第三話 日課

 フィヨルディアは、アルンを中心に円形のマップを展開している。

 周囲は険峻けんしゅんな山脈に囲まれており、その山々のいただきが仮想世界の最果てとなる。山岳エリアは東西南北の四つに分けられ、方角により地形が大きく異なっている。


 東の山岳、《霊峰トルエーノ》。篠突しのつく雨が降り注ぎ、雷鳴が轟く急峻な岩峰。

 西の山岳、《霊峰ロルヴィス》。繁茂する巨樹が嶽人がくじんを惑わせる、樹海の迷宮。

 南の山岳、《霊峰ソルベルク》。溶岩流と熱波が渦巻き、噴火を続ける活火山。

 北の山岳、《霊峰イスカルド》。万年雪に覆われ、暴風雪が吹きすさぶ極寒の地。


 それらの特色豊かな霊峰がフィヨルディアの攻略エリアであり、《魔獣》と呼ばれる敵ユニットがおびただしいほどに配置されていた。

 加えて霊峰の頂上にはそれぞれ《四天獣してんじゅう》と呼ばれる四体の魔王が配置され、それらを討伐することがこのゲームのクリア条件となっていた。


 百年以上も前に発売されたオンラインゲームのボスなど当然たおされているものかと踏んでいたが、なんと僕がフィヨルディアを始めた八年前の時点で四天獣は健在であった。堂々とさんてん鎮座ちんざし、挑戦者の登場を待っていたのだ。つまりこの霊峰の主は、百年以上にも渡って誰にも挑まれることなく放置されていたこととなる。


 実際に四天獣と戦ってみると、これがかなりの強敵だった。

 一体当たり、およそ千回以上にも上る試行錯誤を重ねたことだろう。

 負けイベントかと思わされる理不尽な強さを有しており、最高値であるレベル九九九まで上げた僕でさえいくばくもの敗北を強いられた。


 手を替え品を替え、死んでは挑んでを何度も繰り返し、なんとかかんなんしんの激戦を僕は征したのだ。最終ボスである四天獣を討伐すると、霊峰にひしめいていた魔獣の姿は忽然こつぜんと消え失せたのだった。


 実際のゲームでは、四天獣が待ち受ける霊峰の山頂がフィヨルディアのさいがいである。モニター上ではそれ以上先へ進もうとしても、見えない壁に阻まれて進むことができない。オープンワールドにありがちなお約束仕様である。


 しかしどういうわけか、ラズハを介する仮想現実の中であれば世界の果てを越えられることが判明した。目を凝らすと山頂の先にも世界は広がっており、霊峰を越えた遥か先に街のようなものが薄っすらと見えたのだ。


 山頂から更に奥地へと侵入し、もし霊峰の反対側へ下山することできたならば、微かに見える謎の街へ行くことができるかもしれない。

 その探求心こそ、僕がフィヨルディアにログインを続ける原動力なのだ。


    ◇


 購入した《転送の札》の一枚を手に、僕は行先を頭の中で想像した。

 一度訪れたことのある場所へ自由にワープできるこのアイテムは、広大な仮想世界に於いて移動の足を担う必携の品なのだ。街やダンジョンといった拠点でなくとも、転移先を思い浮かべるだけで《転送の札》は効力を発揮する。


 そうして僕は、数秒足らずで霊峰ロルヴィスの山頂へと転移した。


 四つの霊峰の頂には、石でできた五十メートル四方の平地がある。ここがボスキャラクターとの決戦の場であり、かつては四天獣が威厳を持って待ち構えていた。


 本来であれば行き止まりであるはずの山頂を越えて先へ進むと、途端に周囲の地形がゆがみ始める。やはり目につくのは、物の道理を無視したいびつな地勢だ。


 不自然な角度に切り取られた岩、宙に浮くれき、乱立する奇形の樹木――。


 仮想現実でなければ存在しない場所であるので仕方がないが、明らかにプレイヤーが進める設計ではない。ここに立ち入れることがシステムのバグなのだ。


 そういった作り掛けのような異形の地形が、踏破の難度を大幅に上げている。

 越えられない崖があったり、岩壁に阻まれたりと、進めない場所に出くわすことが多い。進んでは戻って、通れる道をなんとかしてしょうりょうしていく必要があるのだ。


 しばらく進むと、巨木の足元に可愛らしい星型の花が咲いていた。霊峰奥地の雑多な風景に咲く一輪の艶葩えんは。無機質な背景との対比には違和感が拭えない。

 アイへのお土産として、僕はその不思議な花を摘んでいくことにした。摘むと花は例の如く札に姿を変え、表面には《スティエルネの花》と書かれている。


 またしばらく歩くと、遠くに見える謎の池沼の存在に気が付いた。


 霊峰の奥地には無数の下山ルートがある。いや、問題なく進めるルートは一つも存在しないのだが、なんとか通れるという意味では無限の選択ができる。

 ちょっと道を逸れると、こうした未知との遭遇があるのだ。ゲーム本来の楽しみ方では決してないが、これはこれで少年心をくすぐられる体験だ。


 謎の水域まで距離にして十数メートルだが、離れていても底の泥濘でいねいが見えるほどに水が澄んでいる。しかし、水場に近付くことはあまり気が進まない。

 水深が浅く見えても、落ちると異様に深い場合があるのだ。霊峰の奥地では常識が通用せず、好奇心に駆られて命を落とした経験は枚挙にいとまがないのだから。


 それでも、不思議な光景には目線を吸い寄せられてしまう。危険をかえりみることなく進めることは、ここがゲームであることの特権だといえよう。


 そうして歩きながら、綺麗な水面みなもに目を取られていた時だった――。


「――うわっ!」


 落葉が積もった場所へ足を踏み入れたが、足が地面に触れることはなかった。身体が急速に落下していく。どうやら、落とし穴のような構造になっていたようだ。


 ――しかし、なかなか着地をしない。


「……あれ? 底がない――?」

 

    ◇


 気が付くと、僕は教会の床に転がっていた。

 山中の落とし穴に落ちたことで、ベッドからも転げ落ちていたようだ。床に叩きつけられたことで、打ち所が悪かったのか腰の辺りにズキズキと痛みを感じる。


 このゲームでは命を落とすと、このようにしてアルンの教会の奥にある診療所のベッドから再出発となる。


 フィヨルディアで死んでも現実世界で命を失うわけではないが、死んだ時の独特の感覚は妙に慣れない。激痛というほどのものではないが、当たり所によっては多少の痛みを伴うのだ。できれば、ゲームの中でも死にたくはない。


 驚いた顔でこちらを見詰める神父に会釈えしゃくをして、僕はそそくさと教会を出た。

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