第5話 いつもの気まぐれ人助け

 買い取りの列は少しずつ進んでいた。ズスーのおっさんまであと5人。列全体で20人。値の付いた持ち込みはまだない。ざっと全体を見たところ、私の専門分野についての持ち込みはなさそうだ。それ以外の分野については分からない。価値があるかもしれないしないかもしれない。

 朝の通用門にネゾネズユターダ君と一緒に来るのは初めてではない。しかし久し振りなので知らない人も多いはずだ。私は自分の彼氏のお披露目をするようになるべくくっついて並んで歩くようにした。ズスーのおっさんから列を後ろに向かって観察していく。広場の商人たちが私の彼氏を値踏みしていた。スリットから出る私の太股ふとももと彼の顔を交互に見ている。

 いちゃいちゃしたい気持ちと、平然と並んで歩きたい気持ちが半々で、彼にどうされたいのか分からなかった。その中途半端な気持ちが彼にも伝わっていた。私の腰に手を回して社交界のようにアピールするか、日常の街歩きデートのようにするか、どっちにするか迷っている。私も迷っていて決められない。

 なんかよく分からないまま私は彼の手を取って、手をつないで並んで列の横を歩いていた。手つなぎで広場を歩くというのは、やってみるとちょうどよかった。いちゃつかず、他人行儀でもない。これより彼にくっつくと欲情してしまう。我ながらちょろいというか性欲が強いというか。とか言いながらなんか気がつくと彼の指を自分の指ですりすりしていて無意識に誘ってしまっていた。

「あ、ごめん。誘ってるんじゃなくて、無意識で」私は慌てて手を握り直した。

「うん。たぶんそうだと思った」彼は笑った。

 手をつなぐのも気持ちいい。感触を楽しみすぎないようにしないと。年中彼の体を触っているけど今のところ飽きることがない。これまでの彼氏はだんだん飽きてしまって触れるのが嫌になったり億劫おっくうになったりしていたんだけど、ネゾネズユターダ君は4年が経過しても全然飽きない。今のところ飽きる予感すらない。こうやって手をつないでいても自然に顔がニヤけてしまう。なんだか我ながら自分がかわいい女になってしまったと思う。こんな自分が自分の中に眠っていたとは、それまで思いもしなかった。

 そんなことを思いながら歩いていくと、列の後ろから3番目に見慣れない女性がいた。横に男の子を連れている。刺繍の入った布を肩から回して掛けて足元まで覆い、腰に帯を巻いている。布は赤がベースだが刺繍がたくさん入っているので一言では言えない豪華さだった。手間のかかった生地だ。このあたりでは見かけない衣装でもある。そしてその表情は何か思い詰めたものがあった。これを買い取ってもらわないと困るというか、眉間に皺を寄せて列の前方、鑑定の様子をじっと緊張した顔で見ている。

 私は彼と手をつないだまま声をかけた。「こんにちは」

 彼女は驚いて私の方を見た。それからネゾネズユターダ君の方を見る。

 カップルと話すときに男の方を中心に置いてしまうのはこの魔法学校の社会でもよくある。ただ一見して私たちのペアは身長がほぼ同じだし、彼の方が間違いなく若いので、最初に挨拶するのをどちらにするか迷うというのは理解できた。女主人と世話係の小姓のように見えないこともない。そうすると男を立てるのが失礼になってしまう。

 ただ、学校に慣れてくるとそこは迷わないことでもあった。ネゾネズユターダ君は今は学校の制服を着ている。そして私の今の格好は派手だ。ちょっと露出が高いといっても先生と生徒と推測するのが妥当だった。

 それでも判断がつかないということは彼女が魔法学校のことをよく知らないということであった。

「どこから来たんですか?」

 彼女は私を会話の相手と判断した。こちらの顔を見て口を開いた。「あの、西のボギャチから来ました」

 ボギャチは知っている。そんなに遠くない。普通に人の往来もある。「レシレカシは初めてですか?」

 そこから世間話をして、魔法学校に来たのが初めてなこと、この鑑定買取の話を聞いてあるものを持参したという話を聞いた。持参した物とは何?という質問が出かかったけど、鑑定は私の仕事ではない。そもそも持ち込み品の価値など私には分からない。一応、魔導書や石版ですかとだけ聞いて、そうではないということだったので、専門外と判断してそこから先は聞かなかった。どんな貴重品でも——ドラゴンの鱗だろうが隕石落下の巻物スクロールだろうが——私が興味ないので「は? ゴミじゃん」というリアクションを見せてしまう可能性があり、それを避けたのである。ズスーのおっさんの『みんなが絶対に二度見する変な形の布切れ』なら歓迎だ。一般人と私の価値観は全然違う。

 それよりも連れの男の子が気になった。私は彼の手を離してしゃがみこみ、男の子の目線に高さを合わせた。「いくつですか?」

「え?」彼女は警戒して身を固くした。「5歳です」

 半開きにした口。なんとなく丸い顔。特徴的な外見である。「5歳まで育てたというのは立派ですね」

 それが皮肉かどうか判断つかなかったのだろう。彼女は曖昧に、「ええ」と返事をした。

 男の子は、私がしゃがむことで石畳に付いてしまったスリットスカートの端を優しく掴んで、私の曲げた膝の上にそれを乗せた。

「ありがとう」私は男の子の頭をなでた。

 男の子は嬉しそうにキャッキャと笑顔を見せた。

 母親の顔を見上げる。「ダウン症の治療魔法、私はできますけど、お子さんを治したいですか?」

「え?」

「あまり知られてないんですけど、治癒魔法があります」

 そして私は一通りその治癒魔法の説明をした。魔法はこの場ですぐ唱えられること。ただしその変化が現れるようになるまで1年以上はかかること。一旦、子供の記憶や思い出もリセットされ、脳内が新生児に戻ること。5歳の見た目とはギャップが生まれてしまう。とはいえ、10年20年で普通の人と並ぶので長い目では気にしなくてもよいこと。そして優しい性質は消えてしまうこと。

「『うるせえ、ババア』とか『俺は戦場で一旗あげるんだ』とか言い出すかもしれません」

「え? お姉ちゃん」——ネゾネズユターダ君は出会った頃の癖でまだ私をこう呼ぶ——「それって無許可でやっていいの?」

「事後承諾で大丈夫じゃない?」私はネゾネズユターダ君の方を見て、それから母親の方に視線を戻した。「どうします?」

 列がちょっと進んだ。前の人と隙間が出来た。

 私は立ち上がった。

 彼女が息子の手を引いて一歩前に進み、その後ろもまた一歩進んだ。私とネゾネズユターダ君も合わせて一歩進んだ。母親の横に立ったまま返事を待った。私はまた彼氏と手をつないだ。

 列の前と後ろの男がちらちらとこちらを見ている。話の内容は聞いていたのだろう。興味津々きょうみしんしんといった様子だ。

 ネゾネズユターダ君も横から私を見ている。

 母親は手をつないだ息子を見た。それから目を閉じて口を固く結ぶ。そして目を開いて私の顔を見たけど私の顔は面白くなかったようだ。ちょっと目が合った途端に顔を伏せてしまった。私は精一杯頼り甲斐のある権威ある魔法使いって顔を作ったのに、あまり見てもらえなかった。

 ネゾネズユターダ君が、ちょっとと言って私の手を引いた。私たちは買取の列から離れた。母親は私たちを見ていないのに、列の前後の男たちがジロジロと無遠慮に観察していた。私たちを見て何か会話もしていた。

 距離を取ったネゾネズユターダ君が私の耳に口を近づけて、「その魔法、大丈夫なの?」と再確認してきた。

 私は彼を見てドヤ顔を作った。「おいおい。この私がこの手の魔法で失敗したことがあったかね?」

「急にチャセチャフ」

 このやりとりは解説が必要だけど、深い意味はまったくない。最近の流行小説で『遠征えんせい綺譚きたん ポミョキャヴヌジョズの芸術』というのがあり、チャセチャフというのはその登場人物で、こういう自信過剰なセリフばっかり言うキャラである。私がそのキャラの真似をして、ネゾネズユターダ君がそこに突っ込みを入れたというやりとりである。固有名詞を覚える必要は本当にない。元のセリフは『この私がこの手の作戦で失敗したことがあったかね?』である。

 私は胸を張った。おっぱいがこぼれそうになる。「冗談はさておき、実績はあるよ。ほぼ確実に治る」

「ただ?」ネゾネズユターダ君は私のことをよく分かっている。いい突っ込みだ。

「どうして治るのかは分かってない。もし5年以内に死んだら、遺体を調べさせて欲しいなと……」

「やっぱりそんなんかー……」彼は不安そうに列に並ぶ母親を見た。

 私も見た。彼女はこちらを見ずに顔を伏せている。

 列のそのまわりの男たちが、結構大きな声で、治した方がいいだろうとかこれまでの親の世話を忘れるのは問題だとか、妙に意識の高い議論を交わしている。周りを巻き込んでどんどん議論が白熱していた。

 再び耳元で彼がささやく。「遺体を調べるという話は置いておいても、何かあって怪我とか病気したら絶対に問題にされるよ」

「まあ、それはそうだね」私はうなずいた。「だから治療を強制はしないよ。直後から数年は体のでかい稚児ちごみたいなもんだから大変だよ」

 彼は腕を組んで、口に出して「うーん」と言った。それから不意に私に顔を近づけると私の顔に手を添えて頬にチュッとキスをした。顔を離すと、「こんなの考えてもしょうがないね」と言って笑った。

 私の手を引いて鑑定買取の列に戻った。いつのまにかまた列が進んでいた。

「ごめんごめん」彼は母親に向かって声をかけた。「話に間違いはなかった。ただ、治療してからしばらくは説明した通り赤ん坊に戻るので世話が大変って話だった。そこで事故とか起こるかもしれない」

「乳離れはしてるから食べ物は今のままでいいよ」私が補足する。

「それでよければ治しますよっていう話です」

「あと10年以内に死んだら……」私が言い掛けたところをネゾネズユターダ君が肘で黙らせた。検死させて欲しいのに。

 彼が耳打ちしてきた。「そこは諦めなよ。これが評判になれば次があるよ」

 しかし母親はそれを聞きつけた。「なんですか?」

「いやー……」私は彼女の顔を見た。不安そうに私を見ている。うまく誤魔化せる気がしない。

 ネゾネズユターダ君を見ると、意外にも首を横に振ったりはしていなかった。言いたければどうぞという顔だ。

 私がここで遠慮したり空気を読む女だと思っているのかね?「何かあったら検死させて欲しいなと……」言ってみた。

「あ、はい。それでよければ」母親の顔は明るくなった。

 今度はネゾネズユターダ君が驚いていた。

 どうやら彼女は見返りもなく治しますという提案が不安だったので、交換条件を出すことで安心したようだった。

 列の前後に並んでいたただの野次馬たちも「おお」と声を出してどよめいた。白熱していた議論も私たちが列に戻ったときに中断して、そのまま有耶無耶うやむやになっていた。レシレカシの市民って議論好きだけどこういうとこがある。目の前の好奇心に負けがちというか。

「まー、だったらちゃっちゃとやっちゃいますか」私は言った。

 聞き耳を立てていた商人まで雑談をやめてぞろぞろ集まってきた。

 え? なに? 何が始まるの? いやそれが、あの魔法使いの女が“馬鹿やまい”を治すって言ってんだよ。嘘だろ。聞いたことねえよ。

 人の声が耳に入る。期待させて申し訳ないけど、ここで見せられるのは魔法を受けた子供が気絶するところまで。顔つきが変わって急にハキハキと喋るとかそういう劇的な変化を期待されても困るからね。場合によっては染色体を初期化された子供がもっと馬鹿になったところを見せてしまう。群衆ドン引きだろうなあ。

「あー」私は声を出し、続いて咳払いした。集まる野次馬に向かって手を上げる。「これから唱える魔法は体を作り替える魔法だ。子供は倒れて、一年間はものも喋れなくなる。残念なことに、光と共に急に賢い子供が現れるということはない」

 みんなの期待の顔にはそれほど効果がなかった。白けてくれるとありがたかったのに、テンションは上がる一方で、最高の見世物がこれから始まるという顔になっている。前口上をしたつもりはなかったのに裏目に出てしまった。

 私は手を下ろして母親の方を向いた。いつのまにやら石畳の上に膝をつき、両手を合わせて私に感謝の祈りを捧げている。

「えええ?」逆に私がドン引きなんだけど。

「ありがとうございます。魔法使いさま」涙声になっていた。

「ちょっと、今の話、聞いてた?」

「もちろんでございます。ありがとうございます。この御恩は必ず返します」そう言うと母親は平伏して地面に額を付けていた。

 逆の意味でこちらに有無を言わさない態度である。

 こうなったら私もそっちの役割で演じた方が早い。「よろしい。では今言った通り、すぐには効果が見えない。お前は10年後まで毎年子供を連れてこの場に現れてその奇跡を皆に伝えるのだ」魔法なのに口が滑って奇跡とか言っちゃったよ。しかも“のだ”ってなんだ。なんのキャラだ。

 帝国時代は遺伝子操作や精神操作の魔法が主流で、今のような派手な魔法じゃなかったから、おだやかな奇跡っぽいんだよね。そういう事情はともかく、私が今やってるのは完全に演出になっちゃってるけど。

 言われた母親の方は「ははーっ」と返事をした。

 お前だって、ははーとか言うのは初めてだろという突っ込みが心の中に浮かんだ。それはしないでおいた。

 ネゾネズユターダ君の方を見ると、彼だけは私の研究分野を知っているので笑いをこらえている。

 そもそもで、鑑定買取の列に並んでいる最中にダウン症を治すとかタイミングがおかしい。せめて鑑定が全部終わって落ち着いてからにした方がいいと思う。しかしよく見ると列の方もバラバラになっていて、人は輪になって私と母親と子供の三人を中心に囲んでいる。私のそばに一応、ネゾネズユターダ君も立っているが、輪の中心というより立会人みたいなポジションだ。群衆がこの場の登場人物をどのように見ているか伝わってくる。私が見慣れぬ民族衣装の親子に奇跡を授ける図になっていた。鑑定買取担当者の3人も移動して輪に加わって私を見ている。関係者じゃなくて見物人としてしか見ていない。これから何が起こるかについては人から人へと皆が勝手に説明を拡散している。

 もうしょうがない。

 杖もないから私は右手の人差し指と中指を揃えて立てて杖に見立てた。軽く足を開いてスリットから両足を出す。フリル付きの胸元の開いた上着もこういう状況だと見栄えがいい。

 その姿勢で男の子に向かって右手の指を振った。「ダウン症を治す魔法ヘコマエコ゠ピレウジ゠ゲニバタカレノツ゠ペ゠ルレヌヅギ!」

 光も何もない。ただ男の子は小さいうめき声をあげた。そして口を開けたまま倒れ込んだ。母親が慌ててその体を支えた。

「うおおおおお」と輪になった群衆が歓声を上げた。

 私は反応に困った。いやいや。こんなの、『失神』の魔法だったとしても誤魔化されるでしょう。現時点でうおおおは騙されすぎではないか?

 とはいえ、私はその場にいた人に軽く手を振って歓声に応えた。私も嫌々やったわけではない。毎年ここに来るというなら経過観察が楽になるし、それはそれでありがたいことである。昔の魔法は謎が多い。これで少しでも構造や仕組みの究明が進めばよいことだ。

 ネゾネズユターダ君が私のそばに戻ってきて頬にキスをした。「おつかれさま。かっこよかったよ」

「人前で偉そうにするのが一番恥ずかしいわ」私は言った。彼に体を寄せると緊張が取れてリラックスできた。私は深呼吸をした。

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