笑顔の魔法
『この文集を読み返すなんて物好きはきっといないと、僕は思ってこのあとがきを今書いている。しかしながら何も言わず去ってしまう自分の不甲斐なさが悉く嫌いだ。野に咲くその花は今も日に照らされているけど、割れてしまいそうなほどに脆くいつ枯れてしまうのかは誰にも分からない。僕は筆耕硯田にはなれなかったけど、君ならなれるかもしれない。一に向けて僕は思いを語れない。語れなくてもその思い出を忘れることは無いから。話は戻るけど、もしこの文集を読み返している人がいるならきっとそれは僕の後輩に違いない。いや、広義的に言えば全員後輩なわけだけど。文化祭というのは素晴らしいよね。ぜひ、美しく輝いたその努力が結果となることを心から望んでいる。』
先輩が残したあとがきというのがこれだった。言ってはなんだけど、普通に後輩に向けて応援のメッセージを残したようにしか僕は思わなかった。しかし先輩曰く、これは後輩の誰かに向けてではなく私に向けたものだと直接本人に言われたらしい。
「ずっと心の片隅でこのことが気になっててさ。どうせなら先輩が残した文化祭にちなんでこの謎を解明して見せようかなと思ったんだ」
「手掛かりって言うのはこれしかないんですか?」
「うん。去年先輩が文集で担当したのはこの場所と……あとはどこだったっけ」
日野田先輩が思い出せないでいるとさっき仕事をするように言っていた先輩がこちらに向かって言った。
「タイトルですよ。今年は先輩……部長が考えるんですからね」
「あぁ、そうだった。ありがとう篠原。タイトルがあったわ」
文集を閉じて書かれていたタイトルは『独白』。
思いを語るということかな。
「結局分からなくないですか」
「……そうだね。どうしよっか」
進んでいた話も詰まりを見せた時、ちょうど部室を叩く音がする。
「春くん、帰ろう」
唐突の訪問、思い出される記憶。
そうだった。朱莉のやつ僕の位置情報を常日頃から掴んでいるんだった。
「ちょっと待ってて。先輩と今少し話をしていたところだから」
「んーーー、分かった。ちょっと待ってて」
そう言って朱莉はものすごい速さでどこかに走って行ってしまった。まあいいか。
先輩の方に戻ると、今も文集の文章を見つめてうーんと頭を悩ませている。よっぽどこの先輩に思い入れがあるんだろうな。
僕は部員として一応のやるべきことをしようと思い彼女に声をかける。
「方法ならあると思いますよ」
「本当に?」
いつもぐーたらな先輩の珍しく輝いたその瞳を見て断ろうという気持ちはいつの間にかなくなっていた。
「でもやるなら絶対にそのメッセージを先輩が知るまでやめませんよ……ですよね、篠原先輩」
僕はペンの止まった先輩の方を見る。彼は僕とちょうど目が合って、バツが悪そうにため息をついていつの間にか書き終わっていた原稿を裏返した。
「ああ。分かったよ」
「篠原も手伝ってくれるの?」
「ダメならやめますけど」
「いいや、嬉しいよ。ありがとう」
さてこうなるとまずやることと言えばその先輩を知ってる人を探すということになるわけだけど。日野田先輩の口ぶりからして連絡先を知ってるみたいな雰囲気ではなかった。うーん。
「この部活、顧問はいないんですか?」
「……いるよ」
急に二人の顔色が悪くなった。それだけじゃなく、机に座っている二人の先輩たちも話を聞いているだけだというのに露骨に嫌そうな顔をし始めた。
「どうしたんですか。急にそんな顔して」
「そうか、柳沢は今年からの入部だから知らないのも無理はないな」
補足するように日野田先輩が付け加えた。
「うちの顧問は私が話している先輩と揉めに揉めた結果、部室の立ち入りを禁止したの。だから最低限の事務処理でしか顧問と関わることはもう無いから、先輩の話を聞くみたいなのは無理だと思うよ。……でもそういえば、どうして先輩はあんなに口論になるまでしてたんだろう。普段の先輩ならあり得ない気がする」
「ちなみに、それっていつのことですか」
「あっ、夏休みの間かも。だよね篠原?」
「そうだったはず。俺もその場に居合わせていたんで」
それについてもう少し詳しく聞きたいと思った時、自分の背後の扉を叩く音がして僕はゆっくりと開ける。顔を覗かせたのはさっきどこかに行ってしまった朱莉だった。その手には紙を持っていて走り疲れたのか手を膝に当てて肩で息をしている。
「はぁ、はぁ、これ。入部届、書いてきたから。……良いよね」
「わざわざそれを書きに行くために離れたのか?」
別に入部しなくても一緒にはいれるのに。突然のことに日野田先輩は目を丸くしたままだったがすぐにその紙を受け取ると、快く迎え入れた。
「新入部員がまた増えたね。これで先輩に顔向けできるよ」
彼女は引き出しにそれを入れるとホワイトボードに書いた話の続きをする。文集の内容としては一番後ろに掲載する予定の内容だが、文芸部的には一番重要と言ってもいい。なにせ去年の部長の話なのだから。少なくとも僕と朱莉以外の生徒は全員、その部長と面識がある。先輩の顧問との仲違い、文集に隠された内容は気にならないとは言わないはずだ。
話の内容をあらかた朱莉にも伝えると、彼女はとてもその話に乗り気になった。
「なんか楽しそう!私もそれ、参加して良いんですか?」
「もちろんだよ。だってこの文集、あと二週間くらいで仕上げないと印刷まで持っていけないからさ。それまでには先輩の秘密を洗いざらいここに書き連ねておきたいじゃん?」
なんか話の趣旨、変わってない?
気が付けば昼をとっくに越していて、ふとスマホを見ると鬼のような通知。
あっ、人志に全部任せたままだった。
「すみません、ちょっとクラスのほうにいったん戻らないといけないんでまたあとで来ますね」
「ん-、分かったよ」
日野田先輩には言って部室を出る。朱莉は部室に残ったままだけどクラスのあれはどうしたんだろう。
ということで慌ててクラスに戻った僕だが、待っていたのは腕を組んだ委員長(女子)の姿。部活のある人以外は三時までクラスの出し物の準備をするようにと言われていたのに黙っていなくなっているんだから怒っているのも当然か。
「言い訳は聞いてあげる」
一瞬、人志の方を見たが両手を上げて無理だとジェスチャーをする。あいつの周りのもたくさんの材料が置かれているところを見るとすでに言われた後だろうな。
「実はその、僕も部活に所属していて。そこでやらないといけないことが急にできたから一旦離れただけなんだ。別に部活のある人には強制はしないって委員長も言ってたから一度離れるのも別にいいのかなって思っただけだよ」
それを聞いた彼女は黙ったまま。言い訳をしているようにしか聞こえないからてっきり怒られるのかと思ったが、彼女はあっけらかんとした表情で「それならいいわ。次からそういうことはちゃんと教えてね」とだけ言って自分の作業に戻っていく。
僕は人志の作業を手伝うことになって彼の隣に座るとさっそく小突かれた。
「おい、なんでお前だけ怒られなかったんだよ」
「さぁ。委員長ってあんなにあっさり人の言うこと信じるんだ。もっと慎重で厳格なイメージだったけど」
「俺が代わりに買い出しまで終わらせておいたんだ。半分は手伝ってもらうからな」
「それはそうだね。さっきは悪かった。こんど何か奢るよ」
「なら購買のアイスだ」
「決まりね」
その日はそれで終わり、夏休みのうちにやるべきことを部活でもクラスでも聞いた。さて、あとは頑張るだけか。
「名ばかりの夏休みって言うのもどうなのかな」
「良いんじゃないか、こんなの今のうちしかできないんだから」
「そんなこと言えるのは今の内でしょ」
「どうだか」
でも楽しいかもしれない。
久しぶりになんだかやる気に満ち溢れている気がした。
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