第12話 三叉路

「選択肢は三つある」

 

長い沈黙を経て、菊花が口を開いた。

 いつになく真っ直ぐな視線が私を貫く。するとどういう訳か、蛇に睨まれた蛙のように身体が竦んだ。それくらいに真っ直ぐで、鋭い視線だった。


「……三つ?」


 恐る恐る私は尋ねた。


「一つはあんたが最初に言っていた通り、彼女に全てを打ち明けること。『自分が今までしてきたことは、全て貴女のためにやったことです。だからどうか心配しないで』と、正直に話すことさ」


 口角を上げて菊花は言う。ニヤリ、という表現がパチリと当てはまりそうな表情をする。それがどうにも馬鹿にされているような気がして、私は少し腹が立った。


「二つ目は、黙っていること。何も言わず、そしてバレないよう〈地獄行き〉をするんだ。そうしたら彼女にこれ以上気を使わせることもない。私は全うに生きることにしましたと、嘘を吐いたっていい。彼女の前で上手く笑えるかは知らんがね」

「待ってよ菊花。そういう言い方……」


 堪えきれずに私はつい抗議の声を上げていた。シニカルな笑みを浮かべる彼女の態度が、どうしても嫌だったのだ。

 嫌味を言うために来たのか、と怒鳴りつけてやろうと立ち上がる。しかし途端に投げかけられた、ゾッとするくらい冷たい視線が私を黙らせた。


「三つ目の選択肢は一番重要なんだ。きっとこれがあんたにとっての最良の選択であり、みんなが苦しまずに済むんだ」


 有無を言わせないような圧が、瞳を通じて私を抑え込む。まるで、あんたにはこれ以外の道はないんだ、と言おうとしているよう。


「何もしないことさ。真実も打ち明けない、隠れて自殺もしない。〈地獄行き〉なんてやめて、生ける屍リビングデッドとして余生を過ごすんだ」

「……何も、しない?」

「そうさ。あんたは何もせず、日々を平穏に過ごすんだ。これほどシンプルで効果的な解決方法はないだろう?」


 まただ。くくく、という人を馬鹿にした笑い声が、私の神経を逆なでする。


「ちょい菊花。私の話聞いてた? 何もしないってことは、思考停止。思考停止は死だ。生きることだってできやしないんだぜ」


 いつもみたいに軽口を飛ばすも、菊花の目は笑っちゃいなかった。地獄で出会った蓮華を思わせる眼差しだった。


「あたしが今望んでいることは、あんたが自主的に三つ目を選ぶことだ。自分で考え、自分の意思でこれを選べ。それが何よりの望みなんだって、先に言っておくよ」

「先……?」


 瞬間、耳元で風を切る音がした。私は思わず音がした方を目で追った。

 そこには菊花がいつも肩に担いでいる大鎌が、今にも私の首を切り落そうと静止していた。


「ヒッ……」

「こいつは警告だよ。地獄には二度と来るなっていうね。あんただって今死ぬわけにゃいかないだろう」


 鎌の切っ先を私に突きつけたまま菊花は言う。

 冷や汗が沸くのを感じた。首筋にピタリと密着した金属の冷たさが、背を伝って全身に駆け巡る。これを菊花が少し引くだけで、私は死ぬ。冗談抜きにそう思った。


「勘弁。一応私、閻魔様から許可もらってるんだけど」

「関係あるか。いいかい、あたしの鎌で死んだ奴は天命に関係なく魂を持ってかれる。本当に死ぬぞ」


 冗談なんかじゃない。菊花は本気で私の首を掻っ切ろうとしている。それくらい真剣な眼差しで私を見ていた。


「あんたに〈地獄行き〉はさせない。こいつは警告でもあり、友人としての忠告でもある」

「だったら助けてよ。こんな下らないお遊びなんてやめて、相談に乗ってよ。友達でしょ」

「友達だから助けないの。もしあんたを助けたら、結果がどうあれまた死のうとする。それがわかっていて、助けると思う?」


 菊花の瞳から一滴の雫が垂れるのが見えた。


「こんなこと、もうやめちゃえよ。あんたの天命は短いけど、ちゃんと存在する。残りの人生を有意義に過ごすんだ。それでいいじゃないか」

「菊花、でも私は……」

「知るもんか! あたしは死神だけど、それでもあんたの友人だから言うんだ。あんたに幸せになって欲しいって、そう願うのは当たり前じゃないか」


 叫ぶように大きかった声が次第に小さくなっていく。泣いているのだ。

 蓮華が言っていた。菊花は人の死に慣れていないから、私のことが心配なのだと。それで気づいているつもりだったのに、その実何もわかっちゃいなかった。


「菊花……」

「それともあれか? メイドの心配ばかりして、あたしのことなんて考えもしなかったか? あんたを心配してるのは何も一人だけじゃないんだよ」


 菊花は大粒の涙を流して嗚咽を漏らす。大鎌を下げ、その場にへたり込んだ。

 私はそんな彼女を見てようやく、自分に他人の気持ちを慮る才能がないことに気づいた。小夜の涙を見たくせして、私は菊花の心中すら見抜けなかったのだ。

 死神を泣かせるなんて酷い人間もいるもんだ、と私は思った。菊花の隣に座り、彼女の肩を抱く。菊花は最初ピクリと身体を震わせたが、すぐに私の腕を受け入れた。


「柄にもない言い方しちゃったな。ごめん」

「いいの。あなたが言っていることも間違ってないから」


 謝るのは私の方のはずなのに、菊花は申し訳なさそうな表情をしている。

 優しい性格をしているのだな、と改めて思った。


「私は小夜のためにこんなことを始めた。でも彼女にそれを伝えたところで、きっと拒絶されるでしょうね。もしそうなったら、私……」


 その先を想像するのが怖くて私はそこで口をつぐんだ。

 いつもへらへら笑っているクセに、周囲から嫌われるのを極端に嫌う。そんな自分の性格が今程嫌いになったことはない。


「だからきっと、三番目の選択は正解なんだ。私は小夜と二人で幸せに暮らせる。何年できるかわからないけど、多分笑って終われる人生になるよね」

「そうだな。でもあんたは納得してないんだろ?」


 菊花の言葉に私は頷いた。


「納得はできない。いくら周囲が正しいと言ったって、私には私の意思がある。そんな何も生まないだけの人生なんて空虚でしかないわ。普通は子供を産み育てることが、がらんどうの人生を埋める手段になる。けど私にそんな時間はないの」

「可能性ならあるじゃない。あんたが勝手に狭めているだけで、周りにはそういうのがゴロゴロ転がってる。それに子供以外にもあるだろう。大切な人と愛を育むことが一番の喜びだったって奴は何人も見てきてる。それがあんたにとっての小夜なんだろ」

「なら私の生きた意味って何? それは人生を充実させるための手段でしかない、意味にはならない。ただ死ぬために生まれたの? そうじゃない、そうじゃないはずなんだ」


 人生とは知恵を得た人類が、子孫繁栄以外の生きる目的を求めた結果である。子供が有名大学に入ったとかで達成感を感じたり、集団の中で優れた成績を残そうとすることだったり、それが人生である。

 即ち人生の定義は、何かを成し遂げること。私はそう解釈している。

 私はただでさえ短い人生で、自分なりにできることを探したかった。だからどうしても地獄の存在を証明する必要があり、それを否定された時、私に残された可能性は限りなく皆無に近づいてしまう。それが怖かった。

 菊花は憐れむように私を見ていた。寿命という不確かなものに振り回される私は、死神の目から見たら滑稽に映るだろう。それがわかっているから、私は自分がどうにも情けなく思えてしまうのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る