第45話 母だったり恋人だったり王女だったり
私は地下牢の廊下という授乳には一番ふさわしくない場所で授乳をしようとしていた。牢屋の中から乳母による状況説明が聞こえてきて、血圧が上がりそうになった私は階段を上がって1階に移動した。息子は私のおっぱいを吸っておとなしくしている。
世の中のお母さんが
ローブの下の赤ちゃんが赤ん坊のきゃきゃきゃという笑い声を上げた。そのまま抱いていると静かになった。寝てしまった。私のローブは留め木ボタンが臍の辺りまで付いている。私はその下から赤ん坊を外に出し、顔を押し付けて思い切り匂いを嗅いだ。甘いミルクの匂いがした。息子の方も目立たないが痣のようなものが腕や首にいくつか付いている。絶対に痣だと確信すると寝ている息子がぐずり始めた。目を逸らし私は子供をローブの中に戻した。中の服を整えて胸に抱いた。そのまま揺れて動いた。
牢屋の見張りはすぐそばに立っていた。こちらは一切見ないようにしていた。直立不動で前方だけを見据えていた。
「私はこの子の生みの親、ザラッラ゠エピドリョマス・ギュキヒスだ」私は見張りに言った。名前を聞いて彼の表情に動揺が現れた。「大事に育ててくれると思ったのに、お前はこの子を地下に閉じ込めたのか?」
彼は目だけをこちらに向け、本当に小さく首を横に振った。違うとでも言いたげだ。その態度がまた私をムカつかせた。
「おい!」
私が怒鳴ると、寝ていたはずの息子が大きく息を吸った。すうっ。
あ、まずい。泣く。私は思って、すぐに地下に戻った。こんなことではよくない。地下に下りて、乳母たちのいる部屋に入った。何があったのかの説明はまだ続いていた。乳母が質問に答えていろいろ話していた。彼女は手ぶらだった。ネゾネズユターダ君が娘を抱っこしてゆらゆらしながら乳母の話を聞いていた。娘は目を閉じて寝ていた。さきほどよりは安心しているように見えた。
「とりあえず上に行かない?」私はローブの下から息子を出した。「ちょっと交換して」
子供2人の交換を大人2人だけでやるのは結構難しい。乳母が慌てて立ち上がり、ネゾネズユターダ君の娘を預かって中継してくれた。2歳の娘をローブの下に入れると、ネゾネズユターダ君が、「寝てるんだから寝かせた方がいいよ」と偉そうに言った。
「うるさい」私は言った。「とりあえずここから出るよ」一方的にそう言うと背中を見せて牢屋を出た。他に人がいないのか、地下は恐ろしく静かだった。
階段を上がっていくときに娘が起きてぐずり始めた。私はローブの留め木ボタンを下からいくつか外して、「おーよしよし」とあやしながら残りを登った。
痩せてはいるがやはりかわいい。心配とか無事に安心するとかよりも、そっちの感想が先に出る。かわいい。なぜ私は自分の子供を取り上げられて、しょうがないとすぐに諦められたのか。こうやって再会すると、次に手放すのは無理だと思った。自分の子供が死ぬほどかわいい。なんというかわいさだ。誰にも渡したくない。
なんかすごく当たり前のことを言っている気がする。その一方で、うちの両親はそんなことはなかったし、両親だけでもギュキヒス家だけでもなく、国の貴族や臣下たちも自分の子供を自分で育てていない。私もそれが当たり前だと思っていた。当たり前が何かはよく分からない。分かるのは、自分の中の突然の愛情と執着だけだ。本当にかわいい。ほらほら、見て見て。文章じゃ伝わらないと思うけど、私の子供は本当にかわいいのだ。
娘が泣き始めた。子供を抱いたまま階段を上がるのが難しい。娘は2歳なので重いというのもある。
後ろから一同はついてきていた。ネゾネズユターダ君が息子を乳母に預け、「僕が抱くよ」と言ってまた私から娘を奪った。本当は渡したくなかったが、彼が堂々としていたので逆らえなかった。彼の魔法の杖は制服の左腕の袖飾りの輪に通して固定していた。私が学生の頃からみんながやっていた定番のスタイルである。そこに固定すると右手で左の袖口から素早く杖が抜ける。
ネゾネズユターダ君が抱っこすると娘は泣き止んだ。「よしよし」
「うまいね」私はちょっと怒っていた。
「10歳まではブユのみんなと暮らしていたからね。うちでは子供が子供の世話をするのが当たり前なんだ」彼は娘にキスをした。「あー、かわいい」
「本当にかわいい」先頭のわたしが1階に出た。見張りは同じ位置に立って同じ方向を見ていた。こっちの人数が増えて緊張しているようにも見える。「圧倒的にかわいい」
「ものすごくかわいい」ネゾネズユターダ君がなぜか私に張り合った。「君が自分の子供のかわいさに気づてくれて嬉しいよ」
「なんで上から目線なんだよ。産んだのは俺だぞ」私は喧嘩腰になった。「最初から気づいていたんだよ」
「……そうだね。ギュキヒス家としては預けるしかなかったんだもんね」彼はおとなしい声を出した。ただやっぱり私に言い聞かせるような偉そうな口調だった。
魔法に関してもセックスに関しても私に対して素直な彼なのだが、親子とか家族とかの話になると彼は少し私に対して偉そうになる。特に2人目の子供を産んでからのここ2ヶ月はそうだ。
全員が1階の廊下に出た。
「大家族で暮らした自分の方がそっちに関してはプロだと思ってる?」私は言った。
彼は笑った。「違う違う。僕が自分の子供が好きなだけだよ」そう言うと娘を抱いたまま私に近づいてきて、私に顔を近づけてきた。
もちろん私の頬にキスをしようとしてきたのだ。私はそんなことで騙されないぞと一瞬思ったけど、顔を前に出してそのキスを受けた。ちゅっという大きい音を立てて彼はキスした。キスされるとどうでもよくなった。
我ながらちょろい女である。「まあいいか」ローブの袖に腕を通して、留め木ボタンを締め直した。「3人目をとっとと作ろう」
「そんな話してた?」
「してなかった?」
「……したかも」
「ん」私はローブを振って
「私が王都にですか?」降伏した魔法使いが驚いてすぐに言い直した。「ありがとうございます!」
私は麻痺しているはずのホセデレズバがいる方へと廊下を戻った。「死を覚悟して私に下ったあの行為には最大の敬意と共に報いる。勲章も授ける」
「ありがとうございます!」
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