第4話 イオナとノアとウィゼルの町、朝:前編
イオナとノアが同じ屋根の下で一夜を共にした翌朝、イオナは朝七時に目を覚ました。
彼女は仕事柄常にこれぐらいの時間に目を覚ます。
「ふわぁ……おはよーノアちゃん……ってまだ寝てるかぁ」
イオナは上半身を起こして大きく伸びと欠伸をしてからノアの方を見るがノアはまだ静かに寝息を立てていた。
昨日はずぶ濡れになっていた上に雨が止んでからずいぶんと連れ回してしまったため疲れていたのだろう。
そう考えたイオナはノアを無理に起こさずに自分の身支度を整え始めた。
今日は仕事をしない日にすると決めていたが、かといって何もしない日というわけではない。
歯を磨き、顔を洗い、寝癖を治して眉とまつ毛を整えるとドレッサーの前でメイクを始めた。
彼女にとって外行きのための外見作りはとても重要な行動である。
「……よっしゃ!」
メイク開始から数十分、鏡を見て納得のいく状態に仕上がったイオナは両手で頰を軽く叩いて気合いを入れた。
時刻が朝八時に差し掛かろうとしていた頃、イオナに遅れる形でノアは目を覚ました。
寝起きが悪いのか、彼女は普段以上に眠そうな表情で明後日の方向をぼんやりと眺めている。
(うわぁ、超かーいー……)
ノアが起床したのに気づいたイオナはノアの姿に思わず見とれた。
丈の合わないイオナの寝間着を身にまとい、寝起きでぼんやりしており完全な無防備さを晒しだしているノアの姿はイオナの中の庇護欲を掻き立てた。
「おはよーノアちゃん。昨夜はよく眠れた?」
「おはようイオナ。ちゃんと眠れたよ」
ノアは寝ぼけ眼を両手で擦ると昨日の昼間と同じぐらいの大きさに目を開いた。
眠れたという言葉に嘘偽りがないことはイオナにも見て取れた。
「朝ごはん食べに行こ。ちゃんとしたもの食べさせたげる」
「うん」
イオナはノアの身支度を軽く整えてやると彼女を連れて外へと出た。
朝食を求めていく先はイオナの中ですでに決定されており、足取りは早かった。
「昨日の場所」
「よく覚えてんじゃん。そ、昨日の喫茶店」
ノアを連れてイオナが訪れたのは昨日の昼間に雨宿りをした喫茶店であった。
ここは定休日以外は朝早くから営業されており、今日は営業日である。
「おっはよーオーナー!」
イオナは喫茶店の扉を勢いよく開くとオーナーに挨拶をした。
ニ、三人程度の客がまばらに注文したものを嗜んでいた静かな店内が彼女の一声で一気に明るくなる。
「おはようございますイオナちゃん。モーニングをお求めで?」
「そーゆーコト。ノアちゃんの分もお願いね」
イオナの声を聴いたオーナーは彼女が求めるものをわかっていると言わんばかりに尋ねるとイオナは想像通りの答えを返した。
自炊能力のないイオナはモーニングを求めて定休日以外は毎日のように朝この店を訪れる。
今回もそれであった。
イオーナからの注文を確認したオーナーは静かに厨房へと消えていった。
「ここは静か」
「まーここはそーゆー店だしねー。ぶっちゃけウチの方が珍しいってカンジ」
「あの人は何飲んでるの?」
「コーヒーだねー。眠気覚ましで飲む人が多いけど苦いからウチは苦手かなー」
ノアは店内の風景に興味を示してイオナに尋ねた。
その挙動は物心がついたばかりの子供のようでなんとも愛らしさを感じさせる。
「私もコーヒー飲んでみたい」
「マジー!?まー飲みたいなら止めはしないけどさ……」
イオナはノアの好奇心に難色を示しつつも止めることはしなかった。
きっとノアは自分が気になったものは自分で試してみたいタイプなのだろう。
そうであるならば言葉で律するのは難しいし、実際に体験させた方が彼女のためであった。
「オーナー、コーヒーおねがーい!砂糖とシロップも付けてねー!」
イオナは席についたまま厨房の奥のオーナーに追加で注文をつけた。
自分でさえ苦手意識を覚えるコーヒーの独特な味をまだ幼いノアが楽しめるとは思えなかったため、保険をかけて味を調整するための砂糖とシロップも一緒である。
最初の注文から数分後、オーナーがトレーを両手で持ってイオナとノアの座す席までやってきた。
「お待たせしました。モーニングとコーヒーです」
オーナーはトレーに乗っていたものをテーブルの上へと移した。
パンと野菜入りポトフ、スクランプルエッグに焼きベーコン、これがこの店のモーニングメニューである。
そこにミルクを一杯付け加えるのがイオナの朝食の鉄板であった。
「コーヒーはどちらへ?」
「ノアちゃんのところに置いたげて。飲んでみたいんだってさ」
「そうでしたか。まだ淹れたてで熱いので飲むときはお気をつけて」
「うん」
オーナーはコーヒーの注がれたカップをノアの前に差し出し、その横に調味用の角砂糖とシロップ、それらを混ぜるためのスプーンを添えるとどこかへと消えていった。
ノアは自分の前に置かれたカップの上から興味津々な様子でコーヒーを覗き込む。
「昨夜食べたクッキーと色が似てる」
「似てるのは色だけだよー。まずは一口だけ飲んでみ」
ノアはイオナに促されるままにカップを手に取り、湯気の立つコーヒーを静かに口につけた。
「思ってたのと違う」
「でしょー。これで味変えれるから突っ込んどきー」
ノアは初めてのコーヒーの味に何とも言えない反応を見せた。
表情こそ変わらないが声が明らかにワントーン低くなっており、残念と感じているのは明白であった。
それを見たイオナはスプーンで角砂糖を切り崩してコーヒーの中に入れ、さらにシロップを足してかき混ぜた。
角砂糖を半分ほどとシロップでがっつり甘みを足し、モーニングを挟んで後味をごまかすことでようやくノアはコーヒーを飲みきることができた。
イオナの予想通り、ノアにコーヒーはまだ早かったのである。
「ごちそうさまー!お金置いとくねー!」
二人が朝食を食べきったところでイオナは二人分の朝食代をおつりなく支払い、オーナーがお金を回収するのを待たずに喫茶店を後にした。
「このあとはどこ行くの?」
「町を歩きながら手がかり探しかなー。もしかしたらノアちゃんが覚えてるものが見つかるかもしれないし」
イオナはこの後も町を探索するつもりであった。
建前上は休日ということにしているが実際のところは給料の出ない仕事をしているに等しい。
「クッキー買った場所にも行く?」
「もちろん。このあと連れてったげるー」
「嬉しい」
イオナはノアと手をつないでウィゼルの町の通りへと繰り出していったのであった。
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