第35話 “評価不定”によるおまけのデモンストレーション

 実習の自由時間の終了を主任が宣言した。

 ネゾネズユターダ君が子供の成り行きに前向きだったのと、もっと単純に物理魔法が派手だったのとで、3時間の実習の間に私のジョジョシュ主任への苛立ちは消えていた。『遠隔子宮』の実現は先のことになるが5年というのは考えようによっては遠くない。その期間に何人産めるのかを考えれば。

「詠唱を止めるように。これで今回の実習は終了とする」

 主任が言うと生徒たちはパチパチと拍手した。地面は煙を上げ、一部の草は消火されてはいるが黒い焦げになっていた。水蒸気のもやがそこかしこに漂っている。拍手をしている生徒の一部が私を見た。それから次々に生徒たちが私に向かって拍手をするようになった。私は挙動不審になってネゾネズユターダ君のそばへと寄った。

 元気な生徒が、「先生、ザラッラ先輩の魔法が見たいです」と言い出した。

 私は彼氏の陰に隠れようとして間に合わなかった間抜けな姿のまま足を止めた。ネゾネズユターダ君が私を見る目は心配している目ではなかった。何をするか、他の生徒とは違う意味で楽しみにしている目だ。

 ジョジョシュ主任は遠慮がちに私を見た。生徒たちの期待と、私の反応から、どうすればいいのか迷っていた。ふざけてないで解散と言うことが正解なのかどうか分かっていなかった。私は主任とアイコンタクトを取った。親指と人差し指で輪を作りOKサインを出す。

 それを受けた主任は大きく頷いた。「よし。それではここでザラッラ゠エピドリョマス研究生にも何か見せてもらおう。彼女は物理魔法は使えないから、他のものを」

 わーっと生徒たちが歓声を上げた。

 どうしようかなあ。私は色々と考えながら主任のいる方向、みんなの前へと進んだ。派手な魔法も無いではないが、人に見せない方がいい魔法も多いからなあ。みんなに見せられて、それなりにウケのいいもの……。

 私は主任の横に並んだ。生徒たちが私を見ていた。ネゾネズユターダ君も例外ではない。主任は私が前に来て足を止めるのを待って、「では、どうぞ」と一言言った。

「みなさんの魔法は素晴らしかったです。ご存知かと思いますが私は物理魔法が使えません。ここにいる皆さんは私より優秀な魔法使いです」——はははと軽い笑いが起こった——「私が使える魔法であまり派手なものはありません。それでもせっかくの機会だから1つみなさんに経験してもらいましょう。地味ですが、あまりナメたものでもないですよ。みなさんの期待には応えられると思います。『睡眠』の魔法です」

 みんながざわざわした。精神魔法の代表格だが、私は世間の評価が不当に低いと思っていた。

「立っていると危険なのでみんな座ってください」

 私は手を上げて合図をした。それから100人の生徒が地面に座るまでには結構な時間がかかった。みんな話してばかりですぐに座ろうとしなかった。

 『睡眠』は学校ではあまり教えない。使う生徒もほとんどいない。そもそも低級のモンスターや野生動物に使う魔法なので、学者気質のレシレカシの生徒は一度も唱えずに生涯を終えるのが普通だろう。しかし『睡眠』というのは生物の精神活動の根幹の部分をなしている。ほとんどの生物が睡眠という行動を取る。そして睡眠欲求というのは非常に強力だ。他のほとんどの欲望の上位に位置する。空腹でも怪我をしていても眠いときには寝てしまう。本能に近いのでちゃんと唱えればほぼすべての生物に効く上に決定的な結果をもたらす。

 長い時間をかけてみんながやっと座った。

 座っている100人の生徒の前に立って見下ろすのは変な気分だった。相手を座らせる王様の気分ってこんな感じなのかと私はどうでもいいことを思った。

 さて唱えようというときになって『睡眠』が指向性で杖が必要な魔法だということを思い出した。範囲を指定する必要がある。いつものように『魔法収斂しゅうれん』を使って指を杖の代用にしようと思ったが、これもあまり魔法使いに見せていい魔法ではない。「先生、すいません。杖を貸してもらえますか?」

 主任はふところから50センチの指揮棒のような予備の杖を出した。実習用の安物だ。自分の杖は貸さないんだと私は思った。

「どうも」私はそれを受け取り呼吸を整えた。そして100人が座っている端から端へとまさに指揮者のように杖を振った。「『睡眠(クプモコオワ゠ゴベボヴヨ゠サリビラチナ゠カ゠ゴワワ)』」

 かけられた生徒だけでなく私の横で見ていたジョジョシュ主任も驚いて目をいた。

 座って私を見ていた100人の生徒がはっとして顔に緊張を走らせた。目に力を入れて歯を食いしばる。ほんの数人だけが「あ」と声を出した。声を出せるほどの抵抗ができたのは100人いて5人以下だった。私が実験で統計に出した抵抗率の数字に修正は必要なさそうだ。生き物にとって睡眠欲というのはそのくらい決定的なのだろう。生徒たちの座り方はそれぞれだったが、胡座あぐらの生徒も膝を抱えた生徒もしゃがんで尻を浮かせていた生徒も、次の瞬間には目がとろんとなった。眠気に襲われた人間に特有の表情だ。なんとか目を開けようとするがまぶたは落ちていき、そして全身の力が抜けた。座っていたたくさんの体がゆっくりと一斉に倒れた。どさどさという音がまとまって響く。互いの距離は離させていたのでぶつかる事故は起こらなかった。数秒後には対象範囲内の全員が横になった。1人を除いて抵抗できた魔法使いはいなかった。

 直前までざわざわしていた集団の話し声が消えて静かになった。寝息だけが聞こえる。身動きもせずに人が転がっている。私は実物を見たことはなく絵画でしか知らないけど、虐殺のあった村か戦場の景色のようだった。

「な」主任が口をあんぐり開けた。「なんだこれは」

 いい反応だなあ。「この魔法は本来はこのくらい致命的なんですよ」私は結果に満足していた。「死んじゃってるみたいだ。さすがにこの人数にまとめて唱えるのは初めてです」大人数だと寝息も耳をすませず普通に聞こえる音量になると初めて知った。「壮観そうかんですね」私は借りていた杖を差し出した。

「あ、ああ」主任は杖を受け取りつつ、寝てしまった生徒たちから目を離せないでいた。

 個人差があるが1分からせいぜい20分の間にはみんな目が覚めるはずだ。魔法使いなら誰でも知っている効果時間である。

「信じられん」主任は私の方を向いた。「精神魔法のエキスパートというのはここまでのものか」

「大袈裟ですよ」私は苦笑した。唯一抵抗に成功して座ったままでいるネゾネズユターダ君に向かって手を振った。

 彼も手を振り返した。「大成功だね。僕も寝たふりするよ」そしてなぜか横になった。

 早い生徒は体を揺らしもぞもぞし始めた。うなったりビクっとしたりしている。それからうーんというのどかな声が散発的に聞こえるようになった。ネゾネズユターダ君もそれに混ざって体を起こした。

 しばらく状況が落ち着くまで大変だった。授業が終わったのに追加で30分以上が必要になった。周囲の誰かが起こすので寝続ける生徒はいなかったが、起きてからみんなの会話が止まらなかったのだ。といっても会話はみんな同じである。「眠いと思ったらもう我慢できなくなって寝てしまった」「私も」というやりとりだ。話さずにはいられないといった様子で、自分がいかに眠かったか、眠いと思ってからどれだけあっという間に寝てしまったか、同じ話を何人もの人間と繰り返した。生徒たちは半分は興奮し、半分は恐怖し、その感覚を人と話さずにはいられなかった。その会話が生徒たちの間で続けられまなかった。寝てはいけないと分かっているのに寝てしまう経験はこの生徒たちの年齢になればみんなするものだ。それでも魔法で強制的にそれが発生するのを経験するのは強烈だったようだった。

 『睡眠』というのは眠くなって寝てしまう魔法である。それを食らってそうなるのは、特別でもなんでもないものすごく当たり前の体験なのだけど。

 騒然とした空気が落ち着いてから全員を静かになるのを待って私は締めの挨拶をした。「自分が想像したよりも衝撃的だったようで、私としてもハードルを越えられてよかったです。大学では私の講義でこの魔法への抵抗方法も解説しています。興味があればどうぞ」

 私の挨拶を引き継いでジョジョシュ主任が私への礼を述べ、授業終了をあらためて宣言した。まばらに拍手があった。

 生徒たちはばらばらと校舎の方へと移動を始めた。歩きながら『睡眠』の体験を繰り返し友達同士で話していた。

 会話の中に、「ザラッラ先輩ヤバい」「『睡眠』ヤバい」という声が聞こえた。むふー。

 数人の生徒は私の方に近寄ってきた。そして唾を飛ばす勢いで自分の体験を私に話した。私は失礼にならない程度に適当に相槌を打った。興奮して話しても、その内容は眠くなって寝てしまったという話でしかないわけで、言われた方は、ああ、そうなんだねえとしか言いようがない。精神魔法全般に言えることだけど物理魔法との違いはここにある。唱えた方の体験と唱えられた方の体験にズレが大きい。爆発魔法なら両者がほとんど同じ体験をするので話も合わせられるのに。

 ネゾネズユターダ君はしばらく友達と一緒に放課後を過ごすということで、ちょっと会話をしたあと、皆と一緒に行ってしまった。その前にじゃあまたねとハグをした。

 あとに残ったのはジョジョシュ主任と、片付けを手伝うために残った数人の生徒だけである。私と会話をしたい生徒もほかに数人残っていた。

 私は指示を出しながら自らも片付けをする主任を遠目に見た。表情に深刻なものがあり、片付けをしている顔ではなかった。何も言ってこなかったが、『転送ゲート』の許可申請に前向きな影響があるかもしれないと、その表情を見て思った。明らかに主任の中で私への評価が変わっていた。そんな意図はなかったけどそうであれば結果オーライだ。

 私は遠くで土を埋めたり削ったりしている主任に向かって手を上げた。「先生」

 彼が動きを止めてこちらを見た。

「これで失礼します。いきなり見学してしまってすいませんでした。ありがとうございました」

 主任も手を振った。離れたところから大きな声を出していたので、声は実演場に響いた。「ああ、こちらこそありがとう」

 私が校舎の方に歩き始めると、残った生徒たちの何人かが話しかけてきた。どうやったんですかとか私にもできますかとか。さらに精神魔法を学ぶには大学に進学すればいいんですかとか。

 私はそんな生徒たちの質問に答えながら実演場をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る