愚かな善行
「こんにちは!」
「ん、入部希望者かい?」
「はい!私、日野田夏鈴です!ここって文芸部であってますよね?」
僕と彼女との出会いはシンプルで。だからこそ、そんな何でもない場面で作ったその思い出が脳裏に焼き付いたのかもしれない。
「そうだよ。嬉しいなぁ。今年はもう入部希望者が来てくれるなんて。ささっ、入って入って。そんなに広くない部室だけど遠慮なく過ごしてよ」
その日に部室を訪れた新入生は一人。他の部員は外で勧誘をしていたから僕だけがここに残って入部希望者と話をする予定だったけど、最後まで彼女は残って色々な話をした。
「君は、文章を読むのが好き?それとも、書くのが好き?」
「私、もともと本を読むのが苦手で……。でも最近はいろいろと読んでみているんです。だからとりあえず文豪って言われてる人たちの本をなんとなくで選んで読んでるんですけど」
「ちなみに、今は何を読んでるの?」
「……泉鏡花の『高野聖』です。でも難しくてあんまり読み進められてないんですけどね」
「それは……確かにあんまり初心者向けじゃないかもしれない。慣れが必要な作家っていうのは多少なりともいるからね。気軽に読むっていうのもあれだけど、そこまで身構えずに読めるのはやっぱり夏目漱石とか宮沢賢治とかじゃないかな。ちょうど部室にいるし、よければ貸そうか?」
「え、良いんですか!」
「もちろん。またその本を返しに来てくれたら嬉しいな。その時は、その紙にも書いてきてくれると僕は喜ぶけど」
久しぶりに文芸部らしいことができた。そう僕は思い帰ってきた他の部員たちにもその話をすると「どうだかな」といった反応をされた。
「今どき、そんな現代文学を読む人なんてあんまりいないからなぁ。そもそも本を月に一冊読む人だってあんまりいない時代なんだ。昔の人の本を読むのなんて簡単なことじゃないと俺は思うな」
「でもまぁ、希望はあるかもよ?少しでも読むことが習慣になればいつかは知ることが出来る。読み解けない文学なんて私はないと思うし」
そうして彼らの期待と諦めを背負った彼女は、こうして今再び部室に訪れている。
「本当に来てくれたんだ。ありがとう!」
大袈裟に見えてしまうほどに喜んだ僕を見て彼女は唖然としたまま動けないでいるのを見て、同輩が僕の頭を叩いた。
「困ってるぞ、後輩が」
「あっ、ああ!ごめんごめん。そうだね先に中に入ってもらおう」
手順も何もぐちゃぐちゃ。嬉しさに慌ててしまった僕は彼女の手を引いて中に引き入れようとしたけど、その腕は引き寄せられる。
「これっ!.........凄く読みやすくて、面白かったです」
そう言って彼女はおすすめした本を僕に渡した。僕に感想を一生懸命に伝える彼女のそんな表情がどうしようもなく輝いて見えてその本を受け取っても心ここに在らずのような感覚になる。
「おい、部長が呼んでるぞ」
もっと彼女と会話を交わしたかったが、先輩に呼ばれては仕方ない。彼女は一人で文字で埋め尽くされた紙に向き合っていた。
「あぁ、やっと来てくれた窪田くん」
彼女は顔を上げて微笑む。柚原先輩、もとい部長はいつもこんな調子だ。穏やかな雰囲気なんだけど何か文章と向き合う時だけは誰よりも真剣になる。本当に文芸部の部長のような人だ。
「どうしたんですか?今、入部するかもしれない子が来てて僕が勧誘した日に話をした子なのでもう少し話を深めたいと思ってr」
そこまで話したところで彼女は人差し指を唇に当てて「シーっ」というジェスチャーをした。
「窪田くんは気にすることないよ。きっとあの子は入部するはずだから。それよりもさ、今年の文化祭に載せる小説の初稿はできた?」
「あっ.....えっと。.....もう少し待ってくれますか?夏休み前には仕上げるので」
「もう。そう言って去年もギリギリだったよね窪田くんは。でも良いよ代わりに、ハードルが上がることは忘れないでよね」
話が終わると、彼女は再び視線を紙に戻してゆっくりとその原稿用紙を捲り始めた。
まだ彼女は帰っていないかな、と思いながら扉を開けると彼女はまだ居た。他の部員と仲睦まじくしているのを見て安心しながらその輪に僕も入る。
「あっ、先輩!これって先輩が書いた文章なんですか?」
そう言って見せてきたのは去年の文集で開いているのは僕のページだ。
「えっ、誰だよ僕のとこを見せたのは」
「俺だ」
「恥ずかしいからやめてくれ」
「でも夏鈴ちゃんが見たがってたから」
彼女を見るとまた目が合って微笑む。そんな事で僕の顔は綻んでしまった。
「おい、ニヤけるなよ」
「ニヤけてないだろ。そんなことはどうでもいいよ。日野田さんは入部するつもりになった?」
「はいっ!ちゃんと入部届も持ってきましたよ!」
彼女の手にはちゃんと入部届があった。僕はそれを受け取ると集中している部長に渡してすぐに部屋を出る。
「日野田さんは、この部活で何をしたいの?」
質問をした後で、僕はめんどくさかったかなと思ってしまった。こんなこと、入部して早々に聞くことじゃなかったかもしれない。
「そうですね.....。強いて言うなら、先輩みたいになりたいです」
「わあ、だいたん」
「良かったな利光」
二人にいじられつつも、内心そんな返答を貰えたのが嬉しかった。だからこそ、そう遠くない未来であんなことになってしまうのを止められなかったことを悔やむ。
今年の文集に書く小説のテーマは冒険譚と既に決まっていた。だけど同時に、活動成果として個人的に書いていた小説のテーマも決めたんだ。その小説のテーマを悲恋にしたのは今思えばきっと間違いだ。そんなテーマじゃなければ違う結末になれたのにと言い訳できたから。
「これでどうですか?」
冒険譚を書くのはやはり楽しい。なんにも気にすることなく自由に世界を構築している感じが何よりも創作しているという感覚に浸れる。自分の考えた世界観に実力が伴わないことはままあるが、それもまた味だと思えばなんら問題ない。
しかし筆が一番乗るのがこのジャンルなのだから仕方が無い。第一部として起承転結を綺麗にまとめたそれを部長に提出すると僕はすぐに部屋を出た。
「去年とおんなじでギリギリだな」
「書評より難しいんだ、一緒にしないでくれ」
「まぁまぁ、どっちもどっちだよ」
わだかまりを和ませるのはいつも彼女だ。とは言っても彼女は僕なんかよりも先に詩と和歌を仕上げて出していた。
「お疲れ様です先輩方!」
今日も彼女は元気に部活動に来ている。
最近は熱心に小説を読み漁っていて、いつの間にか本棚にある本の半分くらいを読み終えてしまったらしい。
部活動は文化祭以外の活動はあまり熱心とは言えないので部室に溜まっている生徒は毎日まばら。だが彼女は毎日通っている。僕も暇さえあれば部室にいるほうなので、今日もなんでもない話をしながら時間が過ぎていく。
「何書いているんですか?」
「ん?あぁ、これは新人賞にでも出してみようかなと思って書いてるんだ」
後ろからのぞき込むように僕の文章を見る。人に自分の書いたものを見られるって言うのはやっぱり慣れるものじゃなくて、少し緊張する。咄嗟についてしまった嘘に僕はそれがばれていないかと鼓動を速くする。
「これ、完成したら私読んでみたいです」
「喜んで。人の感想は大事だから、誰かに読んでもらおうと思ってたところなんだ」
「やった!嬉しいです」
彼女の笑顔を見ると筆が何故か進む。
その作品は、冬には完成した。冬休み前にはみんながそれぞれ書いた作品を鑑賞する会が毎年行われている。そこで僕はこの作品を提出した。
そしてこの日は珍しく坂田先生も出席する。
「それじゃあ、鑑賞会を始めよう」
その日は雪が降っていた。
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