中・無駄と光

 殺されたのは同じクラスの真辺悠人だ。彼は柔道部のエースだった。


 先生に知らせると即座に警察が駆けつけてきた。私は事情聴取を受けただけで、後は警察に任せた。警察は私の知らない検証を何度も行った。学校は臨時休校となり、生徒は帰宅を余儀なくされた。


 寄り道をするなということだったが、崎島に誘われてフード・コートに足を運んだ。


 彼にしては珍しく、静も連れてこいとのことだった。もしかして静のことが好きになったのかと思ったが、冷静に考えてみれば理由なんて一つしかなかった。


「先週の俺の件に続いて、今回の殺人……根拠はないけど、同一犯としか思えない」

 崎島はストローに口をつけてマックシェイクを啜る。


「まず、楚上には謝らなくちゃいけない。今回の事件、もし同一犯なら、犯人はお前じゃなくて別の誰かだ」


「気にしないで……。私が疑われるのは仕方がない……。崎島さん、気が立っているもの……」


 最後の一言の必要性はないように感じた。


「ますますわかんなくなったなぁ。崎島の時みたいに、被害者にその時の状況を聞くこともできないし」


 三人で頭を抱える。「しかし、真辺が殺されるなんてな……。不意打ちだったんだろうか」


「血は四階と三階の間の踊り場から続いてた。ここからは私の推測になるけど……真辺はそこで刺されたんだ。そして、踊り場に落とされたけど上手く着地した。柔道やってたし。ただ、それだと一つ違和感が生じる。崎島の時は、どうして先に刺してから落とさなかったのか。崎島で失敗したからやり方を変えたのかもしれない。大抵、犯罪者と異常者はニアリーイコールなの。最初は怪我させるだけのつもりが失敗しちゃって、失敗するぐらいなら殺してやる! って思ったのかも。だって、今回の事件を見る限り、犯人の目的は負傷を負わせることだから」


 我ながら犯罪者に関する知識が浅すぎると思ったが、間違ってはいないだろう。


「まあ、そんなところだろう。ちなみに、俺も引っかかったことがある。いいか?」


「どうぞ」


「真辺は二回落とされてるよな。死体は三階の図書室前で見つかったんだろ?」


「真辺は踊り場で最後の抵抗をした。けど、犯人に負けて落とされたんだ。全部推測でしかないけど……」


「でも、そう考えるのが妥当じゃないか」


 私もマックシェイクを啜る。いつもの習慣からストロベリー味を頼んでしまったが、味がしない。バニラを選んでいても、同じことになっていたかもしれない。ワイシャツと血液が脳裏に浮かぶ。


「静は、何かある?」


 静はソファにもたれて本を読んでいる。


 私は本を取り上げて机の上に置いた。ヘビの目が鋭さを増す。


「その時の状況がそんなに重要かしら……」


「どういうこと?」


 私は尋ねた。


「……二人が追っているのは、犯人……? それとも、死因と死ぬ寸前の状況……?」


 痛いところを突かれたけど、後ろめたいことではない。単純に私と崎島の視野が狭かったという話だ。素直に受け入れる。


 死因やその関連事項を調べて何になるというのだろう。そりゃあ、崎島の言った通り、犯人の性別の判断材料にはなり得るけど、それだけだ。少なくとも、私達だけの力ではそこまでがやれることの限界値だ。


 だって、私達は名探偵ではない。


「犯人を探してる。それと、これから出るかもしれない四人目の被害者のことも考えなきゃ」


「待て待て待て。まだ事件に巻き込まれたのは二人だけだ。二度あることは三度ある、ならわかるけど……あ、高野、お前、まさか」


 崎島は瞠目した。


「そう、佐藤和真。今までは事故だと思ってたけど、二人殺されて気付いたんだよ。あれは殺人事件だってことに」


「勝手に俺を殺すな」


 無視して続ける。「佐藤和真の事故の噂、崎島も聞いたよね?」


「もちろん。女の子が押したとかなんとかってやつだろ?」


「それが真実だとすれば、佐藤と崎島と真辺は全員背中を押されて殺されたことになる。現場の違いや、凶器とか、多少のズレはあるけど、それだけは共通している」


「だから、勝手に殺すなって」


 そう言いつつ、崎島も頷いた。一方、静は焦点の定まっていないような目で、ぼんやりと店の奥を見つめている。協力してくれと頼んだわけではないし、迷惑にならないなら何をしてくれても構わないが……。しかし、やる気が不足し過ぎではないか。


「まぁ、お前の言う通りだ。後は任せた」


「崎島もやるんだよ!」


 思わず声を張り上げてしまった。幸いにも、周りに人は少ない。平日の朝と勤労と教育に心底感謝した。


「俺はお前ほど頭キレねえから」


「事件に無関心でいるうちにまた殺されかけたらどうすんの?」


「そう怒んなよ。冗談だって」


 崎島は屈託のない笑みを浮かべる。自分の言った冗談の悪さを自覚していないようだ。


 呆れて、勢いに任せてマックシェイクを啜った。


 むせた。


  *


 犯人は行方を眩ませている。真辺の死から一週間が経った今も、尻尾すらつかめていないようだ。校舎内の殺人ということで、メディアもそれなりに賑わったが、それまでだった。一週間も経過すると、校内殺人の話題は取り上げられなくなった。


 クラスメイトの死が淘汰されていくような現実を見ているのが辛くなって、テレビを消した。時計を見ると、午後七時丁度だった。私はソファからゆっくりと腰を上げて、自分の部屋に向かう。階段を上りながら、被害者三人の共通点を思い浮かべる。


『部活のエース』というワードが脳裏を過ったが、即座に却下した。佐藤は茶道部だった。母音が同じだから、よく茶道と呼ばれていたことを思い出す。


 こうして思い返してみると、大して仲の良くなかったクラスメイトの大切さに気づく。あのクラスはみんながいて、佐藤と真辺がいてこそのクラスだった。あの二人が死んでからというもの、クラスLINEは停滞した。教室の空気も淀んだ。


 自室に入って、今日学校であった出来事をパソコンに打ち込んでいく。


 学校生活自体はつつがなく終わった。問題は放課後、廊下ですれ違った彼女らだ。

 放課後、私は応接室から出てくる二人の女性に遭遇した。二人とも化粧っ気がなく、どことなく憔悴していたように見えた。服装や顔の皺からして、被害者の母親たちだろう。彼女らは怯えたように小声で会話を交わしていた。内容までは聞き取れなかったが、とにかく声が震えていた。


 それは何故か。


 子供が殺されたから?

 それとも、自分たちが殺し、バレるのが怖くなった?


 後者が真相である可能性は低い。仮に有り得たとしても、佐藤の件が立証不能になってしまう。彼は女の子に押された。そう、目撃者の見間違いでなければ。


 また、前者も同様だ。子供が殺されたら悲しむのが普通で、怯えるのは百歩譲って有り得たとしても、当時の状況を考えれば周りに違和感を持たれて当然の感情表現だ。


 あの母親二人は絶対に何かを隠している。


 私は崎島にLINEを送った後、真辺の携帯を鳴らした。三コール目で母親が出た。悪いことをしたと思ったが、罪悪感に悶えている場合ではなかった。


 ふと思い出し、佐藤の家にも電話をかける。母親同士で繋がっていたらしく、固定電話で話した。


  *


 崎島の家に二人の女性を招いた。ダイニングテーブルの前に座る。私と崎島が隣同士で、望美さんと美智瑠さんと涼子さんと向かい合っている。上から順に、崎島の母親、真辺の母親、佐藤の母親だ。席順で言えば、右から順に同様。


 三人の母親は落ち着かない様子で目を泳がせたり、必要以上にコーヒーに手を伸ばしたりしている。


「皆さんにここに集まってもらったのは、確認をするためです」


「わ、私達気が気じゃないのよ……。もったいぶらずに教えて」


 望美さんが甲高い声で言った。


「証拠がなかったので先生には伝えませんでしたが、先週、崎島君が階段で誰かに背中を押されました。その翌週、真辺君がほとんど同じ場所で殺されました。ここまでは大丈夫ですね?」


 三人の女性は一斉に頷く。


「真辺君も背中を押されたと考えるのが自然です。さて、ここで同一犯の可能性が出てきました」


 崎島が吹き出す。何がおかしいんだと彼のほうを見れば、私の視点がやけに高いことに気づく。私は咳払いをして、椅子に座り直した。崎島が笑ってくれなかったら、名探偵気取りの一般人になるところだった。


「そして、最後。佐藤君です。彼は夏休みが明ける前に亡くなりました」


 涼子さんが口を挟んだ。「和真は事故で亡くなったんじゃ……」


 私は肯定も否定もせず、話を続ける。


「ええ。ですが、学校内では佐藤君が誰かに押されているのを見た、という噂が飛び交っていました。大人に比べて、学生はゴシップを掴むまでの速度が尋常じゃないですから。もちろん、最初は私もただの与太話だろうと思いました。しかし、今回二人の被害者が出たことでその噂は真実味を帯び始めたんです」


 一拍置く。


「つまり、佐藤君は事故ではなく殺された。被害者三人、場所や凶器の違いはあっても、全員背中を押されたことに変わりはない。三人を殺した犯人は同一人物と見て間違いないでしょう」


「勝手に俺を殺すな」


 私は派手に咳払いした。


「では、どうして犯人は三人も殺さなきゃならなかったのでしょうか? いえ、こう言いかえることもできます。なぜ三人も殺したかったのか?」


 崎島は面倒くさくなったのか、口を噤んだままだ。


 美智瑠さんが怒気を孕んだ声で言う。「まさか、私達に責任があるからここに呼び出した?」


「その詳細を聞くために、集まってもらったんです。まず、あなた達は中学時代の旧友同士。これは間違い有りませんね?」


 これは私の母が教えてくれたことだ。三人と母親は出身地も出身校も異なっていたが、学生時代の話をたまにすると言う。


 望美さんが美智瑠さんを宥めながら、答える。「ええ。中三の時、同じクラスでした」


「それ以外に共通点は?」


 私が尋ねると、三人とも黙ってしまった。まるで示し合わせていたように、誰も口を割ろうとしない。こういう仕事に不慣れな私としては、半ば鎌をかけるような思いだったので、三人の様子を見て安心した。


 ただ、彼女らが隠している内容までは知らない。こればかりは聞かないことにはどうしようもない。


「秘密の内容が例え悪いことだったとしても、今更話したところでどうにもなりませんよ。ほぼ、時効です」


「あの……」


 望美さんが口を開いた。


「はい」


「私から全部、話します」


 彼女の緊張はもうほぐれたようだ。


 私は無言で続きを促した。


「和真君が死んで、悠人君が死んで、さっき息子が階段で押されたことを知って、私、確信したんです。これは復讐だなって」


「と、いうと?」


「中三当時、私達三人はいわゆるいじめを行っていました。水無瀬優香という子を集団でいじめて、彼女は最終的に学校に来なくなりました。結局、そのまま卒業しました……。けど、風の噂で水無瀬さんはK高に行ったと聞いたんです。私と美智瑠と涼子は、安堵しました。よかった、死んでいたら私達のせいになってた、って」


 膝の上で拳が震えた。まるで振動は放出されたがっているエネルギーみたいだ。


 望美さんの語っている行動、気持ちは全て過去のものだ。今の彼女のことを責める権利は誰も所有していない。一人いるとすれば、それは水無瀬さんだ。


「私達三人はH高に進学して、今に至ります。ああ、そうそう。三年前に中学の同窓会があったんですけど、水無瀬さんは来ませんでした。理由は周りに聞かずともわかりました。その時、十数年ぶりに罪悪感が襲ってきました。いつか天罰が下るとは思っていましたけど……。まさか、こんな形で……」


 望美さんはそれっきり、口を噤んだ。話はこれでお終いということだろう。私の側も、これだけ情報が揃えば十分だ。


「悪い、席外す」


 崎島はわざとらしく椅子を大きく引いた。二階へと上がる足音は、いつもの彼らしからぬ頼りなさを孕んでいた。


 望美さんは顔を伏せている。私は全てのピースが繋がってくれて嬉しいと思う反面、申し訳無さで胸が張り裂けそうだった。


「自分の罪を誰かに話すことは、とても辛いことです。でも、私はこの謎を解かなければいけない立場にありました。クラスメイトのことは警察よりも私達がよく知っていますから。協力してくださり、ありがとうございました」


 私は軽く頭を下げた。音を立てないように椅子を引き、立ち上がる。


「あの……。崎島君の部屋って」


 望美さんが消え入りそうな声で「上がってすぐのところです」と教えてくれた。


 不思議と、物音を立てたくなかった。崎島よりも音を殺して二階へ上がる。茶色のドアをノックする。


「崎島、入っていい?」


 数秒後、「ああ」という短い返事が聞こえた。


 スライド式のドアを開き、中へ入る。奥に勉強机と、壁際にベッドがあるだけの簡素な部屋だった。野球に使う道具はクローゼットにでも仕舞っているのだろう。


 崎島はベッドの縁でじっとしている。


「なんだ、案外平気そうで何より」


 どこに座ればいいのかわからなくて、床に正座した。


「平気っつうか……まあ、自分でも驚いてるよ。涙一つ出ない」


 そう言った後、「でも、母さんを見る目は確実に変わった。もう前みたく楽しく話すことはできない」と言った。


「私も悪いことをしたと思ってる。せめて、崎島のいないところでやるべきだった」


 犯してしまった間違いは取り返しがつかない。あのいじめのように。


 謝ることしかできなかった。


「いや、いい。向き合うことが大事ってのは、俺が一番知ってるから。顧問がいつも言うんだよ、『どれだけ辛くても、向き合え。向き合った上で失敗すれば、もう一度向き合うことができる』って。正直、今の状況に失敗もクソもねえと思う。でも、俺は向き合うことには慣れてるんだ」


 私は微笑んだ。彼が途中で席を外したのは、一刻も早く向き合いたかったからか。

「それに、まだ終わってない。行くんだろ、水無瀬優香のとこに……いや、水無瀬優香の子どものもとに」


 私も初めはそのつもりだった。だが、私は首を横に振った。


 崎島は眉をひそめた。


 私がどのような経緯で会わないことに決めたのか。それは私にしか思い出せないことがあったからだ。


「答え合わせは、楚上静と彼女のスマホさえあれば十分だよ」

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