第46話 身に覚えのない恨み

 謁見の間が近づくにつれて桶に水を入れて運んでいたり、布や包帯を手に走る人間が増えた。そしてここを曲がればホセデレズバが見えるという角を曲がっても、廊下に奴は倒れていなかった。人が救護活動をしている姿だけだった。奴は城主で、『麻痺』の魔法は数分で効果が切れる。どこかに移動したのだろう。謁見の間はそのまま救護室になったようだ。廊下に死体が運び出されたりはしていない。

 火傷で苦しむうめき声が小さくはっきり聞こえた。廊下だと焼ける臭いより血の臭いの方が強い。廊下にも血の足跡がいくつも伸びている。

 このとき廊下や謁見の間で混乱の対応をしていた人の中には、原因が廊下で立っている私たちだと気づいていた者もいたはずだ。城主であるホセデレズバは1日以上の時間をかけて準備をしてきたはずだし、私が来ることが城の中で話題にならなかったはずがない。ちらちらと私を見ていく者も多かった。何も話し掛けられなかった。

「ここに倒れていた城主はどこに運んだ?」私は廊下で声を出した。

 全員がちらりと私を見た。ほとんどの人間がすぐに目を逸らした。私の近くにいた女が、「あるじでしたら2階の寝室にいます」と答えた。

「ありがとう。2階はどこだ?」と聞くと、案内しますと言って歩き始めた。私たちはそのあとについていった。途中で謁見の間への扉の前を通った。人が通るたびに臭気がむわっと流れてきていた。

 私は足を止めた。はえが廊下の壁にいた。指2本を立てて『麻痺』の魔法を唱える。蠅は床にポトリと落ち、私はそれを傷つけないように丁寧につまんで手の中に優しく握った。その間、後ろの一行は私が立ち上がるのをじっと待っていた。蠅を手に、私は女のあとを追い掛け直した。

 ちなみにだが『炎の壁』で焼かれて私が見たときに息をしていた兵士たちはその後にすべて死んだ。逆に『連鎖れんさ爆裂ばくれつ光電球こうでんきゅう』を喰らった方は、即死を免れた奴は治療により回復した。高温のガスに焼かれて体に穴が開いたり高電圧を浴びるので直撃すると即死する。しかしなぜか助かる奴もいる。当たり所がよかったり電気が心臓を通らなかったりといった運のいい奴だ。新開発の魔法は派手な音と派手な死体を生むが、実戦においては旧来のスタンダードな物理魔法である火の方が有効というなかなか興味深い結果である。物理魔法の使えない私には関係のない話だけど。

 2階に上がり、奥へと進むと、謁見の間の物音はほとんど聞こえなくなった。

 寝室は立派だった。ホセデレズバはベッドの上に横になり、侍女らしき者が1人だけそばについていた。私たちが入ると彼女はこちらを見た。頭を下げたが、何も言わなかった。

 刺繍の入った立派な掛布団だった。ホセデレズバに意識はあった。目を開いて天井を見ていたが、ベッドの横に立った私と目が合った。「あっ」と彼は声を出した。

 ネゾネズユターダ君、乳母、ねじれた木の杖の魔法使いは、私の子供たちと共にベッドの足元で止まり距離を取っていた。侍女も何かを察して立ち上がるとベッドから離れた。不思議なことに、私の子供たちはホセデレズバを前にして怯えたり動揺したりしなかった。半分寝ていたというのもあるが、ホセデレズバの雰囲気が違っていたのだと思う。虐待した人間と同一人物だと分かっていなかったかもしれない。

 私は手の中に蠅を持ったままだった。『発狂』の魔法を10回も唱えてかなりの疲労があった。できれば杖が欲しいと思った。杖の補助が欲しいと思ったのは久し振りのことだった。

 ホセデレズバはベッドから身を起こした。それからちらりと私から目線を外して足元に立っている一行を見た。表情が変わったので何事かと思い私もそちらを見ると、ネゾネズユターダ君が離れた位置から杖を彼に向けていた。こういうときには南西蛮族ばんぞくに対する偏見も役に立つ。敵に対して容赦がないのは彼の血肉に染み付いた文化なのかもしれない。もっとも子供がされたことに対する親の復讐など文化以前の話でもある。誰だって怒る。私だって怒る。何をされるか分からなければやった方はおびえるしかないだろう。

 身を起こしたまま彼は固まっていた。やがて形勢を判断した彼は力を抜いた。食いしばっていた顎が緩み、見開いていた目も細くなった。ベッドから出ようともしなかった。上体を起こした失礼な態度のまま、彼は口を開いた。

「俺はお前に皆の前でお馬さんごっこをさせられた屈辱を忘れていない」

 私は黙って聞いていた。部屋にいる人間は侍女も含めてじっとしていた。

「会うたびにギュキヒスは俺を田舎者扱いした。口先では感謝していたが口先だけだ。金だけ寄越してそれで終わりだ。お前ら王族はクソだ。そこのガキもクソだ」

 私はもう王族ではないしその子供はさらに無関係だ。そこから更に養子にまで出された2歳と0歳の子供がクソな王族となんの関係があるのかというと、なんの関係もない。

「その通り」私は手を伸ばし、ベッドの上に起きている彼の頭に手を置いた。彼はビクリと震えたが逃げなかった。「王族はクソだ」

 『遺伝子融合』の魔法を唱えると反対の手の中にあった蠅が消えていった。ホセデレズバに魔力が流れ込むのを感じた。彼自身も感じたはずだ。私は彼の頭を押しつけて離さないようにしていた。1秒にも満たない時間で魔法は完了した。彼の外見に変化はなかった。

 私は彼の頭から手を離し、蠅を握っていた手も開いて、両手を腰に当てた。「いい開き直りだった。見事だったぞ」

 ホセデレズバは私を見た。言いたいことを言ってもまだ憎しみは目つきに残っていた。

「何かほかに言いたいことはあるか?」

「お前らはクソだ。くたばりやがれ!」

 私は笑った。ネゾネズユターダ君が何かやりたそうだったのでそちらを制した。「待った。もう処分は終わっている」

 彼の杖から飛び出した白い『魔法の矢』が、ホセデレズバを大きく逸れて後ろの壁に拳ほどの大きさの穴を開けた。止めることもできたはずだ。私は彼があえて魔法を唱えたのだと分かった。何かしないと気が済まないと彼自身が判断したのだろう。パラパラと壁の欠片が落ち、それで終わりだった。

「そこの乳母と魔法使いは私の方で召し上げる。文句はないな?」

 反応がなかった。

「いいな?」

「うるせえ! お前らには何もやるものか!」

 私は腕を組んだ。「分かった。それなら勝手に連れていくから文句があったら連れ戻しに来い」そして腕を解いて後ろを向くと、寝室をあとにした。

 侍女だけがそこに残った。

 廊下に出た。消耗が激しく、私は廊下の壁に寄りかかった。魔法を使いすぎた。心臓がバクバクいっている。もう一歩も歩けない。

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