第44話 「あー、やばい」

 天井から木のくずがパラパラ落ちてきていた。焼かれた兵士の大半と、高温と高電圧と爆発に巻き込まれた兵士の一部にはまだ息があり、意味の分からないうううという声を漏らしていた。子供のように泣いている。私は玉座へ向かって歩きながら指を向け、『麻痺』の魔法を唱えた。受けて体を動かせなくなったホセデレズバが倒れる前に彼の元に辿り着いた。前に倒れないよう彼を椅子に向かって押した。どさっと腰が落ちた。こちらの気遣いにもかかわらず背もたれに後頭部をしたたかに打って、頭がねて前に倒れた。麻痺してしまうと椅子に倒れるのも怪我の元だ。

 ネゾネズユターダ君の方を見た。「外に運ぼう」耳が馬鹿になっていて自分の声もくぐもって聞こえた。

 彼はうなずき、小太りのデブを負傷兵のように両肩に担いだ。杖はその手に持ったままだった。

 私たちが通る前に、横にある扉から兵士や何人かの使用人が飛び込んできた。

「ホセデレズバ殿は無事だ。他の兵士に息のある者がいる。救護にあたれ」私は言った。「建物が崩れかけている。気をつけろ」

「はい」といういい返事があった。人が次々に入ってきて倒れている兵士に向かって広がった。

 私たちと投降した魔法使いは入ってくる人と逆方向に進んだ。廊下に出るとその辺の使用人に、背負っている男を運ぶのに適切な部屋を聞いた。「それでは寝室へ。2階です」と言われたネゾネズユターダ君はやる気をなくし、背負っていた男を下ろしてしまった。私は、「もういいから行っていいぞ」と使用人に伝えた。使用人は言われた通りに行ってしまった。

 混乱で人が右往左往している廊下の中、私たち3人は廊下の壁に背をつけて足を伸ばして座っているホセデレズバを囲み、見下ろした。

 私はその前にしゃがみ込んだ。ホセデレズバは目だけで私の顔を見た。首が上げられずうなだれて眼球だけを動かしている。『麻痺』の魔法は目を麻痺させない。呂律の回らない酔っ払いのような喋り方でうあーとうめいた。目と違い舌は動かせないが赤ん坊のような舌足らずの会話はできる。

「私の子供はどこだ?」

「うー」ホセデレズバの目は反抗的だった。

 ネゾネズユターダ君は細い杖を取り出し、男の足の爪先にその先端を当てた。私は男の前髪を掴んで頭を上げその様子が見えるようにした。ネゾネズユターダ君は杖の先をゆっくりと膝の方へと動かしていった。その杖から何の魔法を出すつもりなんだろうと私は思った。いくつか思いつくが、私の彼氏が習得している魔法の種類は私なんかより圧倒的に多く、全部は私も把握していない。私の知らない魔法である可能性もあった。

「子供はどこだ?」

 ホセデレズバはまともな言葉を発しなかった。唸り声を上げた。

 ネゾネズユターダ君が何か唱えようとする気配を感じ、私は言った。「もういい。地下にいるはずだ。とりあえず探そう。こいつは放っておく」ネゾネズユターダ君の方を見た。焦っている様子だった。いたぶって喜んでいるなんて様子はなく、どうしたらいいか困っている様子だった。「私に考えがある」

 ネゾネズユターダ君は杖を引っこめた。

 私たちはそのへんの人間に地下への入口を尋ねた。これもまた簡単に知れた。私たちは教えられた方へと廊下を急いだ。

 詳しい話はあとでするが、精神魔法の世界で、心を読んだり真実や動機や本音や思い出など本人が隠していることを暴く魔法はない。人間の頭は今のことしか考えてない。その場その場で適当なことを考えているだけというのが真実だ。

 城に地下牢はつきものだ。見張りが扉の前に立っていた。確かにこの先にいるという予感がする。赤ん坊の泣き声すら聞こえた気がした。

「子供に会いに来た。通せ」

 見張りは私の顔を見て、「はっ」と返事をすると手にしていた槍の持ち手を変えた。警戒を解いたという合図だった。

 私は手を出した。「鍵をよこせ」

「はっ」見張りは素直に鍵束を渡した。

 扉について鍵束から鍵を選ぼうとしたら、見張りが、「そこに鍵はかかっていません」と言った。把手を下げるとそれはすんなりと開いた。下への階段が奥に続いていた。湿った空気が鼻に流れてきた。

 こんなところに私の子供がいるのか?

 明かりは灯っていたので私は見張りを一瞥したあと地下への階段を駆け下りた。後ろから2人もついてきた。

 地下は陰気ではあったが清潔だった。多少のかび臭さはあってもそこまでの悪臭はしない。子供の泣き声は聞こえない。廊下に出ると両側に鉄格子ではなく扉が並んでいるのが見えた。扉に格子窓が付いていた。私たちが地下に来た音は地下牢の中に響いたはずだが、それに対する反応がなかった。

「ネゾ君はそっち」私はそう言うと廊下の一方の扉を手前から1つずつ確認していった。

 焦っていたが1つめの扉ですぐに見つかった。窓の格子の向こう、女がうずくまって赤ん坊2人を抱いていた。女には見覚えがあった。レシレカシまで私の子供を引き取りに来た一団の中にいた。実家に雇われた乳母だった。子供と一緒にここに移ってきていたのか。

 私が覗いたとき、女はこちらを向いて格子の方を見ていたので私と目が合った。

「お嬢様」女は言った。

 私は、「待ってろ、すぐ開ける」と言って鍵束を取り出して1つずつ試した。

 中の赤ん坊が泣き始めた。元気のない、咳をするような泣き声で、私はぞっとした。思わずもらい泣きをして目に涙が浮かんだ。鍵が合わなくて私はくそっと悪態をついた。

 かちっと音がすると私は体当たりするように扉を開け、中に駆け込んだ。そして乳母の女と共に私の子供を見た。

 ちゃんと見れば衰弱した哀れな姿だったはずだけど、私がそのときに感じた最初の感想は、かわいい!という背中に電気が走るような衝撃だった。

 上の子は2歳の娘だった。もう巻き毛が生えていてネゾネズユターダ君の女の子版といった感じだった。死ぬほど可愛い。やばいくらい可愛い。下の子は生後2ヶ月でもうネゾネズユターダ君そっくりになっている。死ぬほど可愛い。ギャー! やばいくらい可愛い。とにかく可愛い。目がくりくりしている。

「なにこれ! かわいい!」私は声に出して言った。「すんごく可愛い!」

 私は男の子方を抱き上げるとローブの中に手を戻して短衣の結び目をほどいた。「おっぱいあげていい?」自分の目がギラギラしているという自覚があった。

「あ、はい」乳母はそう返事をするだけだった。

 後ろからネゾネズユターダ君が入ってきて、「一体、何があったんですか?」と乳母に聞いた。

 私は夢中になって、ローブの下で下着もまくり上げると男の子の顔を自分のおっぱいに押し当てた。割とすぐに私の子供は乳首を探り当てて力強く吸い始めた。「あー」自分の口から変な声が漏れた。「あー」「あー、やばい」「あー」「あー、やばい」

 語彙力を失った私をネゾネズユターダ君と乳母はちらりと見た。それから乳母がゆっくりと話し始めた。

 私は女の子の方を見た。そこでやっと本当は丸っこいはずの赤ん坊がけて不健康な見た目だということに気づいた。それどころか額のあたりや腕、足にいくつものあざがある。それに気づいた瞬間、今度は私の中にドス黒い感情が湧き上がった。

 そう思ったらローブの下の赤ん坊がおっぱいから口を離して泣き始めた。「おおっと、よしよし」私は赤ん坊を持ち替えて気持ちもリセットした。飲むのを再開したのでまた長女を見た。見るとすぐに自分の中に殺意が湧き、するとおっぱいを吸っていた赤ん坊がノータイムでびくっと反応した。私は長女に背を向けた。見ると危ない。自分の情緒もやばいし、赤ん坊の感受性もやばい。見たいけど見ないようにした。

「ええっと、最初からちょっとおかしかったんです。憎んでいるというか、優しくしてはつねって泣かせて、すると今度はごめんごめんと謝ったりして。そのうち懐かなくなってしまうとどんどんいじわるがひどくなって……」

 腕の中の息子が敏感に反応する。「ごめん。話を聞くと私の情緒がこの子に伝わるわ。ちょっと外に出てくる」私は立ち上がった。

「うん」ネゾネズユターダ君が言った。

 出るときにちらっと見ると、私の娘は乳母の腕に抱かれて眠っていた。寝顔は幸せとは遠かった。疲れて気力がなくて寝ているだけの様子だった。深呼吸して、息子には安心だけを飲ませるように努力した。

 ここからはあとで聞いた話になる。

 ホセデレズバがこんなことをした動機については不明であるし、最初からそのつもりだったのかも不明だ。しかし子供を預かって割とすぐに、預かった子供に対してつねったり怒鳴ったりして泣かせては、今度は優しくなってあやすという行動をするようになったのだという。乳母である彼女は赤子を守ろうと努力したが、孤立無援でこの城では誰も味方がいなかったらしい。乳の出も悪くなり、子供も落ち着きがなくなり、そうすると周囲も冷たくなって悪循環になってしまったそうだ。うるさいということで地下牢の一番手前の部屋をあてがわれてそこに閉じ込められた。どうするつもりだったのかは分からないという。そのまま乳母である彼女も含めて3人とも殺すつもりだったのかもしれない。しかし殺す理由も分からず、成り行きが意味不明で怖くて仕方なかったということだった。

「ただ、なにか、だんだん無関心になって、考えるのも面倒になってこちらを無視しているような、そんな感じでした」

 私はあとから聞いたけど、理解できない話だった。精神魔法には『精神鑑定』というそのものズバリの魔法もあるので、それをホセデレズバに使ってみてもよかったと思う。そんな風に犯人の精神に私が興味を持った頃にはその鑑定をするのは不可能になっていたけど。

 なぜ不可能になったのか先にネタバレすると、私はその辺に飛んでいたはえとホセデレズバの遺伝子情報を融合させるという処分をしたからである。詳細はすぐに書くのでお待ちあれ。

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