それだけで
日野田先輩が聞いた先生からの言葉は、自分を納得させることができたのか。
それは僕らには推し量ることなんかできるはずもなく、翌日の部活に彼女が来ることは無かった。
その代わりというのだろうか、普段来るはずのなかった先生がひどく疲れた顔をしたまま部室に入ってきた。
「みなさん、こんにちは」
全員が訪れることが無いはずだと思っていた人の来訪に驚きを隠せずに固まる。しばらくして篠原先輩があいさつをしたことでその硬直は解けていく。
「わたしもこんなタイミングで来るべきではないというのは分かっているのですが、これも仕事なので。文集の一旦の進捗状況を伺っても良いですか?日野田さんがこのまま部活動に参加しないという場合のことも視野に入れないかもしれないと思ったのでここに来たので」
恐らく全員がその内容について先生に問い詰めても良かったはずだ。
だが篠原先輩はまるでそんなこと僕たちの頭の中にはないかのような対応を始めたので他の生徒もそれに倣った対応をした。それが終わると、先生はまるで逃げるように部室から去っていく。
重苦しい空気だけが部室に残り、さっきまで明るく話を先輩方と交わしていた朱莉でさえ口を開けないでいる。目配せを送っても彼女はうんうんと首を横に振るばかりでとてもじゃないが最初に口を開きたくはない。
だがまたしても一番に言葉を放ったのは篠原先輩だった。
「というわけでだ、あんな先生のことなんかを気にしている暇があったら早く原稿を仕上げるんだ。小此木はともかく、八坂は遅すぎる。印刷会社に出すまでには完璧にしておかないといけないんだから月末までには絶対に終わらせといてくれよ」
二人ははいはいと言った様子でまた机に向かう。
だがその言葉は自分たちにも跳ね返ってくる。こっちも日野田先輩たちと一緒にその期日までには仕上げないといけないんだから。
「とりあえず、当面の方針としてはもし日野田先輩がこのままドロップアウトした場合の代替案を考えることと、先輩を探しに行くこと。この二つだが、お前たちはどっちがしたい?」
ホワイトボードに書かれた二つをペンでさして選ばせようとするが、ほとんど一択みたいなものだ。
「………先輩を探しに行きます」
「決まりだ、行くぞ」
とはいっても、先輩が学校に来ているのかすら分からないのにどうしようか。
抜かりない先輩のことだからそんなことも知っていたりしないのかなと聞いてみたら本当に知っていた。どうやらさっき他の先輩が部室に来る途中で先輩を見つけたらしい。篠原先輩はなんで声をその時かけなかったんだとぼやいていたが、とりあえず学校にいるならすんなり話はうまくいくかもしれない。
黙々と歩く先輩の後ろを僕と朱莉はただ黙ってついていく。だが気になって我慢できなくなった朱莉は先輩に聞いた。
「どこに向かってるんですか?」
「先輩はこの学校に多くのサボり場所を持っている。だからそれをしらみつぶしに回るだけだ」
割と単純だった。そして、なんでサボり場所を全部知ってるんだろうというのが頭に浮かんだけどそれは今はいい。
取り壊し予定のプールサイド、生い茂る木々に隠されて存在している謎の東屋、少数精鋭の部活の活動場所故にたいがいは空きっぱになってる小屋。本当にしらみつぶしに探していった。
でもどこにもいない。一応靴箱を見てみたけど靴はあるから学校にはいるはずなのになんで見つからないんだろう。
「ここにいなかったらもう俺は知らん」
そう言いながら階段を登る先輩も、見つからなさ過ぎてさすがに声にも疲れが出ていた。階段を登りきって屋上の扉が見える。鍵は錠がかけてあったがそれは飾りで鍵はかかっていなかった。
「あれ、どうしたの三人とも」
先輩は寝ていた。しかもなんか気持ちよさげに。
日陰にタオルを敷いてこちらに頭を向けながらただ寝ていた。反対側だったら大変なことになっていただろうな。
起き上がった先輩は髪を耳にかけながらタオルを畳んでいく。
「こんなところで何をしてるんですか。みんな心配してますよ」
「うっそだぁー。絶対あんまり心配してないよ。……ごめんね、頼りない先輩で」
急にそんなに弱弱しく鳴られるとどうすればいいか分からない。
「とりあえず部室に戻りませんか?」
当たり障りない言葉に彼女は苦笑いしながら頷いてタオルを持ってこっちに向かってくる。だけど一緒に戻ると思った瞬間に彼女が放った言葉でその足を追えなくなった。
「私のせいで先輩は辞めたの。だから、私はもう部活にいれない」
「何を聞いたんですか。それを聞かないと辞めるなんて許さないです」
逃げようとした日野田先輩の腕をしっかり握る篠原先輩。
一瞬振り向いた瞬間に見えた先輩の涙で狼狽えたように見えたけど手だけは離さない。やがて落ち着いた彼女はゆっくりと力を抜く。こんなところで話す内容でもないからとちょうど何もない下の階にある部屋で先生から聞いたことを僕たちに話す。
「だからもう部活には行けない。分かってくれたよね」
確かに自分のせいで部活に来なくなったと思ったら行けなくなるのも無理ないかなと自分では思ったけど、その矢先に篠原先輩が遮るように言った。
「そんなわけないじゃないですか。どうしてそんな解釈になるんですか」
「えっ?」
「むしろ部活に居続けないとけないと思いますよ。この際だからはっきり言っておきますけど、先輩ってその部長のことが好きだったんですよね」
「えっ!」
今度は驚いて顔を真っ赤にした。
それが肯定していることだと受け取って篠原先輩は続けた。
「そんなことがあった部長が最後に残しておいたのがあの文集の言葉なんだとしたら、先輩は余計に知らないといけないですよね。そしてちゃんと文集にして示してください。先輩の答えを」
そう。まだ終わってないやるならちゃんとしてから終わらないと。
かつての部長がそうしたように。
「…………分かった。ごめんね、自分勝手なことをしそうになってたよ。ありがとう篠原」
「そうですよ。でも自分勝手なのはいつも通りなので気にしてないです」
「えっ、ちょっと待ってよ。私そんなに自分勝手だった?」
やっと空気が軽くなった。二人はまた他愛もないことを言い合えるような雰囲気になって僕たちも安心する。そんなやり取りをしていた先輩がこちらを向く。
「二人もありがとう。こんな私を探すためにわざわざ来てくれたみたいで」
「そんなことは……ありますけど、この際別にいいですよ。それよりもやる気にはなりましたか?」
「うん、もちろんだよ。私は先輩ほど優れてるわけじゃないけどやれることのことはやる」
部室に戻ると、休憩をしていた二人が篠原先輩が来たと思って姿勢を正そうとしたけど、日野田先輩を見てびっくりした様子だったが、すぐに「おかえり」と声を掛けて埋まっていた先輩の特等席を開けた。
「さて、いろいろあったけどここからはちゃんとやろうか。部長だからね」
笑いが起こったがそれは温かい空気に包まれる。ホワイトボードには進捗が各々書かれていたが、それを見て先輩は自分の担当の場所を線で引く。
「もう時間が無い中でごめん。でも私も書きたいものができたの。絶対に間に合わせるから、内容を変えてもいいかな?」
その眼にはいつもの気怠さなど微塵もない。何かを書くという強い意志がこもった目だった。
「もちろん、良いですよ」
「ということで、二人には重大任務を与えます」
ビッっと指が向いた先はまさかの僕と朱莉だった。
「なんですか」
「この通り、スケジュールは日々厳しいものになってるよね」
「……はい」
「だから、君達には文集のタイトルを考えてもらいたいんだ」
「「えっ?」」
そんな重大なものを幽霊部員と入って一月もしてない部員に任せていいものなのだろうか。
「でもそれは」
さすがの篠原先輩もそれには驚いて何かを言いたげだったが、先輩が手を出したので良い留まる。
「分かってるよ。文集のタイトルを考えるのは歴代の文集から続く伝統だからね。だから最終判断はもちろん私が決めるよ。だけどその前に、私の書く小説は先輩に見せれないと意味がない。だから君達が先輩と会って文化祭に来てもらうように説得してもらえないかな」
そんな重大なこと、僕たちでいいのか?
でも先輩が文集に書く小説を書く時間を考えれば、説得に時間をかけるわけにもいかない。それに何より先輩は先生との因縁がまだ残ってるはず。だったら僕たちが行くべきなのか。でも面識のない人の話なんかで行こうなんて言う気になるのか…………。
考えている間に朱莉が一言「分かりました」で済ませてしまった。
「いいよね、春くん」
「え、まぁそうだね」
「よし。じゃあ決まりね。みんなそれぞれやることあるだろうけど頑張ろう!じゃあ今日は解散!」
篠原先輩の仕事がなくなったという話なら、日野田先輩の監視役を務めることになった。なんだかんだこの部活で今文才があるのは彼だ。それに、時間に間に合わないようでは意味がないんでね。
「ということで、お願いね篠原」
「はぁ、分かりましたよ」
八月の頭。締め切りまで残り数週間。
やることは山積みだ。
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