第5話 イオナとノアとウィゼルの町、朝:後編

 朝食を終えて活力を得たイオナとノアはウィゼルの町を散策していた。

 今、ウィゼルの空は快晴である。


 「クッキーがあるところに行きたい」

 「連れてったげるからもうちょっとだけ待っときー」

 「待つと何がある?」

 「焼き立てのクッキーが買える」

 「焼き立て……」


 イオナの言葉にノアは目を輝かせた。

 昨夜のクッキーの製作者はイオナの知り合いであり、イオナはクッキーが焼きあがる時刻をおおよそ把握している。

 そしてその時刻まではまだ幾分か余裕があった。


 「先にウチが行きたいところあるからそっち行こ」

 「うん」


 ノアを諭すとイオナは彼女を服屋へと連れていった。

 イオナにとってまずはノアの身なりをどうにかする方が先決であった。


 「いらっしゃいませー。あっイオナじゃーん、どうしたん?」

 「おっはー。いきなりなんだけどこの子の丈に合った服を見繕ってあげてくんない?」


 服屋のスタッフとイオナは親しげに挨拶をするとイオナは早速用件を伝えた。

 このスタッフもイオナとは顔見知りであり、二人の仲は良好である。

 

 「どうしたのこの子」

 「昨日迷子になってたところを拾ってさ、ウチが保護してる」

 「なるほどね、予算はどれぐらいで考えてる?」

 「なるべく安めでよろ」

 「オッケー、任しといて」


 スタッフはイオナと話を擦り合わせると早速仕事に取り掛かった。

 様々な試行錯誤の末、ノアの身なりが見違えるように綺麗になっていく。


 「これでどうよ」

 「超いいじゃーん!やっぱ天才だわ!」

 「気になるお値段はなんとー……じゃーん!」

 「マジかー⁉︎まぁいいや、これぐらい出したるわー!」

 「イオナの羽振りがいいところマジですこだわー。あざーっす!」


 スタッフとのほぼ勢いのやり取りの末、イオナはノアの服を数着購入した。

 当初の予定よりもかなりお金が飛んだがイオナの収入的にはなんとでもなる範疇である。


 「どうよ、新しい服は」

 「ん、前より動きやすい」


 イオナが見繕った新しい衣服の評価はノアからは上々であった。

 ぼろきれ同然であったさっきまでの衣服としっかり作られた店売りの衣服とではその着心地は雲泥の差である。

 何よりも周囲からの見る目が変わるのがイオナにとっても大きかった。

 

 「んじゃそろそろ行きますかー」

 「クッキーのところ?」

 「そ、もういい時間だしねー」


 自分が優先させたい用事を済ませたイオナはノアの手を引いてさっきとは反対方向に足を進めた。

 もうすぐクッキーが焼き上がる時刻であり、いまから向かえば余裕をもって間に合う。

 

 時刻は午前十時前、イオナはノアを連れてとある工房へとやって来た。

 そこはイオナの知り合いが営む菓子の工房であった。

 建物の周囲からは煙突から解き放たれたバターの香りが漂っており、人がまばらに出入りしている。


 「クッキーの匂いがする」

 「今焼き上がった頃じゃないかなー。じゃあここに入ってみよー」 

 「うん」


 イオナはノアと一緒に建物へと入っていった。

 ノアの表情はほとんど動いておらず相変わらずの無表情だがその様子は明らかに期待を寄せているように見えた。


 「ちーっす!」

 「あーどうもイオナさん、パティシエならちょうどそこに。今呼んできますね」

 

 イオナが工房に入ると制服姿のスタッフがイオナに挨拶し、パティシエなる人物へと繋いだ。

 その数秒後、入れ替わるようにスタッフと同じ制服に赤いスカーフを巻いた若い男がイオナの前にやってきた。

 彼こそが昨夜のクッキーの作者にしてこの工房の主、ユリウスである。

 イオナとは知り合いであり、彼女は探偵事務所のお茶の付け合わせとしてユリウスの作る菓子を重用するお得意様であった。


 「やぁやぁイオナ君、今日はちょうど新作が完成したところでね」

 「マジー!?超ラッキー!」


 ユリウスはイオナに声をかけると新作の試食を提案してきた。

 彼は思いつきで新しいお菓子を作ってはイオナに試食をさせており、イオナもまたユリウスの作るお菓子を楽しみにしている関係である。


 「なにこれ?」

 「砂糖を色付けして固めたお菓子さ。所謂『食べられる飾り』って奴だよ」


 ユリウスの新作は砂糖菓子であった。

 彼の手にした小皿には赤、黄、白など明るい色をした半透明の小さな宝石のような塊がいくつも盛られていた。

 これらすべてが砂糖の塊である。


 「あっま……疲れには効きそうだけど毎日食べたらマジ太りそう」

 「いつも率直な感想助かるよ。これはより小さくした方がよさそうだねぇ」

 「それな!」


 イオナはユリウスの新作を一つ口にして感想を伝えた。

 砂糖菓子を食べたイオナの口の中では甘みがこれでもかというほどに渋滞を起こしており、おまけに喉がべたつく上に口の中の水分が容赦なく砂糖に奪われるせいで飲み込む途中で閊えそうになった。

 そんな彼女の様子を見たユリウスは早速新作の改善案を考えた。


 「ところで今日は見慣れない子を連れているようだが」

 「この子ねー、今ウチが預かってる子でさ、アンタの作ったクッキーを気に入ったみたいだから連れてきたの」

 「初めまして。この工房の責任者のユリウスだ」

 「私はノア。初めまして」


 ユリウスとノアは互いに挨拶を交わして顔見知りの関係となった。

 ノアははユリウスにさっそく話を振った。


 「昨日イオナの家でユリウスの作ったクッキーを食べた」

 「ほう。美味しかったかい?」

 「すごく美味しかった。だからもっと食べたい」

 「そう言ってもらえると嬉しいねぇ」


 ノアはユリウスに昨夜の体験を語り、ユリウスはそれに相槌を打つ。

 イオナはそんな二人のやり取りをニコニコしながら見守る。


 「とゆーカンジでさ、チョコクッキーを買いに来たってわけ」

 「なるほど。だから焼きたてができるこの時間に来たと」

 「そーゆーことだからさ。チョコクッキー二袋ちょうだい」


 イオナはユリウスにチョコクッキーを要求した。

 それと同時に工房にある他の菓子も物色し、それなりの量を買い揃える。

 チョコクッキー一袋はノアの分だがそれ以外は事務所の来客に出すお茶の付け合わせ用である。


 「はいそうぞ」

 「袋が温かい」

 

 ユリウスは焼きたてのチョコクッキーを紙袋に包むとそれをノアに手渡した。

 ノアは紙袋越しに指先に伝わるクッキーの熱に大はしゃぎである。


 「食べてみー。焼きたては別格だから」


 イオナはその場で食べることを許可するとノアは紙袋の中からクッキーを一枚手に取り、それを齧った。


 「……!昨日のより美味しい」

 「焼きたてはバターのコクとチョコの甘みがより引き立つからねぇ。喜んでもらえて僕も嬉しいよ」


 ノアは焼きたてのチョコクッキーの味を絶賛し、それを聞いたユリウスは軽く蘊蓄を語ると腰を落としてノアの頭を軽く撫でながら感謝を伝えた。


 「ところでなんだけどさ。ユリウスはこの子見たことある?」

 「ないかなぁ。似たような子も見たことないねぇ」


 イオナが尋ねるとユリウスはあっさりと答えた。

 ユリウスも仕事の都合で客の顔をある程度は覚えるのだがノアのような子を見るのは今日が初めてであった。



 「そっかー、協力あざっす」

 「じゃあね」

 「ありがとうござました。今後ともごひいきに」


 工房での買い物を済ませたイオナはユリウスに別れを告げた。

 ユリウスはノアを一瞥すると小さく手を振り、イオナとノアの後姿を見送るのであった。

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