流したものは一つじゃない
朱莉にはこれ以上の誤解を生まないように事前に連絡してから彩乃のところに向かった。店に入るとすごく重苦しい雰囲気が店の中を伝播している。
一人、ハンカチで顔を覆っている子がいたので彩乃を見つけるのはそこまで難しいことじゃなかった。
「大丈夫?」
僕は向かいに座って彼女が泣き止むのを待つ。
店員が一度来て注文を訪ねてきたが、さすがに空気を読めなさ過ぎてイライラしたので、適当に珈琲を注文する。
びしょびしょになったハンカチはもう涙を拭きとることができなくなって、その頃には彼女の涙も止まっていた。
「ありがとう、春くん」
泣き止んだ彼女は静かに紅茶を飲みながら呼吸を落ち着かせている。
どうなったのか、そんなことを聞くのは野暮だと僕は静かに彼女が話すのを待つ。すぐに頼んだ珈琲が来て、店員がはけると彩乃はぽつぽつとさっき起きたことを話し始めた。
「さっき人志と話をしたの。結局今日は女子と何をしていたのかって。そしたら、」
彼女はまた嗚咽を吐いて泣きそうになるも続ける。
「そしたら『好きな子に贈るプレゼントを一緒に考えてもらってたんだ。だからお前に秘密にしてもらおうと思ってな。………だって、そんなの知ったら彩乃は怒るだろ?』って言われちゃって」
その言い方、まるでその好きな子は彩乃じゃないみたいな言い方に聞こえる。
事実そうなのかもしれない。だけどそれを本人の前で言うのはどうなんだ。
「それで、どうしたの?」
「だからしばらく距離を置いてくれて言われた。もうすぐ夏休みだから、もし付き合えたら色々と遊びに行きたいからって」
僕はどうしてかそれを聞いて無性に腹が立った。思い返せば人志の行動の節々には彩乃に対する好意が無いことが示されていた。僕に彩乃を押し付けるようにしたことや、彼女にわざわざ秘密にして何かをしようとしていたことも含めて。
彼が人付き合いが苦手と言っていたことは本当で、こんなところで明るみになるなんて思ってもみなかった。
「私って何か悪いことしたかな?」
自暴自棄になった彩乃は自分の悪いところを探そうとして春に聞く。だけどそんなところを見つけたとしても根本の解決には至らないことを僕も彼女も知っている。
「無いと思うよ。だって君が人志のことを好きなのはあいつも知ってるよね。僕にだって分かったんだから、その好意が見えないはずないし」
でも実際のところ人志はそうした。
純粋にそんなやつを友達だと思っていた自分が嫌になった。
氷が解けて薄くなった人志との友情のような珈琲を僕は一気に飲み干した。
「でも私、人志のこと嫌いになれないよ」
そんな扱いをされてもなお、彩乃は人志のことが好きなんだな。
だとするなら、もうすることは決まっている。
僕はスマホを開くと一人の連絡先に電話を掛ける。その相手はすぐに出てくれて「来て欲しい」と言っただけなのに二つ返事で「うん」とだけ言ってすぐに電話が切れる。
「誰に電話したの」
「朱莉だよ。僕だけじゃ心もとないかなって」
それに女子同士の方がそういうことはなんだか素直に吐き出せる気がしたから。
あとは、まぁ、朱莉も好きな人には振られているし。
僕から電話をしたというのも珍しいことなので、朱莉はすぐに来てくれた。
が、僕の向かいにいる彩乃を見ると途端にその笑顔が消える。加えて彩乃が泣きじゃくっていたので目頭が真っ赤になっていたことも相まってなんだかすごく微妙な雰囲気になる。
「何、春くんは女子を泣かせた上に浮気デートまでするつもりなの」
「いやいやいや、それは誤解だって。そんなことするつもりなんてさらさらないから」
「じゃあなんで仁科さんを泣かせてるの」
「これは別に僕が泣かせたわけじゃないんだけど………」
周りがこの状況を見てざわざわし始めている。とりあえず朱莉を座らせると、またあの空気の読めない店員が注文が何かを聞いてきた。朱莉は隣と同じもの(つまり僕と一緒)と言ってさっさと店員を退けさせるとまじめに僕の話を聞いてくれた。
それを聞き終わると、朱莉は一瞬こちらを見てから席を移った。
「どうして私がこっちに来たか分かる?」
急にそんなことを聞かれたが、何も心当たりがないので答えようがない。
あるとするなら、さっき一瞬思い浮かんだことだけどそれを言ったら何をされるか分からないから答えるわけにもいかない。
「正解は、私も仁科さんも追う側ってこと。そして春くんは追われる側」
「………つまり?」
「私が振られた時はこのくらい悲しかったってこと!」
え、急に何をいいだすんだこの子は。さっきまでうっすらざわついていた店内がさらにざわつき始めた。このままだと完全に僕が悪役に成り果ててしまう。
すぐに朱莉に口を塞ぐように言ったが、全然ちっとも話を聞いてくれない。
「でもまぁ、今は仁科さんのことを解決する方が先だもんね。その人志くんは春くんより複雑そうな子みたいだし」
「でも、彩乃は心当たりとかないの?」
もうすでに泣き止んでいる彩乃は自分の思い当たる節を探す。
「私も学校での人志は知らないからちょっと。あんまり話しかけないでって言われてたくらいだから。でも、そんなことを言ってたってことは私にそういう気はないってことだったんだろうけどね」
自分で自分の気持ちを下げるようなことを言い始めてしまったのでこれ以上彩乃に聞くのはやめる。
となると、彩乃ではないことが分かったけど校内の女子なんて限定してもそれは限定になってない。誰が好きかなんて朱莉くらい分かりやすくないと無理だからなぁ。
「さっきの人志といた女子が誰か分かれば、手掛かりを掴めるんじゃないの?」
でも僕も彩乃も一度その子のことを見ているけど誰かは分からなかったからなぁ。
その線で追うのは難しいと思うんだけど。リボンの色とかも私服だったからムリだし。
「他になにか方法無いの?」
「そういう春くんも何か考えてよ」
「………じゃあ人志に直接聞いてみるとか」
それを言ったら二人にジト目をされた。僕何か間違ったこと言ったかな。
どうせさっきの尾行のことは人志にばれてるんだ。さっきいた子が誰かくらい聞いたら教えてくれるもんだと思うけど。
「なら、聞いてみればいいんじゃない?たぶん答えてなんかくれないよ」
「そんなこと」
「ある。私にだって教えてくれなかったんだよ」
彩乃にそこまで言われると確かに説得力がある。
でも他に方法があるわけでもないしな。
行き詰まっていると店の外を歩く人影が見えた。それを見て朱莉が突然手を振るとその相手も朱莉に気が付いて手を振る。
待って、その子。
僕と彩乃は同時に気づいた。彼女こそ僕たちが追っていた人志と一緒にいた女子だった。
「いやぁ、まさかこんな修羅場みたいなところに入り込むことになるとは思ってなかったな」
彼女は野中那由多というらしく学校では朱莉と仲良くしているらしい。
僕も面識はあるみたいだったが、学校との雰囲気が違いすぎたせいか人志といるところで顔をちゃんと確認したはずなのにまったく気が付かなかった。
彼女が人志といることが判明したところで、僕たちは改めて事の経緯を彼女に説明した。
「でもなんで那由多が人志くんと一緒にいたの?」
説明が終わってから朱莉は不思議そうに彼女に聞いた。
曰く、彼女は休日に外にでることがほとんどないと以前聞かされていたらしい。
「んーーーそれはねぇ、教えない!」
「なんで?!」
「秘密保持契約という名のスイーツを奢ってもらったからだよ。実は前から食べたかったパフェのお店があってさ。一番高い奴を食べさせてもらったからさすがに恩には報いようかなって」
「そこをなんとか」
「別にそんなこと気にする必要ないって。そりゃあまぁ色々と教えたりはしたけど、こんなのエベレストに裸で登りに行くようなものだよ?って忠告はしたし。仁科さんだっけ、待ってれば勝手に散ってくれるんだからむしろその時に慰めてハートを仕留めちゃえば良いんだよ」
結局ほんとうに彼が好きなのが誰かは分からなかったが、一応?の安心感を得ることができた彩乃を見てその日は解散することになった。
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