第2話 救いの手


 矢を撃ったのは、清水アラキだった。



 彼はドラゴンを模った弓を構え、ニヤニヤと笑っていた。



「ナ、ナキト君……へルタイガーが起きたよ!! 早く!!」 



 純恋キサキが大声を上げると同時に気付く。俺の左隣で寝ていた筈のへルタイガーが居ない。



 すると、俺の視界の端で、2本の尻尾がするりと消えていった。



 グルルルゥッ──



 背後で喉が鳴る。



「……マジか」



 背後から生暖かい吐息が背中に掛かる。にも関わらず、背筋は凍り付いた。冷気が全身を巡り、肌が粟立っていく。



 振り向く時間すら惜しんで、俺は全速力で駆け出した。



 その瞬間、ヘルタイガーも走り出したようで、巨体に似つかわしくない軽い脚音を鳴らした。



 どうすれば助かる?

 何処へ逃げればいい?



 ふと、頭を過ぎる。



 パーティメンバーの方へ逃げてもいいのだろうか。



 俺を嘲笑うように見る斉藤レンと清水アラキ。彼らとはやや嘲笑の色が違う白鷺メイ。不安げな純恋キサキ。



 そんな彼女達の姿が目に入って、つい迷ってしまった。



 彼女達の方に逃げれば、どうなるだろう。



 まさか、怪物を押し付けることに罪悪感を抱いた訳ではあるまい。



 この迷いは、決して自己犠牲的な意味ではない。後々に暴力を振るわれるのが怖かっただけだ。



 死の恐怖よりも、どうもそれが勝ってしまったようだ。探索者としての活動を殆どしていない俺には、"死"が余りにも非現実的過ぎた。



 その一瞬の迷いが、命取りになるとは知らずに。俺は簡単に追いつかれ、脚を切り裂かれてしまう。



 走っていた勢いも相まって、俺は盛大に転んしまった。



「くッ──!!」



 あ、脚が動かない。



 痛い……っ。



 俺は腕を懸命に動かして、這いずって逃げる。



 だが、俺の身体が影に埋もれた。

 直ぐ真後ろに、ヘルタイガーが迫ったらしい。



 逃げきれないと思い、俺は身体を回して仰向けになった。防御態勢を取りたかったのだ。



 学校で教わった。兎に角、魔力を纏って防御しろと。



 魔力を身体に纏うだけで発動される無属性魔法の『身体強化魔法』──果たして魔法と呼べるのかは怪しいが、身体能力を更に向上し、攻撃力と防御力を極端に上昇させることが出来る。



 殆ど練習していない身体強化魔法を、直感を信じて行う。



 直後、大きな爪を有したヘルタイガーの前脚が振り下ろされた。



 あ、肉球ってちゃんとあるんだ──



 そんな現実逃避が無意識に過れば、腹を切り裂かれていた。



「──ぐっ!?」



 次々にヘルタイガーの脚が振り下ろされる。



 最大値が少ない魔力をフルに使い、改めて身体強化魔法を発動させる。



 集中するんだ。じゃないと、本当に死ぬぞ。



 腕を盾にして、致命的なダメージを可能な限り防ぐ。



 背中や脚を守るだけの魔力量はない。全ての魔力を腕に込める。



 魔素適格者という、現代日本ではそれだけで世間体的には勝ち組だ。



 でありながら、努力を怠った俺が全て悪い。父に責任転嫁をしているが、まぁ今もしているのだが、少なくともこの状況の直接的な原因は俺だ。



 俺は、あの父親──宴土ミナタの息子だ。



 もしかしたら、"とてつもない才能"があるのかも知れない。そう思ったから、何もしてこなかった。



 探索者ランクは、その人の強さそのものだ。誰かが決める訳じゃない。



 世界のシステム。概念。理。



 努力をすれば、上がる。



 例えば、この瞬間に俺が最強の武具を身に付けようと、探索者ランクは2アップ程度に留まるだろう。



 偽ることも、ズルも出来ない。



 だからこそ、ランクを上げたくなかった。俺が奇跡的に探索者ランク4段になって、校内で1位を取ろうものなら、宴土ミナタが親権を振り翳して周囲に誇示するだろう。



 これは父に向けた俺からの反逆なんだ。



 ちっぽけなプライドによって、俺は今、死のうとしている。



 最も大切な妹を残して──



 刹那、銃声が鳴り響いた。



 稲妻のような黄色い魔力の弾丸が放たれた。



 それは、俺の腕に爪を突き刺したばかりのヘルタイガーの眉間にヒットし、一撃で息の根を止める。



「──っ!? 誰だっ!?」



 ヘルタイガーが死亡したのを見て、レンが叫ぶ。



「動かないで。動いたら容赦なく撃つわ」



 ある者がコッキング式の真っ白な銃を、斉藤レン達に向けていた。



「如月シズク。あんたまた──」



 白鷺メイが、発砲者である如月シズクを睨み付ける。



「白鷺メイ。こんなことをして、お父上が黙っていないんじゃない?」



「パ……あの人は関係ないでしょ。それと、あんたもね」



「あら、学校と随分性格が違うね。それと、私先輩だからね」



 如月シズクの瞳が白鷺メイを睨み返す。白鷺メイはバツが悪そうに顔を背けた。



「シズク先輩じゃないですか」



 あっけらかんとして、斉藤レンが言う。



「斉藤レンね。貴方も動かないで。私と一戦交えたいのなら──殺す気で行くわよ」



「そ、そんな訳ないじゃないですか……」



「でしょうね──ほら、これ」



 如月シズクは、白鷺メイにあるものを投げ渡した。装飾の付いた兜だった。



「吸血付きの兜、レア度4よ。白鷺メイ、貴方のスキルにピッタリじゃない?」



「な、何の真似!? 私の装備はもう揃ってる」



「お父上から買って貰ったね」



 嫌味たらしく如月シズクが言うと、白鷺メイは奥歯を噛み締めた。



「言わせておけば──」



「この下層で取れたものだから、課題の提出物で出しても大丈夫よ?」



「えっ、まじっすか。ラッキー」

「うぉー、あざっすぅ……」

「メ、メイぃぃ……」



「礼は要らないわ。貴方達の為じゃなくて、ナキト君の課題達成の為だから。さ、両手を挙げて帰りなさい」



「……もういい。行こ」



 白鷺メイは「ナキト君、治療しといて」と言い残し、この場を去って行く。



 第2階層が静まり返った後、満身創痍の俺は如月シズクにポーションを飲まされ、一命を取り留めるのであった。




〈作者より〉


 登場人物の名前は、(妹や主人公を除いて)取り敢えずフルネームで記載していきます。


 神委学校の生徒達は、全員下の名前で呼び合うのが流行りらしいのですが、一部苗字呼びが存在します。


 以下のtopicsは気分で記載します。必要項目は作中で改めて説明しますので、態々読む必要はありません。雰囲気を楽しみたい方向けです。本文で説明してなかったら、言って下さい。忘れてます。



 

・topics


吸血:稀に装備品に付く固有ステータスの一つ。敵に傷を付けた際、ダメージに応じた量の自己治癒が発動。治癒速度は、装備者の治癒力に依存する。


治癒力:被回復速度に影響。

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