第31話 スーサイド・シンドローム

 十二月も終わりが近づいて、世間は浮足立っているようだ。

 今日も御茶ノ水駅周辺には無数のサンタクロースがひしめき合っている。サンタ帽を被っただけの子供もいれば、丈の短いスカートを履いた女サンタまで選り取り見取りだ。気取ったストリートミュージシャンでさえ紅白のサンタ服を着ている始末。


「私たちもサンタやるべきだったかしら」


 そう聞くと小夜は露骨に嫌な顔をする。


「嫌ですよ。あんな、はしたない」

「本音は?」

「お嬢様が車椅子だと小夜がトナカイじゃないですか」

「そうでしょうね」


 それにしても人が多い。雲一つない晴天の下、駅前の横断歩道に敷き詰められた人の絨毯がもぞもぞと蠢いている。今日がクリスマスイヴとはいえ、まさか朝っぱらからこんなに人がいるなんて思ってもいなかった。

 それを小夜に言うと、「今日は休日ですから」とにべもなく答えた。


「そうだったかしら」

「一日中引き籠っていると曜日の感覚もなくなりますから。今日は混みますよ」


 そう言って小夜は人混みをすいすいと抜けていく。車椅子を押しながらだというのに随分とスピードを出すものだ。

 そうしてしばらく進むとやがて人の波は途絶え、閑静な通りに出る。


「それで……本当にいいのですか」


 ざわめき声をバックにして小夜は言った。


「何が?」

「いえ、水を差すつもりはないのですが確認しておきたくて」

「実験のこと?」

「ええ」


 キィとブレーキの音がして、車椅子がゆっくりと停止する。


「真意を、お聞かせ願えますか」


 神妙な面持ちの小夜を見て私は笑う。


「真意なんて大層なもんじゃないさ。ただこのままじゃ終われないって思っただけ」

「そんなに負けず嫌いでしたっけ?」

「負けず嫌いとはちょっと違う。どちらかと言えば、諦めが悪いのかな」


 蓮華が言っていた。人間は各々にとって最高の生涯を送り、死ぬべきである。そしてそのためには一切の努力を怠ってはいけないらしい。どんなに泥臭くても、どんなに惨めになろうとも、何かを成し遂げようとする意志こそが真に人間らしい生き方なのだ。


「私はそもそも、他人と比べて寿命が短い。こんな無謀な実験を始めたのだって、きっと生来の諦めの悪さがあるからだろうさ」

「悪足掻き、ですか」

「随分とストレートだなあ」


 くくく、と含み笑いが漏れる。


「でも嬉しかったです。お嬢様がそうやって立ち直ってくれて」

「そらそうだ。小夜にあんなことさせておいていじけてちゃ世話ないだろ?」

「あんなこと?」

「刺したでしょ。下手したら殺人罪よ?」


 そう言うと小夜はキョトンとして、


「あの程度で死ぬタマですか」

「死なないにしても痛いのよ」

「ああでもしないと腐ったままだったでしょう」

「……まあ、確かに」


 変に納得してしまった。

 僅かに身体が揺れる。小夜が車椅子を押し始めたのだ。

 私は静かに目を閉じた。研究室までは五分とかからない。それまでの間くらい、穏やかな夢を見ていたっていいだろう。


「雪ですよ、お嬢様」


 小夜が楽しそうに言った。さっきまで雲一つなかっただろうに、と薄目で空を見上げると、頬に冷たい感触が触れた。

 細雪ささめゆき。まばらに降る雪のことを、確かそう呼んだはずだ。


「綺麗……」


 肌に落ちた雪はみるみるうちに溶けていく。それがどうしようもなく儚く思えてしまって、思わず涙が零れた。小夜にそれを見られたくなくて私は再び目を閉じた。

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