第二話 友人

 しばらく窓の外の景色を眺めた後、僕は跳ねるようにして布団から脱出した。


 続いて外出着である濃緑色のはかまに着替えてこしらえの太刀を腰に下げると、まるで時代劇を思わせる侍のような風体ふうていが完成する。一見すると目立ちそうな出で立ちだが、和洋折衷わようせっちゅうが入り乱れるフィヨルディアでは違和感がないので気に入っている。


 軽い足取りで少し歩くと、宿屋の出入口へと繋がる広間に出た。

 年季の入った木造りの廊下は歩く度にみしみしと軋む音がして、ゲームの中の仮想世界だとは思えないほどに物質の挙動が写実的に感じられる。


「よく眠れましたか? お気を付けて!」


 受付台に立つ少女は破顔し、僕に向かって元気よく挨拶を投げ掛けてくれた。出会ったばかりの頃とは違って、少女の声音には嬉々とした感情が乗せられている。


「アイ、おはよう!」


 僕も応じて、意気盛んに挨拶を返した。


 少女の名前はアイ。宿屋を営むNPCである。僕がフィヨルディアを始めてから八年間、毎日顔を合わせている。

 腰まで掛かる黒髪に、透き通った藍碧らんぺきの瞳。結われたサイドテールの髪には、朱色の花の簪が彩られている。小柄で背が低く、宿屋の制服である紺色の和服がよく似合っている。年齢は僕より少し歳下だろうか、童顔で幼い印象を受ける。


 ラズハを介する仮想現実の中では、視界に映るもの全てがモニター上とは大きく印象が異なっている。中でも仮想世界に住まうNPCの姿は、現実と見分けがつかないほどに精巧だ。特にアイのような少女と相対すると、相手がNPCだとわかっていても思わずドキッとしてしまう。


「今日は霊峰ロルヴィスへ行くよ。四つの山では、唯一越えられそうだからな」


 気を取り直して、僕はいつものようにアイに笑顔で話し掛けた。


「…………!」


 僕の言葉を受けてアイは手で口を押さえたおり、その表情には不安がうかがえる。

 最近、よく霊峰ロルヴィスの奥地で崖に落ちた話を聞かせているからだろう。つまりアイは、僕が話した事柄を正確に記憶しているということだ。


 しかしアイがNPCである以上、会話をするなどして意思の疎通を図ることはできない。彼女は五個にも満たない定型文の台詞しか話すことができないのだから。


 僕はその事実を理解した上で少女に話し掛けている。

 傍から見れば怪しい行為であることは自覚しているが、この世界には僕の他に誰もいないので周囲の目を気にする必要はどこにもないのだ。


「心配しなくても大丈夫だよ。今度は崖に落ちないように気を付ける。また霊峰の奥地に咲く花を摘んでくるから、楽しみにしていて!」

「…………」


 アイは表情を変え、嬉しそうに笑顔で頷いた。


 この宿屋には、花が所狭しと飾られている。これらは全て、僕がアイへ贈った花だ。アイは受け取った花を花瓶に移して、宿屋の出窓に飾ってくれている。


 花を受け取って花瓶へ移すという一連の動作は、二年ほど前から表れてきた所作である。当初は否応なしに僕が花を握らせるような様相だったが、時を経て少しずつアイはその手で受け取ってくれるようになったのだ。


 花瓶がどこから現れたのかはわからないが、フィヨルディアがゲームの世界だということを忘れずに僕は謎を深く考察しないことに決めている。


    ◇


 僕はアイに見送られて建屋の外へ出た。振り返ると、建物の館名板には《りょぐうアイアイ》と可愛らしい文字で描かれている。これはアイが営む宿屋の名前だ。


 街はいつも閑散としている。江戸時代の町屋によく似た家屋が建ち並び、時代背景はわからないが和を基調とした世界観だ。各所に露店があり、通行人もちらほらと確認できるが、この世界にいる人間は僕を除いて全てNPCである。


 日課である霊峰探索へ出掛ける前に、僕は宿屋の向かいに構える店舗へと足を運んだ。店の名称は《よろずアレク》。フィヨルディアに存在するほぼ全てのアイテムを網羅しているため、僕が足繁あししげく通っている店である。


「いらっしゃい! 何でもあるぜ!」


 店に近付くと、萬屋の店主から元気の良い挨拶が飛んできた。


 大きな声で通りに活気をもたらしている彼の名前はアレク。体格の良い盛年の男性で、袖のない衣服からは筋骨隆々な肉体が露わとなっている。


「アレク、おはよう。《転送の札》を十枚と、《のり弁の札》を五枚欲しい」

「毎度あり! 合わせて、百五十リオだ!」

「ありがとう。足りなくなったら、また来るよ」


 代金を支払い、僕は店を後にした。アレクとも八年間の付き合いとなる。彼もNPCであるため、当然だが決まった台詞しか話せない。


 僕は購入した札を数え、種類ごとにわけて懐に仕舞った。


 ここは仮想現実であるため、アイテムを無限に収納できるゲーム特有の異空間は存在しない。所持できるアイテムの数は、正に『持てるだけ』となる。持ち物が多くなると歩行に支障が出る上、落とさないように気を付けなければならない。


 このようにして、現在のフィヨルディアには本来のゲームプレイとは仕様が異なっている箇所が幾つも存在している。それもそのはずフィヨルディアは転送機ラズハが開発されるずっと以前に発売されたソフトであるため、舞台をバーチャル空間に変換する際に多少なりとも齟齬そごが発生してしまっているのだ。


 このわずらわしさは転送機ラズハの副産物であるが、かさるアイテムがないことが救いである。嬉しいことにフィヨルディアのアイテムは全て、クレジットカードほどの大きさの札で管理されているからだ。


 札をかざすことで所定の効果を発揮し、記されたアイテムを具現化できる。

 お金もアイテムと同様の手順で使用でき、札に金額が記されている。語源のわからない《リオ》という単位は、フィヨルディアで流通している通貨だ。


 因みに腰に下げている太刀は、雰囲気を出すために常に具現化させて装備している。フィヨルディアにはもう敵となる魔獣がいないため、残念ながら武器を使用する機会は既に失われてしまったのだが――。

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