第3話 イオナの家

 「到着ー、ここがウチの家ー」


 空の色が茜色から宵色に染まりかけていた頃、イオナはノアを連れて自宅へとたどり着いた。

 イオナは玄関にかけていた『探偵不在』と書かれた札を外すと施錠を解除し、家の中へと足を踏み入れると部屋の明かりをつけた。


 ノアはイオナの家の内装をキョロキョロと見回した。

 深く腰を下ろせる脚が低めのソファが二つ向かい合うように設置されており、その間にはそれに高さを合わせられているローテーブルがある。

 それとは別に部屋の片隅には個掛けになっている椅子とデスクもあった。

 生活感の感じられない無機的なその場所はおおよそ『人が住む場所』ではなかった。


 「ここはウチの仕事場、住居は二階なんだよねー」


 イオナは上着を個掛けの椅子にかけると入口とは別のドアを開き、その奥にある階段を登ってノアを二階へと案内した。

 イオナの言葉通り、この家の一階は来客の応対や資料整理をするための仕事場であり、その上の二階が寝食のための空間になっていた。


 「ここがイオナが住んでる場所?」

 「そ、いろいろあってかーいーっしょ。あ、靴は脱いでねー」


 イオナの自室は一階とは打って変わって明るい雰囲気が漂っていた。

 床には真っ白でふかふかの絨毯が敷かれており、白やピンクを基調とした小物が無数にある。

 壁沿いには一階になかったベッドがあり、その側には一人用のミニテーブルとランプもある。

 ベッドと反対側の壁沿いにはドレッサーが設置されており、その上には小瓶や小道具が埋め尽くすように置かれていた。


 「何か食べ物持ってくるからさ、ノアちゃんはそこでゆっくりくつろいでてよ」


 イオナはノアにくつろぐように促すと自室の戸棚を漁りだした。

 ノアは言われるがままにベッドの上にちょこんと座り、首を傾げながらイオナのことを眺めている。


 「お待たせー。ウチ、ちゃんとした料理なんてできないからこんなものしか出せないけど食べてよ。明日はちゃんとしたもの食べさせたげるから」


 戸棚を漁ってきたイオナはテーブルに小さな紙袋に包まれたお菓子を置いた。

 それは元々来客との談合の際にお茶の付け合わせとして用意していたものであった。

 イオナは自負するようにお茶を淹れるぐらいしか料理らしいことができないため、ありあわせのものしか出せなかった。


 ノアが紙袋の中を覗き込むと、そこにはチョコレートのチップが埋め込まれた一口サイズのクッキーが何枚も入っていた。

 紙袋の中からバターとチョコレートの香りが広がり、ノアの嗅覚を通じて食欲に訴えかけてくる。

 ノアは好奇心のままにクッキーを一枚手に取るとそれを小さく噛み砕いた。


 「……!」


 クッキーを口に入れたノアの目が心なしか少し大きく開いたように見えた。

 

 「どうよ、美味しい?」

 「うん。美味しい」

 

 ノアはチョコクッキーの味を気に入ったようであった。

 一口、また一口とクッキーを口に運び込む彼女の姿はイオナにはとても愛らしく見えた。

 気がつけば紙袋の中のクッキーはきれいさっぱりなくなっていた。


 「美味しかった」

 「でしょー。それ、ウチの友達がやってる店で買ったんだー。今度連れてったげる」

 「本当。楽しみ」


 イオナがクッキーの入手経路を語るとノアは意外にも食い気味な反応を見せた。

 クッキーの味がよほど気に入ったようであった。


 「シャワー浴びてさっぱりしよー。着替えは……明日調達したげる」


 イオナはノアを浴室へと連れていった。

 ノアが昼間に雨に打たれていたこともあり、彼女の清潔を保ってやりたかったのである。

 ノアの身の丈に合う着替えは持っていないため、下着以外はイオナのものを使用して明日調達することにした。


 イオナはノアの服を脱がすと浴室でシャワーを浴びさせた。

 その最中、イオナはノアの身体を流しながら彼女の全身をくまなく観察した。

 肌には擦り傷や打撲の痕はまったく見受けられず、過去に暴力を受けていた可能性はまずないといってもよかった。

 体型は華奢ではあるが病的というほどでもなく、発育は外見年齢相応で片付けられる範疇である。

 

 (記憶喪失の迷子ってどんな状況でそうなるん……?)


 考えれば考えるほどイオナの中でノアの謎は深まっていった。

 考えうる限りの記憶喪失を起こす現象に遭遇した痕跡はまったくなく、なぜノアがそうなってしまったのかは何の見当もつかない。


 「超きれーな肌してんねぇ。髪も傷んでないし、どうやってケアしてたのか教えてほしー」

 「それはわからない」

 「そりゃそうだよねー」


 シャワーで汗を洗い流し、髪を手入れしてやったところでイオナはノアの身体をタオルで拭いてやった。

 あとは寝るのみである。


 「何してるの」

 「香水使ってんの。これの匂いで気持ちが落ち着いて朝までぐっすりできるから」

 

 イオナは手のひらに香水を数滴落として肌に揉み込んでいた。

 植物由来の香りは彼女の安眠の友である。


 「ん、一緒に寝る」

 「ベッド狭いけどだいじょぶ?」

 「平気。一緒がいい」


 ノアはイオナをベッドに呼びつけた。

 はじめはノア一人にベッドを使わせて自分は床で寝るつもりだったが本人の希望であれば致し方がない。

 ノアの可愛げのある振る舞いにイオナはときめきが止まらなくなってしまった。



 「んじゃ寝るよー。おやすみー」

 「うん、おやすみ」


 イオナは部屋の明かりを消すとノアと寄り添うようにして眠りについたのであった。

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