第16話 夜の散歩はアイディアの源泉、あるいはエウレカ

 教授は、話は以上だと締め切って自分から立ち上がった。私も立ち上がり、握手のために手を出した。

「妊婦募集に関してはよろしくお願いいたします。犬猫や動物の妊娠中の個体も探しています。兎でもねずみでもいいです」

 教授は私の手を握った。「まずは動物実験が先じゃないか」

「もちろんですよ」

「……分かった。手配しておこう」

 私は礼を言って教授の研究室をあとにした。

 建物中央の廊下は暗くなっていた。来たときは両端の明かり取りの窓から赤い夕日が入っていたのに、それが青い夜の星明かりに変わっている。

 私は階段を下りていった。階段の板は定期的に張り替えられているのか、新品のようだったが、それを支える端の固定台は年代ものだった。交換のたびに釘の位置をずらしているのだろうが、とっくに打てるような無傷の場所はなくなり、ボロボロになった欠片かけらのような固定台に何本かの釘を色々な角度で打ち付けている。ちゃんと足をステップに垂直に下ろさないと外れて板が落ちてしまいそうだ。暗い階段はちょっとしたアトラクションだった。

 外は暗くなっていた。相変わらず周囲の城塞を越えて山なりの喧騒けんそうの音が遠く聞こえる。近くには人の音はまったく聞こえない。とっくに寮の門限は過ぎているし、学校の門も閉まっている。構内をうろつく人影はない。

 私は『明かり』の魔法を唱え、光源を自分の頭上1メートルの位置に設置した。

 そういえば携帯できる杖がないか探してもらおうと思っていたんだった。家についたらメイドに伝えておこう。

 自分の濃い陰が足元に落ちる。周囲の石畳と芝生、そして建物の壁が明りに照らされた。舞台役者にでもなった気分だ。

 私は家に向かって歩き始めた。

『遠隔子宮』の細部についての質問はなかったが、考えると越えなくてはならないハードルはいくつかある。

 基本的なアイディアは、転送ゲートによってフラスコを羊水で満たし、そこに臍の緒と胎児もくぐらせて、ゲートを小さくすることだ。小さくしないと胎児がゲートを通って子宮に戻ってしまう。

 ハードルの1つはフラスコを無菌にすることである。転送ゲートによって子宮内とほぼ同じ免疫は得られるにしても、子宮よりフラスコは不衛生だろう。その蓋をどうするんだという問題もある。

 もう一つは温度だ。室内にそのフラスコを放置していたらあっという間に冷えてしまう。かといってお腹に抱えてあっためていては普通の子宮と変わらない。胎生たいせいから卵生らんせいに戻るなら面倒なままだ。

 フラスコではなく卵を応用するというのは1つの案である。なにか巨大な卵を用意して、その中と転送ゲートで繋ぐのだ。中は無菌だし、温度を人肌に保つのも難しくない。胎児の入れ物としての卵はかなり優秀だ。当たり前の話ではあるが。

 あるいは生きている豚や牛、猿の子宮に転送するというのも手である。歩きながら1つの案として思いついたけど、自分の子供を猿の子宮に転送するというのは——そしてそのまま出産させるというのは——さすがにちょっと案だけとしておきたい。上にあげた懸念点けねんてんに対する解決策として有効かつ現実的かつ安全性も高いと思うが、そんな技術では普及しないと思う。これは却下しておこう。自分で胎児を抱えたくないといっても、他の動物に生ませたいわけではないのだ。理屈に合わないと思うかもしれないが、そこは決定的に違う感じ。

 卵の代わりに動物の子宮袋を使うというのはどうだろうか? 今でも水筒や水袋として動物の胃や膀胱は使われている。生きた動物の胎内と接続すると禁忌の度合いが強いが、単独で袋だけなら心理的抵抗は少ない。フラスコじゃないと中の様子が分からないという欠点はあるが、まあまあ悪くないと思う。

 ただ、他の生き物の部位を使うというのもなんとなく嫌だ。心理的に。桃とか柘榴ざくろの実なら心理的にどうかな? キャベツの中とか。動物で作った袋よりはマシな気がするけど、それでも若干の嫌悪感がある。

 私は歩きながら腕を組んだり夜空を仰いだりした。魔法の光源は頭の上をついてきている。そのせいで星はほとんど見えない。

 温度の維持が技術的に課題だな。火や既存の魔法で温度をキープするのは難しい。かといってつがいの鳥のように複数人で交代であっためるとなるとなんか違う。『遠隔子宮』のメリットががれてしまう。私としてはこの魔法は、一度唱えたら、あとは十月十日放置して器を開くだけにしたいのだ。『保温』といった魔法が同時に必要になる。それも10分や1時間の保温ではなく、何ヶ月もの期間にわたる絶え間ない保温だ。

 図書館の近くまで来た。普段は渡り廊下を使っているので私は建物を見ることはない。そして今も暗い上に自分が明かりをかかげているためにお碗を伏せたようなドーム形状の黒いシルエットしか見えなかった。奇妙な外見だが、図書館のほとんどは地下にあり、地上部は飾りのような役割しかない。

 図書館に使われている『真空結界』だ。私はぴこーんとアイディアがひらめくのを感じた。真空結界を張ってその中を転送ゲートで子宮と接続する。そうすれば中はほぼ無菌になる。結界を二重にして真空で断熱すれば保温の魔法もそこまで強力でなくていい。透明だから中も観察できる。

 なにより袋のような、外部から器を調達する必要がない。魔法だけで完結する。『遠隔子宮』の魔法の中に必要な魔法を組み込むことで1つの魔法を唱えればあとは予定日まで放置しておける。

 最高だな。

 いくつか課題はある。『真空結界』と『転送ゲート』は簡単な魔法ではない。かなり高次で高度な魔法だ。さらに『保温』の魔法はまだ実在もしていない。3つを組み合わせるのにはそれなりに苦労するだろう。それでもそれぞれの課題は充分に解決可能でゴールが見えている。

 私は完成までの工程と最終的なスケジュールまで見える気がした。4ヶ月、かかっても6ヶ月か? いける。なんなら自分の3人目にも間に合う。

 気がついたら早足になっていた。すぐに図書館の関係者から真空結界関連の情報をヒアリングしよう。転送ゲートも機密扱いだったはずだが、限定的な用途なので応用は許可されるはずだ。メイドと助手にも手続きや調査のサポートをお願いしなくては。

 自然に笑顔になっていた。

 誰もいない構内で私は大声で叫んだ。「もらったー!」

 そのとき、奇妙な出来事が起こった。幻覚を見たのだ。

 仰ぎ見た夜空の中に女性が浮かんでいた。濃い緑色の表紙の本を持ち、白い布で胸と腰だけ隠している、長く真っ白な髪をした女性だった。天空に浮かんでいるように見えるが、空に映された映像か、目の前の空間に穴が開いてその奥の世界が見えているような感じだった。体感の距離感では相手との間隔は5メートルほどだった。空間は縦長の楕円形に切り取られていた。

 女性の髪は金髪でも白髪しらがでもなく、一部の妖精が持つ銀髪でもなかった。ちょっとだけ黄色が入った、乳白色と表現するような色だった。触れたわけではないが、それがなめらかですべすべしているのが分かった。

 私は立ち止まり、その空中に浮かぶ女性の姿をまじまじと見た。

 女性は胸元に濃緑色の本を開き、伏し目がちにうつむいてそれを読んでいた。なにか楽しんでいるようであり、口元に微笑が浮かんでいた。

 女性の後ろには何かの部屋の景色が見えた。サイドテーブルのようなものがあり、その上に白いティーポットが置いてあった。その奥には本棚があった。遠くて詳細は分からなかったが見覚えのある背表紙はなかった。全体に日が差してやわらかく光っていた。

 急に楕円の輪郭は小さくなっていった。女性の腰や頭が隠れていった。手に持っていた本を中心に楕円は収束していき、点になって消えた。夜空と構内がその後ろに残った。

 感覚の中に周囲の魔力はない。構内で魔法が使われたときの探知された反応もない。

 私は警戒して手を伸ばしながら足を進めた。

 まるで馬鹿みたいだが、空中には何もなかった。私は透明なユニコーンの頭でも撫でようとしているかのような間抜けな自分の手を引っこめた。さらにあたりの空間を調べた。

 自分が見たものが、空間に照射された映像なのか、何かゲートを開けられて見せられた遠方のどこかの私室なのか、区別がつけられなかった。感覚が曖昧だった。

 別の可能性を思いつき、自分の脳と精神に探知魔法をかけた。何も引っかからなかった。安心するのは早いといっても、自分が精神魔法を食らった痕跡は見つからなかった。

 今のはなんだ? あと、あの女性は誰だ? 人種や種族、民族の系統も分からない。まったく見たことのない人間だ。かなりの美人ではあったが、どこか非現実的でもあった。作り物かもしれない。

 意味不明だ。敵意とか攻撃的な意図は感じられなかった。何かを見せられたという感じだ。目的がさっぱり分からなかった。

 私はぐるっと最後に一周、周囲360度を回って確認した。中空にも何かないか確認する。何もない。

 私が『遠隔子宮』の設計に成功したことを知った何かが、本を読む女性の姿を見せてきた。

 あまり気分のいい解釈ではなかった。別の解釈も充分に成り立つし、偶然かもしれない。

 それ以上に分かることはない。こんな経験は初めてだった。

 あと1つ。見たものが魅力的な光景だった点は認めざるを得ない。忘れられなくなるような優雅で印象的な読書風景だった。

 私は家に帰った。乳白色の髪の女性のことは誰にも話せなかった。とりあえず、もう少し何か分かるまでは判断は保留だ。

 ただいまと口にして、そこからすぐに、図書館関係者に真空結界のことを聞きたいという話と、転送ゲートについて知りたいことがあるので資料集めをお願いした。メイドに話せば助手と連絡を取ってくれるだろう。

 そういえば今日は図書館から教授の研究室に行ったから自分の研究室に戻らなかったな。

 私が気がついたことを言うと、メイドの方で助手のキューリュには私の直帰を伝えていたそうだ。私は納得した。

 ネゾネズユターダ君は先に帰っていた。私はキスをして、勢いに任せて軽く彼の唇を噛んだ。

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