第5-2話 閻魔
ちいちいと囀る小鳥の声が、眠った私の意識を呼び起こす。
窓は締めきっているはずなのに、どうして鳥の声がするんだろう。そう思いながらゆっくりと上体を起こした。
辺りを見渡すと、視界一杯に彼岸花が咲いていた。一面の赤絨毯の先には澄んだ川が流れていて、それらの対比がどうにも綺麗だった。この世のモノとは思えない程に。
部屋にいたはずの私が何故こんなところにいるのか。考えるまでもない。それはもちろん、私が死んだからだ。
この世のモノとは思えない? 当然だ。ここは彼岸、数多の死者が行き着く場所。
「あーっ、お前また来たのか!」
遠くから叫び声がする。菊花の声だ。
「こないだ振りね。元気してた?」
「二度と来るなって言ったばかりだろ! 頼むよう、
蓮華様ってのは閻魔様の本名だぜ、とは菊花の言。
「知ったこっちゃない。寿命短いんだしさあ、好きにやらせてよ」
「ダメに決まってんだろ、全く……」
呆れ顔の菊花に着いていくと次第に彼岸花の列が消え、落ち着いた雰囲気の建物が現れる。地獄高等裁判所だ。
「彼岸花の葬列はここで終わりさ。後はあんたの……ってもう知ってるか」
「それ毎回言うのよね。クセなの?」
「決まり文句って奴さ。リピーターなんて普通いないからさ」
「やーねー、ヒトをおかしな奴呼ばわりなんて」
「言ってないだろ」
裁判所は走り回る死神たちで一杯だった。皆両手に山積みの書類を抱えて、どうにも忙しそうだ。
菊花に聞くと、今は死人が多い時期だから、ということだった。
「蓮華様も気が立ってて怖いぞう。あの人意外と私情挟むんだぜ」
「まあ怖い」
簾越しでしか話したことはないが、閻魔様も人間(?)なのだなあとしみじみ思う。
第三法廷と書かれたドアを通り過ぎ、廊下の端に着いた。いつもならこの時点でどこかの法廷には入れられていたはずだったから、私は疑問を抱かずにはいれなかった。
廊下の端には金縁装飾の扉があった。プレートには閻魔控室と書いてある。
「ちょい菊花。ここ法廷じゃあないでしょ」
したり顔をする菊花に詰め寄っていると、ドアが開いた。中から現れたのは私と同じくらいの背丈をした少女。具体的に言えば百四十センチくらい。コーラルピンクの髪色が目を惹く、美しい少女だった。
「その通りです、被告人。今日は裁判が多いから、お前はここで裁くの」
見覚えのない顔だった。それにこの柔らかい声には全く以て心当たりがない。
「菊花、ここの管理大丈夫なの? 子供が紛れてちゃ裁判もクソもないでしょう」
言うと菊花は「あちゃー」と頭を抱えるフリをした。まさかね、と思いながら恐る恐る少女を見ると、引き攣った笑みをこちらへ向けている。
「知らないぞぅ、知らないぞぅ……。蓮華様を怒らせたら寿命が減るどころの騒ぎじゃすまないんだぞぅ……」
「聞こえてますよ菊花。……それはさておき被告人、自己紹介がまだでしたね。私はこの地獄高等裁判所で裁判長をしております閻魔・蓮華と申します。こうして素顔でお会いするのは初めてだったかしら?」
「ええ……どうも」
閻魔がこんなちんちくりんだなんて聞いていない。菊花にそう目配せしても彼女はニヤニヤ笑いを見せるばかり。だって閻魔様と言えば、あの簾の向こうで偉そうに低い声で説教垂れるような奴だったじゃないか。それがまさかこんな子供だなんて、誰が予想できるというのだろう。
「お前が初めて来た時のことを思い出していました。あれは虚ろな目だった。まるで生を捨てたみたいな感じだったと記憶しているよ」
「そうでしたっけ。昔のことはあまり記憶にありませんので」
「ふふ、思い出せないくらいここに来ていますからね。少しは反省してください」
笑っているはずなのに、目元のクマのせいで凄みがある。ただでさえ忙しいのに私の裁判とは、こりゃ私刑にあっても文句は言えそうにない。
そんな私の考えを読みでもしたのか、蓮華はクスリと笑った。目が笑っていないのは相変わらずだ。
「大丈夫ですよ。次にお前が来たら、少し話をしたいと思っていたところでしたから」
「それって説教ですか。嫌だなぁ閻魔様、私そういうののために来ているんじゃないんです」
「お前、失礼ですよ。別に怒ってなどいませんから……」
「そうそう、こんなのは怒った内に入らんよ。蓮華様が本気で怒った時なんて、この裁判所ごと吹っ飛ぶぜ」
くくく、と菊花が笑う。本気で言っているとは到底思えないが、普段の裁判とは雰囲気が違うのは確かだ。あの尊大な態度は作っているのだろう。それにあの声も。
「ほら、入ってください。座って話しましょう」
蓮華に促されるまま、部屋に入る。内装は西洋風の、貴賓室というのだろうか、赤を基調とした煌びやかな部屋だ。ソファやテーブルも赤色で、蓮華には悪いがどこか落ち着かない。
ソファは高級そうな見た目に違わず、良い座り心地だった。油断したら眠ってしまいそうだ。
「さて、お前は紅茶とコーヒーどちらが好き? どちらも用意がありますから、遠慮せずに選んでください」
「ええと、それじゃあ紅茶を……」
「あんた紅茶ってガラじゃないでしょ」
「あら、そう見えまして?」
菊花は再びくくく、と笑って奥の給湯室へ消えていく。
対面に座った蓮華を見ると、彼女の琥珀色をした瞳に見つめ返された。綺麗で澄んだ瞳を見ていると、何もかも見透かされているような気分だった。
「初めに言ってましたよね、怒っている訳ではないと。じゃあ何だって私とお話を? 私なんて面白味のないただの小娘です」
「決まっているじゃありませんか。興味が湧いた……、ただそれだけです」
「わからないな。閻魔様を惹き付けるものなんて、検討もつきませんよ」
ご冗談を、と蓮華は笑う。
「お前が初めてここに来た時、私はお前に言いました。お前はまだ生きていて、死ぬ定めではない。だから現世で徳を積んで来なさいと」
「覚えてますよ。天命はまだ先の先で、できる限りの善行をすれば地獄に堕ちることはないって。自殺未遂って案外罪深いんですね」
「裁判所が採用している宗教に因りますが、概ね大罪です。つまり二度とここには来るな、という意味だったのですが……。お前は察しが悪いのですか」
「まさか。重々承知の上でしてよ」
微かな紅茶の香りが漂ってくる。ふと部屋の奥に目をやると、菊花がティーカップを載せたお盆を持って立っていた。
湯気の立つティーカップがテーブルに置かれ、より強い香りが鼻を擽る。
「チップはいらないぜ」
「やるもんですか」
花の模様がついたカップを唇にあてがい、クイッと傾ける。ほんのりと甘酸っぱい、林檎の風味がした。
「フォションのアップルティーです。美食の都で知られるフランスのパリ発祥の高級ブランドよ。お口に合うかしら」
蓮華は得意気にそう話し、自分のカップに口をつける。まるで良家のお嬢様みたいに上品な振る舞いだ。地獄の閻魔大王、なんて認識は改めた方がいいだろう。
「それで、気になることって?」
「簡単ですよ。お前が何を考え、どういう理由でこの場所に来ているのか。それが知りたいのです」
「随分と率直に聞きますね。……煙草、吸っても?」
懐からブラックデビルのミントバニラを取り出して見せる。すると蓮華は心底嫌そうな顔をしながら承諾した。
そんな顔をするくらいなら拒否すればいいのに。居心地の悪さを感じながらジッポを点火する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます