第8話 研究室への出勤

 石造り三階建ての我が家が見えてきた。部屋の数は10個くらいある。元はもっと多かったのだけど私の手で大幅に間取りを変更した。

 家の中にはもうメイドがいるはずで、私はメイドが見てないところでイチャイチャしたかった。歩きながらちょっと彼を押す。彼は玄関から逸れて行き、家の陰の学園の人の目につかないところへと移動した。こういうときに使う定番の場所だ。私はそこで彼の唇に自分の口を押しつけると、その舌を思い切り吸った。彼も応じて激しくキスをしてきた。荒い鼻息がお互いの顔にかかった。

 別にするつもりはないのだけど、私は彼の腰に自分の足をからませて股間を密着させた。興奮するこの感じは妙に安心する。

 彼は息を弾ませて、「どうするの? するの?」と聞いてきた。

「やめておきましょう。またあとでね」私は唇を離した。

「絶対だよ」彼は熱っぽくまたキスをしてきた。

 二人でくっついて玄関へと歩く。こすれ合う体と服が気持ちよかった。

 私はもう一度、彼を引っ張って家の陰に戻った。「待って」

「なに?」

「ちょっとおっぱい飲んでくれない?」

 初産ういざんから今日までの約3年、私の胸は母乳を作り続けていた。

 彼は一瞬だけ嫌な表情をした。しかしすぐにその表情を消した。1人目のときもこの2人目のときも何度かしていたやりとりだが、それまでと同様に、彼は優しい声で分かったと言った。

 着ている上着はファッションでもあったが、授乳のためにも使えた。胸のデザインの周りのリボンを緩めて穴を広げると、彼は中に手を入れて私の胸を持ち上げた。そして私の胸を引っ張り出すと乳首に吸いついた。

 吸われる感覚に思わず声が出た。

 彼は私の胸に顔をうずめながらちらりと私の顔を見た。それから目を閉じて、母乳を吸うことに集中していた。

 私は彼の癖毛の茶髪をゆっくりと手で撫でた。自分が16歳のいい男を赤ん坊扱いしてよしよししているというのは分かっていたが、そうすると落ち着くのでやめられなかった。彼も嫌がったりせず、いつも何も言わなかった。

 充分に時間をかけて左右を吸ってくれたので私は満足だった。彼は、もういい?などと質問せず、乳首から口を離して私の顔を見ると自然に体を離した。

 私は自分の手で胸を元の位置に戻した。

 それからやっと玄関のレバーを下げた。

 お帰りなさいませと声がかかる。入ってすぐの部屋にネゾネズユターダ君の鞄は整えられていた。彼はそれを掴むとすぐに外へと向かった。

「じゃあ、またあとでね。行ってきます」

「行ってらっしゃい」私は彼を見送ってからクローゼットに向かった。

 研究室で着る服の候補がまた3着並べられている。私はオフショルダーの白いワンピースを選んだ。胸の上を縛るピンクの飾りリボンがかわいい。ネックレスとブレスレット、それにイヤリングをそれに合わせる。ストッキングは脱いだ。帯にちょっと迷い、メイドの提案に従って紫に金糸の入った帯を選んだ。この服装だと長手袋をしたくなる。しかしそれは過剰かと思ってやめておいた。どこの舞踏会のお嬢様かという話である。ブレスレットで充分だ。

 着替えさせてくれたメイドにお礼と挨拶をすると私は家を出た。

 石畳の上を歩く。生徒たちは見えない。清掃員がいて、隅に集まった木の葉などをいていた。

 石畳は妊婦には危険だといつも思う。最近、土木系の魔術に改善があり石畳から張り替え作業が進んでいる。しかし校内の石畳はなかなか進まない。ゴツゴツとした石畳がレシレカシ校内のあるべき姿だと言って張り替えに反対する頑固者がいるのである。市内から郊外への街道にある最新型、固い粘土質の道は振動もほとんどなくスリップもしない、まさに画期的な発明だ。石畳だって、かつての泥道砂利道に比べれば画期的だったんだろうけど今はもう旧時代の遺物になりつつあった。

 自分の通る道だけ勝手に張り替えてやろうかしら?

 私はそんなことを考えながら1分もかからずに自分の研究棟に到着した。

 1階によく顔を合わせる他の研究生がいた。髪はボサボサでいつも同じ服装、40代で独身、ある意味、ザ魔法使いといった風貌のジャビョビョビョというおっさんである。この人も私ほどではないが実家の太い名門貴族で、言動がわけ分からないということで厄介払いされた男である。魔法も使えない。

 2年前に私が注意欠陥障害を治す魔法テパッベヨ゠ベワホヘゴン゠モ゠ルグォノ゠ウモピフピをかけてやった。それから徐々に言動がまともになってきている。帝国時代の精神魔法は変化が劇的には起こらない。しかしおっさんが日々社会性を取り戻していくのを見るというのは、これはこれで別の楽しみがある。

「ジャビョビョビョのおっさん、おはよう」

 おっさんはボサボサ頭のままこちらを見て、一瞬、ひるんだ。私と分かると、「おはよう」と挨拶してきた。

 治療するまでは無視するか緊張してちぢこまるか、逆に馴々しく過剰に距離を詰めてこようとするかで、ちょうどいい距離感というのがなかったのだけど、最近は顔見知りが相手なら普通に挨拶できるようになった。

「ブラッシングしてもらったらそのままにしときなよ」私は近づきながら言った。

 彼は自分の頭に触れながら、「この髪型じゃないとどうも落ち着かないんだ」と言った。

「そういうの、単に慣れの問題だったりするよ。しばらく整えてみて、髪型と精神の関連性も調べてみたら?」

「調べてどうするの?」

「関連性の真実が知れる」私は横を通りすぎて階段を上がった。

 私の研究室としては最上階が与えられていた。しかしそこは物置に使っていて、普段は別途与えられた2階の部屋を使っている。

 2階の研究室は階段から一番近い。

 研究棟の廊下は一様で、個性もなにもない木製の扉が等間隔で並んでいた。壁は石造り。廊下は狭く、人がすれちがうときは体を横にする必要があった。研究室の扉にはそれぞれの研究員の名前の札が出ていた。私のところは使用中とだけ書かれた札が下がっていた。中から物音がする。助手はもう出勤しているようだった。


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