第13話 〈わたし〉
「あんたのいつも吸ってる……ブラックデビルだっけ? 一本貰っていいかな。少し気になってたんだ」
気まずくなったのか、菊花は唐突にそんなことを言い出す。断る理由もないのでジッポと一緒に箱ごと手渡した。
「サンキュ」
菊花は慣れた手つきでジッポを点火すると、ブラックデビルの先端に火を灯す。
「ああ、
「でしょ。落ち着くんだ、ニコチンが直に身体を侵してる感じが」
「そう言われると嫌ね」
などと言いつつ、彼女は吸うのをやめない。なんだかんだ言って彼女も煙草が好きなのだ。
天井に伸びていく煙は白い。白とは純粋無垢を示す色だが、この煙の中には無数の有害物質が含まれている。
「あんたみたいだな。見た目は可愛くても中身は真っ黒。わけわかんない理由で自傷行為を繰り返すヘンタイだ」
「そうかな。ニコチンは皆を幸せにする」
「違いない」
菊花はくくく、と笑ってまた煙草に口をつける。
「こうして話してみてわかったよ。あんたは死ぬのが怖かったんだな」
「そうね。恐らく人並み以上に怖いわ。寿命というのはじわじわと、また確実に迫ってくる怖さがあるのよ。和のホラーってあるでしょう、それに近いかも」
ふむ、と少し考え込んで、
「〈地獄行き〉はアメリカのホラーかい」
「ゾンビにサメにチェーンソウ。いいえ、ジェットコースターの方がらしい(・・・)わ」
「ドドンパ? フジヤマ?」
「ビッグサンダーマウンテン」
結局日本じゃないか、と菊花は言う。
「つまり、私は死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかったから、どうしても生きる意味を見つけて死に備える必要があったのよ。もういつ死んだって大丈夫って思えれば、少しは気が楽になるでしょう」
「人の生きる意味なんて考えるだけ無駄さ。死んでから過去を振り返って、『嗚呼きっと俺の人生はこのためにあったんだ』って後付けするものなんだから。そんなのを今から考えたって、無駄な努力ってもんだろ?」
また『無駄な努力』だ。菊花は時折この言葉を私に対して使うことがある。
死神というのはその性質上、人の運命というのはある程度わかるらしい。だから彼女は私の初めての自殺が上手くいかないと知っていた。
行動が成功しないのであれば、過程は無駄である。そして無駄の積み重ねはストレスという形で身に降りかかる。そうして破滅してきた人間を、今までに何度か見てきたのだろう。それ故に、彼女は『無駄な努力』などと言ってしまうのだろう。
でも私は嫌だった。そんな言葉で片付けられる程、私は生半可な気持ちでやっていない。無駄な努力だなんて、思いたくないのだ。
「やっぱり、これだけ言ってもわかってくれないのね。蓮華様の言う通りだ。運命は変えられない、たとえ死神であっても」
「わかるのね、私の未来」
「ああ。今後もあんたは〈地獄行き〉を続けるよってね。そしてその末に……死ぬ」
菊花の言葉は重かった。死神の彼女が言う〝死〟という一文字はあまりにも重い。
実を言うと今まで自分の死というのは考えたことがなかった。いや、考えないようにしていたというのが正しいか。だからこそ彼女の言葉は私の心にずしりと伸し掛かり、無視できないくらいに影を落とす。
「そっか」
「どういうシチュエーションかは知らない、いつ頃かもわからない。けどあんたは近いうちに死ぬ。結局全部、無駄な……」
尻すぼみに小さくなっていく声。それは段々とすすり泣く声に変わっていった。
「違うよ菊花。あなたの言う、無駄な努力なんてものはしちゃいないさ。私は自分が生きたこの世界に、自分が生きた証を残したいんだ。それは学術雑誌の中だったり、小夜の記憶の中だったりする。死後誰かに誇れるような何かをしたいんだ」
「誰かに、誇れるような……」
「これは本能なのよ。この世界に自分の
「
「かもね」
今のところ、私は何も残せちゃいない。そういう意味で、自慰行為というのは正しい形容のしかただった。
「そうか、だから私は小夜を求めているんだわ。子孫を残すには番が必要だもの。あの子に受け入れられて初めて、私はこの世界に
そう考えると辻褄が合う。どうして私は小夜に拘っているのか。それは罪の意識がそうさせているんじゃない。
私は小夜に恋をしている。ずっと昔から心にあり続けた、一途な恋心はまだ消えちゃいない。
「あんたは……」
「そうだ、私は小夜が好きなんだ。それであの子に振り向いてほしいから、こうやって悩んでいるんじゃないか。でももう、悩むこともないわ」
思いは伝えなければ通じない。言葉と、そして感情の奔流を包み隠さずぶつけるのだ。
「決めたわ。私はもう迷わないし、誰に止められようと構やしない。私はこの研究を完成させる。もう逃げたりなんてしない、小夜に全てを打ち明けるんだ」
結末が死であろうと、私の進むべき道は一つだけだ。私は精一杯生きて小夜と添い遂げる。それが答えだ。
「何でだろうね、あたしにはあんたが輝いて見えるよ」
菊花はやれやれといった感じで頭を抑えた。
「知らないの? 女の子って恋をすると綺麗になるのよ」
ばちこん、と音がするくらいのウィンクをして答える。これはきっと嘘じゃない。だって小夜が昔そう言っていたのだから。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
階下で鍵が開く音がした。
途端に私の心臓は大きく跳ね、呼吸が乱れるのを感じる。小夜が帰ってきたのだ。
動揺を隠せない私を見て、菊花はいつもみたいに笑う。
「そんなんで大丈夫なの?」
「無理かも」
「たまげた」
立ち上がって姿見を見る。着衣が乱れていないか、寝癖がついたままじゃないか、せめて確認がしたかった。
酷い顔だった。目は腫れ頬に涙の痕、それに髪なんてボサボサだ。
「こりゃ無理かも」
「まあ無理だろうねえ」
「そんなあ」
泣きそうだ。小夜に全てを話すと決意したばかりなのに、なんてザマだろう。それなのに菊花は相変わらず笑っている。
「ま、頑張りなよ。あたしは帰るからさ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。少しくらい協力してくれても……」
「こういうのは一人でやるもんだ。覚悟決めたんだろ」
私の静止も聞かず、菊花は窓を開け、飛び出して行った。
「心の準備ってあるでしょう!」
そう叫んでも戻ってくるはずもなく、私は六畳一間の自室に一人取り残された。
その時、ノックの音がした。控えめで微かな、頼りない音。
「お嬢様、いらっしゃいますか?」
小夜の声だ。ノック同様、控えめで小さな声だった。
「お夕飯、今日は出来合いのものですが買ってまいりました。その、一階で待ってますね」
「あ、うん。すぐに行くよ」
上擦った変な声が口をついて出る。菊花が傍にいたらまた笑われてしまうだろう。
別に今言わなくたっていいじゃないか、と心のどこかで声がする。どうせ機会はいくらでもあるし、告白なんてもっと良い恰好ですればいいと。
でもそれではダメなのだ。決意は時と共に揺らいでいく。今でなければダメなのだ。
言うんだ! そう自分を鼓舞したけれど、上手くいくものでもない。小夜が階段を降りていく音が聞こえる。
ドアを挟んでいるというのに、気恥ずかしさが邪魔をする。普通のことを喋ろうとしているだけなのに、緊張してうまく話せないのだ。
「ね、ねえ小夜!」
意を決して彼女の名を呼んだ。階段を降りる足音が止まって、私を待っているのを何となく感じる。
「明日、どっか行こうよ! 気晴らしってわけじゃないけどさ、映画館行ってカラオケ行って……。いいでしょう?」
食卓で言えばいいものを、私は無理して大声を出した。
いや、いざ面と向かったらきっと話せない。自分の性格は自分が一番よく知っている。だからこそ言うのだ、今ここで。
小夜は答えなかった。五秒経ち、十秒経ち、私は唾を飲み込んだ。
沈黙が私を苛んだ。
だがその時、微かだが声がした気がした。階段を駆け下りる音で掻き消されたけれど、確かに彼女の声が聞こえた。
危うく聞き逃してしまいそうだったけれど、「うん」と小さく応えてくれたのだ。
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