第6話 ただいま

「……お嬢様!」


 小夜の声がする。普段の小夜とは違う、必死な声音だ。

 後頭部が柔らかい感触に包まれているのを感じた。それに僅かだか人肌の温もりも。膝に抱かれている、のだろうか。意識がぼうっとしてしまって、よくわからない。


「テープは全て外しました。火も消しましたし、換気もしているんですよ。だったら目を覚ますのが道理じゃありませんか。ねえ、お嬢様……」


 嗚咽混じりに小夜が言う。零れた涙が頬に当たって冷たかった。


——なんだよ、調子狂うな。いつもみたいに叱ってくれよ。


 そんな風に笑い飛ばそうにも、頭が痛くってできなかった。心なしか全身が痺れているような感覚もある。こりゃ完璧にマズったな、なんて思いが脳裏を巡った。


「あー、小夜。私生きてる?」


 自分の口から出た声とは思えないくらい、しゃがれた声だった。一酸化炭素なんて吸うもんじゃない。今後の教訓にしよう。


「お嬢様、目を覚ましたのですね……」


 ゆっくりと目を開けると、安堵の笑みを浮かべた小夜が目に入った。涙の痕が頬に残っているし、目も赤い。


「何よ、あんた仏頂面がウリじゃなかったの。酷い顔」


 そう笑ってやると、小夜は何も言わずに私を抱きしめた。豊満な乳房に押し潰されそうで、命の危険を感じる。なんなら飛び降りた時よりもだ。


「ストップ小夜、酸欠で頭痛いのよ。死にそう」


 茶化しても小夜は変わらず私にしがみついている。耳を澄ますと、微かにすすり泣く声が聞こえた。震える両手に抱えられながら、私はそっとその背に手を回す。彼女はピクリと身体を震わせて、私の腕を静かに受け入れた。


「ほら、部屋が汚いんだって怒ってもいいんだぜ。泣いてばっかりじゃ、仏頂面のクソメイドだなんて馬鹿にできないだろ」


 泣き声はもう聞こえなくなった。それでも小夜は私を離そうとはしない。

 馬鹿だなあ、と私は思った。小夜のことじゃなく、自分のことがだ。

 彼女が今まで、どんな気持ちで私の実験を見て来たのか考えたことすらなかった。裁判所で蓮華に言われるまで、私はまるで気づく気配もなく淡々と生きてきた。ちょっと危ないことをしただけで皆大袈裟だ、そう思っていたから。

 友人の菊花が私を心配していたというなら、最も身近にいた小夜はどう思っていただろう。


「ごめん、小夜」


 言葉で言って伝わるだろうか。今まで散々周りを苦しめてきた私の言葉が、彼女に届いてくれるだろうか。

 不安だった。

 小夜はずっと黙ったままで、私も声を掛けることすらできず、部屋はただ静かだった。静寂が自分を苛んでいくのがわかる。どうして何も言ってくれないのだろう、どうして声を漏らさないように泣いているんだろう。

 彼女は何も語ってはくれない。その心中にどんな思いを抱えていたのか、一言も喋らず私を抱いている。

 そこまで考えてようやく気づく。彼女もきっと同じ気持ちだったのだ。

 私は小夜に何も言わなかった。好きにやらせてくれとだけ言って、彼女の心配する声にも耳を傾けなかった。だからって私を放っておくこともできないから、不安で一杯の気持ちを押し殺して生きてきた。

 辛かっただろう。苦しかっただろう。小夜の涙は私の責任だ。だからこそ、それを受け止めてあげるのが今の私にできる唯一の贖罪なのだ。


「ごめんね、小夜」


 沈黙に耐えられなかった。私はつい、二度も同じことを口走っていた。

 小夜はそれを聞くと、より一層強く私を抱きしめた。

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