第10話 食堂での昼食注文から配膳まで

 真空中では他の人の音は聞こえない。外部の光もすべて遮断されているので光源は自分の魔法だけだ。これほど読書に集中できる空間もない。そして私のいるあたりの書棚には私一人しかいない。この図書館は頻繁に人の出入りがあるところではないし、あったとしても大抵は別の区画である。そして私が読んでいる1000年前の帝国時代の資料に関してはこれまで学校関係者と参照がかぶったことはない。学校関係者以外となら被ったことがある。もちろん、被ったうちの1人はネゾネズユターダ君である。

 いつものように読書をした。

 そしてそろそろ昼食にしようと思った。私は自分に『眼精疲労回復』の魔法をかけてから両手を上げて伸びをした。

 本を棚に戻した。

 もう一度伸びをする。んーっ。

 それから結界の外に出て自分にかけた魔法を解いた。入口の受け付けの人は昼休みで席を外していた。といっても今が正午であるとは限らない。図書館の受け付けの昼休みは3時間と長いのだ。

 図書館の1階から外に出た。石畳や芝生、ベンチなど、キャンバスには学生がうろうろしていた。外を歩く学生の数から現在時刻の見当がついた。一番混んでいる正午ではない。13時半過ぎといったところだろう。5年生以下の低学年の子供は見当たらず、それより上の思春期の青少年がグループでわいわいと喋っている。

 別の研究棟や事務棟、そして講義棟の前を歩いた。いつも通る芝生の上のルートだ。食堂は講義棟のそばにある。5本の尖塔が正面に建っている刺々とげとげしいデザインの建物で、あまり食堂っぽくはない。中央の尖塔の左右に入口と出口がある。

 私は入る前に周囲をぐるっと見回した。例によって生徒の何人かが私を見ていた。敵意はない。縁起のいいものを街中で偶然見かけて今日はラッキーという感じの視線である。縁起物の当事者としては反応に困る。出産してから本当にこういうことが増えた。目を逸らさずにこっちを見ている女生徒のグループに手を振ると、「きゃー」と騒がれてしまった。

 見知らぬ女生徒3人グループが近づいてきた。「ザラッラ゠エピドリョマス先輩!」と緊張混じりの明るい声で話し掛けてきた。続いて自己紹介をして、お昼を一緒にいかがですかと勧誘された。

「あー、別にいいよー」と返事をすると、きゃー、ありがとうございます、という初々しい反応が返ってきた。

 この半年くらいは毎日欠かさずこういうお誘いがある。断らないでいたらどんどん誘われる頻度が上がり学生との会食が恒例行事のようになってきた。連続記録がどこまで伸びるか試している気持ちも無いといったら嘘になる。ほとんど話し掛けられず、腫れ物や危険物のような扱いだった学生時代を思うとおかしなものだ。

 今日の3人に顔に覚えはない。会食するのは初めてだった。

 食堂の入口に向かいながら3人に質問した。「もしかして私に声をかける順番とか決めてたりするの?」

 先頭で私に話し掛けてきた女生徒が顔を振った。「いえいえ。偶然ご一緒するしかないので、順番は諦めました。ただ、その場に居合せた中でなんとなく視線で駆け引きして誰が行くかって決まります」

「なるほど」あの場の生徒たちの視線の感じを思い出す。互いに目配せしたり手や指でサインを送っていた。あれは駆け引きだったのか。

 私は後ろに学生3人を従えて食堂に入った。

 食堂のメニューは自分で自由に選べる。7年生から9年生は選択科目が増え昼休みの時間帯が比較的自由になる。この学年の生徒と教師、そして研究生に合わせてビュッフェ形式になっているのだ。

 昼の会食のいつもの流れ。1人が、「席を取っておきます」といってテーブルにつき、グループの仲間が席を確保した生徒の分もビュッフェで取る。私はビュッフェでは取らない。食堂にはそことは別にコースを出す『ヒペスザプピネレシレカシの食事』という名前のレストランが併設されている。接待や接客のための店で、本来は中に入って注文してテーブルで食べるのだけど、オーダーしてビュッフェのテーブルに届けてもらうこともできる。私はそこでフルコースにデザートを3つつけて、いつものように全部一緒にビュッフェにもってくるように頼んだ。中のウェイターとシェフも慣れているので、「かしこまりました」としか言わなかった。今日のメインは鹿だった。

「兎って入ってた?」私は聞いた。

「兎も入っていたんですが回収されました」ウェイターは答えた。「何かご存知で?」

「いや、回収されているならいいんだ」私は軽く手を上げて問題ないことを示した。「この数日で兎がメインになったことはあった?」

「当店では出していませんが、食堂の方では提供されていたと思います」

「なるほど。うん。ありがとう」

 私としても気になったから聞いただけだ。この分野に関してはまったく詳しくない。レシレカシにはそれぞれの分野にプロフェッショナルがいるからそちらに対応を任せよう。私が何か把握したところでできることはない。もし食中毒が発生したとして、私にできるのはその苦しみから解放させることくらいだ。治すことはできない。

 注文を終えると食堂の方に戻った。

 食堂の中の構成を説明してなかった。中は全体が中央で区切られて左右に分かれている。左側の入口からすぐにおかずが並び、それを取りながら人が奥へと流れる仕組みだ。一番奥で会計をして折り返して、右半分のテーブルで食事をして出口へと流れる構造になっている。中で食べなくてもよいので、生徒の何人かは外の芝生の上に設置されたテーブルで食事をとっているのがいつもの風景だ。その中を配膳係が食べ終わった食器を回収して回っている。

 ピークは過ぎているのでテーブルには空きが目立った。私は食堂の中央付近の、確保されたテーブルについた。気がつくと確保されるテーブルもほぼ毎日固定な気がする。特に不満があるわけではない。もちろん、たまに気分を変えたいときもあるけど、そういうときは私から言うようにしている。今日は外でとか、隅っこで食べたいとか。

 私のレストランでの注文なんてほとんど時間を取られなかったと思うのだけど、注文して戻るといつも会食する生徒たちは席について待っている。不思議だ。今日は何を食べようかなと迷っている時間はないはずである。私が見ていない間にどのような早取りの技を繰り出しているのやら。そうやって先に席についておき、毎日別の生徒が、近づいてくる私を顔を並べて見守る。ついでに言うと、周囲の食事をしている生徒もちらちらと私を見る。

 今日の3人は私のファンの中でも熱量高めのファンだった。

 私が席との距離が5メートル以上あるところから、「うわあ、今日のお洋服、ものすごくかわいいですね!」と言ってきた。

 声でけえ。笑いそうになる。

 そして立ち上がりテーブル一番奥の椅子を引いて私を待つ。

「ありがとう」私は会釈をして椅子に腰を下ろす。

 優雅に見えるようにワンピースの裾に手を当てて音もなくすっと座ると観客から吐息が洩れた。またちょっと笑いそうになる。思わぬ人気者になって私自身に調子に乗っているところもあるけど、私なりのファンサービスでもある。

 貴族らしくしなさいと言われていた頃はそんなもんクソクラエという態度だったので、自分の変化に自分でもええかげんだなと思う。

 その席からだと食堂のテーブル客の半分以上が見渡せた。

 椅子を引いてくれた生徒は自分の席についた。

 私は鎖骨から肩、胸の谷間もちょっと出た服の素肌の腕を伸ばし、その先の手首のブレスレットを揺らし、「お先にどうぞ」と言った。

 ありがとうございますと言って3人は食事を始めた。

 長手袋をしてこなくてよかった。食堂では目立ちすぎる。

 とはいえ、あれはあれで私は好きなファッションだ。あざといと言われたりもするけど、手がしなやかに見えて好きだ。

 レストランからの配膳を待ち、3人の生徒たちの食事を見ていた。こちらをじろじろ見ている失礼な視線に気づいた。テーブル2つほど離れた位置に座っている男子生徒だ。知っている顔だった。妙に私につっかかってくる貴族生徒の8年生である。

 めんどくさいなあ。昼休みが重なったのは偶然なんだからからまないで欲しいなあ。

 そんなことを思っていると大体相手は立ち上がるものである。貴族といってもギュキヒス家より格下だし、年齢だって私より下なので、負け犬がキャンキャン吠えているようなものなのだ。しかし、こういう場では私に何か言わなくては気が済まないのだろう。食堂のように人が集まる場所で話題の主役を奪われてしまうと。

 また杖を忘れた。そもそも魔法を使うと想定して学内をうろつくことがほとんどないので携行けいこうしている時の方が少ない。私はこのとき携帯型の杖の需要を確信した。髪留めやかんざしの形にしておけば携帯するのに服も選ばない。あとでメイドに言っておこう。私はそんなことを思いながら、椅子から立ち上がりかけたその男に向かって杖代わりの右手の指二本を立てた。『着席』の魔法を唱える。男の膝の動きが止まり、尻が椅子に戻った。男は口をあんぐり開けてこっちを見た。それから何が起こったのか理解して私を睨んだ。

 低学年の担任教師が落ち着きのない生徒に使う魔法だ。8年生にもなってくらうのは屈辱だろう。

 私は彼に向かって軽く頭を下げた。口をパクパクさせる。ごめん、今は私のファンと会食しているので邪魔しないでくれ。話があるならまたあとでね。

 しかしこの魔法を使わない私のテレパシーが伝わったかは自信がもてなかった。『着席』をくらった貴族生徒は何か大声を出そうとして真っ赤な顔で口を震わせていたからだ。大声を出さなかったのはプライドが邪魔したのだろう。こういうときに堂々と「うがー!」と声を上げる男子もたくさんいる。彼がそういうタイプではなかったというだけのことだ。言いたいことはあるみたいだからあとで話を聞きに行こう。学生のストレスはあまり溜めさせない方がいい。プライドで感情を抑制するのはよくない。「うがー」と声を出して悔しさを表現すべきだ。

 会食していた3人の女生徒も、私が二本指を立てて突然『着席』の魔法を唱えたことには当然気づいた。振り返って私が唱えた方を見る。離れているので普通であれば対象が誰だったか分からなかっただろう。だが、諦めきれずに立ち上がろうとしてプルプル震え、こちらを睨んでいる男子生徒がいれば分かってしまう。

「あれは8年生のビョヤキョ・オス・ニョビュル先輩ですね」女生徒は私を見た。「どうしたんですか?」

「あー、そのー」私はぽりぽりとほおいた。「落ち着きがない生徒だったんでね」

 3人の女生徒はぷっと吹き出した。「ザラッラ゠エピドリョマス先輩に比べたらみんな落ち着きのない生徒ですよ」

「いやー、ははは」私は曖昧に愛想笑いをした。この子たちの中でのザラッラ先輩のキャラが分からん。私は落ち着きのある人ってことになっているのか?「ちょっと失礼」

 私は立ち上がり、貴族生徒のテーブルへと歩いた。こういうとき白いワンピースって圧力あるなあ。

「どうもこんにちは」

 テーブルには5人の生徒がいた。全員男子だ。野太い声で、あ、どうも、などと挨拶が返ってきた。私は貴族生徒の方に顔を向けると、「ごめんね。会食中だったので邪魔されたくなかったの。あとで話を聞くからその辺で待っててくれる?」と言った。

 貴族生徒は私を睨んだ。やがて自制をして表情をやわらげた。大きく息を吐き、落ち着いた声で言った。「話はないです。会食を楽しんでください」

 生徒の肩の力が抜けた。『着席』の魔法は2分で自動的に解除される。

「そう。そちらになくても私からお話があるから待っていていただけると嬉しいわ。どうかしら?」

 貴族生徒は真意を読みかねて警戒していた。しかし貴族としてのルーティーンに従った。「わかりました。それでは外でお待ちしています」

「ありがとう。みなさんも昼食を楽しんでね」

 みんなが口々にありがとうございます、それでは、などと挨拶を返してきた。私は自分の席に戻った。

 ちょうどレストランのウェイターが私の食事を食堂にもってくるところだった。

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