第33話 空の下、風の中、原っぱの真ん中

 物理魔法実習の授業はいつも3時間。そして最後の30分は自由時間になる。残る150分で100人の生徒の各種物理魔法を指導、検討できるのかというと無理である。1人が先生から直接指導を受けられるのはせいぜい1分。それ以外の時間は各自がそれぞれの魔法を唱えて結果を生徒たちのグループ同士で採点して成績として記録していく。全員同時に唱えることは禁止されていて、分かれた班の中で1人ずつが唱える。それでも全種類をこなすのは無理なのでそれぞれが得意な魔法や苦手な魔法を集中して練習する。

 明らかに指導の効率は悪い。あとになって分かったことだが、レシレカシは物理魔法の指導はわざとおざなりにしている。それは、こんな“実用的”な魔法などレシレカシで扱うようなものではないという高慢こうまんな思想のせいもあるだろう。一方で、自分の生徒を安易な兵器や武器にしたりしないぞという愛情もあった。そしてもっと重要な点は、レシレカシは軍事力を持たないし持ちたくないということであった。その意味を私が理解するのはもうちょっとあとの話である。

 私とジョジョシュ主任は少し離れた指導用の高台の上に座っていた。学生たちが物理魔法を班ごとに唱えていて、あちこちから派手な音が聞こえる。主任は実習が始まる前に演習場の結界と警報を解除していた。今はやりたい放題である。もちろん安全装置は別に作動していた。大きすぎたり暴走した物理魔法は自動的に打ち消される。

 高台にスカートで膝を立てて座っていると、私の今のスリングの下着は食い込みが激しいので角度によっては穿いてないように見える。生徒たちが私のスカートの中をちらちらと見ていた。調子に乗って私がスカートを掴んで「ほれほれ」とあおぐとネゾネズユターダ君が近づいてきて、「ちょっと。ホントにやめて」と怒ってきた。「ごめんなさい」と私は素直に謝った。もーと言いながら彼はみんなのところに戻った。

「彼は物理魔法も優秀だよ」主任が言った。「高度な魔法もちゃんと使える。早いのもいい。物理魔法では詠唱速度も重要だからな」

「へー」彼が褒められると嬉しい。みんなと比べてどうかも見ておこう。「それにしてもやっぱり物理魔法はいいですね。派手で分かりやすいです。もっときちんと教えればいいのに」

「魔法の訓練所とかだと物理魔法しか教えないよ。それどころか火とか水といった種類で授業が分かれててそれぞれで訓練させるんだ。その中でも火の玉と火の壁のように、攻撃魔法・防御魔法という風に呼び方を変えている。で、その中でそれぞれ人に合った物理魔法を伸ばしていくんだ。全部まとめてはいどうぞなんてことはしない。実際、ちゃんと魔法を教えてくださいって抗議は毎年うるさいな。そんな奴は退学してどっかに入り直せばいいんだ。本当の“魔法”を教えているのはうちだけだってのに」

「そうだそうだ」私は手を突き上げた。

「物理魔法なんて理論や体系は全部一緒だ。1つできれば得意不得意じゃなくて全部できる。ちゃんと魔法を教えてないのはどっちだって話だよ、まったく」ジョジョシュ主任が愚痴る。「実際、1分で今日の課題魔法13個くらいなら全部唱えて2週目に入る生徒だってここじゃざらにいるのにな」

「ネゾネズユターダ君もできますか?」

「いやいや」主任は苦笑した。私をたしなめてきた。「彼氏にそういうプレッシャーをかけるのはいい彼女とは言えないぞ」

「余計なお世話です」私はぴしゃりと言い切る。「私はいい彼女で、彼はいい彼氏ですから」

 ジョジョシュ主任は姿勢を変えた。顔はあくまで生徒たちの方を見ていた。「そうだな。すまなかった。君はいい彼女で彼はいい彼氏だ」

 穏やかな言い方だった。しかしどこか棘のある言い方だった。素直に喜べなかった。私は黙っていた。

「君の娘と息子だけど、どうやら養子に出されたようだよ」

「え?」予想もしていなかったので理解が遅れた。主任の言葉を繰り返した。「養子?」

「そう」

「ギュキヒス家の外に出されたということですか?」

「そう。ホセデレズバ家の養子になった。子供の名前は聞いたかい? パビュ゠ヘリャヅとピュゴダ゠グスだ。これも興味深い。フルネームはパビュ゠ヘリャヅ・リギポニニャハ・ザラッラ゠エピドリョマス・ギュキヒス・チヒヤ゠ギコ゠チデ、ピュゴダ゠グス・リギポニニャハ・ザラッラ゠エピドリョマス・ギュキヒス・チヒヤ゠ギコ゠チデ。このリギポニニャハは確かにギュキヒス家の家系図の中にたまに出てくる名前なんだ。ネゾネズユターダの名前が入らないのは分かっていたことだが、リギポニニャハの名前が使われた意味も考察のしがいがある。あまりいい意味ではなさそうだが。どちらにせよ今はその名前でもない。新しい名前はズニとキニだそうだ」

 ギュキヒス家マニアの主任の話はさっぱり頭に入ってこない。どうでもいい。家系図とか知ったことか。

 私の子供はてっきり本家の子となり、どこかと政略結婚させられるのかと思っていた。政略結婚ですらなく養子とは。外交ではなく内政に使われるとは。

 その可能性もあったのに考えてなかった。私は自分が外交の道具だったから、自分の子供もそうなると思い込んでいた。

 ジョジョシュ主任が私の顔を見て気休めのように付け加えた。「まあ、そう心配することでもない。ホセデレズバ家もたまわった子供なんだからないがしろにはしないさ。大事にされるよ」

 私は主任の言葉にそうですねと同意しようと思った。しかし動揺があってうまく返事できなかった。もともと実家に取り上げられて他人になってしまったが、そこからさらに離されるとは思わなかった。

 顔を上げると実演場の生徒たちの中にネゾネズユターダ君がいる。班の生徒が唱える物理魔法を周りの生徒たちと一緒に見ている。順番になった生徒が火の玉を唱える。派手な魔法を見てみんなと一緒に手を叩いて騒いでいた。生徒たちの「おー」とか「わー」といった声はたくさん混ざって、彼の声を聞き分けることはできなかった。

 私は膝を抱えて丸くなった。スカートのことなどどうでもいい。そのまま体を前後に揺らした。股間にはまだ彼の感覚が残っていた。もっと欲しいと思った。

 ズニとキニってなんだよ。絵本の登場人物じゃないんだぞ。適当な名前を付けやがって。

 ホセデレズバという名前に覚えはない。10歳までに会った大人のことなんて覚えているわけがない。しかし子供の頃の記憶でも、身近な大人の中に自分の子供を安心して預けられる人間などいなかったのは確かだ。安心できるわけがなかった。

 3人目を実家にそのまま取られるわけにはいかない。『遠隔子宮』はあとまわしだ。双子ふたごや三つ子にする魔法を先にしよう。

 体を丸めてゆらゆらしていた私にジョジョシュ主任が追い討ちをかけた。「それと申請があった『転送ゲート』だけど、すぐには許可が下りない。5,6年、早くても3年は覚悟しておいた方がいい」

 私は体を揺らすのを止めた。足を伸ばしてパンツを隠し、主任の方を見た。これまでなんでもすぐ許可が出たのになぜ?

「『転送ゲート』は機密中の機密だから、そんなに簡単には許可が出ないんだ。危険すぎる。二度と使わないなんて意見もあるくらいだ」主任は生徒から目を移し私を見た。「最近のように図書館で本を読むだけのおとなしい生活を続けていればそのうち許可が出る。目的のためにはじっと待つことだ」

 主任の顔には大人のずるさが出ていた。半分は脅しだ。半分は同情? 哀れみ? どちらにせよあまり好きな表情ではなかった。

 思わずにらんでいたのだろう。主任は顔を逸らした。

「あと、市民に魔法をかけるのはいいけど、貴族生徒の頭をほいほい治すのはやめた方がいいな。親がお手上げの子供を預かることでうちの運営は成り立っている。治してしまっては……」主任は言葉を濁した。「まあ、とにかく、上が面白く思わない。それだと『転送ゲート』の許可も下りない」

 実演場は障害物のない広い広場だ。風が吹いては、草を揺らし土煙を舞い上がらせている。火の玉や風の刃の魔法の音がその中に混じり、さらに生徒たちの歓声が混ざる。そんな風が私の髪を揺らし、スカートを波打たせ、イージーサイズの上着をぱたぱたと震わせた。

 ジョジョシュ主任はただの研究生の監督だ。大学の運営に責任のある立場ではなく、『転送ゲート』の許可をどうこうする立場でもない。今の話も脅迫や命令ではない。助言と忠告だ。『転送ゲート』の許可を私が得るにはどうしたらいいかという。

 しかし彼は私の態度を上に報告する立場ではある。報告はする。私をかばうつもりはない。あくまで大学側、ギュキヒス家側の利益に立つ、と。そういう意味だった。

 気まずそうに立ち上がり、主任はそそくさと高台を下りて生徒たちの方へ向かった。物理魔法の指導と監修をするのも確かに彼の仕事だ。

 私が今日、ここに来なかったら彼はどうしていたのだろう。この話はしなかったに違いない。彼の中の善意と義務と行動力は、そのくらいのバランスで存在しているということだ。私を見たら話しておこうという程度には思っているが、わざわざ自分から伝えようとはしない。

 私はふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。何もかもぶっとばしたい気分だ。畜生。こんなときに自分が爆裂魔法でも使えたらどんなにいいだろう。

 私も風を受けて立ち上がった。ネゾネズユターダ君の班で、ちょうど彼の番が回ってきたところだった。

 やってくれよ。私は思った。

 同じ班の生徒たちが手を上げて歓声を上げる。いけーという声が聞こえた。ちゃんと応援されていた。周囲の班の生徒たちも手を止めて彼を見ていた。彼以外の生徒でそんなに注目されている生徒はいない。

 こうやっておそらくは本人にとって不本意に注目され評価されてしまう彼の姿を見ると、申し訳ない気持ちになる。本人にそれを言っても、彼は私のことが大好きなのでなんとも思ってない感じなのだが、それがまた申し訳なかった。

 それはつまり、彼は私とやっていく覚悟ができているのに、私にはその覚悟が実はできていないということだ。自分でそれに気づいてはっとした。彼はとっくに覚悟しているのだ。私とつきあうことで受ける不利益に心の準備ができている。私にそれができていない。彼が覚悟しているなら私が申し訳なく思う方が失礼だ。

 ネゾネズユターダ君は杖を構えると、攻撃魔法を一度に全部唱え、防御魔法を次の瞬間に全部唱え、その次の瞬間に攻撃魔法でそれらの防壁を派手にぶっ壊した。30秒もかからなかった。

 うおおおおーっと生徒たちから興奮の声が上がった。

 彼は私の方を向くと笑顔で手を振った。私は両手をぶんぶんと大きく振り、それからみんなに見えるような大きな動作で両手の投げキッスをした。生徒たちがさらに盛り上がり、あちこちから笑い声と、一部苦笑が起こった。私はなんだか涙が出た。

 両手を口に添えて大声で叫んだ。「かっこいー。大好きー!」


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