第3話 依頼(被害者遺族高橋努)

2022年8月15日。とあるくたびれた雑居ビルの階段を1人の壮年の男がゆっくりと昇っていた。少々息を切らしながら辿り着いた3階にはいくつかの部屋があり、薄暗い廊下の蛍光灯を頼りに男はドアを一つ一つ確認して歩く。そして遂に「復讐代行」と書かれたドアの前に辿り着いた。

コンコンと小さくノックをするが、中から反応は無い。緊張しつつドアノブに手をかけると、鍵は掛かっておらずスっとドアが開いた。

「ようこそ、復讐代行へ」

薄暗い室内、事務机の向こうにいる少女が男にそう声をかけた。細身の体に、人形のような整った顔立ち、そして艶のある金髪のツインテール。男は目の前の光景に困惑した。どう見てもか弱そうで、おそらくは未成年の少女に果たして本当に復讐代行など出来るのだろうか。そもそも、男がこの場所に来たのは差出人不明の一通の手紙を受け取ったからだった。


"もうすぐ貴方の娘さんの命を奪った凶悪犯が全員出所します。貴方は彼らを許せますか?もしまだ彼らを許していないのなら、私が貴方の復讐を請け負います"


そう書かれた1枚の手紙の一番下に、このビルの住所が書かれていた。男は最初、この手紙をタチの悪いイタズラだと思った。10年前のあの忌まわしい事件を、そして10年間の地獄の日々を侮辱されているように感じ怒りさえ覚えた。だが、男は自身の心の奥底にあるドス黒い感情を否定する事が出来なかった。可能なら、娘を残忍に殺害した奴らを皆殺しにしてやりたい。その思いは日に日に強くなり、気が付くとこうして手紙に書かれていたビルへと足が向かっていたのだ。

「本当に、あいつらに復讐してくれるのか?」

声をふるわせ、こぼれ落ちそうになる涙をこらえつつ少女にそう問いかける。少女は無表情のままこちらをジッと見つめていたが、表情を少しだけ和らげて落ち着いたトーンで言葉を返した。

「はい、勿論です。貴方が本当にそれを望むのであれば」

少女の言葉にはなぜか妙な安心感があった。男はひとまずは彼女を信じてみようと思った。

「どうぞ、お掛けになって下さい」

そう促されるがままに、くたびれたソファーに腰を下ろす。落ち着いて室内を見渡してみるが、薄暗いうえに段ボールやロッカーがごちゃごちゃと乱雑に置かれていて、とても清潔な部屋とは言えない。一通り部屋を見渡した男は、一番の疑問をぶつけてみる事にした。

「何故私の元に手紙を?」

「あら?余計なお世話だったかしら?」

少女は少し意地の悪い笑みを浮かべながらそう答える。

「⋯もし、私が貴方に復讐代行を依頼した場合」

「報酬は貴方にとって今一番大切な物を貰うわ」

少女は質問を先読みして答えてみせる。

「⋯私は⋯10年前のあの日、一番大切な娘を奪われた。そして、2番目に大切な妻も⋯事件から立ち直ることが出来ず自ら命を絶ってしまった」

そう語る男の両目に、自然と大粒の涙が溢れてくる。

「辛かったわね」

少女はなんの感情もないように淡々と言葉を返す。

「⋯もし本当に犯人共に復讐が出来るのなら、私はその代償に自分の命と全財産を差し出しても良いと思っています」

「⋯そう。では念の為身分証と、後はこの書類に必要事項を書いてちょうだい」

男は涙を袖で拭うと、財布から運転免許証を出して少女に渡し、代わりに3枚の紙を受け取った。1枚目の紙には自身の名前や住所等の個人情報を書き込む欄があり、2枚目には犯人達にどのような罰を望むかを書き込むようになっている。そして3枚目は同意書だった。男はスーツの胸ポケットからボールペンを取り出し書類に記入していく。その間に少女は男の運転免許証のコピーを取る。

2枚目の紙には犯人達の名前が5人分書かれており、それぞれにどのような復讐を望むか個別に書き込めるようになっていた。男は一番下に一言「全員の死を望む」とだけ記入する。それはこの10年間、毎日願い続けてきた事だった。

「では、こちらはお返しします」

男が記入の終わった書類を差し出すと、少女はそれを受け取り運転免許証を返した。少女は再びデスクに戻ると書類を1枚1枚確認していく。男は堪えきれず、心の内に秘めていた思いを口に出してしまう。

「もう既に出所している4人は、ある者は名前を変え、ある者は過去を隠し、新しい人生を歩んでいます」

男の言葉に少女は何も反応を示さない。だがそれは無視をしていると言うよりは、彼の告白を邪魔しないようにと言う彼女なりの優しさだった。

「⋯誰一人として、娘の墓参りにすら来ない。私は⋯彼らを決して許すことは出来ないし、彼らの今の人生を壊してやりたい」

彼女は3枚目の同意書のサインを確認すると、トントンと音を立てて書類を綺麗に直してからニッコリと男に微笑んだ。

「これにて手続きは完了しました。貴方の復讐は私が責任を持って代行致します」

少女の言葉に、男はこの日初めてのぎこちない笑顔を浮かべた。

「⋯よろしくお願いします」

「殺害方法等はこちらで決めさせて頂きます。後、今後連絡はこの携帯にさせて頂きますのでお持ち帰りください」

少女はそう言って安っぽいプリペイド携帯を男に渡した。

「尚、復讐が進むにつれ警察は貴方への疑いを強める可能性があります。くれぐれも、この場所の事や今回の契約について誰にも話さないようお願いします」

「分かりました。⋯本当に、本当によろしくお願いします」

男は立ち上がり、少女に向かって深くお辞儀をした。

「はい。貴方が過ごした地獄のような10年間を、きっちりと奴らにも味あわせてあげますからご安心を」

最後にもう一度深深と礼をしてから去りゆく男の背中を見つめつつ、少女は悪魔のような笑みを浮かべた。

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