第40話 退避

 イリーナの叫び声の向けられた先には無数の切り傷を負った隆二りゅうじが、息を切らしながら水月烏賊ブルームーンと対峙していた。


 イリーナが授けた盾は既に隆二の周囲から消え去っている。


「イリーナ、隆二にもう一度盾の魔法を!」 


「それは無理ですマメオさん。私の月魔法はマナを消費しない代わりに、各魔法1日1回しか唱えられないんです」


「それなら別の魔法を!」


「わかってます!」

 激しい口調でイリーナは詠唱を始める。


「月明かりの下僕しもべたち。祝福を以て彼の者を癒せ」

月光ムーンフォース


 洞窟の天井から光が降り注ぎ隆二の傷を癒す。


「天高く満つる望月もちづきよ…」


「イリーナ、攻撃魔法はよせ!こいつはマナを吸収する!」

 隆二の忠告でイリーナは慌てて詠唱を止める。


「確かにさっきより一回りサイズが大きくなってるな」


「マナを吸収って反則じゃないですか」


「それなら剣技だけで戦えばいいのか?」


「いや…そもそもこの世界の物質は全てマナで構成されている。剣技だろうとなんだろうとこいつには通用しない」


「なんだよそれ、チートが過ぎるだろ!」



「うっ…」

 レメリアのうめき声に反応して後ろを振り向く。

 俺達が二の足を踏んでいる間にレメリアが地面に倒れ込む。どうやら浮烏賊ヤルモルの毒針を受けたようだ。


「レメリア!」

 俺は慌ててレメリアに駆け寄り、群がる浮烏賊ヤルモルをタブレットで薙ぐ。



 隆二りゅうじの意識が一瞬、レメリアの方に向けられる。その隙を突かれ、水月烏賊ブルームーンが太い足を大剣のように変形させ隆二は横薙ぎを食らう。


「くっ!」

 隆二はすんでのところで深紅ルージュを構え、大剣の一撃を受け止める。しかし、衝撃の全てを防ぎきれずに吹き飛ばされた。


「アーサー様!」

 イリーナの声に反応した水月烏賊ブルームーンが今度はこちらに目掛け無数の足を槍のように変形させ伸ばしてくる。


 イリーナは横に飛び退き触手のような足を躱すが、全ては避けきれずイリーナの周囲の月光の盾は一瞬にしてその役目を終えた。

 その瞬間、イリーナの腰に下げていたランタンが外れ地面に落ちる。


 炎が微かに立ち上る。

 しかしすぐに足元の水に呑まれ煙と共に掻き消えた。一瞬、イリーナまで伸びてきた水月烏賊ブルームーンの足が不自然に止まった気がした。


「月下に舞う混濁の蝶よ。闇を喰らい光にゆ」


月光蝶の実オリーブ・バタフライ

 光り輝く無数の蝶がイリーナの手の平から湯水の如く湧きで、一瞬にして俺達の姿を包み隠す。


「退避したら魔法を解きます。この蝶たちも水月烏賊ブルームーンにとってはただの餌ですから」


 俺は身動きの取れなくなったレメリアを肩に担ぎイリーナと共に直ぐ様、吹き飛ばされた隆二の元へ方へ駆け寄る。



「アーサー様大丈夫ですか」

 イリーナは倒れている隆二の脇を支えなんとか立ち上がらせる。


「隆二、とにかく一旦退くぞ」


「退くっても…出口は奴と反対方向だぞ。それにこんな遮蔽部とこでどうやって逃げるっていうんだよ」


「お前にしては珍しく弱気だな」


「気持ちの問題じゃねえ。俺の目から読み取れる事実だ。それに退くって提案してるお前の方が弱気じゃねえか」


「お2人共、こんな時まで喧嘩しないで下さい」




「急いでこちらへ!」

 突如、背後から聞き覚えの無い透き通るような女性の声が聴こえる。


 蝶の群れに視界が阻まれ声の主を視界に捉える事はできない。


「何者なの?」

 イリーナは警戒しているようで、声がする方向へ問いかける。


「イリーナ大丈夫だ」

 隆二は何か確信めいたものを感じ取っているのか、すぐにイリーナを諭す。


 俺はレメリアを担いだまま声のする方へ駆けた。

「ちょっと、マメオさん!罠かもしれませんよ」


「イリーナの大好きなアーサー様が大丈夫って言うんだから大丈夫だろ」


「うっ…」

 俺の言葉を不服そうに飲み込むとイリーナも隆二に肩を貸したまま俺たちの後に続く。

 

 謎の声を頼りに眩い蝶の群れの中を突き進む。  

 辿り着いた先は先程目に留まった五芒星の紋様が岩肌に浮かんでいた。


「急いで飛び込んで下さい!」

 先程聴こえた女性の声だ。


「飛び込んでって…」

 俺たちが訳も分からず躊躇していると五芒星の紋様から二本の灰色の剛腕が生え、俺たちをあっという間に引きずり込む。


 担いでいたレメリアを庇い受け身も取れずに俺は地面に倒れ込んだ。

「いてててて」

 倒れ込んだ先は8畳ほどの白光するドーム状の結界となっていた。


「お前らはミネルヴァの弟子共か?」

 負傷者の癖にちゃっかり受け身を取っていた隆二がすぐに態勢を整え、目の前の3名の男女に問いかける。


 そのうちの一人は既に事切れているようで地面に横たわっていた。生前、綺麗であったであろう深い青色の長髪が地面の血溜まりに汚され赤黒くくすんでいる。


 端正な死に顔に目を奪われていると、死者と同じ顔をした、ブロンドで長髪の女性が隆二の問に答える。

「はい…私は2番弟子のステラ・トリリーナと申します。何とかボスの部屋まで辿り着いたのですが水月烏賊ブルームーンにパーティーが壊滅させられ何とかここに逃げ込んで結界を張って凌いでいました。護衛の大半はやられ生き残ったのはこのムーアだけです」


 ステラが先程の剛腕の持ち主に視線を送ると、野暮ったい黒髪に灰色の肌、頭部に犬のような耳が生えている男が軽く会釈をする。


獣人イーマか…」


「何か問題でも?」

 ムーアと呼ばれた獣人イーマの男はぶっきらぼうに隆二の言葉に反応する。


「いや、他意はない。こちらの女性は死後どれぐらい経過している?」


「はい…丸1日は経っています。この子が一番弟子のシーラ・トリリーナ…です」

 そう告げるステラの声は震えていた。


「イリーナ頼む」


「いけません、アーサー様。呼び戻せる可能性が低い上に貴方様の保険でもあるのですよ」


「どういうことだ?」

 俺は訳が分からずついつい口を挟んでしまった。


「先程も言いましたが月魔法は日に一度っきりしか使えないんです。月の蘇生魔法も然りです」


「あなたも古代魔法の使い手なのですか」

 ステラの目に希望の光が宿る。


「半端者ですが一応…」


「あれ…そういえば隆二が元の身体に戻るために暴走して、無理心中を図った時は俺ら2人に蘇生魔法を使ったんじゃないのか?」


「2、3人程度でしたら範囲内に入れればまとめて蘇生はできます」


「イリーナ、こうして話しているうちにもどんどん蘇生できる確率が下がるんだろ?急ぎで頼む」


「わかりました。その代わり保証はできませんからね。死後1時間を経過してからは蘇生確率がどんどん下がってきますので…丸一日経過してるなら望みは薄いですよ」

 イリーナは根負けして隆二の意見を飲む。


「それでも構わん…頼む」

 ムーアは先程の態度とは打って変わって深々と頭を下げる。


 俺も何度か経験した蘇生魔法の光がシーラの体を包み込む。




















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る