第32話 物理魔法実習の開始まで

「これ見てください」彼女は制服の上着の内ポケットから杖を取り出した。杖の持ち手のところに紐通しの穴があり、そこからストラップがぶら下がっていた。「これ、分かります?」

 若い子の流行りなど分かるわけがない。しかしそれは見覚えがあった。見開いた本の上に釣り針のような形が彫られている。「ちょっといい?」私はそう聞くとストラップだけ手に取ってよく見てみた。「え? これ、諸国時代の魔導書の製本所のマーク?」

「そうです! 製本所の名前って分かりますか?」

 私はニヤリとした。オタク特有のマウンティングである。ここからさらにマニアックな400年前の魔導書の製本所の話になった。ストラップの製本所の名前については一発では当てられなかったが2回目で当てて、先輩としての威厳を保てた。言い訳すると諸国時代は私の専門からはちょっとずれている。しかし魔導書が一番作られた時代だし、帝国時代のものが復刻したりもした時代であったので専門外というわけでもない。クロスワードが流行したのもこの頃だ。

 話題は自然とその頃の魔導書の話になった。私は会話をしながらそのストラップを何度も見たり触ったりした。

 この本と釣り針のマークには見覚えがあった。つい最近見た。図書館で読んでいる本は帝国時代のものなので年代が違う。濃い緑色の表紙の本。昨日の夕方、目の前に現れた乳白色の長髪の美人が持っていた本。あれの背表紙にこれが彫られていた気がする。

「あっ!」

「どうしました?」

「いや、こっちのこと」私はごめんと手を振った。あの映像の正体が分かったかもしれない。「念の為聞くけど、この学校に、何か女性をモチーフにしたものってあったっけ?」

「女性ですか? いくつかはあったと思います」そう言って女生徒は名前を挙げた。卒業生や女性学長の名前だった。話す女生徒も、たぶん求めている答えとは違うと思いますけどと遠慮がちで、実際、私が昨日見た女性とはおそらく無関係だった。

 ネゾネズユターダ君が口を挟んだ。「レシレカシの創立前にここに住んでいたのが、女性の魔法使いで、学校のどこかに石碑があったはずだよ」

「んー。あれは人間って感じじゃなかったけど……昔の魔法使いっぽいかな?」私は独り言を言った。ピンとこない。私の印象だと魔法使いというより女神のようだった。「その魔法使いの容姿とか分かる?」

「僕は分からないけど、伝承には残っているかも。名前はたぶん調べれば確実に出てくると思う」

「そうか。ありがとう」

 この学校の歴史には詳しくないけど、諸国時代の魔導書というのは年代的に合う。レシレカシは創立100年は越えていたが200年は越えてなかったはず。その頃に住んでいた魔法使いが読む魔導書としては、ちょっと古いけどありえないほどではない。

 女生徒が興味ありといった様子だった。「どうかしたんですか?」

「ちょっと専門外ではあるんだけどね。自分にも関係があるかもしれないと思って」

「ザラッラ先輩、レシレカシ創立とも関係があるんですか?」

「ないない」私は手を振って笑った。「それは絶対にない」

 ジョジョシュ主任が声を上げた。「そろそろ時間だ。全員いるな? 杖を忘れた生徒はいないか?」

 一部の生徒が全員いまーすと声を出していた。生徒たちがざわつき始めた。私が昨日見た本を読む女についての話はとりあえず打ち切りとして、私は生徒たちの集団から離れ、主任の方へと寄っていった。

 ここで書いておくと、私が杖を携行しないのは、ギュキヒス家の威信をかけて作成した豪華な杖がでかすぎるというのが第一の理由である。物理魔法が使えないから携行しないのではない。その杖は私の背よりも長く、2メートル近い。私が手を上げた指先と同じ高さくらいある。しかもただの棒ではなく装飾の宝石もゴテゴテ付いた直径40センチくらいの輪がある。そんなのを持ってうろうろできない。そもそも精神魔法は自分自身に唱えるか、対象に接触して唱えるかが多く、杖を使って飛ばさないといけない魔法はそんなに多くない。

 ネゾネズユターダ君も私よりちょっと短いが豪華な杖をギュキヒス家から贈られていた。しかし彼は自分で購入した実習用の短い杖で授業に出ている。大きい杖による反感を避けるとかではなく——彼はもう安易な反感は買い占め終わっているだろう——小さい杖で充分という男子特有のイキりであると私は思っている。

 生徒たちをざっと見た。杖のおかげで貴族生徒が区別しやすい。さきほどの会話でもしたけど、一般生徒との比率は10対1くらいに見えた。この授業を選択している生徒数は6,7年生合わせて100人くらいだった。人気授業なのでほぼ全員と考えて間違いない。

「あのギュキヒス家の杖は持ってきてないのかい?」主任がわくわくしながら言う。

「持ってきてません」私はうんざりして言った。

「趣味の悪い派手な杖だと思っているみたいだけど、あの杖は本当に素晴らしい。あれを見ながらご飯3杯はいけるね」

「そんなに欲しければあげますよ」

「分かってないなー。あの杖はザラッラ゠エピドリョマスが使うからこそ意味があるんだよ」

「そうですか……」

 横に並んで小声でそんな会話をしているうちに、生徒たちが主任と私の前に集まり始めた。みんな顔がキラキラしている。物理魔法を校内で堂々とぶっぱなせる機会はあまりない。ひそひそと何か話しながら集まってくる様子は授業前というよりイベント前の観客のようだった。

 私はついしゃべってしまった。「今、別の携行できる小型の杖を用意しているところなんです。髪留めに使えるような」

 主任はばっと私の方を見た。生徒のことなどおかまいなしだ。そのまま大声を出した。「それはすごい! できたら私に見せてくれ!」

「いいですよ。ご飯のおかずに使ってください」

「いいのかい? いやー、ありがたいね。その杖の詳細を論文にするだけで本当におかずになるからね」

 私は思わず笑ってしまった。うっとうしいけど憎めない人ではある。趣味が実益になるんだからいい人生だ。

 生徒たちは私たちを見てざわざわしていた。

 ジョジョシュ主任が挨拶を始めた。私をもう一度軽く紹介し——軽くといってもフルネームはまた言わされた——注意事項を伝え、今日の実習の内容を伝えた。

 爆発魔法は含まれていなかった。しかし基本が一通りあった。覚える必要はないけど実際には以下。火の玉、火の壁、水の玉、水の壁、土の矢、土の壁、風の刃、風の壁、消音、増音、明かり、暗闇、魔力の盾。要するに戦場とか未開の地の探索とかで使う奴である。私もこういうのが使えたらかっこよかったんだけどねえ。もう諦めているので、嫉妬とかはないけど。嘘。ある朝、起きたら使えるようになっていたらいいのにと思うときもないわけではない。

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