第140話 白い薔薇と黒い金鳳花

 ネブロシルヴァ領内に構えられた王家保養地は領主である伯爵家の邸宅よりも大きく、そして戦略的観点から見ても優位な位置取りで建設されている。

 普段は王家より派遣された中央貴族が管理しているが、王族専用邸宅には選ばれた人員のみ入邸が許された。


 肝心の管理を任された貴族は、敷地内にある小さな屋敷での暮らしを余儀なくされ、凡雑な領地経営業務は無いものの、任期まで飼い殺しの状態で放置される事となる。

 一見気楽に思えるこの役目も、王族邸に不備や不具合があれば全責任を負う事となり、常に厳しい処罰の影に怯える事になった。


 また王族が入邸した際には、管理している貴族は同じ敷地に存在する事が許されず、即座にその場を離れなければいけない。

 今回の王女の突然の利用に対し、管理貴族は半ば逃げる様に荷物を纏めて別の屋敷へと向かっていった。





 その邸内の一室。

 大きな窓から差し込む月明かりが鎧掛けに置かれた純白の鎧を照らし出し、明かりの無い部屋の光源となっていた。

 その奥で一糸纏わぬ姿で、鍛え抜かれた肉体を暗闇に溶け込ませている男が居た。


 暗闇の中、僅かな明かりであっても身体を視認出来る程の白い肌に輝く白髪。

 青い瞳が部屋の一点を見つめ動かない。


 一定のリズムで部屋に響く皮膚を弾く音。

 時折、小さな反射を起こす紐状の物が暗闇と空気を斬り裂いていた。


 男は全身に傷跡を無数に走らせ、そして破裂音に似た音が響く度にその傷を上書きしていく。

 背中に3回、胸に3回、両足に合計6回。


 自らの手で、自身の肉体に鞭打ちを行う全裸の男。

 そして合計12回の鞭打ちの後、その場で跪いて忠誠を誓う主の名を聖句と共に呟く。


 そして立ち上がり、再び己を責め立てる。

 このような行為が既に3時間ほど続いていた。


 ロサ・アルバはあのオランテとの会談の後、この屋敷に入るや否や、地下牢に繋がれ、そして主の手によって厳しい躾が行われた。

 並みの騎士では身体強化を施しても激痛で意識を失う、場合によっては死に至る程の鞭打ち。


 ロサ・アルバの腕には鎖に繋がった枷が装着され、ラナンキュラスの魔力が籠った魔獣の革で出来た鞭で何度も打たれ続けた。

 しかしロサ・アルバは、この余興半分の王女の躾に対し叫び声を上げる事も無く、忠誠を誓う主からの鞭を心の底から受け入れる。


 激痛と共にその肉体に刻まれる傷は、己の犯した失態に対する贖罪。

 傷が増える度にロサ・アルバは、己を責め、そして慈愛の鞭に感謝をする。


 そして躾が終わり、枷が外されるとロサ・アルバは何事も無かったように服と鎧を身に着け、王女の護衛に戻る。

 彼女も彼の行動に何ら疑問を持つ事無く、地下牢を出て地上階に戻り、用意された部屋に入室した。


 そして今に至る。




 金属の棘が付いた3本の鞭が束ねられたそれは、容易にロサ・アルバの皮膚を傷付け、蚯蚓腫れを作り、そして血を滲ませる。

 様々な長さ太さの古傷の上に刻まれる血の線条。


 しかし彼が一連の鞭打ちを終え、祈りの為に跪くと、その傷口から白い煙が立ち上り始めた。

 そして祈りを終え立ち上がり、再び鞭を握り締めた時には既に先程の傷は僅かな傷跡を残し完全に治癒している。


 ロサ・アルバは自身の魔力が枯渇しない限り、どのような傷でも治癒再生特殊な体質で生まれ落ちた。

 肉体が傷付けば時間を置けば治癒し、肉体を鍛えれば鍛える程、超回復にて即座にその効果が現れる。


 星の落とし子メテオールであり、治癒再生能力レナトゥスを持つ王国最強騎士の一角。



 例え腕が切断されても、傷口が再生し皮膚で覆われるまでに切断面を合わせれば身体機能を含めて回復してしまう。

 しかしその肉体の限界を超える回復や成長する現象は、肉体のみならず精神にも多大な負荷を掛け、特に肉体は自身の魔力供給が間に合わない程に肥大化する可能性を秘めていた。


 よって彼は肉体を傷付ける事を避ける為に常に全身鎧を身に着け、精神を傷付けない為に騎士としての忠誠心と殺意以外の感情、そして殆どの感覚を殺し続けている。

 その為、肉体と精神の両方に掛かる多大な負荷はその髪を白髪に変え、肌の色も年々薄くなっていた。


 自身の能力を活用して騎士の訓練を繰り返した事により、成人した段階で既に王国随一の実力を保持しており、魔力保有量も騎士でありながら、上級魔法師と同程度もしくはそれ以上の容量を誇っている。

 しかしこれは自身の能力の副作用を理解していなかった青年期の鍛錬が原因でもあり、その結果様々な対策を施さなければ寿命その物を縮めかねない諸刃の剣であった。


 自身の戦闘能力を抑えながら、肉体を精神を束縛し続ける20歳の青年。

 ラナンキュラスによる躾や自傷行為の激痛は、唯一自身が人間である、生きていると実感出来る、彼にとっての解放の時間でもあった。


 自らの白い肌に残る古傷は今日まで生きてきた軌跡であり、自身の存在をこの世界に刻み付ける刻印の様なもの。

 小さな傷であれば治癒によって跡形も無く消えてしまい、それは彼にとって耐えがたい物であった。


「...黒騎士」


 ロサ・アルバは鞭を握り締めながら1人呟く。

 自らに容赦なく痛みと傷を与えてくれる、至上の存在である主の心に潜む黒い簒奪者。


 その抑えきれない感情の昂りを表わす様に白い魔力が全身に漲り、治癒再生が加速する。

 その魔力によって治癒再生能力が強化され、古傷すらも消し去ろうとしていた。


 ロサ・アルバはその事に気付くと、即座に精神を殺し、魔力を落ち着かせる。

 そして治癒してしまった古傷の上から、更に傷を作ろうと再び自身の身体を鞭打ち始めた。


 その威力は先程よりも強く、大きな音が夜の部屋に響く。






 ラナンキュラスが就寝前にハーブティを嗜んでいた時、ふとロサ・アルバの魔力の昂りを感じ取ると静かにカップを机に置く。


「ふふ。あの駄犬はここでもやっているのね。久々に貴方の昂りを感じ取れました。いいですよ。もっと痛めつけなさい。例えそれに救いが無くとも苦痛に塗れながら慈悲を請いなさい」


 彼女は微笑を浮かべた顔半分を月明かりで照らされながら、クロムから贈呈された魔力結晶が封入されている魔道具の箱を机の上に置き、恭しくその箱を開けた。


 膨大な魔力放射がラナンキュラスの肉体に浴びせられ、瞳と髪が本人の意思とは無関係に帯電しているかのように緑の光を発しながら励起する。

 身を焦がす程に熱く濃い魔力の波動を全身で感じながら、ラナンキュラスは目を閉じた。


 その暴力的な魔力の波動に身を晒しながら、彼女は黒い騎士の抱擁を想像する。

 全身が砕ける程に強く、心を引き裂かれる程な苦痛を伴う黒騎士の抱擁の中で、歓喜の声を上げる自らの姿を想像した。


黒花騎士アートルム...なんて素晴らしい称号...全てを塗り潰す黒き花。紫でさえも、ほんの一滴で黒に変えてしまう」


 彼女がゆっくりと噛み締めるように言葉を連ねていく。


「もはやこの王国の運命を動かすには“色”が足りないのです。赤でも無く、橙でも無く...そして紫でも無い。白と黒...この原初の色こそ、今必要とされているのです」


 ゆっくりと目を開け、細い指でそっと魔力結晶を撫でるラナンキュラス。


「お父様、お兄様、そしてお母様...罪深い私をお許しください。しかし平和が長すぎたのです。愚かにもその平和の有難みを忘れ、安寧に感謝しない者達が増えすぎてしまいました...」


 彼女は壁に掛けられている王家の紋章が描かれた旗に目線を移す。

 王家の象徴である太陽と剣、そして大輪の蓮の花が描かれた旗。


「どんなに美しい花も、無秩序に咲き誇ればその美しさも失い、そしていずれ全体を枯らす猛毒の元に成り果てます。ならば一度不必要な花は例えどのような苦痛を伴ってでも刈り取らなくてはいけません。それが庭園の美しい風景を一時的に壊す事になろうとも」


 誰一人耳にする事の無い、王女の演説。

 闇の中でその頬が薄く桜色に染まっているのを、本人ですら気が付いていない。






 クロムの為にラナンキュラスが用意した称号“黒花騎士アートルム”。

 ただ花の名を冠する称号は特にこの王国内では珍しくなく、黒はクロムの二つ名である黒騎士に由来する。


 王家のみならず、このテラ・ルーチェ王国において、花の名前を冠した称号や意匠が多いのには理由があった。


 テラ・ルーチェ王国を興した初代女王ミラビリス・ウィリディタース・ソラリス・テラ・ルーチェ。


 彼女は“深緑の魔女ウィリディウィッチア”と呼ばれ、様々な草花や木々、穀物をこの国に産み落とし、根付かせたと言われている。

 特に花に関しては初代女王に対する敬意、畏敬の念と共に、創生及び建国の歴史の上で非常に重要な物として捉えている。


 それに準ずる形で、初代女王の面影を持つ緑の末裔ウィリディス等の特殊な血の系譜を重んじていた。


 そしてその歴史の中で、王家創設時からミラビリス王城内に存在する神星煌花庭園ステラ・ガル・エデンと呼ばれる庭園が存在する。


 初代女王ミラビリスが造り出したとされるその庭園は、女王自らが種を蒔き、育てた多種多様の草花や木々が植えられており、その数と種類はは数百、数千にも及ぶ。

 その余りの数の多さに、未だに品種、名前が決まっておらず、分類もされない正体不明のものも数多く存在する。


 どの草花も庭園建設から1000年以上、独自の生命サイクルで生き続けており、中には植えられた当時のものが成長を続けているものもある。

 王族の中でも限られた者のみが立ち入りを許され、その庭園を管理する庭師は王族の中から選抜される。

 そして一度抜擢されれば、その生涯をその庭園の中で過ごす事になった。


 四季折々の花が咲き乱れ、地上の楽園とも称される庭園の中で、世界とは隔離された1つの生態系が構築されている。


 そこに約30年周期で、たった1日、月の無い夜の中でのみ数時間だけ咲く1輪の花があった。

 その花は様々な色彩の種が存在し、それが咲いている区画には他の種類の草花は決して育つ事は無い。


 月明かりが全く無い、星の明かりのみの夜に咲く1輪の“黒い花”。

 庭園誕生時から何故か枯れる事無く存在する遺物とも言える花。

 無数の同種が咲き乱れるその中で、闇夜に咲く黒一点。


 その花の名は“金鳳花ラナンキュラス”という。






 決して色褪せず、他者を寄せ付けないその気高く美しい花の名を冠するテラ・ルーチェ王国第1王女ラナンキュラス。


 第1王女が持つ白き剣、白薔薇ロサ・アルバ

白花騎士ラナンキュラス・アルブム・エクエス


 そして彼女がクロムに与えようとしている称号“黒花騎士アートルム”のもう1つの意味。

黒花騎士ラナンキュラス・アーテル・エクエス


 ラナンキュラスがもう片方の手に握ろうとしているのは、白い最強の騎士と対を成す、黒い最凶の暴力装置だった。

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