の過去から、西村晃が一番ふさわしいように思えた。
「次に、藤井紋太夫だが、鈴木氏の本によれば――」若月さんは厚い文庫本を開いて、「〝幕府の書院番千二百石荒尾久成の四男として生まれ、水戸藩邸の奥につかえた老女藤井の養子として水戸藩士となり、光圀につかえた。この男の才幹に眼をつけて、九百石、中老の地位に引き上げたのは、ほかならぬ光圀である〟、とある」
「年齢は?」
「不明だ。子供が二人いたとは『玄桐筆記』に書かれてある」
「役職は中老ってことですが、現在の会社組織でいうと重役クラスですか?」
「大名家の家臣の中では上から二番めだが、ナンバー2というわけではない。というのも、トップの家老が数人いるからね。中老はその家老の補佐役だ。だから、重役の腹心の部下ってところかな。『玄桐筆記』では玄桐が紋太夫を呼びに行った時、鈴木安心老と一緒にいたと書かれてあって、たぶんこの鈴木安心老という人が紋太夫の上司なんだろう」
官公庁であれば事務次官というところだろうか?
「でも、奥――大奥のことですよね?――で働いていた女性の養子からそのポストまで上り詰めるってすごいですね。それくらい水戸黄門は藤井紋太夫に惚れ込んでいた……え、まさか、水戸黄門と藤井紋太夫の間に恋愛感情があったってことはないですよね? つまり、同性愛ってことですが……」
ワイドショーでコメンテーターが言いそうなことを言ってしまって、自分でもむず痒い気持ちになった。
「そういう説もあるようだね。ただし、動機については、徳川光圀本人が口論の末、殺してしまったと言う以外、何も言っていないので、推理するしかないわけだが、どれも憶測でしかない――ということは鈴木氏も言っている」
「そうですか」
「他には、陰謀説もある。矢田挿雲の小説ではそうなっている。紋太夫は将軍綱吉の御用人・
「柳沢吉保ですって?」
と言ったのは、いま病室に入ってきたばかりの看護師の平塚さんだった。若月さんの検温の時間だったのだ。
「ご存知なんですか?」と僕が訊いたら、
「ええ、知っていますとも。とんでもない極悪人です」と平塚さんは吐き捨てるように言った。「陰謀の裏にはいつもこの男がいるんです」
まるでモリアーティのような言われ方だ。
「水戸藩の藤井紋太夫も柳沢の手下でした。藤井と柳沢は水戸藩の乗っ取りを企むんですが、黄門様の活躍で失敗したんです」
「藤井紋太夫も知ってるんですか?」
「ええ、知ってます。水戸黄門ファンなら常識です」
と平塚さんは言い切った。
ひょっとして、知らなかったのは僕だけなのかもしれない。水戸黄門なんてこれまでちゃんと見たこともなかった。
平塚さんが引き揚げてから、僕は若月さんに訊いた。
「どうなんです、実際のところは?」
「柳沢と藤井紋太夫に接点があったかどうかはわからない。鈴木氏の本には、将軍徳川綱吉の内意を藤井紋太夫が徳川光圀に知らせたと書いてあるから、あったのかもしれない。しかし、世継問題の件はわからない。水戸黄門と柳沢吉保、さらに徳川綱吉との関係を詳しく調べてみないと。そこで君に頼みがある」
「なんでしょう?」
「その関係の本を図書館に予約しておいたから、取りに行ってほしいんだ。いいかな?」
僕が快諾したのはいうまでもない。
(つづく)
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