第6話 食う男




 ぐぅぅううううううううううううううううううう……!


 突然、俺の腹が盛大に鳴いた。

 今日が雷雨予報ならぬ雷雨予定でなければ、最寄りのステーションに通じるこの道は土曜日ということも手伝ってもっとたくさんの人がいたはずであり、近くの他人に聞かれて恥ずかしい思いをしたに違いない。


 今かよ、と思っちまう。

 こういうことはたまにある。

 前触れなく急な生理現象に襲われるというか、いきなりよみがえって来るのだ。別に俺の生来からの体質とかじゃあない。

 なにしろ、ついさっきまで仮死状態の身体だったので、全ての感覚が正常に戻るまでに多少の時間がかかることがあったりするのだ。寝て起きるのとはワケが違う。思い出したように突然、こっちの肉体がキョーレツに空腹感を訴えだした、というワケである。


 俺は再び空を見上げた。

 どう考えても途中で食い物を買うだけに留めてさっさと家に帰った方がいい、そんな空模様である。……のだが、どうにも場所が悪い。

 今、俺が歩いている道、駅に到着するまでわずか5分程度のこの道中には、この島唯一のオフィス街の客を当て込んだ飲食店がそれこそ軒を連ねているのだ。各々の店先からは、どれもこれも雑多ながらも良い匂いが漂ってきて、俺の鼻にまで完全にどうしても届いてくる。


 家までお預けなど、冗談ではない。

 とてもじゃあないが、我慢なんて不可能だった。

 もう一度、確認の意味で俺はまた空を見上げる。イケそうな気がしてきた。

 迷う前にとっとと食事して、それからすぐ家路につけばいいのではないか、とそう思う。

 よし、と俺は即決し、選んだ一つの店の暖簾をくぐった。

 途端にお出汁のいい香りが俺の鼻に直撃してくる。

 選んだ店はうどん屋だった。ちゃんとした本物の海鮮出汁の香りが感じられる。こんなのは普通・・の店ではまず考えられない。また盛大に腹の虫が咆哮を上げそうになった。



 底を支えるべきエネルギー源が限られるがために自由競争に基づいた経済が展開できず、この都市は働かない、働けない人数、世帯の方が圧倒的に過半数だ。

 しかし、彼らを見捨て、働けぬ者も食うべからずを行えば、当然に生きるため、食べるためのヤケを起こす人間は必ず出てくる。その選択が自分たちの犠牲と人類の未来とを天秤にかけていると知ってはいても、彼らの抵抗を短絡だとか愚行だとかの単純な言葉でくくれるヤツは、想像力か脳みその足りない人間だろう。

 ただ、その混乱が人的な損失のみでは収まらず、施設の破壊から諸々の二次的三次的被害と連鎖して、ただでさえ元から瀬戸際の資源を更に追いこむことだけは避けねばならない。そして仮に、未然に防ぎ続けることが可能だとしても、事が起きる度に断罪していけば人口はどんどん目減りすることになり、将来的な遺伝子の袋小路を誘発することになりかねないらしい。

 では、どうやってこの禍根を断つのかといえば、そんなことは決まっている。

 最初の言葉の逆をなぞればいい。つまりは、見捨てず、働けぬ者働かぬ者もとりあえず皆食わせればいいのである。

 生きるために必要な衣食住を政府が全て用意することにしたのだ。

 まず、住は世帯ごとに与えられ、衣食の方は生活保護の受給にてまかなう。普通の生活を送るのであれば問題ないほどの額だ。

 ただし、一方で働く者、労働者の利権も守られる必要がある。


 この都市では市民に一級から三級までの階級制度が設けられている。

 一級市民は特別な功績をあげるか10年以上の連続勤務で認められることになる。

 特権は多岐にわたり、一般交通費、全ての公共施設利用費、生涯教育費、医療費が同居の家族含め無料。働けば働いた期間だけ、その勤続年数に応じて退職後も同年数期間一級市民の資格が家族を含め維持される。

 二級市民は、上記の一級市民の条件に該当しない、主に勤続年数10年未満の者たち。ほとんどの労働者はこれに該当する。全ての、から一部の公共施設利用費、生涯教育費、そして医療費が家族も含めて全額免除される。

 ちなみに俺は、連続勤務では1年程度なのでこの条件だけならばまだ二級市民のハズなのだが、マインナーズ3位というのも特別な功績に入るため、ありがたいことに一級市民となっている。

 最下級である三級市民は無職の者とその家族で、当然のように特権はない。二級市民よりも更に範囲の狭まった一部の公共施設は無料で利用可能だが、それは図書館などの前時代から公共料金で賄ってきた施設であるということだ。

 そして何より、労働者は生活保護とは桁の違う給与を得る。



 店に入ると、女性が愛想よく笑顔で応対してくれた。そのまま空いている席へと案内される。

 この店には既に何度か訪れたことがある。その時はいつも忙しそうで、そしてほとんどが満席だった。が、今日は天気のせいか珍しく店内はガラガラで、店員も暇そうだ。

 案内された席に座る俺に、女性はメニュー表を渡すといったん下がっていった。

 メニュー表に眼を通すと、最も安いものでも一万円近くする。三級市民家庭の生活保護受給額およそ20分の1に相当する。とてもじゃあないが普通、というか大多数の人々がおいそれと出せる額ではない。

 たまの贅沢であればまだしも、毎日の利用など考えられないレベルである。

 理由があった。広く普通に使われている合成食料ではなく、この店は本物の食材を使用しているのである。サプリメントと植物性のたんぱく質と各種風味を若干に混ぜ込んだものではなく、小麦粉やら鰹節やら昆布やら葱やらを使っているのだ。


 俺は今日の気分で頼むべきものを思い定めると、先程の給仕の女性を呼ぶ。

 注文は、たらいうどんに決めた。

 注文を伝えると女性は奥の調理担当へと伝えに行く。

 待つ間、個人端末の中に保存されていたいくつかの文章に眼を通しておくと、程なくして注文した品が届けられた。

 三級市民むけなら話は別だが、こういった一級市民むけの食堂のわりにこの店は提供が早い。それが今日この店を選んだ理由でもある。

 しかし何と言っても、眼の前にはたっぷりの湯が張られたたらいの中を泳ぐ真っ白な麺と、醤油香るつけ汁だ。俺は卓上の箸を手に取ると、付け合わせの天かす少々と刻み葱の大半をつけ汁の中へとダイブさせた。

 辛抱たまらず、いや、辛抱する必要などなく、純白のうどんを一束つまみ上げると、天かすの油分に葱の香りが混ざり合ったつけ汁へとくぐらせ、一気にすする。


 うまい。

 噛み応えのある弾力の麵は、嚙むたびに小麦と醬油と出汁と刻み葱と香ばし油が混然一体となる。その味を求めて再度同じ手順を繰り返す。

 本当にうまい。

 この味を知ってしまったら、正直なところもう、味気ない合成食料の三級市民用食堂には戻りたくない。

 俺は次々と麺を口の中に放り込む。

 ものの数分の内にたらいの中身はすべて俺の胃の中におさまった。




 会計を終えて外に出ると、既に雨は本降りとなっていた。

 完全にやってしまった……。

 ザーザーと結構な勢いで、都市の限界まで降らすつもりのようだ。とはいえ、外で体験した嵐という現象に比べたら実にかわいいものであるが。

 しかたない。

 傘のない俺は濡れながら駅まで走って行くしかない。

 駅にさえ着いてしまえば、電車も含めてその後はずっと屋根の下だ。自宅近くの最寄り駅である白保シラホ駅からは直結だったりもする。

 どうせ歩いても5分の距離だ。と、心を決めてみるものの、向かう先の建物は雨のカーテンにて霞んでいる。

 ビショビショで電車、というかモノレールに数駅ぶん乗ることを覚悟して、俺はいつまでも店前の軒先を借りておくワケにもいかずに目的地へと向かって走り出した。




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