第4話 朝の通用門とズスーのおっさん
通用門は大きい馬車1台が通れるくらいのそこそこ広い門だ。門は朝になって格子が上げられて、今は食料品や何かが積まれた馬車が行き来している。門に比べてバランスがおかしいくらいの何もない石畳の広場が門の内側と外側に用意されている。
人口増や荷物の増加に伴い、ここの再開発も計画されている。見ていても、効率は悪い。たくさんの人が、「それはあっちだ」「林檎は1樽だけ向こうだ」などと帳簿を見ながら分配しているんだけど、もうちょっとうまくやる方法があるように感じる。それとは別に、この市場のような活気のある風景は悪くはない。
通用門の外側にも広場がある。馬車や荷運び人が好き勝手している。待機しているようにも見えるが、休憩したり雑談したりしているだけの人もちらほら見かける。そこで別の商談を始める人も少なくない。
その通用門外側の広場の片隅に人が30人ほど行列を作っている。先頭には3人の学校職員がいる。持ち込みの買取鑑定の担当者と、その持ち込み人たちである。毎朝、ここで識別や鑑定をして、価値があるものについては買取をしている。買い取ったものは職員の足元に置かれるはずで、今の時刻なら半分程度の鑑定は終わったはずだけど、その足元に何の荷物もない。価値のあるものの持ち込みなんて10日に1つあるかないかくらいだ。それでも魔法学校はこの鑑定買取作業を続けている。
こういう夢や希望を捨てず、わずかな可能性に賭ける仕組みを維持しているのは、レシレカシ魔法学校について私が好きなところの一つだ。伝統校のプライドかもしれない。
朝の通用門には常連がいる。街のゴミ捨て場から『みんなが絶対に二度見する変な形の布切れ』だの『やたら猫が臭いを嗅いでいたぬいぐるみ』だのを見つけては持ち込みをしているズスーというおっさんである。
私はこのおっさんが大好きで、朝の通用門に来ると真っ先に探してしまう。今朝もズスーのおっさんはいた。ゴミを売り込みに来てるくらいだから絶対に生活は苦しいはずなのに、年中無休で能天気なおっさんである。
「おはよう。ズスーのおっさん」私は列の真ん中にいる彼に声をかけた。
「おー、おっぱいのねえちゃん。元気してたか?」
「元気げんき。おっさんは?」
「相変わらずだぁ」
列の前後の人もなんとなく私たちの方を見る。ズスーのおっさん以外にも顔見知りが何人か見つけられた。
ネゾネズユターダ君が、「おっぱいのねえちゃんって何?」と聞いてきた。
私はズスーのおっさんを指差して、おっさんにも聞こえるように言った。「私が母乳が出てた頃にさ、朝の通用門で急に
「飲ませたの?」ネゾネズユターダ君は溜息混じりに呆れた声を、私の語尾に重ねてきた。
「いやー、直接じゃなくて顔に向けてびしゃーっと絞った」
ズスーのおっさんがギャハハハと笑った。「あんときはべったべたになっちまったぜ」
「おっさんもノリだけで物を言うのやめなよ」私は言った。「絶対飲みたくなかったでしょ。うわわわとか言って引いてんだもん。全然飲まずに」
「顔に浴びても嬉しいもんじゃないな。あれは赤ん坊のくいもんだ」
「みんな知っとるわ!」
ズスーのおっさんはギャハハとまた笑った。ネゾネズユターダ君をちらっと見る。「直接飲んだらこの彼氏と間接キスするところだったな」
「それは重大事故だ!」私もギャハハと笑った。
見るとネゾネズユターダ君が引いてる。
「あ、ごめん。このおっさん、ノリが独特なんだ」
「いや、僕も田舎でこういうおっさんはよく見てたからそれはいいんだけど、そのノリに合わせられる君がすごいと思って」
私は彼の様子を見た。嫉妬しているわけでも私に引いているわけでもないみたいだ。それはよかった。これまでの付き合いがあるので私の意外な面を見て引くとは思っていなかった。そもそも意外な面というほどでもないし。ただ、研究生の私の友好関係は学生の彼とあまり重ならないので、そこはちょっと心配した方がよかった。無防備だった。これからは私の知人友人を彼にも紹介していった方がいいかもしれない。
紹介するといっても朝の通用門のズスーのおっさんのような人物を何人も紹介するわけではないけど。
私は元々組んでいた腕をぎゅっとして、「大丈夫。私の心はあなたのものよ」と半分照れて棒読み口調で
割とストレートに彼に刺さって、彼は顔を真っ赤にした。「うん。僕の心も君のものだよ」小さい声で言う。
「ええ?」ズスーのおっさんが口をあんぐり開ける。「2人の世界に入るのにかかった時間、わずか2秒」
私は彼の唇に軽くキスをした。離れてからもう一度彼の腕をぎゅっと抱き締めた。
「それで、ズスーのおっさんは今日は何をもってきたの?」
「今日はこれだ」おっさんは既に異臭を放っている兎の死体を、両耳を握って掲げた。
まあ最初から見えてはいたけど。
兎はもう大人になっていて両手で抱えるくらいの大きさになっていた。おっさんが片手で持ち上げるのは重くてきついはずだった。死体の目の周りに妙な発疹が発生している。黄色い輪の中央に2ミリほどの赤い粒ができた発疹だ。何かの病気だと思うが気持ち悪くて触るのも普通の人は躊躇してしまう。両手で持たず耳を掴んでぶら下げているのはそれが理由か。
「ふーん、確かに。ちょっと気になるね」私は死体の目のまわりの発疹をじっと見た。見たことない気がする。
「だろ? こいつはひょっとしたら大発見だぜ」
それから、どこで見つけたのと質問して、ズスーのおっさんの不審な兎の病死体発見エピソードを聞いた。うろついているときに路地で見つけたらしい。
普通の兎が街にいるわけがないので逃げてきたのだろう。だとすると注意すべき話のように思う。兎を一匹だけ搬送している業者などいるわけがない。もしかしたらこの兎は情報を含めての値がつくかもしれない。
そのあとでズスーのおっさんは私の服の胸元の開いたところを見て、「そんな服着てどうしたんだ?」と言ってきた。
私は胸元を手でちょっと広げて見せた。「ちょっとした気分転換」
「彼氏が一緒だから嫉妬させようとかだろ。犬も食わんぞ」おっさんはあくまで明るい。言い方に嫌味がない。
私と身長がほぼ同じネゾネズユターダ君が私の肩に腕を回して引き寄せた。私もちょっとくっついて彼の体に腕を回した。
違うから安心して。小声でささやく。
私は話題を変えた。「それよりもちょっと欲しいものがあるんだけど」
列にいた前後の人間も耳を立てたのが分かった。狙い通りだ。
「へー、なんだ?」とズスーのおっさん。
「妊娠してる犬猫を見つけたら持ってきて欲しいんだけど。今、妊娠の研究をしてるからさ」
「犬猫は難しいな。今は繁殖期じゃないだろう」
「あ、そうなの? 別に兎でもいいよ」私はズスーのおっさんが手にぶら下げている死体を見た。「妊娠してたらなんでもいい」
「なるほど。それなら探せば見つかるかもしれねえな」
「学校の方にも募集はかけるからそのうち張り出されると思うけどね。まあ、見つけたらよろしく」
ズスーのおっさんの2人後ろにいた20代くらいの若者が列を抜けた。そのまま通用門とは反対方向に走っていく。
私、彼、ズスーのおっさん、3人がその背中を見た。人混みにまぎれてすぐに見えなくなった。
ズスーのおっさんがボソっと言った。「若者は自分の持ち物への見切りがいいな……」
「ゴミと分かってて持ち込まなくてもいいのに」ネゾネズユターダ君がしみじみと
「その病気の兎はもしかしたら値がつくかもよ」私はまたその死体に視線を向けた。
「ほんとか?」声が弾む。
「もしかしたらね。私、そういうの全然詳しくないから。私の専門は1000年前の帝国時代から諸国時代まで。その時代のものだったら通用門で蹴られても私に持ってきて」
「いつも言われてるけど、俺にはそんなん分からん」
列の前後の人が、何も言わずに首を縦に振っていた。うんうん。みたいなリアクションだった。私の専門の話は何回もしている。話を広げるためだ。どこかの誰か、分かる人にまで話が伝わるかもしれない。
列の何人か、離脱した若者以外でもそわそわしていた。朝の通用門の買い取りにこのまま並ぶより、一刻も早く狩りに郊外に行くべきか迷っている。まだ朝は早いから狩りに行くのも遅すぎるということはない。列の全体を見る。私の話は列の全体に聞こえていた。みんながそわそわしている。そして朝の通用門前の広場はごったがえしている。私たちの周りにいる人たちの多くの耳にも入ったことだろう。ひそひそ話から広場の外にも広がるに違いない。
ズスーのおっさんも広場をじっと見ていた。広がる噂話が波として目に見えているようだ。
「もう3人目ができたのか?」ズスーのおっさんは広場全体の方を向いたままだった。
「できる前に研究したいことがあってね」私も広場を見回していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます