第15話 放課後面談

 リョグジュ先生は奥の部屋から出て、応接室の向かいのソファに座っていた。

 食堂で見たときはいつもの口うるさい教授だと思ってよく見ていなかったが、研究室の教授は昼間と違って外套を着ていなかった。シャツとパンツのシンプルな服装をしている。10年以上も前から1センチくらいにきっちり刈り揃えた顎鬚あごひげをたくわえていた。その半分以上は白くなっていた。顔が長く、神経質そうな目つきをしていた。

 失礼しますと挨拶をして入室して、私は特に何も言わずに手前のソファに座った。

「遅くなってすいません」

 教授は大仰おおぎょううなずいた。

「遅くなったので手短に済まそう。まずはこの、今日要請があった人体実験の被験者募集についてだ」

「はい」異議はありません。

「被験対象者は妊婦で、胎児の無事も本人の無事も保障できない、ということだったが、それで合っているか?」教授の顔は挑発的だった。私の答えが分かっている上で質問していた。

 愛想笑いをするのも違うと思ったが、どういう顔で答えるのが正解か分からなかった。「はい。それで合っています」

「目的はなんだ?」

「魔法の実験です」

「そんなことは分かってる。なんの魔法だ?」

「それはまだちょっと言えません」私はそう言ったが教授がすごい顔をしていたので方針を変更して言葉をつなげた。「……と思いましたが、教えましょう。『遠隔子宮』の魔法です」

 私はそのアイディアを説明した。これによって妊婦の行動制限が大幅に軽減されること、事故による流産のリスクも減ること、さらに出産のリスクも減ること、いかに便利でメリットしかないかを説明した。話すうちに思ったより熱弁になってしまった。妊娠中の不便さは言っても言っても言い足りない。「デメリットは、実験のためにどうしても妊婦が必要になることですね。今回のように」

 私の説明を聞いているときの教授の反応は悪くなかった。私はてっきり教授は『遠隔子宮』のメリットというものを充分に理解したのだと思った。その革新性に共感しているのだと思った。ふむふむと黙って頷いていたからだ。

 しかし、「なるほど」という返事の声のトーンはまるで違っていた。言葉は“なるほど”なのに、気持ちがまったく“なるほど”してない。その実験に賛成するわけがないし、するわけがない。被験者募集を申請した私の非常識を責める口調だった。問答無用というか耳を貸すのも馬鹿らしいと思っているようだった。

 私は説得や懐柔から脅迫の方向へと自分でも気づかないうちに方向転換していた。「そんな実験の被験者に応募する人がいるわけはないと思っているのは分かりますが、募集をかけるくらいはしてもいいでしょう?」

「レシレカシは悪魔への生贄を募集していると噂を立てたいのか?」

 いいから協力しろ。私はギュキヒス家のザラッラ゠エピドリョマスだぞ。というセリフをぐっと飲み込んだ。その気になればお前をクビにすることもできるんだぞ。

 褒めて欲しい。ほんの2年前なら大学の教授を実家の権威で脅すことに躊躇しなかった。

 そのかわり、私は自分から別の話題を口にした。「ところで学内で女生徒の貧血が増えてますよね?」

 急な話題変更だったので、教授は警戒して話に乗ってこなかった。「なんの話だ?」

 私は身を乗り出した。「どんなに危険な魔法でも、理解して自己責任で唱える権利があるんですって話をしたかったんです」

「リスクをきちんと理解できる人間などいない。便利だと思ったら飛び付くのが子供というものだ」教授は逆に上体を起こして背もたれに体を預けた。

「『遠隔子宮』を理解して希望する女性を子供と言うことはできませんよ」

「女はみんな子供だ」

 なんだこの野郎。「男もみんな子供ですよ」

 ソファにふんぞり返ったまま、教授は私の顔を睨んでいた。

 私はなるべく無表情を維持した。笑顔も怒りもよくない。政治的な立場だと私が上なので、表情が表に出ると私が期待してなくても相手に忖度されてしまう。できれば教授自身に納得して欲しかった。

 教授は、その話はおしまいとばかりに話を戻した。「つまり、『遠隔子宮』の説明も開示かいじして、すべて納得ずくの希望者であればいいだろうと?」

「そうです。募集の掲示にすべては書けないでしょう。最初に説明会を開くというのはどうですか?」

「……それでこんなイカれた実験に参加する被験者がいるとは思えんがね」

 私は反論しようと口から言葉が出かかった。そこをぐっと飲み込んだ。「そんなイカれた実験に参加する被験者がいるとは思えませんね」

 教授の目が横に動いた。私の口から自分の言葉を聞かされて、『いるかもしれない』と思い動揺したのだと思った。

「いいだろう。説明会は私が参加できないかもしれないが、ジョジョシュさんか誰か、他の者も同席させるように」

「ありがとうございます」私は頭を下げた。

 教授はふーっと息をいた。片方の膝を両手で抱えて無意味に持ち上げたり下ろしたりした。ソファの上の腰の位置を前にずらし、背もたれから離れた。

「話はあと2つある。1つはさきほどの貧血の話だ」

「はい」私はあえて他人事のように冷めた声を出した。私は関係ありませんよというアピールだった。

「リスクが充分に理解された上で、それでもなお使用され続けているということは、もうこれは君の責任ではない」

「はい」

「ただ、君の魔法が混乱をもたらしているという事実のみを伝える」

 私の責任ではないと言いながら、それでも私に責任を感じて欲しいというわけだ。私はそう感じたが受け流した。「了解しました。やはり便利だとみんな使いますね」

 普通、レシレカシでは誉め言葉として使われるが、教授は侮蔑ぶべつのニュアンスを強めて言った。「君の魔法は本当に役立たずだな。女と気違いにしか使えん」

「役立たずこそ私の本望です。素晴しい発明は教授や他の研究室のみなさんにお任せしますわ」

「ふん」教授は鼻であしらった。

「それでもう1つの話はなんですか?」

 教授は両手を膝の間で組んだ。「君の夫の将来の話だ」

「ネゾネズユターダ君と結婚はしてませんよ」

「彼の将来についてはどう考えているのかね?」

「そうですね。なんとなくですが、卒業後には研究生になってもらって、私の研究の手伝いをしてもらえたらいいかなと」私は研究室の天井や本棚の背表紙を見ながら言った。「別に縁故採用というのを抜きにしても、帝国時代の資料を読めるのは彼くらいですから」

「そう。彼は君と違って必修単位も取得しているし成績も決して悪くない。その上で、君のそばにいるせいか役立たずな幅広い知識も無駄に持っている」——この教授が使う“無駄”という言葉はレシレカシ特有の誉め言葉だ——「成績だけで言えば君より優秀だ」

「私に比べればみんな優秀ですよ。私のは全部趣味ですからね。ははは」私は視線を教授に戻した。「で? 彼を教員か何かにしたいとかですか? それはそれで別にいいですけど……」そうすると彼の給料がギュキヒス家ではなく大学から払われることになるので、会計的には損じゃないかなあ。

「まだそこまで具体的な話があるわけではない。だが、彼には選択できる未来があるということだ。このまま君が飼い殺しにすることが彼の幸せになるとは思わない」

「そんなことは誰にも分からないじゃないですか」私はすぐに反論した。「彼が決めることです」

「彼が決めることだ。今のままだと、彼は君に仕えることを選択するだろう。それでいいなら」

「いいに決まってますよ。ただ、まあ、おっしゃりたいことは分かります。彼には別の未来があるということは」

 私がこのとき動揺してたかは分からない。ネゾネズユターダ君が私とずっと一緒にいることを選択することを疑ってはいなかった。それが幸せであることも確信していた。

 だから動揺するようなことは何もないはずだった。

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