第15話 恐れ峡谷

 現時刻は23時──


 本日2度目の外出を行う。


 夜の闇は俺の灰色の身体を溶かし、誰にも発見されることなく目的地に到着する。


 Cランクダンジョン『恐れ峡谷』。


 神委市に4つあるダンジョンの内、(神委学校の敷地内にあるSランクダンジョンは入場不可な為)実質的に最も高難易度である。


 本日の昼頃──ダンジョン配信者『ミルキークィンズ』を襲った赤鬼を、俺はダンジョン外で殺した。


 その現場に、人は居ない。


 深夜だからか、流石に見張りは居ないようだ。赤鬼の死体は既に処理済みで、規制線が貼られているだけであった。



「して。どうやって入ろうかのぅ」



 『恐れ峡谷』は廃屋の玄関が入り口となっており、しかし赤鬼の脱走によって破壊されてしまい、廃屋は倒壊してしまっている。



「あの潰れた窓から入ってみるか」



 側方にある平行四辺形のように潰れた窓。俺達のダンジョン同様なら、あそこからでも入れる筈だ。



「ふむ。行ってみるとするかの」



 如月シズク先輩の話によれば、討伐隊が結成されている。周辺に人影は見えないが、入退場の際は気を付けないと。


 廃屋の窓はやや高い位置にあり、俺はキリメを持ち上げて先に行かせた。



「ガラスが割れてるからな。破片には気を付けろよ」


「分かっておる。うーむ、意外と窮屈じゃのぅ」



 キリメはそう言って、四つん這いで入っていく。彼女のふわふわな尻尾が消えると、キリメは窓の中から顔を覗かせた。



「ビンゴじゃ。ここからダンジョンに入れるぞ。ほれ、手を取れ」



 キリメの小さな手が差し出される。そんなもので体重80キロ(魔族化により増加した)の俺を支えられるとは思えない。が、折角だから掴んでみることにする。窓枠に右手を掛けて、せーので力を入れる。


 すると、俺の身体がすんなりと持ち上がった。



「うぉぉ!? お前、意外と力あるんだな」


「妾にも魔力はあると言ったろ。魔力強化くらい出来る」


「え、じゃあ戦えよ」


「妾はナビゲーターだと言ったであろぅ? そういうのは無理じゃ」


「そういう機能が無い的な感じ? ──痛ッ!? 角ぶつけた」


「まぁそんなところじゃ──ひゃんっ!? こ、こらぁ。尻尾を掴むな馬鹿者」



 頭を低くして、半ばほふく前進で進んでいく。倒壊した家屋の中というより、暗闇を進んでいるような感覚だった。


 古い木の匂いや、二人分の軋む音。篭った湿気。


 それが突然切り替わる。顔に新鮮な空気が吹き掛かった。生じた光を目指せば、峡谷の底に降り立った。

 

 

 ◆ ◆ ◆



【恐れ峡谷 踏破済みCランクダンジョン】


【最終階層】



 ダンジョンの中は、名前の通り峡谷だ。


 左右に断崖の崖があり、中央に水量の少ない川が流れている。そんなV字型のフィールドを、ただ道なりに進んでいくだけのダンジョンだ。


 このダンジョン自体は初めて訪れた。


 ミルキークィンズの配信で予習したものの、ここは探索者ランク3級相当。やはり現場の雰囲気が全く違う。


 ひゅーっと峡谷の奥から冷たい風が流れ込む。


 肌が粟立つのを感じた。


 ダンジョン外と違って、ここに夜の概念は無い。太陽は見えないが、雲はゆっくりと流れている。


 空を舞うのは、大型の鳥類『カイガラドーズ』。川の水に『スライム』と『デタライ』という薄っぺらい魚がいる。


 川の魔物は敵対しておらず、スライムですら静かに身を隠している。まるで何かから怯えているようにも見えた。



「あの配信を見る限り、先まで行くと宝があるそうじゃぞ」


「あ、そうか。そういえばそうだった」



 ミルキークィンズの七色リンが宝箱があると言っていた。



「なんじゃ。分かってらんかったんか」


「いや、まぁ……色々あって忘れてたというか……」



 ダンジョンを攻略するのが、俺達の目的ではない。ダンジョン内にある素材や武具を入手するのが第一の目的だ。


 宝箱があるのなら、必ず入手したいところだ。


 まぁそれはそれとして、鬼と戦ってみたい気もする。というより、1本道のここでは戦闘をやり過ごす選択肢が取れない。


 立ちはだかる者は全て薙ぎ倒していくしかない。



「それにしても、凄い景色だ」



 崖の高さは約100メートル。流石はファンタジーな世界だ。


 時折紅葉した木が突き出しており、落ち葉が降っている。


 現在の『恐れ峡谷』は秋らしい。


 入場の度に季節が変化するダンジョンもあるのだ。



「それを楽しむのも、ダンジョン探索の醍醐味じゃからの。うーん、良い匂いがするぞ」



 空から降ってきた枯葉を摘んだキリメが言う。



「あ、ほんとだ。ダシ取れるんじゃない?」


「ほぅ。ならばノドカに持って帰ってやるかのぅ」


「え? 冗談のつもりで言ったんだけど」



 中央に流れる川を登っていくと、徐々に鬼の姿が見えてくる。


 鬼は崖の上でツルハシを持ち、鉱石か何かを掘っているみたいだ。俺達に気付いて、気だるそうに顔を向けてくるが、態々降りては来ないらしい。



「何を掘ってるんだろうな」


「別に何も掘ってはおらんじゃろうな。アレはダンジョンの演出というヤツじゃ」


「マジか、夢が無いな。そりゃあんな面倒そうな顔をするわ」



 演出かどうかは兎も角、敵対してこないので、先へ急ぐことにする。



「お前さん来たぞ。前方に青色の鬼が1体。こっちに近付いて来る」


「見えてるよ。それじゃあ、先ずは小手調べといくか。調べるのは俺の実力だがな」



 俺は、自分の実力を測りかねている。



 赤鬼を倒せたのは、間違いなく不意打ちに成功したからだ。逆に言えば、俺は十分赤鬼を倒せる火力があるということを指している。


 個体の強さを判別するには、一部を除き、体色を見るのが手っ取り早い。青鬼の場合は緑、青、黄、赤の順で強くなる。青鬼は2番目に弱いということになる。


 今の俺には丁度良い敵だ。



「やる気があるのは結構じゃが、作戦はあるのかのぅ?」


「正面から迎え討つ」


「まぁお前さんがしたいようにやればよいのじゃが。怪我だけはしてくれるなよ」


「え? あ、ああ。有難う」



 キリメは決して無闇に悪態を吐くようなキャラではないが、何だろう。心配されるとむず痒いな。



「な、何じゃジロジロ見おって。集中せんか」


「よしよし。帰ったらオイルあげるからな」


「……うん? 今のはボケたのか? それとも馬鹿にしとるのか? 人間のジョークはさぞかし面白いのだな」



 青鬼の持つ武器は木製の棍棒だった。巨大な武器だが、青鬼はもっと巨大だ。


 青鬼は、人間の2倍程度の身長と肩幅を有している。木製の棍棒の先を掌に置き、俺と戦う準備は既に整っているらしい。



「よしっ!! さぁこい!!」



 俺の黒い爪は肥大化し、指を覆い始めた。それはまるで鎧のようになり、また鋭い刃と化す。


 身体強化魔法も使う。自宅で練習したみたいに魔力の移動を意識する。


 リラックスだ。リラックスして魔力を身体に馴染ませていく。


 準備が終えると、直ぐに動ける態勢でそれっぽく構えた。



 青鬼は怒気が満ちた顔で近付いてくる。でも、不思議と恐怖は感じない。


 身体が強くなったお陰で、心も強くなったのかも知れない。


 そして、巨体の影が俺を覆い尽くした。青鬼は棍棒を振り上げていた。


 俺の頭部を破壊するには有り余る勢いで、それは振り下ろされた。



「──!!」



 魔族化した俺の眼が、棍棒の形を捉える。時間が引き延ばされたスローの世界で、俺は右腕を棍棒に差し出した。


 魔力強化を施した武器──指や甲を覆う爪の鎧で、それを左側方に受け流すようにして弾いた。


 棍棒を避けなかったのは、あくまでこの戦闘が訓練を兼ねているからである。力の加減を知りたかったのだ。


 

 そうやって受け流した棍棒の軌道がズレて、地面と衝突する。それにより生じた強烈な振動が俺の右脚を伝った。


 地面を叩いたことで、青鬼の力は一瞬だけゼロになる。


 俺は右手首を翻し棍棒を掴み、グッと引き寄せると、青鬼は態勢を崩した。


 同時に左手の爪を伸ばし、青鬼の腹を突き刺した。



「ウゴォオオッ──!!」



 青鬼が悲鳴をあげた。



「おぉ!! 効いておるぞ、お前さん。その調子じゃ!!」



 しかし、直後俺の身体が持ち上がる。


 俺の踏み込みが浅かった所為か、十分なダメージを与えられず、青鬼は棍棒を振り上げようとしていた。


 俺は素直に棍棒から手を離し、距離を取った。


 よし、もう一度だ。



「お、お前さんお前さん!!」



 意気込んだ側から、キリメの声が俺の集中を遮った。



「待て。今は忙し──いっ!!」



 青鬼はもう一度、棍棒を振り下ろしてきた。


 今度は後ろに退がって、それを避ける。次いでに、俺はキリメの近くまで退がった。



「どうした、キリメ」


「戦闘の余波が崖上の鬼を引き寄せたようじゃ。降りて来よるぞ」



 キリメの言う崖上の鬼とは、俺達の後方50メートル程度の距離に居る。数体のそれらが、崖を下っているのが見えた。


 このダンジョンが難しい理由はもう一つ理由。


 一本道という特性上、敵が複数体集まって来ることだ。


 早期決着が求められる。だが、鬼は耐久性も持ち合わせている。


 偶然か必然か、とても相性が悪いダンジョンである。



「了解した、キリメ。直ぐに決着を付けるよ」



 やはり、一撃必殺を狙う他に選択肢は無いだろう。


 のっそりと歩いてくる青鬼に改めて向かい合い、次は先手を取る。



 俺は地面を蹴って突進した。



 青鬼も俺に合わせて攻撃を繰り出してくるが、棍棒は間に合わないと思ったのか、空いた左腕を振って俺を掴み掛かってきた。


 巨体であるが故に大振りな左腕は、頭を低くすることで簡単に躱わせれた。


 その時、自分の角の存在も忘れない。


 突進していた俺は、そのまま青鬼に肉薄し、爪で薙ぎ払う。五本の刃が青鬼の左脚──膝辺りを切り裂いた。


 肉の薄い関節を狙ったことで、バチバチと青鬼の骨を断った。



「グゥオォォ──」



 青鬼は空振った左腕を戻す暇もなく、片膝を落とす。それに伴い、青鬼の頭部が手の届く距離にまで降りてきた。



 チャンスだ!!



 俺は左手を青鬼に肩付近に突き刺した。


 それを使って身体を大きく持ち上げ、ダンクシュートを行う要領で、青鬼の首を切り裂く。


 研ぎ澄まされた爪は、まるで空を切ったかのように、するりと青鬼の首を落とした。


 俺が地面に着地すると同時に、青鬼が崩れ落ちる。


 ドスンと音がして、俺を覆う影が居なくなった。


 晴れた空が勝利を祝福する。



「おぉー!! 天晴れじゃ、お前さん。格好は悪いけど、鮮やかな一撃じゃったのぅ」


「はぁ……はぁ……格好悪いは余計だろ」



 多分短時間の戦闘だったが、やり切った感が凄い。ダンジョンの雑魚敵を討伐した程度で、この疲労感。


 やっぱり魔物との戦闘経験が少な過ぎるんだ。もっと頑張らないと。



「ふんふん。ドロップ品さは妾が回収してやろぅ。ふんふふん」



 鼻歌を歌い、ウサギのように飛んでドロップ品をアイテムボックスに閉まっていた。



「お前は楽しそうだな」


「お前さんがちゃんと戦えそうで安心してるんじゃよ。妾の命も掛かっているからの」


「お前のお眼鏡に叶ったみたいで良かったよ」


「ほれ、お前さん。今のうちに肉を食っておけ」


 

 ドロップ品を回収し終えたキリメは、青鬼の死体に指を指した。


 首から血を流したそれが、俺の眼には何故か美味しそうに映っていた。理性では嫌悪しつつも、本能は正直らしい。



 ああ、食べたい。



「い、いや駄目だ。そんなもん食えるか。食ってたまるか」


「妾しか居ないんじゃ。強がる必要はないじゃろうに」


「要らん……つか、持ち帰ろうとするな。ノドカに渡したら承知しないからな」


「ノドカが覚醒するには、魔物の肉を与えるのが手っ取り早いと思うのじゃがのぅ」



 曰く、ノドカは心を閉ざしているから、身体の魔族化を逃れている。


 魔族化により喋れるようになるなら兎も角、俺みたいな化け物にはなって欲しくはないかな。


 彼女がどう思っているのかは知らないが、それが俺の望みだ。少なくとも、身体の魔族化を解く方法が分かるまで、そのような賭けはさせられない。



「駄目だからな。絶対に」


「ふぅん。まぁいいじゃろ。妾の主はお前さん達じゃからの。友好関係にヒビを入れるようなことはせん」


「……そ、そこまで気を遣わなくたっていいけどさ──ほら、鬼が下りてくる前に行くぞ」



 後方に居る鬼達は、後少しで崖を下り終えてしまいそうだった。



「そうじゃの。宝箱まで後少しじゃ。なっはっは、楽しみじゃのぅ」


「そうだな」



 俺達は再びダンジョンを進み始めた。


 ダンジョンの中間地点付近で、それはあった。


 赤鬼によって破壊されて崖と、隠しエリアがそのまま残っていた。



<作者より>


 用事で投稿が遅れていました。すいません。


 ちょっと色々考えた結果、この作品の執筆がしんどそうなので(設定を細かくしてしまったので)、もう少し緩くやっていきます。


 また、恐れ渓谷→恐れ峡谷に変更しています。私が想像していたのは左右に崖のダンジョンなので、峡谷が正しいです。


 

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