第36話 母親が使う魔法

 ほとんど夕方に近かったが残りの時間を図書館で過ごした。

 『転送ゲート』の許可に時間がかかるのであれば動物の募集も中止にした方がいいかもしれない。『真空結界』については許可が下りたということだが、まだ正式な連絡はない。ジョジョシュ主任も何も言っていなかった。

 『遠隔子宮』の優先度を下げるという方針は撤回してもいいと思う。ネゾネズユターダ君にもう一度確認した方がいいと思うが、実家においても養子に出す程度の価値ならば私たちでどこかに養子に出せばいい。縁組先はネゾネズユターダ君の実家というのが一番だろう。それで彼の望みはかなえられる。私の子供を私が育てられない理由は権力争いの火種になるからだ。実家との繋がりを切り、その実家のうれいを断ってしまうのであれば、その方法がなんであれ実家も目をつむるはずだ。

 それならば私は当初の私自身の不便解消、妊娠と出産の面倒臭さの解消に優先的に取り組めばいい。

 ネゾネズユターダ君の実家もそれなりに裕福だったはず。そもそも孤児だった彼の優秀さに気づいて拾って育てたくらいだから、血筋についてのこだわりはそんなに無いのだろう。ギュキヒス家の奨励金で学校に編入させるときに上の方で話をつけたはずだが、そこでモメたとか厄介な条件を出されたという話も聞かない。

 まあ、南西蛮族ばんぞく方面での養子縁組も面倒なことになったらレシレカシの近所のどこかに貰っていただけばよいのである。別に貴族や豪族である必要はない。養育費の援助をすればモメることもなく子供は大抵の場所で歓迎されるはずだ。ネゾネズユターダ君がそれで納得するなら、私自身はそれでも何の問題もない。むしろそっちの方が近所なのでよいとすら言える。

 その日の午後の短い読書を終えて私は図書館を出た。受け付けは無人でメイドもいなかった。利用時間はとっくに過ぎていた。

 私は一人で渡り廊下を抜け、自分の研究室に戻った。助手はまだいた。私は本日の研究の終了を告げ、理由を説明して実験の開始を遅らせるむねを伝えた。『転送ゲート』が使えないなら動物実験も始められない。

 一方で助手からは、『真空結界』の魔導書と使用許可証が渡された。私は助手に、魔導書を先に読んで、私が使えるかの判断をするようお願いした。私自身は趣味の研究をいくつも平行でやっているので使えるか分からない魔法の魔導書を読んで時間を無駄にしたくない。助手のキューリュは了承し、魔導書を受け取った。

 もう一つ、私は助手にレシレカシの創立時のことに詳しい人や参考になる本について訪ねた。本については月並な資料以外に思い当たるものはないが、人物については私が思っていたのと同じ名前が出てきた。授業中にもことあるごとにレシレカシの歴史や伝統について語る名物の先生がいるのだ。私はあとでその先生に話を聞きに行くことにした。

 研究室を出て、日が落ちて暗くなった構内を家へと歩いた。

 いつものように市街の喧騒が上から降るように聞こえた。

 私が石畳を歩く音が自分の耳に聞こえた。反響が周囲の空間に広がった。

 いつもならここで頭が夜のネゾネズユターダ君との営みモードに切り替わる。しかしこの夜は違った。

 何か、頭の中にちりちりとした不安感があった。昨日の夜の幻覚とも違う。言葉にできない不快感だった。

 私は精神魔法の使い手であり、超常現象のようなものは精神魔法や脳神経活動によって説明できると思っていた。同時に、肉体的快楽や直感、感情のようなものも疑っていなかった。それは同時に存在し、どちらも肯定しなくてはならない生物の要素だった。

 その不快感は直感と理性を衝突させた。

 こういうとき、私は直感を優先させる。それで何度も失敗してきたが後悔はしていなかった。むしろ直感を無視したときの方が後悔は大きかった。

 私はこれからこの夜に何をするかを決心し、家への残りの道を急いだ。

 これからの私の行動に教訓のような意味はない。私にとっての事実であって、私にとっての直感であって、それは私だけの話だ。他人にあてはまるなどと考えてもいない。

 私は何故か分かったのだ。自分の子供たちに深刻な事態が起こっていると。


 家に着いた。ドアを開けると、「おかえりなさいませ。お嬢様」とメイドたちが声をかけてきた。そしてすぐに私の表情を見て何かを察した。「どうかなさいましたか?」

「私の杖はある? 出して。あと、学園内に家への転送ゲートがあるはずよ。それを知っているのは誰?」

 メイドの1人はすぐに家の二階へ走った。リビングに残ったメイドが告げる。「おそらく学長にお会いになられるのが話が早いと思います」

「学長では駄目だわ。“うち”の代理人はどこ?」

「この時間なら委員庁舎にいます。リュギボゴゼヴニという執事です。レシレカシ運営委員会外部取締役兼本家代理人です」

 うちのメイドは本当に優秀だ。私が聞きたいことをダイレクトに答えてくれる。思わずパチンと指を鳴らしたくなった。

 二階からメイドが下りてくる音が聞こえる。

 ネゾネズユターダ君はリビングにいて、まだ成り行きを見ているだけだった。

「委員庁舎ってどこ? そいつの部屋は?」

「学長室のある塔の近くの、6階建の四角い建物です。周囲に照明があり照らされているので見れば分かると思います。部屋は最上階の階段を上がって右手の一番奥です」

「ありがとう」

 メイドが私の物干し竿とでも言うような長尺の杖を持って1階に現れた。

「待った! 僕の杖も持ってきて!」ネゾネズユターダ君が言った。

 私、メイド、杖を持ったメイド、3人が彼を見た。

 彼はさらに何か言おうとしたが、「あーっ」とうめいたかと思うと自分で2階へダッシュした。

 入れ違いになったメイドが私に杖を渡した。

「ありがとう」私はそれを受け取った。ベースは木で作られているけど重い。先端の輪の装飾部分はスイカより大きい。足元の部分にも拳ほどの大きさの金属球が埋め込まれ、全体のバランスを整えるカウンターウエイトの役割を果たしていた。威力はあってもやはり根本の部分でどうかと思う杖だ。「よし、ちょっと行ってくる。多分、私の子供たちに何か悪いことが起こっている」

 私の言葉を聞いたメイドたちは身を固くした。私と同様、理屈は分からないが彼女たちも私の直感を信じた。

 2階のネゾネズユターダ君の足音が大きくなって近づいてきた。

「お嬢様、それでしたらローブに着替えてはいかがでしょうか?」

「ん?」私は自分の格好を見下ろした。大きいサイズでサイドをカットしたシャツに膝丈スカート。まあ、一刻を争うといってもその位の時間はあるだろう。むしろ服装によって短縮できる時間とプロセスがこの先にある可能性が高い。私は杖を玄関の横に立て掛けた。「よし、どうせなら魔法使いの格好にするわ。急いでちょうだい」

「かしこまりました」3人目のメイドがキッチンの方から現れてクローゼットへと駆けていった。

 2階から下りてきたネゾネズユターダ君は階段の途中で杖を持ったまま固まっていた。

 彼の杖は彼の身長と同じくらいの長さで、こちらは細長い金属製だ。指で作った輪よりも細く、握ると指の関節が重なる。鋼鉄が使われているので鈍器としての殺傷能力すらある。先端が掌ほどの幅に平たく加工されてバターナイフのようになっている。そこに色違いの魔法石が4つ並んで埋め込まれていた。杖本体も全体に私の杖と同じように紋章や文字が彫られていた。ギュキヒス家の様式が表現されたものだった。

 私はまっすぐクローゼットへと向かった。「ネゾ君も学校の制服に着替えた方がいいわ」

「分かった」階段の上で、両手で自分の杖を持った彼が応えた。

 クローゼットに入る。他のメイドも後ろにいた。下着も全部黒に統一していく。どうせならと長めの見せドロワーズにした。膝まで隠れてふくらはぎがフリルから覗く。動きやすさを優先してスカートは短いのを選んだ。重ねるとスカートがふわっと広がりこういうファッションにも見えるし正装にも見える。靴もブーツではなく黒の布靴。上は黒の短衣にローブを重ねた。鏡で見るとオールドスタイルの魔法使いっぽい。

 帽子はかぶらないことにした。説明は省略するけど、魔法使いの帽子にいくつかルールがあり、さらにギュキヒス家の女が被る帽子にもいくつか伝統とルールがあるのでややこしいのだ。何を選択しても相手によってはめんどくさいことになる。それよりはかぶらない方がマシというものだ。

 その代わり朝に結った髪をほどいて別の髪型にセットし直した。ギュキヒス家の成人女性がする髪型だ。後ろで作った三つ編みを団子にして上の方でまとめ、横の髪も別に編んで左右をまとめて背中に垂らす。ちょっとダサい。しかし髪を伸ばしておいてよかった。

 リビングに戻ってみるといると思ったネゾネズユターダ君がいなかった。不思議に思いつつ玄関で杖を取って外に出ると、そこに制服姿の彼がいた。杖を構えて『光電球こうでんきゅう』を唱えている。『静音』と『暗闇』の魔法を唱えた上でその空間に放っているので、この魔法特有の派手な光と音が一切漏れていなかった。

 しかし構内でそんな魔法を唱えていると……。

 そう思ったときには警備員の声と足音が正門の方から聞こえてきた。

 ネゾネズユターダ君は目が左右に泳いで隠れる場所を探していた。予想していなかったのか。

 私は警備員が来る方に向かい、今のは誤作動だと告げて退散させた。

 ネゾネズユターダ君の所に戻ると、当人は分かりやすくヘコんでいた。「ごめん。この杖を使う予行演習をしておいた方がいいかと思って……」

 うんうん。それは分かる。それに、練習するなら今しかないから、このタイミングしか選択肢はなかったと思う。「正しい判断で、全然悪くないよ」

「迷惑はかけたけど、これでばっちり。いつでもいける」

「行きましょう」

 私たちは夜の構内を委員庁舎があるという教えられた方へと急いだ。


 学長塔と呼ばれる建物の近くにそれはあった。明かりで目立つという話だったが、確かに一目で分かった。真っ白い魔法の照明が建物の2階の外周に沿って等間隔にぐるっと設置されていたのだ。光を噴射して空でも飛ぼうとしてるのか、これは。

 この建物へと移動の間、私は端的に自分が感じたものを説明した。「私の子供に何か起こっている。急いで駆け付けないといけない」

「分かった」彼の返事はシンプルだった。

 こういう母親が察知する虫の知らせというのは話では聞いたことがある。自分の身に起きてみると不思議なものだ。そしてあとになってもっと不思議に思うのが、周囲の人間もそれに疑問を持たないということだった。母親がそう言うならそうなんだろうと信じる。

 最中においては、周囲の人間が信じるのも当たり前で、そこには疑いようのない確信だけがあった。不思議など何もなかった。

 建物に入ると6階まで上がり、右手に廊下を進んで突き当たりのドアを見つけた。初めて入る建物だった。周囲を観察する余裕もなかった。

 すぐ横を杖を持ったネゾネズユターダ君が歩いていて、常に私に控えていた。

 長い杖の先でドアをノックした。

 返事はない。

 私はレバーを掴んだ。「失礼します」レバーを下げて中に入る。

 委員庁舎という建物は業務をする施設ではなく学園の役員クラスの偉い人が生活する集合邸宅だった。1フロアに区画は4つだけ。それぞれが子持ちの家族に祖父母がいる3世帯であっても暮らせるだけの広さがあった。

 ドアといっても住居の玄関で、中はエントランスルームになっていた。正面と右に扉が見えた。

 その正面が開き、執事服を着た男が姿を現した。私たちの姿を見て接客モードになる。「このような時間に何の用でしょうか?」

 ここにいるのはギュキヒス家の代理人という話だった。だったら私のことは知っているはずだ。「私の子供に何かが起こっている。通して」

「かしこまりました」執事は奥へと戻った。ドアは開けたままだった。

 段差があり靴脱ぎ場があったので、私はそこで靴を脱ぎ、ネゾネズユターダ君を従えて執事のあとに続いた。

 扉の奥はリビング兼応接室といった感じで、中央にソファが置いてある広い部屋だった。奥の扉から執事をあとにその男がやって来るところだった。部屋着の上に1枚羽織っただけの簡単な格好だったが、着替えを待たされるよりよっぽどいい。

 その男——名前はリュギボゴゼヴニだったか?——には見覚えがあった。まだ自分が10歳でレシレカシに入学したての問題児だった頃、何人かの大人たちと一緒にいるのを見たことがある。私と直接接触するのは世話係と呼ばれる人間なので、私が彼と直接やりとりをすることは当時からなかったと思う。ただ嫌な目線で私を見るだけの大人だった。

 16年、こいつは私と共にここにいたのか?

 やや恰幅のいい腹、後ろに撫でつけた髪、黒い肌と白い歯。眉毛はごんぶとで波打っている。年齢はもう40代になっているだろう。表情は穏やかだが精力的で妙にオスを感じさせる印象だった。この勘は外れておらず、あとで分かったことだがこいつは女学生大好きなため、ここでの外部取締役としての生活を充分に楽しんでいた。結婚もしているが嫁とは顔も合わせない生活をしているらしい。このときも奥の部屋には女子生徒がいたのかもしれない。

「お嬢様、こんな時間にどうしました?」ソファにも座らずに立ったまま彼は言った。

 私も立ったままだった。「私の子供に何かが起こっている。学園のどこかに転送ゲートがあるはずよ。案内して」

「……少々お待ちください」

 代理人の男は私の前を横切り、彼が入ってきたのとは別の扉に出ていった。がたがたと小物がぶつかる音が聞こえた。あまり私を待たせることなく男は戻ってきた。魔法使いの黒い肩掛けを首に巻き、正式な1メートルほどの長さの杖を手に持っていた。

「こちらです。ついてきてください」代理人の男は大股で玄関に向かって歩き出した。執事の方を向くと、「あとのことは任せた」と言った。

 私とネゾネズユターダ君は彼のあとに続いた。

 こうやって書くとやはり不思議な夜だった。実家を勘当された身なのでギュキヒス家に顔を出すというのは私は許されていないはずだった。代理人の役割も私を止めることだったはずだ。だが、私が子供が危ないと言うと躊躇なくみんなが私に協力した。正式な黒い格好をした私に、なにかそのような力があったのかもしれない。

 玄関を出て、階段に向かって歩きながら彼は言った。「子供たちに何が起こっているのですか?」

「それは分からない。だけど何かが起こっている。よくない何かだ」

「お子様が養子に出されたのはご存知ですか?」

「知ってる」

「そうですか。おそらく、里親のホセデレズバ様のところに何かありましたな」

「……多分、そんなところだろうな」

 私たち3人は委員庁舎を出て、学長塔へと向かった。

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