第14話 午後と放課後の呼び出し

 昼過ぎの魔法学校のキャンバスには生徒たちが歩いていた。男同士、女同士がほとんどだが、男女混合グループもちらほら見かける。

 魔法学校は元々学生における平民の比率の大きい場所だが、レシレカシはその中でも特に平民の率が高い。私が過ごしやすい理由の一つである。身分のある人間は私との力関係を気にしてしまう。結果としてゴマをすってくるか、喧嘩腰になるか、触らぬ神に祟りなしと無視するか、いずれにせよ知り合いになりにくい。平民の学生は私とそもそも喧嘩にならないので関係がシンプルだ。私との人間関係が私との人間関係で完結する。実家の領土問題とか、親戚の親戚の出世競争や役職争いにまで影響したりしない。というわけで私の友好関係は極端に平民に偏っている。実家が貴族で私と普通に会話をする関係性の人間など生徒や研究生の中に5人もいないのではないだろうか。

 平民が学内に多い結果として、ここでは自由恋愛が堂々と行われている。また学生結婚も多い。そのまま学校の中で教師として就職して人生が学校内で済んでしまうことも大半だ。レシレカシは寄付と資産運用で経営されている純粋な研究機関である。実用的な研究は各国の研究機関が行っているし、軍人としての魔法使いの育成もそういうところがやっている。ここにいるのはいい意味でも悪い意味でも勉強馬鹿な人間ばかりである。むしろここでは実用的な魔法を使う魔法使いをブルーメイジとか労務術者、兵用術者などと呼んで馬鹿にする風潮すらある。

 世間から言わせればいけすかない人間の集団であり、社会人失格人間の集団であると言えるだろう。もちろん、私も含めて。

 レシレカシの世間ずれが問題になるのはもうちょっとあとの話だ。

 私が午後に図書館に戻る途中で、立ったままキスに夢中になっているカップルがいた。7,8年生かと思ったら制服を見ると5年生だった。14歳である。最近の14歳は大人っぽくなったなーと思った。背が高くて大人と見分けがつかない。邪魔をしたら悪いと思って迂回して歩いた。しかしそもそも周囲の目などどうでもよいようだ。完全に2人の世界に入っている。周囲には他の学生もいた。気にしていなかった。みんな、ちらっと見ただけでそのまま歩いたり芝生の上に座って友達との会話を続けたりしている。

 2人はお互いの唇をむさぼっていた。両手を互いの体にまわして、まるで隙間を作りたくないかのように密着していた。足をからませあって、制服越しに股間と股間をこすりつけあっている。2人の体の間のすでにほとんど無い隙間をさらに減らそうという情熱に溢れていた。

 5年生はこの時間は普通に授業だったはず。2人でサボっているんだろうか。

 そんなことを思いつつ遠慮して見るのをやめようと思ったら、どちらからともなく押し倒す形になり、芝生の上に2人が横になった。もう若い2人は止められない。どこまでも行ってしまいそうだ。男の手が女の上着の裾に入った。胸を直接触ろうとしている。はあはあという吐息が聞こえた気がした。

 しかし私はそのときには前に進みすぎていた。後ろ歩きをして観察するほど野暮ではない。ひねりすぎていた上半身を戻すと、てくてくと敷地を歩いて私は図書館へと戻った。

 図書館の受け付けの昼休みは終わっていた。馴染みの顔が退屈そうにカウンターに座っていた。

 私は挨拶して、例によって顔パスで中に入り、午前の続きの読書を再開した。

 昼休みの出来事もいつのまにか頭から消えていた。

 気がつくと目が疲れていた。

 私は伸びをして、『眼精疲労回復』の魔法を唱え、読んでいた本を元の場所に戻した。

 感覚では夕暮れの時間だ。

 図書館には時計もないので感覚がすぐに狂ってしまう。

 私は図書館を出た。受け付け担当はもう勤務時間が終わったようだ。カウンターは無人になっていた。

 カウンターの前には来館者用の椅子がある。そこに私のメイドがちょこんと座っていた。カウンターの上に肘をつき、手にあごを乗せてぼーっとしていた。私の足音に気づいてこちらを見た。焦る様子もなく——待っている間に壁と天井を見ているメイドを私も叱ろうとは思わない——ゆっくり立ち上がった。

「おつかれさまです」

「おつかれさま」私は笑顔で挨拶した。

「放課後にリョグジュ教授との約束がありますのでご連絡に」

「ああ、そうだった。忘れてた」

「では、私は夕食の準備に戻ります」

「ご苦労さま。ありがとう」

 メイドは一礼をして家への最短経路である渡り廊下方向へと歩いていった。

 リョグジュ教授の研究室は私の家とは反対方向だ。私は図書館正面へと向かい、そこから外に出た。

 感覚通り、夕暮れになっていた。空が赤くなっている。東の空には一番星も見えていた。

 放課後というには遅い時間だ。この時間に訪問したら非常識を責められるだろう。

 学生には門限があるのでこの時間には誰もいない。赤く染まった無人の構内の石畳の上をテクテク歩く。この時間になると、夜のセックスのことを自分の身体が意識し始める。

 学外、レシレカシ市の夕方の喧騒の音が遠く聞こえる。レシレカシは城塞が何重もの輪になっている。内側から、レシレカシ魔法大学、レシレカシ大学付属魔法学校、旧レシレカシ市、さらに外側には輪が完成する前に拡大してしまったために中途半端になっている城塞が3重になっている。中途半端なので内側2つの城塞は現役なのに遺跡のような風体になっていた。輪の一番外側で囲まれているのが現レシレカシ市である。喧騒の音は城塞の壁の上から降り注ぐように聞こえていた。構内の静けさのせいもあって、近いような遠いような、目に見えない妖精の祭りの音のように聞こえる。

 リョグジュ教授の研究室のある研究棟が見えてきた。

 古い建築なので大きくはない。土と木を組み合わせてコンクリートとモルタルを使用された3階建の棟だ。無骨な長方体をしている。壁や柱にお気持ち程度の簡単な装飾が彫られている。分かりやすい威張った要素が無い建築物だった。

 私は建築や土木には詳しくない。しかし、この建物がレシレカシの中でも独特の造りなのは分かる。誰の目にも明らかだ。

 私は中に入ると、3階最上階のリョグジュ教授の研究室へと向かった。

 家から遠いので不便だけど、この研究棟にも自分の研究室が欲しいなー。私はここに来るたびに思うことをまた思った。壁の暖かみとゆったりした間取りは惹かれるものがある。

 木製の階段なので足音もやわらかい。廊下は建物の中央にあり幅は充分に広い。3人が並べる。左右に扉が並んでいた。3階に上がって階段の一番近くの扉に『リョグジュ・ビャーマ研究室』と札が下げられていた。その下には『在室』と書かれた木札が釘に引っかかってやや斜めにぶら下がっていた。

 ノックをする前に、「入れ」と中から声がした。声にちょっといらつきがあった。やはり待たせてしまったようだ。

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