第42話 “ダトベ城の虐殺” その2

 正装の男は私に近づいてくると黙って手を出した。手のひらを上に向け、何かを受け取る格好をしている。

 私はどうしようかと迷った。

 本来なら彼には魔法使いから杖を預かる仕事がある。安全のために必要な措置だ。しかしギュキヒス家の人間に直接、「杖は預かります」と伝えても、「え? 嫌だけど」と言われて終わりである。それどころか誰に向かって杖を預かるとか言ってるんだこの無礼者などという話になる可能性もある。だから何も言わずに手を出して、あとはこちらの対応に任せるという運用になるのだ。

 10代の私なら無視をしただろう。年を取って私も丸くなった。徒歩で問い質しも受けずに侵入し、さらに振り向きざまに杖を向けてしまったという負い目があった。その負い目に20代の私は釣り合いを取ろうとして彼に杖を預けた。「ん」

 ネゾネズユターダ君もそうした。

「ありがとうございます」彼は私たちの杖を横にいた別の者に渡した。杖を持った小間使いは早足でどこかに消えてしまった。「こちらになります」

 男は私たちを従えて歩き始めた。あの杖はあとで取り返せるだろうかと私は思った。

 城の門から中に入り、絨毯の敷かれた通路を歩き、いくつかの扉を抜けた。

 そして広い謁見の間に通された。

 謁見の間は無駄に広かった。レシレカシの食堂くらいの広さがある。300人くらいは入れそうだ。天井も高く、高い位置にある窓から午後の光が差し込んでいた。相手を威圧して交渉を有利にするための仕掛けに溢れていた。石像と巨大な柱。あと旗。

 並んでいる旗の、奥の一番いい位置にはギュキヒス家の紋章も掲げられている。ホセデレズバ家の紋章は正面、玉座の後ろに吊るされていた。後脚で立ち上がるワイバーンの意匠だった。

 左右には間隔を開けて大きな杖を持った魔法使いが20人ほど並んでいる。そしてその隣には武装した兵士がさらに100人は並んでいて、こちらを見ながら剣の柄に手をかけている。

 私たちを案内した男は入場をうながし、当人は謁見の間には入らなかった。

 私たちは中央を正面の玉座に向かって歩いた。

 ホセデレズバを見た。やはり私は見覚えがなかった。子供の頃におそらくは見たのだろうが、まったく覚えていない。

 ギュキヒス家の娘を迎えるにあたって、玉座の前で立ち上がり、こちらへの敬意を示している。

 小太りで髭を生やしていた。身長は私よりちょっと低いくらい。170センチ弱といったところ。顔にも脂肪がついている。40代といったところか。パリっとしたベストの上にジャケットを羽織り、胸には勲章がいくつか並んでいた。正装に近いが式典用ではない。実務のための服装だった。走ったり剣を振ることもできる程度には。

 それにしてもこんなに殺意を隠さない歓迎を受けるとは思わなかった。

 私も駆け引きはしなかった。「私の子供がここにいるはずだ。無事なのか?」謁見の間の中央にある柱の間を過ぎたところで私たちは足を止めた。

「子供の命が惜しければこっちに来て俺のチンポをしゃぶれ」ホセデレズバは言った。「そして俺に謝罪しろ!」

 私は周囲の兵士たちの反応を見た。士気は下がっていない。大丈夫か? 今、あなたたちのボスは子供を人質にとんでもない要求をしたんだけど。

 隣のネゾネズユターダ君は割と殺気立っていてもうやる気になっていた。周囲のやる気に反応した感じだ。制服のポケットには実習用の短い杖が入っているので彼の魔法の使用に関しては問題ない。狙った方向に魔法が飛ばせれば充分だ。

 私は色々と状況を考えた。子供を人質に取っているといっても最初から私たちが目当てだったはずがない。私が来ることを予想できたはずがない。しかし私が来ると知ってホセデレズバはやる気になった。このように人まで集めた。何がどうして彼はこういう行動に走ったんだ? 分からないことだらけだ。だがここで彼の動機や目的を知ろうとすることは得策ではない。納得できないからといって反撃を躊躇していては手遅れになってしまう。理由が分からなくても相手がその気ならまずは状況に対処しなくてはならない。謎の解明はあとまわしだ。

「ギュキヒス家の娘ザラッラ゠エピドリョマスである」私は取り囲んでいる兵士と魔法使いたちに向かって声を張り上げた。「今ここで投降すればお前たちやその親族を罪には問わない。保障する。そして!」私は人が理解するのに充分な間を作った。勘でしかないが、私の言葉に動揺している兵士も1人や2人ではなさそうだ。「それだけでは不十分だろう。報酬も与える。事情を知らず騙された者は三歩、前に出よ。そして後ろを向け。目の前に残っている者の首1つにつき金貨5枚を与える!」

「ふざけるな。ギュキヒスにされたことを思い出せ! 娘を血祭りにあげ、我々の恨みを思い知らせるのだ!」ホセデレズバの威厳のない声が私の提案を打ち消さんと響く。「女の言葉を信じるのか?」

 私は待った。ホセデレズバも待った。結論が出てその場の空気がまとまるのを待つ必要があった。

 投降する者がいなければホセデレズバはもう一度、私に下品な要求をするだろう。いた場合には裏切り者を粛清する必要が出てくる。そのときは戦闘だ。

 ホセデレズバは恨みを強調したが、彼と同じ強さの恨みを抱えた者が何人もいるはずがない。ほとんどは金目当てで雇われただけだろう。そしてこれだけの人数だ。その報酬は金貨1枚も無いはずだ。

 兵士も魔法使いも周囲を見てオロオロしている。寝返るなら全員で一斉にやった方がいいわけで、雰囲気としてはあと一押しという感じだった。

 私は言った。「3つ数える! 1!」

「こちらも報酬を払う。裏切った者の首には金貨10枚だ!」

「2!」数えながら今回はホセデレズバの勝ちだと思った。実際にそれだけの金貨を持ってはいないだろう。しかし最後の最後に全体の空気を1つにまとめた手腕は見事だった。「3!」

 三歩前に出た人間はいなかった。周囲を見ながら踏み出そうとする人間もいなかったわけではない。前方にもいたくらいだから後ろを囲んでいる兵士にも何人かいたはずだ。

 しょうがないと状況を受け入れようとしていたら、囲んでいる兵士たちからどよめきの声が上がった。振り返ると後方に配置されていた魔法使いの1人が前に出ていた。黒いローブを着て、長くて歪んだ木の杖を持った男だった。帽子はかぶっていない。

 私は手招きした。「受け入れる。そのままこっちに寄れ」

 ローブの男は近付いてきた。謁見の間に足音が響く。それを見守る他の手下たちにも動揺が見えた。

 ネゾネズユターダ君が警戒して、制服に隠し持っていた指揮棒のような実習杖を取り出した。それを見てまた周囲がおおとうなった。杖がない魔法使いは丸腰も同然だ。短くても杖があれば話は違う。こちらとしては不意打ちできなくなってしまったが、ここで杖を抜かないわけにはいかない。ネゾネズユターダ君の判断は妥当である。

 近づいてくる魔法使いは30代の男だった。中肉中背、やや腹が出ている。私を見る目が妙に馴々しい。見覚えがある気もする。

「あなたにこんなところで会えるとは。初めまして」魔法使いは頭を下げて自分の名前を告げた。

 ネゾネズユターダ君は警戒を解かず、彼に杖を向けている。

「レシレカシの先輩ですか?」私は聞いた。

「いいえ。兄が学生でした。覚えていませんか?」彼はそう言ってまた別の名前を言った。

「あー、思い出した。『虐待の後遺症を治す魔法』だ」

「その節は本当にありがとうございました。兄は中退しましたが、それから兄弟で父を家から追い出して、今はつつがなく暮らしています」

「虐待を受けると脳に障害が残るんだよね。あれを治すのは精神魔法と遺伝子操作魔法のミックスで、なかなかにチャレンジャブルでしたよ」私は笑った。「そうか。問題なくやれてるみたいですね」

「あなたに恩を返す機会をずっと願っていました。これこそ千載一遇のチャンスです」大きな杖を両手で持って見せる。「私の命でよければ御自由にお使いください。報酬も要りません」

 ネゾネズユターダ君がやっと杖を下げた。

 この魔法使いの兄のことは覚えている。当初から対人恐怖症といった感じで、いつもビクビクオドオドしていた。結局授業についていけずに休学からの退学となったが、その最中に病気に気づいた私が魔法をかけたのだった。

「思い出話はあとでするとして、どういう状況なの、これ?」

「ここにいるのは傭兵ではありません。城主は魔法使いの部隊を所持しているんです」

「へー、じゃあ正規軍なんだ」

「そうです」

「買収に応じないわけだ」

「いえ、結構、効果的でしたよ。ただ、この土地に家族がいる者は、裏切るのは難しいですね」

 私はそれまで玉座の方を向いていたけど、そこでやっと彼の方を向いた。「いいの? この中にはあなたと親しい者もいるでしょう?」

「説得は試みます。あのあたりの者はあとまわしにしていただけると助かります」彼は後方の、彼がいたあたりの魔法使いを示した。「説得に失敗したら仕方ありません」

「分かった。ネゾ君も頼める?」

「まあ、なるべく。けど今すぐに投降して欲しいね」ネゾネズユターダ君はもっともなことを言った。

 歪んだ木の杖の魔法使いは大声で言った。「ボユリギソヴモヨ、フリーマコヤマ、リスーグジチョキ、頼む。こっちについてくれ」

 その声は謁見の間じゅうに広がり、そのまま消えていった。反応はなかった。

 唯一の投降者は私たちにだけ聞こえる声で言った。「残念です。仕方ありません」

「うん」私は大きく頷いた。「お前については罪に問わない。報酬が欲しければ首を狩ってもいいが、無茶はするなよ」

「1人でも多く道連れにしますよ」

「違う。そうじゃない。死ぬのは向こうだ。つまらないことで死ぬなよってこと」

 彼はきょとんとしていた。

「なかなか人望があるじゃないか」ようやく空気が落ち着いたところに、ホセデレズバの声が響いた。

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