大三角未遂 Unfinished large triangle
筆入優
上・勢いと探偵業
K高校に
静は艶やかな黒髪の毛先を弄りながら、自分の名前と元いた高校の名を言った。颯爽と席に着こうとする静に、担任教師が、趣味とか……何かないのか、と優しく声をかけたが、静は顔を赤らめただけで言葉を発さなかった。
静が着いたのは私の隣の席だ。元は
昨日まで佐藤の机に花瓶が供えられていたが、静の転校に伴って撤去された。
死者の席に転校生を座らせるのは皮肉だなぁと内心ぼやいていると、隣の席から掠れたような「皮肉ね……」が聞こえてきた。どうやら一般常識はあるようだ。
「緊張してる?」
初対面に声をかけるのは不慣れだが、隣の席の私が声をかけなければ静が孤立してしまう気がした。
「別に……」
今、睨まれた気がした。本当にそんな気がしただけだろう。彼女の目つきは常に悪い。
しかし、顔立ちは整っている。目以外のパーツが、目を彩っている。まるで、飾ればどんな場所でもパーティ・ルームになるように。
静は顔を再び前に向けた。担任が教卓の前で今しがた配ったプリントの説明をしている。近所のホールに劇団が来るので、興味があれば見に行きなさいというものだった。当然、メディアに取り囲まれた高校生たちは興味を示さない。私もご多分に漏れず、無駄に長い話に飽き飽きしていた。
「昼休み、校舎案内しようか?」
あくびをひとつして、再び声をかけると、静は振り向いた。申し訳無さそうに言った。「ごめんなさい、今日は教室にいるわ……」
それだけ答えると、また前を向いてしまった。避けられているとは感じなかった。これが静の特性であるのは誰の目にも明らかだった。
*
昼休みになっても、楚上静は誰とも喋らなかった。彼女はそれを気にする様子もなく、席に座って、ずっと本を読んでいた。読書の邪魔をしては悪いと思い、私も話しかけなかった。少し落ち着きすぎているきらいはあるものの、至って普通の人間だった。
昼食を食べ終えると同時に、
「楚上」
静は読んでいた文庫本に栞を挟んで閉じた。顔を上げ、崎島を見つめた。そこにはおよそ感情というものがないように感じられた。恐怖も戸惑いもなく、ただ崎島を見つめている。
「昼休み……というか、今。どこにいた?」
崎島の問いかけに近くで笑いが起こる。静が「昼休みは一歩もここから動いていない……」と答えた。冷静に対応する彼女がおかしかったのか、今度は教室中が笑った。
「屁理屈じゃなくて、事実の話をしているんだ……読書する奴は、やっぱり頭がイっちまってる」
偏見が過ぎる。
「崎島、何かあったの?」
崎島の怒りがヒートアップする前に、私が尋ねる。
「
崎島は静をピシッと指さした。
私は頷いた。「ずっといたよ」
崎島はため息をついて、話し出した。
「さっき、誰かに階段で背中を押された。怪我はなかったし、犯人の顔を見てやろうと思って上を見たんだ。そしたらこいつにそっくりな奴が立ってた」
さっきまで崎島を馬鹿にしていた生徒がざわめき始める。本格的にまずいことになった。私は、佐藤の事故にまつわる噂を思い出した。
事情を聞いたからには引けない。崎島は犯人が見つからず困っているわけだし、聞くだけ聞いて何もしてあげないのは卑怯だと思った。「どこで落とされたの?」
「一棟の四階から三階に降りる階段」
一棟の四階といえば、芸術教室が並ぶ階だ。最果てに音楽室、そこから順に茶道室、習字室、美術室……はっきりと思い出すことはできないけれど、これだけは言える。昼休みにあそこに立ち寄る者はいない。部活動と芸術の選択授業にのみ使われる。
「これは興味本位で訊くんだけど、どうして四階にいたの?」
「美術選択の先輩に、作品を見てほしいって頼まれて。そのせいで階段から落とされたんだから、最初は先輩のことを疑ったよ。でも、先輩はそんなことする人じゃないし、それに、顔も違った。てかスカートを履いてたんだ。犯人が先輩だなんて、あり得ない」
多様性が騒がれるこのご時世にスカートを判断材料に用いるのはいかがなものか……。しかし、校則において、男女の制服はそれぞれスラックスとスカートと定められている。犯人の身体的性別がはっきりしたのはありがたい。
「それで、顔が静にそっくりだったから静が犯人じゃないのか、ってこと?」
崎島は頷く。
怪我がないのは証拠がないことに等しく、教師に話したところでまともに取り合ってもらえないだろう。成り行きで私が推理する羽目になったが、案外悪くない気分だ。人の不幸を楽しむ女子高生もかなり珍しいが。
「けど、髪型が違った。ショートカットだった」
静の髪の毛に視線を向ける。何度見ても羨ましく思えてしまう髪質だ。まるで磨かれた金属のように艷やかで、体の動きに合わせて滑らかに揺れる。天然でないなら、私は絶望するところだ。
「ふぅん……」
場を繋ごうと適当に相槌を打ったが、これと言った真相は見えてこない。
ぼうっとしていると、静が口を開いた。
「つまり、私は悪者ということになるのでしょうか……」
声が微かに震えている。彼女は間を置かず何度も瞬きを繰り返したが、やがて涙が溢れた。
崎島は狼狽えた。彼も彼女も被害者で、どちらの肩を持つこともできなかった。
「一旦終わりにしよう。このことについては、私が答えを出すから」
崎島と静が同時に私を見た。静は物憂げな眼差しだ。
「言ったからには、ちゃんとやれよ」
崎島は罰が悪そうに吐き捨て、教室を出ていった。あと一分で始業のはずだが。
「無理、しなくていいのよ……」
*
放課後、私は一棟四階へ向かった。崎島の言っていたシチュエーションを再現したが、手がかりはつかめなかった。
「推理熱心ね……」
三階へ降りているところに、突然静が現れた。私は奇妙なステップを踏む。階段の縁で静止に成功した。
目線の先には五段の落下。自分が落ちたらと思うと、恐ろしい。
「崎島と約束したからね」
なんでもないように返した。内心なんでも有りすぎるぐらいなのに。
「約束というか……あれは怒っていただけのようにみえたけど……」
階段を下りながら、静が呟く。
「そんなこと、私が一番わかってるよ。でも、やるの。私まで殺されちゃあ嫌だし」
下駄箱で靴を履き替えて、校門前に出る。蛇行して走る自転車の大群の前を横切り、校外に出た。
「殺されない……」
「え?」
「高野さんは大丈夫よ……」
まるで、全てを見透かしているかのような口ぶりだった。命の保証を気味悪がりつつ、静に手を振る。なんとなく、今日はもう別れたい気分だった。
「私も、そっち……」
静は手を振らず、私の横を歩き始めた。
謎の転校生らしく振る舞っているだけなのではと勘ぐってしまう。静はただシャイなだけではない。少し不気味で、災いを引き連れてくる。転校初日からあんなことが起こると、そう考えずにはいられなかった。
静と拳三つ分の距離をとり、白線の内側の内側の内側を歩く。安全圏の深いところに入る。静は私の大移動を不思議そうに見たが、距離を縮めてこようとはしなかった。
「嫌われたのは、初めて……」
静は目を伏せた。そう言われると負い目を感じてしまうのが人間だ。私は謝り、元の距離に戻った。時々肩が触れる。心臓が早鐘を打つ。これじゃあまるで恋愛をしているようだが、ときめきがないドキドキは恋とは呼べない。全身の体温が上がり続けているけれど、これもまた恋ではない。
残暑から、残り物とは思えないほど新鮮な夏の匂いがする。アスファルトから熱気が立ち上って、何度水を飲んでも体は冷めなかった。
体を冷却するように、冷静に返した。「嫌ってるわけじゃない」
静は顔を上げた。
「なら良かった……」
だんだん居心地が悪くなった。校長先生の話を聞かされる時のような気分だ。
「前の高校に友達は?」
沈黙をどうにか打破しようと躍起になったのが間違いだった。思考していたことがそのまま声に出てしまった。後悔してももう遅い。声は静の耳に届いたようで、悲しげな表情を浮かべてから、「いない……」と零した。まあそうよね、とはさすがの私も言えなかった。
「でも、ネットになら……」
言い訳の材料にするにしては苦しい。閉鎖的なコミュニティに向かう静の様子がありありと浮かんだ。
「私の友達にもそういう人がいないわけじゃないし……。良いと思うけど」
当たり障りのない返事を考えることで頭がいっぱいだった。
私自身も、画面の中の友人と話すことがある。バンドの話ができる友達は、身近に少ない。だから、私の言ったことは嘘ではない。そう、嘘ではない……。
しかし、閉鎖的であるという事実は揺るがない。それにこそ馴染みやすさが存在していることは否定できないが。
「じゃあ、また明日……」
静はまるで微風に吹かれた紙のように、スッと離れていった。
「あ、明日は土曜日だけど……」
一応伝えておこうと曲がり角を振り返ると、そこにはもう静の姿はなかった。
*
九月とはいえ、日中の気温は異常なまでに高い。私は逃げ込むようにイオンモールに入った。高校に忘れ物なんかするものではない。
店内はいつも以上に賑わっている。制服を着た男女の塊に羨望の眼差しを向けつつ、二階のフード・コートへ向かった。まるでライブ会場のような人混みに辟易とする。どの店に並んでも、ご飯を受け取るまでにかかる時間は大差ないだろう。空いている席に黒いリュックを置く。貴重品だけ携えてラーメンの列に並んだ。
十五分後、ようやくラーメンを受け取った。こぼさないように席に戻る。
「うわ、静……」
隣のテーブルに見知った顔が座っていた。昨日まで長かった黒髪は、肩の辺りで切りそろえられている。ボブカットだ。私はできるだけ顔を見ないようにしながらテーブルに着いた。向こうが私に気づいていないのがせめてもの救いだった。
「あの、さっきの……私に言った?」
肩が跳ねる。ドーナツを食べ終えた静がじっとこちらを覗き込んでいる。
誤魔化せるとは到底思えなかった。あのヘビのような目を見間違うはずがないし、周りにいたかもしれない同名の人が反応した様子もなかった。
「えっと、同じクラスの……いや、違うクラス……? 名前は……」
静の記憶力を疑った瞬間だ。
「高野結衣。同じクラスだし、席隣同士じゃん」
私は呆れたように言った。
「ああ、そう……申し訳ないわ」
会話が弾まない。私は人並みのコミュニケーション・スキルしか備わっていない。演説のように一人で喋り続けられる能力は持ち合わせていない。相手に話を合わせようにも、相手のことを知らないのでは意味がない。
不気味だからと敬遠せず、こちらから歩み寄れということだろうか。
「静、まだ時間ある?」
席を立とうとする静を呼び止める。
「あるけど……何か用?」
「話そうよ。前空いてるから、座っていいよ」
静が向かいに座る。私から質問を投げかけた。
「本当に趣味とかないの?」
「ないわ……」
「何もないのにネットで友達ができる?」
「適当に、なんか、そう……」
静は困ったような顔をする。私も困っている。
フード・コートの喧騒が二人の間の沈黙を埋めていく。
しばらく考えて、私は提案した。
「じゃあ、来週の放課後ライブ行かない?」
「その日は予定が、ある……」
やんわりと、というより陰鬱な声で断られてしまった。本当に行きたくなさそうだった。
昼食を食べ終えた後、店内をあてもなくぶらついた。静は、百均やスーパーばかりに目を向けた。
「そういえば、昨日のことについてもう少し話したいんだけど」
「犯人がわかった?」
静が珍しく声を上げた。
まだ事件の話題を出してすらいない。やけに事件のことだけ覚えているのは気味が悪かった。
「いや、何も……。ただ、やっぱり静が犯人なんじゃないかな、って……」
「それは、ない……」
*
教室に入った途端、冷気が急激に体を冷やした。
真ん中辺りの席が一番エアコンの風が当たって涼しい。あいにく私は最前列なので、風向きが変わった瞬間のつかの間の天国を味わうことでどうにか生き延びている。静だってそうだ。しかし、彼女は涼し気な顔で本に読み耽っている。隣に座っても、制汗剤の匂いすらしない。
「おはよ」
椅子ごと近づき、本の目線から顔を覗き込む。静は表情を変えないまま「おはよう……」と呟いた。
「やっぱりライブ行ってみようって気になった?」
体が痛みだした。背中を起こして尋ねる。
静は戸惑ったような顔をした。
「やっぱり、ということは、つまり……以前私を誘ったことがある?」
表情から薄々察してはいたが、やはり覚えていなかったか。隣の席なのに名前を忘れられていたことに比べれば、はるかにマシだが。
「一昨日の話!」
私が叫んだところで、教室のドアがガラリと開いた。反射的にドアの方を見れば、崎島が立っていた。
「廊下のほうまで叫び声が聞こえてきたと思えば、高野だったか」
「そ、そんなに大きかった?」
顔が熱くなる。同時にエアコンの風向きが変わった。水をかけられた焚き火のように顔の熱が引いていく。
「大きかった……」
「静は黙ってて」
「楚上、髪短くしたんだな。ますます犯人に見えてくる」
崎島が不服そうに言った。結局、私はからかわれ、静が嫌味を言われただけだった。
「それ以上何か言ったら、犯人教えないよ」
「え、もうわかったのか?」
崎島は目を見開いた。
「まだ」
私は首を振った。
「肩透かしか」
「また嫌味?」
「は?」
「なんでもない」
鞄から教材を引っ張り出す。その間も、静は文字に目を走らせていた。まるで、止まれば死んでしまうマグロのように。彼女は一心不乱に生きようとするマグロのように、目を動かす。
始業まで十五分ある。無意識にイヤホンを取り出していた。曲を選ぶだけで時間が過ぎると判断した。私は黒い楕円形のケースにイヤホンを仕舞い、四階に向かった。
文化部に平日の朝練はない。自主的に行うことも可能だが、そんな部活熱心な生徒が現れるのは数年に一度だ。その見解は先生によってまちまちで、中には二十年に一度現れたら良い方だ、と言う者もいる。
二つ目の渡り廊下を渡り切り、一棟の四階に入る。右に折れて、果てにある階段が私の目的地だ。
階段まで来る。
以前と同じように、検証をしようと一段目を下りる。二段、三段、四段……。
踊り場の床に赤黒い何かが付着している。触ると、ヌメっとした感触が指の腹を伝った。
嫌な予感に目を背けたくなったが、私の足は何故か先へと向かっていた。
踊り場から三階へ視線を向ける。
図書室の前で、何者かが仰向けに倒れている。
私の足は震えながらも、着実にそれに近づいて行く。
背中にナイフが刺さっている。白いワイシャツが、朱色に染め上げられている。
僅かに横に向いた顔を見れば、蒼白だった。
私がしゃがみこんで戦慄していると、図書室から本を抱えた司書が出てきて、悲鳴を上げた。
本は床にバラバラになって落ちた。
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