第27話 思考・検討・言い合い

 私がテーブルの上のお菓子を見ながら黙ってしまったので、生徒の一人が声をかけてきた。「ザラッラ先輩、どうしたんですか?」

 背景はこうだ。

 その魔法を使うと即座に効果が現れるというわけではない。12時間から16時間の時間が経過したあと、それが一気に終わりまで進む。始まるまでおおよそ4時間の個人差があるが、始まってからは誰でも30分から長くても45分ですべてが終わる。魔法による開始までの間にも通常のそれは続く。止まるわけではない。

 この魔法が貧血を起こしがちなのは、次の子宮内膜の生産も加速させるからである。最短12時間で次の準備をして、一気に排出、そして子宮では内膜を修復させてしまう。排出の最中はとんでもなくきついので大抵の人が悶絶する。軽いタイプの人の方が慣れてない分しんどいかもしれない。

 この魔法は生理の周期にはほとんど影響しない。まったく影響しないかというとよく分からない。複数人で実験したけどそもそも個人差も多ければ同一人物でも毎回同じとは限らないのでよく分からないのだ。ただ、この魔法の結果、次の生理が早くなると断言はできない。遅くはなる症例はなかったので周期が安定化する可能性はある。とはいえそれも可能性があるだけで断言はできない。

『生理痛軽減』は他人にも効果のある魔法だ。魔法使いが一般人にかけることができる。それに対してこの魔法は自分にしか効果がないので、魔法使いにしか恩恵がない。もちろん、魔法使いの中でも女だけで、男には恩恵はない。

 恩恵はないのだけど、この魔法は一般生徒の志願者に実験をしてから——お察しの通り、最初の実験は私のほか、メイドと助手と、そのほかのギュキヒス家の関係者のみで行った——女たちの間で男には教えない空気になっていた。

『生理痛軽減』も男子がみんな知っている魔法ではない。しかし女兄弟がいる男子だと割と知っている確率が高い。私が開発してから13年という年月もあって、男子でも知っている人は知っている。それに対してこちらの魔法は女子の口が固い。月経がタブーであるという文化もあるが、この魔法が男に恩恵が無いとは言えない側面があり、そこが口が固くなる要因になっている。

 怖くて使わない人もいるし、1回だけ試して懲りる人もいる。

 相談の結果、この魔法からは対象選択の要素は除外された。唱えた本人にしか効かない。

 魔法の歴史から言うと、対象が本人限定の魔法はいずれ自分以外も対象にする改善が行われる。この魔法も本人限定なのはしばらくの間だけだと思う。私も最初の開発では自分専用だった。それから他人も対象にできるよう改良したのだ。私以外の人間でもその改良はできるだろう。だけど、とりあえず、私の手では改良版の方は公開しないと決めた。それどころかわざと改良しにくいように改良した。

 私はよかれと思って開発した。実際、人生は劇的に変わると思う。しんどい点もあり副作用もきつい。いざというときにこの魔法があるという選択肢は抜群に人間の意識を変える。無いよりはあった方が絶対にいい魔法だ。他人にも使えた方がいいと思う。この魔法が必要なのは魔法使いだけではないはずだ。また男の魔法使いがこれを必要とする女性に唱える場面があってもいい。かけられた女性だって感謝するはずだ。世界中で、何日も続くよりは多少きつくても30分で終わった方がマシという状況は少なくないだろう。

 私が書く魔導書には他人にかける改良版も記載する予定だ。それに繰り返すが私が教えなくてもいずれ改良されて世の中に出るだろう。それでも最初はこのように制限したのは人に言われたからだ。急いで公開してみんなが使えるようにしなくてもいいじゃないですか、ちょっと課題として残しておきましょうよ、と。というわけで今は秘密にしている。

 私には、『生理を1日で終わらせる魔法』というのは、『生理を1日で終わらせる』という意味しかない。別の意味は知らない。

 この魔法は他人にかけることはできないし男は存在も知らない。この意味は分かる人には分かるのだろう。私も悪用される場面を想像できないわけではない。こっそりかけられたらたまったものではない。だが、そういう悪い使い方を考慮しても良い使い方のメリットの方が大きいと思っていたので、この魔法が持つそれ以上の意味については分からなかった。

 そして『遠隔子宮』の魔法についてである。

 私はこれを妊娠と出産の不便さと安全性の確保のために思い付いた。産道が狭いとか逆子さかごであるとかいったリスクがゼロになるのは画期的だ。しかし産後の肥立ちや出産時の子宮からの出血の危険性はまったく下げていないことに気づいた。胎盤が子宮から剥がれるときの大量出血は防げない。

 私は2度の出産を経験して自信がついた。もう自分は何人産んでも大丈夫。胎盤はズルっと出て出血もすぐに止まる。体が慣れて妊娠や出産に耐性ができたと感じる。体が重く満足に動けないことだけが不満で、それを解決したかった。だから産後の死亡すらあり得るこのリスクのことを考慮していなかった。

 私は口に手を当ててティーカップをにらんでいた。このままだと『遠隔子宮』でも初産ならその後の失血死事故もあるだろう。出産後、止血と子宮内膜の再生に『生理を1日で終わらせる魔法』の仕組みの一部を組み込む必要がある。

 ここまでやらないと駄目か。

 しかし面倒ではあるが私ならそこは簡単だ。あともう1つ。

 この『遠隔子宮』を、他人にも唱えることのできるものにするか。また、本人にしか効果のない魔法に制限したとしても、将来、他人にも使えるように改良されたとき、どのような問題が起こるか。

 私にとって『遠隔子宮』は、妊娠中でもトイレや階段の上り下りが気軽にできて、セックスも楽しめるようになるという意味しか持たない。他人にかけられるようになるといっても、そのメリットを魔法使い以外も甘受かんじゅできるようになるという意味しかない。

 しかし魔法というのは使い方次第だ。『遠隔子宮』も悪用しようと思えばできるだろう。私は妊娠出産が楽になって安全にもなるいいことづくめの魔法にしか思えない。たぶん、私が思いつかない別の使い方がある。

 私が生徒たちとの会話に引き戻されたのは次のように自分の気持ちに整理をつけたあとだった。

 それでも私はこの魔法を、自分のために、自分だけが使うことになったとしても開発だけはする。自分にとっては便利だからだ。あとは詳細を魔導書に書いて、その応用については未来の魔法使いに任せる。なるようになれ、知ったことか、だ。

 会話に戻ったきっかけは、耳に入った次の言葉だった。「あれをイジメに使っている人がいるんですよね。残念なことです」

「え?」

 言ったのは私の隣にいる黒髪の生徒だった。「無理矢理本人に唱えさせるんです。先生がちゃんと見てくれて大事おおごとにはならなかったですけど」

「まったく、そういう使い方をして欲しくないね」私は内心では動揺しつつ、表向きは冗談っぽく言った。笑顔がちゃんとできたか自信はない。「本当に」

「まあ、なんだって悪用はできますからね。新魔法は想定外のことが起こるものですし」彼女は妙にさかしらに、どこか偉そうにしゃべった。「ザラッラ゠エピドリョマス先輩のようにたくさん開発しているとそういう風当たりにも慣れてきたとは思いますが」

 気がつくと他の生徒も私の反応を待っていた。「慣れてはいないけどね」私のところに私の魔法のクレームはほとんど来ない。最近になって貧血で倒れる生徒についてやんわり指摘されるようになった程度だ。「使い方はどんなに注意してもあまり意味がないっていうのは、最近になって分かってきたことだよ。たった今、みんなに注意したけどさ」

 ほうぅとその場の生徒たちが表情を崩した。空気がやわらかくなった。

 気づかないうちに私が机を睨んだまま喋らなくなり、そこから黒髪の生徒とのやりとりでみんなの間に緊張が走っていたのだった。私の最後のセリフでなごんだ空気に戻った。

「そうですよ。先輩がいくら注意しても、毎月、あちこちで人が倒れているんですから」「昨日も誰か……」「そうそう」「合うか合わないかを見極めるまでは、みんな一度は倒れるよね」「私はみんな、一度は使ってみるべきだと思う」「そうかなあ?」

「倒れたり寝込んだりしているのって、先輩の魔法のせいなんですか?」2人の男子生徒のうち、短髪垂れ目で頬にニキビ跡のある生徒が言った。

 私が何か言い返す前に女生徒の1人が言い返した。「違います。唱えた本人の自己責任です」喧嘩腰といっていい口調だった。

 男子生徒も顔をさっとそっちの生徒に向けた。「これだけバタバタ倒れているのに、その魔法に欠点は無いって断言するのか?」

「そうです。これは欠点ではありません。先輩のせいでもないし、魔法のせいでもありません。使った本人のせいです」

 売り言葉に買い言葉の雰囲気になってしまった。「待った待った。ここでそんな話をしてもしょうがない。結論は出ないよ。どうしてもというなら魔法倫理のディスカッションの場で、先生を交じえてやりましょう」私は両手を広げた。「何千年も議論されてるんだから」

 その場は静かになった。レシレカシは学術研究の場所で、生徒も1年生からこの手の議論は繰り返してきている。引きずるようなことはないだろう。

 私の口から魔法倫理のディスカッションなんて言葉が出るとは思わなかった。そんな授業もディスカッションも、出た記憶すらないのに。役に立ったという覚えもない。

 しかし、色々な話を繋げてみると、メイドや助手が私にした助言というのは、その魔法倫理の授業内容に通じるところがあったのかもしれない。そう考えると、そういう学問にも意味があるのかもしれない。不便を解消して楽になるのが魔法であって、私はそんな学問の楽しさは魔法とは違うと感じるけど。

「とっても楽しかったわ。本当よ。みんな、また私に付き合っていただけたら嬉しいわ」

 生徒たちの反応は悪くなかった。口々に肯定的な返事をしてきたが、社交辞令はなく、私の目には本当に次回を希望しているように見えた。

 私は先に失礼すると言って席を立った。お菓子は残っているので食べていってねと伝えた。

 私への礼もそこそこに、腕まくりするような勢いで席に残った生徒たちが魔法使用の責任についての意見交換を始めた。こういうところを見ると本当にこの場所が教育の専門機関なんだと感じる。互いの意見につばが飛び交っていた。

 私が座っていた場所からは死角になっていた位置にネゾネズユターダ君と2人の友達が立っていた。私が気づいたのに合わせて彼が手を上げた。私が近づいていくと彼の顔が笑顔に変わっていった。

「見てたの?」

「ちょっと前からね。友達に君がここにいるよって教えてもらって」

 私がすり寄ると、彼は小さな子供にするように私の頭をちょっと乱暴にくしゃっと撫でて、そのまま手を私の耳の後ろに動かし、目の下にキスをした。

 私の口から、んふーと猫のような間抜けな声が漏れた。「このあとは実習?」

「そう、その前に空き時間があって暇してたんだ」

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