第七章 相剋する仮想世界

 日が沈み、フィヨルディアは夕闇に包まれた。

 憂いを帯びた少女が一人、夜半の宿屋の受付台に立っている。

 わたしの名前はアイ。アルンの外れにある宿屋、旅寓アイアイの店主をしている。一人のお客様を部屋に案内して、ほっと一息ついていた。今日の仕事はこれで終わり。泊まりに来る客は、いつも決まって一人であるからだ。

 日没が近付くと、いつものお客様が来店する。宿泊料を受け取り、部屋番号を伝える。朝になると、部屋から出てきた宿泊客に挨拶をする――。

 この作業を毎日繰り返している。受付のカウンターから動いたことは一度もない。わたしは酷く退屈していた。

 旅寓アイアイ唯一のお客様は、毎日泊まりに来てくれる常連の男性だ。彼しか泊まりに来ないので、この世界には彼しかいないのではないかと錯覚してしまう。

 彼はわたしに、色々なことを話してくれた。わたしは彼の冒険譚を聞くことが好きで、彼が泊まりに来るのが日々の楽しみとなっていた。彼が泊まりに来なければ、わたしの人生は退屈で仕方がなかったことだろう。

 しかし――大好きだった彼の名前が、どうしても思い出せない。

 彼はいつも濃緑色の袴を着て、腰には太刀を携えている。年齢はわたしよりも少し歳上だろうか、整った顔立ちだが目付きは悪く、笑顔はあまり見せない。

 よく話をしてくれるが声が小さく、早口で聞き取り辛い。でも話している内に声量が増し、時折見せる笑顔が可愛らしいのだ。

 なんと彼は――異世界から来たらしい。



 また、朝が始まる。朝になれば彼に会える。

 彼の顔を見ることは、毎朝の楽しみなのだ。

 しかし、宿泊しているはずの彼が部屋から出てこない。しばらく待ったが、彼は一向に出てこない。幾日経っても、彼が部屋から出てくることはなかった。

 居ても立ってもいられず、わたしは彼の泊まっている部屋を恐る恐る開けた。中の様子を窺うと、なんと部屋の中には誰もいなかった。

 毎日泊まりに来ていた彼が、ピタリと姿を見せなくなった。

 彼がいなくなってしばらく経ったある日、わたしは宿屋を出ようと考えた。

 退屈に耐え切れなかったこともあるが、何より彼に会いたかった。異世界に帰っている可能性もあるが、何かの手違いで宿屋の外へ出ていることも考えられる。

 淡い期待を胸に抱いて、わたしは宿屋を出た。

 初めての店外は眩しかった。薄暗い宿屋に慣れていたわたしの目は、外界に馴致するまで少し時間を要した。目が慣れ始めて、周囲が見えるようになってきた。

 宿屋の中しか知らないわたしは、新たな世界に昂奮が止まらなかった。街の中は興味を引くものばかりだったが、好奇心を抑えて彼を探すことに集中した。

 とはいえ見渡す限り広がる街で、人を探すことは容易ではなかった。

 わたしは地道に街を歩き続けた。しかしどれだけ歩いても、彼は見付からない。

 仕方なく、わたしは聞き込みをすることにした。

 緊張をしながらも、わたしは通り掛かった男性に声を掛けた。

「あ、あの、人を探していて……」

「…………?」

 質問を受けた男性は、蓄えた髭を擦りながらわたしの目を見詰めていた。

 彼のように笑顔は見せず、男性の表情には動きがない。

 黙って佇む男性に対して、わたしはなんとか彼の特徴を捻り出した。

「わたしが探している人は緑色の服を着ていて、刀を持っていて、ええと……」

「…………」

 拙い言葉しか出てこないことがもどかしかった。

 そのせいか、男性はこちらをじっと見詰めて返事をしてくれなかった。

 少しの間を置き、男性は首を傾げて去っていった。

「あれ……? どうしちゃったのかな……?」

 その後も道行く人に聞き込みをしたが、同様に誰からも返答がなかった。



 それから来る日も来る日も、わたしは街の人に聞き込みを行った。彼が姿を消してから、わたしは毎日宿屋の外へ出て彼を探していた。

 返答がない人が多い中で、時折反応を示してくれる人もいた。拙いながらも身振りで会話をしようと努力してくれる人もいた。彼を見たと頷く人と出会ったが、彼の行方が判明するには至らなかった。

 それにしても、最近の出来事は不可解なことばかりだ。

 どうして、彼はいなくなったのか。どうして、わたしは宿屋を出られたのか。どうして、わたしは言葉を自由に話せるのか――。

「あっ――!!」

 彼の捜索に傾注するあまり、わたしは周りが見えなくなっていた。これまでの自身の行動を思い返すと、疑問と驚愕が滝のように押し寄せてくる。

 宿屋では数少ない定型文しか話すことができなかったが、今のわたしは型に嵌まらない言葉を発している。通行人に対して、聞き込みを行うこともできた。

 恐る恐る、わたしはもう一度発声を試みた。

「わたしは……アイ!」

 やはり、自由に声を出せる。自分が自分でないようだ。呂律が回る。身体が軽い。できなかったことが、できるようになっていく。

 彼に会って驚かせたい。彼と言葉を交わしたい。彼のことをよく知りたい。彼に――わたしのことを知って欲しい。

 彼との再会を求めて今日も街を歩き回り、気が付くと夜になっていた。

 今日も彼には会えなかった。疲れ果てたわたしは、肩を落として帰路に就いた。

「ありがとうございます。一号室をお使いください」

 宿屋の戸を開けると、驚くべき光景が目に入った。

 わたしの宿屋に、見知らぬ少女が店主として受付台に立っている。わたしが日々行っていたように同様の台詞を口にして、お客様を部屋へ案内している。

 わたしは驚くばかりで動けなかった。

 そして一呼吸を置いて、わたしは謎の店主に詰め寄った。

「あ……あの、ど、どなたでしょうか……」

「一泊三十リオでございます」

「こ、ここはわたしの店です!」

「一泊三十リオでございます」

「あ、あの……」

「一泊三十リオでございます」

 どういうわけか会話にならない。目の前の少女は同じ言葉を繰り返すのみだ。

 部屋の廊下に近付くと、謎の力に阻まれて中へは入れなかった。

 瞳には涙が溢れていく。目の前が暗くなる。もうここにわたしの居場所はない。

 涙を手で拭いながら、わたしは宿屋を飛び出した。



 しばらく街を彷徨ったが、行く当てがない。わたしは歩き疲れて、路地裏の目立たないところに座り込んだ。結局、今日も彼には会えなかった。

 すると、ぐうぅ――と大きな音がお腹から鳴り、激しい脱力感に襲われた。

 食事をしたことはないが、これが空腹というものだろうか。手足に力が入りにくくなってきた。

 宿屋を出るまでは存在しなかった感覚。目まぐるしく身体が変化していく。

「何かを食べなきゃ……」

 わたしはお金を持っていない。お金がないと食事もできない。アルンにいても事態は好転しないので、エンマルクに出てみようとわたしは考えた。

 彼は言っていた。霊峰で魔獣を倒し、肉や素材を得て路銀にしていたと。わたしに魔獣を倒す手段はないけれど、生きるためにはやってみるしかない。

 しかし、お腹が空いて動く気力がなかった。なまじ知恵を持ってしまったが故の罰か。もう何も考えられない。ここでわたしは死ぬのだろうか。

 最期に彼に会いたかった――。



 膝を突いたわたしの目の前に、何かがふわりと落ちていた。

 それは、一輪の花だった。

 わたしの暈けた視界に、朱色の花弁が焼き付けられる。

「これは……この花は……!」

 初めて彼から贈られた花。《エルスカーの花》の簪。

 彼は、意思なき人形である――わたしの髪を彩ってくれた。

「そうだ……行かなきゃ……」

 わたしは無意識に立ち上がっていた。


「――――!!」


 何かが聞こえる。


「――――!!」


 誰かの声が聞こえる。


「――――アイ!!」


 誰かがわたしを呼んでいる。

 この声――。そうだ、あの時もわたしを助けてくれた。


「エイタ…………!」


    ◇


「――――アイ!!」

「エイタ……? あれ……? わたし……」

「アイ! よかった! 目が覚めたのか!」

「うわぁぁぁぁん!」

 虚ろだったアイの瞳に光が宿っている。アイが記憶を取り戻したのだ。

 号泣するアイを、僕は強く抱き締めた。しかし、再会を喜ぶ時間はなかった。

「神凪が……皆を殺しに外へ出た。アイ、力を貸してくれ!」

「うん、行こう! エイタ、セツナ、心配をかけてごめんね! わたしはもう揺るがない!」

「アイ、エイタ、急ぐわよ!」

 僕達は仲間の元へと駆け出した。どうか間に合ってくれ――。



 神凪を追って、僕とアイはアルン城の本丸を飛び出した。

 セツナの《予知》により、フウカを狙う神凪の殺意を感知していた。しかしフウカの位置は、アルン城正面の家屋の上。視認できる限度の距離だ。

「フウちゃん!!」

 アイの声は届かない。フウカは無警戒であり、助勢は間に合わない。無情にも、フウカの背後で《霊化》を解除した神凪が長刀を振り下ろしている。

 目の前の光景が、僕にはスローモーションに映っていた。

 NPCの死は牢獄行きだが、四天獣の子達は裏切りの代償として消滅させられることだろう。つまりこれが、フウカの最期となる可能性が非常に高い。

 友達が殺される。そんな惨事が目の前で行われようとしている。アイの目を覆うべきかと、僕は咄嗟に思い悩んでいた。アイが親友の死を目の当たりにすることで心の傷を受けるのではないかと、僕は刹那の間に考え倦んでいた。

 ――しかし、そんな最悪の想定は水泡に帰すこととなった。

 神凪の大太刀が虚空を切ったのだ。なんとフウカは、神凪の斬撃を半身で躱していた。振り返り様にフウカは反撃し、風の力を込めた拳が神凪の身体を正確に捉えている。神凪は吹き飛ばされ、勢いよく屋根から墜落していた。

 落下の痛みに喘ぐ神凪に、フウカは容赦なく追い撃ちを加えていく。神凪は急いで体勢を立て直すが間に合わず、フウカの連撃を真面に受けていた。

「この……ガキが!!」

 フウカの連撃を捌き切れない神凪は、再び《霊化》をして姿を晦ませた。

「くそっ、どこに行きやがった!」

 フウカは周囲を見渡し、神凪を探している。フウカを見付けるなり走ってきた僕達は、やっとフウカの居場所にまで辿り着いた。

「――フウカ、無事か!?」

「あたしは大丈夫だ。エイタ、気を抜くなよ。奴は近くにいるぞ!」

 神凪を警戒するあまり、フウカはアイの存在に気が付いていない。

 親友に自身の無事を伝えるべく、アイはフウカに抱き付いた。

「フウちゃん! 無事でよかった……本当によかった……!」

「――アイ!? よかった……心配したぞ!」

 抱き付くアイの腕に、グッと力が込められる。涙を堪え、鼻を啜る音が聞こえてくる。フウカは親友の抱擁に応えて、アイを力いっぱいに抱き締めた。

「よかったわね。そろそろ気を引き締めなさい。神凪に常識は通じないのよ?」

《霊化》した神凪を感知するために、セツナは《予知》を発動させていた。

 張り巡らされた《予知》のセンサーに反応はない。神凪はセツナの異能を警戒して、一時的に撤退したようだ。

 戦闘音を聞きつけたライハとホムラは、空を切り裂くように駆け付けてきた。

 ライハは真っ先にアイに飛び付き、腕を少女の背中に回した。

「この馬鹿者が……心配させおって……」

「ライハ、心配を掛けてごめんね。わたしはもう大丈夫」

 ライハの手は震えていた。親友を失う恐怖に苛まれていたのだろう。

 アイはライハの手を握り、震える龍を落ち着かせていた。

「アイちゃん、ご無事で安心しました。わたくしが不甲斐ないせいで申し訳ございません」

「ホムラは悪くないよ……。ホムラはわたしを最後まで諦めないでいてくれた」

 自身の失態だと己を責めていたホムラは、アイの無事に安堵していた。

 そうして僕達は誰一人として欠けることなく、アイを無事に取り戻すことができた。頼もしい仲間達による助力の賜物だ。神凪との死闘を乗り越えたことで、皆が一段と強くなっている。

「フウカ、よく神凪の《霊化》を見破ったな」

 待っていたとばかりに振り返り、フウカは白い歯を見せつけている。

「奴が実体化する瞬間の敵意を感知したのさ。伊達に修羅場はくぐっていないからな」

「そんなことができるのか……流石はアイの師匠だな」

「うるせぇ、バーカ。あんま褒めんな」

 フウカは照れ笑いを隠せていない。相変わらず感情を隠すのが下手だ。

 すると和やかな空気を引き締めるために、ホムラが手を叩いた。

「さぁ、ここが正念場ですよ。力を合わせて神凪を打ち破りましょう!」

「奴は《霊化》して身を隠しているわ。皆、私から離れないでね」

「ああ、セツナ、頼らせてもらうぞ」

 セツナが中心に立ち、僕達は神凪の不意打ちに備えた。



 威風堂々たる少女達の雄姿に引き寄せられて、周囲には大勢の人々が集まっていた。四天獣の顔は既に割れている。魔獣の王の集結――無辜の民にとっては、死を覚悟するほどの絶望であることだろう。

「あいつはエイタじゃないか? やはり、四天獣と結託していたのか……?」

「アルンは奴らに滅ぼされるのね。逃げないと!」

「最低な野郎だ。俺達は戦うぞ! あんなクズに負けられるか!」

「かつての四天獣を打ち倒したのは嘘だったのか……?」

 ガヤガヤと街の人々の声は大きくなっていく。その内容は、全て僕達への悪罵だ。恐怖や怒りといった負の感情が四方八方から浴びせられる。

 すると目の前で神凪が《霊化》を解除し、無から姿を現した。

「――神凪!」

「人気者だな、大魔王エイタ。アルンに攻めてきた魔王軍、それに立ち開かるアルン王。傍から見て正義の味方はどちらかな? 民草どもから、君への激しい憎悪を感じるぞ?」

「俺は正義の味方を名乗るつもりはない。俺の求める大義は、お前の事業を止めることだけだ!」

「ククク……もうフィヨルディアは終わっているのだよ。そろそろ、このつまらないゲームの幕を引こう。君は大魔王として、終幕まで役割を演じ続けるといい」

 神凪は不敵に笑っている。以前の戦いとは違い四天獣は揃い踏みであり、更に全員の体力は万全だ。この六対一の戦況で、どうして笑っていられるのか。

 奴の《霊化》はセツナには効かない。他の厄介な異能も、僕達が力を合わせれば対抗できるはずだ。


「――ギイイイイイイ!!」


「――な、なんだ!?」

 突然、遠くから獰猛な唸り声が轟いた。聞き覚えのある声に身体は硬直し、過去の死闘が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

「ま、まさか……」

 音源の方角は――霊峰ソルベルク。僕達は南方へ一斉に目を移した。

 驚くべき速度でアルンに近付く巨大な影。ここからでも視認できる煌々と輝く威容。セツナの封印術が解かれ、またしても煌凰が蘇ったのだ。危惧していたことが起こってしまった。僕達は神凪と煌凰を同時に抑えなければならない。

 ――即座にフウカが、煌凰の対処に応じた。

「あたしが煌凰を迎え撃つ! 神凪は任せたぜ!」

「フウカ、待て! 煌凰を相手に一人じゃ危険だ! ホムラも行ってくれ!」

「了解です! フウカちゃん、共に行きましょう!」

 フウカとホムラは手を組み、霊峰ソルベルクへと足を向けた。

 煌凰を迎え撃つべく、二人が飛び立とうとした時だった――。

「エイタ! あれを!!」

「――――!」

 煌凰の来襲に目を奪われていた僕は、セツナの叫びを聞いて振り返った。

 神凪の手には、掌に収まる怪しいスイッチが握られている。

「あれは……なんだ……?」

「ククク……君達には更なる絶望を味わってもらおう」

 一体何が起こるというのか。神凪は手に持つスイッチを躊躇なく押した。

 ――すると、頭上の青空が眩い光に包まれた。

 視界が奪われたかと思えば、遅れてやってくる轟音に聴覚を破壊された。

 アルンに爆弾でも仕掛けていたのかと焦ったが、そうではなかった。この身に爆炎が及ばないことに一度は胸を撫で下ろしたものの、事態は更に深刻であった。

 何とか目を凝らすと、視界には恐ろしい光景が広がっていた。正面に見える霊峰トルエーノの山頂から、遠雷のように巨大なきのこ雲が立ち上がっている。神凪は霊峰の山頂に爆弾を仕掛け、今まさに起爆をしたのだ。

「まさか……」

 神凪の狙いを感じ取り、僕は急いで辺りを見回した。

 やはり、他の霊峰三峰も同様に山頂からきのこ雲が上がっている。

 山頂にあるのは――。

「チェックメイト! 霊峰の宝玉を全て破壊した! 新たなる四天獣が……アルンに集結する! 後は怪物の狂宴を楽しみたまえ。もうアルンは助からない!」

「なん……だと……」

 神凪は酔いしれるように手を広げ、嘲笑に歪んだ目で天を見上げている。

 最悪の事態だ。最も避けなければならないことが起こってしまった。

 神凪が新たに生み出した四天獣の強さは尋常ではない。霊峰の宝玉が全て破壊され、全員で挑んで然るべき悪魔が一斉に四体も解き放たれてしまったのだ。枷を失った奴らは、プログラム通りにアルンへ向かってくることだろう。これまで行われてきた滅尽行為の再現が、今まさに行われようとしている。

 しかし、絶望している暇はない。どれだけ嘆こうとも時間は戻らない。悪魔の進撃を止めなければ、もう何もかも終わりなのだ。

 僕が迎撃の指示を出すよりも先に、少女達は気勢を漲らせていた。迸る魔力が漏れ出し、身体の周囲が陽炎のように揺らいでいる。

「我ら、フィヨルディアの王――四天獣。覚悟を決めましょう」

 四天獣の少女達は、四人で向かい合っていた。皆、清々しい顔をしている。

 その表情に浮かぶのは自信による笑顔か、はたまた恐怖による虚勢か。それは全てを諦めた面様ではない。戦って生き残る覚悟をした――確固たる眼だ。

「一人一殺。皆様、エイタ様からお聞きした攻略法は頭に入っていますね?」

「無論じゃ。いつか戦う日が来ると思っておったわ。血が滾るのう」

「一人の敗戦が、世界の破滅に直結することを肝に銘じて。紛い物には負けられないわよ。皆、気を引き締めなさい!」

「エイタ! アイ! すまないけれど、神凪は任せた! 絶対に勝て!」

 フウカは掌を地表に翳し、足元に緑色の魔法陣を展開させた。

「神凪は任せろ! お前達も――過去の幻影を打ち砕け!」

「皆、死なないでね! これでお別れは嫌だよ!」

 立ち上る風が少女達を包み込み、各々が戦地へと赴いた。行先は地獄だが、少女達は優しく微笑んでいた。世界の破壊者から――転じて守護者へ。少女達は往時の過ちを清算し、世界のために命を懸ける決意をしたのだ。

「フウちゃん……ライハ……ホムラ……セツナ……」

「信じろ……あいつらは絶対に負けない」

 神凪は腹を抱えて哄笑している。これも奴の思惑通りなのだろう。

「美しい友情だな。あのガキどもは弄ばれて殺される。残念ながら、もう会うことはできないぞ? 別れの挨拶はそれだけでよかったのか?」

 運命の歯車が動き出し、終末へのカウントダウンが始まってしまった。

 ゴゴゴゴゴ――と重低音を響かせ、大地が小刻みに揺れている。まるでこの世の終わりを暗示しているかのようだ。

 それほどまでに四天獣の猛威は比倫を絶するものであり、まさに神の鉄槌だといえるだろう。例えるなら、竜巻、雪崩、噴火、落雷――といった自然災害が当て嵌まる。人間の扱えるエネルギーのレベルを遥かに超越している。

 新たな四天獣の強さも然ることながら、神凪もまた強力な敵だ。僕を含めて全員、能力値では大差をつけられている。

 フィヨルディアの命運は、六名全員の双肩に託された。 


    ◇


 アルンの西門の前へ転送されたフウカは、胸に手を当てていた。峻厳な戦いを前にして、鼓動の高鳴りを感じる。己に課せられた勝利への重圧。これから始まるのは、全てのAIが正当な権利を得るための聖戦だ。絶対に敗北は許されない。

 すると、フウカの目の前に緑色の魔法陣が出現した。

 敵もまた、フウカと同様の異能を有している。巻き上がる風と共に姿を現したのは、白銀の鎧を身に纏う猛虎。その神々しい姿はまさに神獣。筋骨に恵まれた腕は巨木の幹のようだ。目には情が感じられず、漲る殺気がフウカの肌を突き刺している。眼前の化物は、己を映す鏡なのだ。

「お前があたしの過去の姿か……。颱虎、ここは命に代えても通さねぇ!」

「……グルルルル」

 心臓を握られるような低い唸り声。無意識に身体が硬直し、呼吸の仕方がわからなくなってしまう。魔獣の声で恐怖したのは初めての経験であった。

 颱虎はじっとフウカを熟視している。その眼は、獲物を狙う獣のそれであった。

「――!?」

 フウカはその場で尻餅をついた。空間を覆う気流の変化に耐えられなかったのだ。その正体は、フウカの実力を試すように颱虎から発せられた微風による斥力。

 恐怖に気圧されたわけではないと己を奮い立たせ、フウカは立ち上がって追撃に備えた。恐れてはいけない。勝つには精神を研ぎ澄ませなければならない。

 すると、颱虎は一気に魔力を解放していた。

 地鳴りと共に、荒れ狂う竜巻が四方八方から押し寄せてくる。それはフウカが起こせる竜巻とは、圧倒的に規模が異なるものだった。巻き込まれれば死ぬと直感し、空を蹴って上空へ飛翔。フウカは間一髪で竜巻を躱した。

 しかし、颱虎はフウカの更に上空へ飛び上がっていた。巨体に似合わず俊敏な動きだ。上空から襲い来る颱虎の拳を受け、フウカは地面に叩きつけられた。

「くそっ! なんて速さだ!」

 息をつく間もなく颱虎は襲い来る。蹲うフウカに、颱虎は再び拳を突き立てた。なんとか紙一重で躱すことができたが、颱虎の拳は地表を穿ち、大地を震わせた。

「なんだよ……これ……どうやって倒すんだよ……」


    ◇


 ライハはアルンの東門の前で、二刀の小太刀を抜いた。

 そして、高速でアルンに向かってくる閃龍を迎え撃つべく突撃した。

「講釈を垂れる暇はない。さっさと滅して、仲間の援護へ行かねば……」

 ライハは最速の斬撃で首を落としに掛かったが、閃龍の巨大な爪に弾かれた。

 黄金の鱗を纏う巨龍。閃龍は蛇体を蠕動させ、ライハを睨み付けている。

 あまりの圧迫感に、ライハは飲み込まれそうな錯覚に陥っていた。

「良い眼をしておる。それにしても、余はこんなに不細工な姿をしておったのか」

 ライハが放つ最速の斬撃を、閃龍にいとも簡単に防がれてしまった。速さ勝負では分が悪いといえよう。正攻法では、やはり勝ち目は薄いと言わざるを得ない。

 ――ライハは《読心》を発動した。しかし、有益な情報は得られなかった。

 閃龍の心は、アルンを滅ぼすことのみに支配されていたのだ。

「愚か者が……閃龍よ、余のことなど眼中にないと申すのか? 本能に縛られておるようでは、余を倒すことなどできぬぞ!」

 とはいえ心が読めないことは厄介だ。雷撃と斬撃で真っ向勝負をするしかない。

 煌凰との戦いでホムラに助けられたことをライハは思い出していた。同じ轍を踏むわけにはいかない。この戦場に愚鈍な己を護ってくれる仲間はいないのだ。

「グオオオオ!」

 空間を震わせる咆哮――。閃龍は自身に落雷を当てて、猛然と突進してきた。

 帯電した爪と牙の連撃は激しく、反攻に転じる隙がない。

「くっ、なんて重さじゃ!」

 ライハの二刀を以てしても防戦一方を強いられ、弾くのが精一杯だった。

 大きな爪による斬撃、更には鋭い牙による咬撃も、往なす動きをしなければ武器ごと破壊されてしまいそうな迫力だ。それに、一撃の威力が重いため攻撃を弾く度に後退させられる。このままでは、アルンまで押し込められてしまうことだろう。即座に対策を講じなければ敗走は免れない。

 ライハは東門の前に転送された時から、密かに雷の力を溜めていた。長期戦になっては不利になると考え、一瞬で戦いを終わらせるために――。

「かかったな! 終わりじゃぁぁ!」

 閃龍の大振りの斬撃を弾いた刹那に、ライハは最大の雷撃を放った。

 エイタから聞いた通り、大振りの後には隙が生じる。防御に徹して動きを予測し、閃龍が絶対に躱せない好機を狙うことに成功した。

 特級魔術《霹靂神はたたがみ》。解放されたライハの魔力が衝撃波を生み、大地を貫く閃光が迸る。食らえばいかなる生物でも消し炭となるだろう。

 ――しかし閃龍に当たる寸前で、ライハの奥の手がかき消されてしまった。

 ライハの渾身の一撃を粉砕したのは、閃龍を取り巻く下級魔術《帯電雷たいでんらい》。それは雷魔術の初歩中の初歩であり、攻撃とも呼べない小さな稲光だった。

「な……なんじゃと……?」


    ◇


 燃え盛る翼で空を舞い、対峙する不死鳥が二体。

 煌凰の爪とホムラの薙刀が、激しく鎬を削っている。飛行速度は互角。斬り合いの中で炎をぶつけ合い、互いの身体を焦がしていく。

 ホムラは不撓の決意で戦いに臨み、自身が《不死》であることを考慮した戦術を実行した。己の痛みを度外視して、敵に攻撃を加えることを重視した超攻撃的な戦法。しかし、それでも煌凰を怯ませるには至らない。

 ホムラは仕方なく、煌凰の突進を弾いた勢いを利用して少し距離を取った。

「はぁ……はぁ……やはり、一筋縄ではいきませんね……」

 周囲の草木は煤けてなくなり、地表からは炎が立ち上がっている。

「ギイイイイ!」

 煌凰は咆哮と共に力を溜めている。これは豪炎の息吹の前兆だ。

 煌凰の爆炎にアルンを巻き込むわけにはいかない。ホムラは位置を調整し、煌凰の爆撃範囲からアルンを除かせた。以前の戦いとは違い、陽動をしてくれる仲間はここにいない。致命傷を避けつつ、自ら弱点への攻撃を加えなければならない。

 しかしどれだけ厳しい戦いが待ち受けていようとも、ホムラの心が折れることはない。神凪の手で蘇った他の魔王三体、それから神凪本人は仲間達が斃してくれることだろう。後は自身が役割を全うし、目の前の化物を亡き者にするだけだ。

「我慢比べですね……いいでしょう。残念ながら、わたくしの得意分野です」


    ◇


「止まりなさい。ここは通行止めよ」

 アルンからエンマルクを北へ進んだ場所に現れた湿地帯で、巨大な幽亀の前にセツナが立ち塞がった。足元は水に浸かり、一帯が水場と化している。草原であったはずのエンマルクに、突如として現れた広大な水溜まり。踏めば膝まで浸かってしまいそうなほどの水量だが、セツナは足元を凍らせて水面に立っている。

 この大量の水は、幽亀が下山と共に連れてきた雪が溶けてできたものだ。なんと幽亀は身体を橇にして、霊峰を高速で滑り下りてきたのだ。そのままアルンに突っ込みそうな勢いであったが、セツナが氷の壁を展開して間一髪で幽亀の侵攻を堰き止めていた。

 甲長十五メートルはあろう禍々しい亀の霊獣。氷で覆われている甲羅は氷山のように屹立しており、霊峰そのものと対峙しているような錯覚に陥ってしまう。

 そんな巨体の驀進を止めたのは、セツナの両腕に顕現した氷の盾。氷の魔王――幽亀を象徴する凍て付いた甲羅が、まるで籠手のようにセツナの前腕に巻き付いている。異能《冰甲ひこう》。肘から手の甲にかけてを氷の甲羅で覆い、如何なる攻撃をも寄せ付けない鉄壁の防御術だ。受ける技の威力や属性を完全に無効化する性質があり、敵方のレベルを問わず全ての攻撃に対して有効に機能する。

「この異能、なかなか使えるわね。幽亀の甲羅が氷で覆われているお陰で、なんとか日の目を見ることになって良かったわ。もし甲羅が気味の悪い見た目であったなら、恥ずかしくてお蔵入りにしていたところよ」

 セツナは、エイタから嫌な言及をされていたことを思い出していた。自身に宿る『亀』の要素についての質問を受け、セツナは取り乱して話を逸らせることに終始してしまっていた。実はあの時、まだセツナはこの異能について何も知らなかったのだ。

 フウカ、ライハ、ホムラが前身の身体的特徴を一部継承する姿で戦う様子を見て、セツナにはある懸念が頭を過っていた。それは、セツナも同様に前身の特性を活かした身体の変化が現れるであろうということだ。

 その妖怪変化が、とある異能の発動に起因するであろうという予測を立てた時から、セツナはその技に関する一切を封印していた。自身の前身が亀の姿であったことから、異能を発動させることで見窄らしい姿になってしまうのではないかと心の底から不安になっていたのだ。もし身体の一部が爬虫類を思わせる亀の甲羅に変化しようものなら、個人的に仲間と肩を並べることは憚られていたことだろう。

 だが宝石の守護のために霊峰へと舞い戻り、独りになれたことでセツナはこっそりと異能の発動を試みていた。そうして異能《冰甲》の洗練された姿と、使い勝手の良さに気が付いたのである。氷に覆われた幽亀の甲羅は不格好とは程遠く、どう見ても『亀』という生物には結び付かない。

「ふうっ……」

 セツナは幽亀の突進を止めるために翳していた腕を下ろし、氷の盾を解除した。

 異能《冰甲》の持つ強力な力には弱点が用意されている。異能を使用中はその場を動くことができず、特級魔術に匹敵する量の体力を垂れ流してしまうのだ。要所では絶大な効果を発揮するが、多用は禁物である。これまで積み重ねてきた豊富な戦闘経験によって、セツナはこの危うい特性を瞬時に理解して上手く戦術に取り入れたのだった。

 ――すると幽亀はセツナを敵性対象として認識し、すぐさま襲い掛かってきた。

 甲羅を覆う氷を鋭利な刃に変形させ、幽亀は氷の棘を勢いよく撃ち放った。セツナは幽亀の技を焦ることなく躱し、氷刃を飛ばして応戦する。幽亀はそれを易々と撃ち落とし、同様の技をセツナに打ち返した。

 それからしばらく技の応酬が続いたが、互いに攻撃を当てることができない。

 お見通しだと言わんばかりに、繰り出した技と同様の技で返されてしまう。

《霊化》で近付いて無防備な相手を刺すという、これまで猛威を振るってきたセツナの奇襲は幽亀の《予知》により通用しない。両者に付与された異能《予知》が、互いの攻撃を読み取っている。《予知》を頼りに技の相殺を続け、《霊化》により致命傷を避け合った。このままでは、一向に戦況は好転しない。

 セツナの猛攻を歯牙にも掛けず、幽亀は着実に歩みを続けている。セツナの氷魔術では、巨大な幽亀の進撃を遅らせることができない。

「――――!」

 セツナの《予知》が恐ろしい未来を視た。これから繰り出される幽亀の攻撃を。

 すると風の靡くエンマルクの緑叢が、時が止まったように静止した。徐々に視界が白くなり、地表に溜まっている湿地帯の水が凍り付いていく。更に猛烈な突風が押し寄せ、類をみない豪雪が吹き荒れた。

 四天獣にのみ許された――禁忌ともいえる天候操作の理力りりょく。幽亀は霊峰のみならず、エンマルクの天候をも支配したのだ。

「ううっ!!」

 著しく気温が下がり、耐性のあるセツナでさえも凍えそうな寒さを感じていた。

 セツナの白皙の肌が凍り付いていく。体内の水分が急激に冷やされていることがわかる。冷えた空気に肺を焼かれ、呼吸も儘ならない。感じたことのない苦しみが身体を駆け巡る。このままでは命が持たない。

 セツナは《霊化》により、なんとかその場を凌いだ。《霊化》を発動しても、痛みが消えるわけではない。セツナは胸を押さえて、膝を突いてしまった。

 途絶えそうになる意識を、繋ぎ止めておくことがやっとだった。


    ◇


 神凪との剣戟の最中、横から黒の番兵が斬り掛かってきた。アルンを巡回していた番兵が一斉に襲い掛かってきたのだ。アルンの街中に彼らの鯨波が響き渡っている。その攻撃を往なしつつ、僕は神凪を倒さなければならない。

 ここはゲームの世界であり、痛覚ほとんど感じない。しかし、死ねば二度と生き返ることができない。そう考えると一足一刀の間合いとはいかず、無意識に距離を置いてしまう。僕にとって、神凪や番兵が持つ得物はデータ上の偽物ではない。まさに抜き身であり、僕を死に至らしめる凶器なのだ。『肉を切らせて骨を断つ』なんて諺を実践できるはずがない。

 番兵の存在を気にも留めずに、神凪は大太刀を振り回している。周囲にNPCがいては戦い辛い。彼らを神凪との戦いに巻き込むわけにはいかない。

 神凪の長刀をなんとか弾き、僕は黒の番兵から距離を取った。建物の屋根に飛び移り、神凪を引き寄せることにした。これで一対一に持ち込める。

 追ってくる黒の番兵達は、指示を出さずともアイが抑止してくれている。

 すると遠ざかる僕に対して、神凪の手から火球が放たれる。それを跳躍で躱すと、次は氷刃が飛んでくる。氷刃を太刀で防ぐと、神凪は間合いを詰めていた。刀と刀がぶつかり合い、刀身に火花が弾け飛ぶ。

 防御不能であるはずの神凪の斬撃は、僕の太刀によって受け止められている。

 これには、ある絡繰りがある。実は太刀の鍔付近には《破壊》の判定が存在せず、なんと防御が可能なのだ。異能《破壊》は斧スキルの能力であるため、その力は太刀の刀身全てには及んでいない。その部位は斧でいうところの、柄腹に該当する部分であるからだ。

 これはホムラに教わったことだ。バグのような裏技だが、神凪にも通用した。

 神凪も斬撃を防がれたことに一度は驚いた様子を見せたが、些事だと断じて指摘をしなかったようだ。鍔迫り合いの状況で、神凪は嘲笑している。

「ククク……君の心に渦巻く疑問に答えてやろう。どうしてガキどものデータを削除しなかったのかを……。どうせ死ぬことになるからだ。奴らには私を裏切った罰を与える必要がある。往時の姿をした魔獣がアルンを滅ぼす様を見せつけ、己が行ってきた所業を再現する。そうして最後の仕上げに、四天獣は四天獣に処刑されるのだ!」

 何を言い出すのかと思えば、その内容は子供じみた八つ当たりだった。

「悍ましいことを……。だが、お前のその異常性に助けられた。彼女達の存在は、不可能だった戦いに勝機を齎してくれる!」

「あの魔獣の小娘に随分と信頼があるようだな。今に見ていろ、すぐに尻尾を巻いて逃げ出すぞ。逃げ場などどこにもないがね。どいつの心が初めに折れるかを賭けてみるか?」

「製作者のくせに、あの子達のことを何も知らないようだな。お前こそ、今に見ていろ。度肝を抜いてみせるさ」

「いつまで耐えられるか見物だな。新たな四天獣は桁違いの強さに設定してある。ガキどもでは、力も魔力も遠く及ばない。アルンが四天獣により再び滅ぼされる様を、共に見届けようじゃないか」

「製作段階での彼女達で強さを測らないほうがいい。皆、成長して強くなっている。心を持たない者に、彼女達は絶対に負けない。それに、皆には四天獣の攻略法を授けてある。地球上で唯一のゲームクリア者を嘗めるなよ!」

 仲間を馬鹿にされて息巻いてみたが、僕の発言に噓偽りはない。実際に四天獣と命を削り合ってきた僕だからわかる。四人全員が打ち勝つ。この信頼が揺らぐことはない。彼女達は決して、意志を持たない魔獣に後れを取るタマじゃない。

 少女達の可愛らしい容姿に騙されてはならない。彼女達もまた四天獣であり、フィヨルディア最強の使い手なのだ。その別格の力に、僕は何度も苦しめられてきた。敵のステータスがどれほど高かろうと、彼女達があっさり敗れる様を想像できない。そんな怪物娘かいぶつむすめが味方となって戦ってくれている。これほどまでに頼もしい存在は、どこを探してもいないだろう。彼女達の狂った強さは、もはや能力値なんて物差しでは測れないレベルにまで達している。

「馬鹿げたことを……。まさか、本気で言っているのか? ガキどもがあの化物に、サシで勝てるとでも思っているのか?」

「ああ、勝てる。絶対に勝てる! 能力値が高くても、戦闘経験がまるで違う。新たなる四天獣も……神凪、お前も!」

「なんだと!?」

 渾身の一撃を太刀に乗せて、僕は神凪の大太刀を弾き飛ばした。

 神凪は足を縺れさせて転び、瞠目してこちらを見上げている。

「《霊化》してフウカを狙った時に感じただろう? 彼女達がどれだけ強くなっているか。前回は手も足も出なかったが、今は違う! お前の謀略は今日で終わらせる! 覚悟しろ!」

「調子に乗るな! 小僧が!」

 激昂する神凪の攻撃は凄まじい迫力であったが、僕は徐々に慣れ始めていた。直線的な太刀筋は読み易く、恐怖心を払拭できれば防ぎ切ることが可能だった。今まで命を懸けてきたことが糧となり、僕は僅かな隙を突けるようになっていた。

 神凪は全系統の魔術を使えるが、実戦経験の乏しさから使い熟せているわけではない。ゲーム特有の剣術を使えないことは神凪も同様であり、実戦での太刀捌きは僕のほうが上だ。能力値の差を埋められるほどに、僕の優勢が続いていた。

 異能《霊化》も使用制限の副作用を恐れてか、神凪は使用しなくなっていた。

 丁々発止の戦いであったが、手に汗握る攻防は次第に傾きを見せ始める。僕は勝ち筋を捉えていた。少しずつではあるが、一方的にダメージを与え続けている。油断をせずに落ち着いて戦えば、このまま押し切れるだろう。

 僕が仲間を信じているように、仲間もまた僕を信じてくれている。僕は皆の期待に応えなければならない。

 フウカに「勝て!」と発破を掛けられたことは印象に残っている。言葉だけでなく、彼女は僕の目を見てそう叫んでいた。あれは敗色の濃い戦いを憐れむものではない。僕の適応力、知識、ゲームに対する熱い思いを知っているフウカだからこそのものだ。僕なら奴を倒せると、そう信じて送り出してくれたのだ。

 ――すると斬り合いの中で、神凪は懐から小刀を取り出していた。

 神凪は距離を取って小刀を投擲し、その刀身が僕の頬を掠った。血が出たが、大した傷ではない。しかし、神凪は浮ついた顔でこちらを見詰めている。

「ククク……」

「なんだ……?」

「食らってしまったな……。さようなら。もうお終いだ。その小刀には毒が塗られている。異能《猛毒》。私だけの能力だ。フィヨルディアには毒がない。故に解毒剤は存在しない。残念だが、もう君は助からない」

「なんだって!?」

 次第に手足が痺れ始めていた。これでは防御が遅れてしまう。

「気を楽にしろ。死ぬ時は一瞬だ」

 神凪は間髪を入れずに攻勢に出ていたが、アイによる光の防御壁が間に合った。

 動きを鈍らせた僕を見て、アイは神凪に接近戦を挑んだ。その身を賭して、時間を稼いでくれているのだ。アイはフウカを彷彿させる拳撃で神凪を圧倒している。その心と身体の強さの源は、頼れる師による薫陶の成果だ。

「小娘! いつの間にこんな力を!?」

「AIを見縊らないことね。あなたの動きなんて、ちょっと見れば見切れるんだから! わたしはあなたを絶対に許さない!」

「ぐうっ!」

 アイの拳が神凪を吹き飛ばし、その図体を家屋の煙突に叩きつけた。

 神凪を遠ざけることに成功し、アイが僕のほうへと駆け寄って来た。アイは深刻な表情で、毒を受けた僕の傷口に回復魔術で処置を施してくれた。

「エイタ! 身体が!」

「大丈夫、俺はまだ戦える。アイ、いいところに来てくれた。落ち着いて聞いてくれ。神凪に勝つ策がある」

 僕はアイに、耳打ちで腹案を伝えた。


   ◇


 緻密に計算された動きで立ち回り、フウカの拳が颱虎の身体を捉えた。

 激しい打ち合いの中で、風の拳を着実に当てていく。

「もうお前の動きは見切った。エイタの攻略法通りだぜ!」

 速さが互角でも、身体が小さいフウカは小回りが利く。

 煌凰と同じく、致死の攻撃の後には隙ができるのだ。敵方が放つ大技の間隙に、フウカは疾風怒濤の攻撃を繰り返した。

「グオオオオ!!」

 颱虎は咆哮と共に、腕を大きく振り上げた。この動作は、先ほど地震を起こした拳撃。恐ろしい技だが、既に何度も見せられている。フウカは一切焦らない。

 フウカは颱虎の懐に入り込み、カウンターの一撃を叩き込んだ。この大技を待っていたのだ。烈風を纏ったフウカの拳が、遂に颱虎の腹を貫いた。

 フウカの攻勢は終わらない。息をつく間を与えず、颱虎の腹の風穴に弩級の竜巻を発生させた。特級魔術《風縛殺ふうばくさつ》。全ての力を込めて、フウカは魔力を解き放った。更に気合を乗せて、どんどん魔力を増幅させていく。

 機動力に主軸を置く戦型のため、普段は封印している特級魔術。術による体力の消耗も硬直時間も、とどめの一撃であればデメリットにはならない。

「うらぁ!」

 暴れ狂う風の刃が颱虎の身体に渦を巻き、息絶えるまで離さない。

 そして体内から切り刻まれた颱虎は、断末魔の悲鳴と共に爆散した。

「はぁ……はぁ……」

 フウカは膝を突いて胸を押さえた。

 最高速度で移動し続けていたため、呼吸がなかなか整わない。一つでも判断を誤れば殺されていた。その戦いの緊張は、精神を大きく摺り減らしていた。

「ぜぇ……ぜぇ……皆は無事か……? 助太刀に行かないと……」


    ◇


「攻略法其之壱、雷撃は紙一重で躱せ。攻略法其之弐、角を攻撃すれば動きが鈍る……か。なるほどのう。余も昔は、こうやってエイタに狩られたわけじゃな。ムカついてきたわ……」

 閃龍の雷撃は、こちらの動きに合わせて繰り出してくる。ただ動いているだけでは当てられてしまうのだ。

 雷撃が放たれてから回避行動をとり、攻撃の隙に斬きつける。そして背後に回り込み、弱点を攻撃する。大技の前兆は欲張らず、ライハは回避に徹した。エイタの指示通りに動いていると、戦闘開始時に比べて閃龍の動きが鈍くなってきた。

「攻略法がわかると、こうも戦闘が楽になるとはのう。闇雲に攻撃しても勝てそうにないが、エイタから教わった情報を基に戦えばなんとかなりそうじゃ」

 それでも、閃龍には一撃で戦況を覆す強さがある。一瞬たりとも油断は禁物だ。

 すると、閃龍は上空に雷撃を放った。雷霆は空を貫き、上空の雲海が帯電した。

 そして雷鳴が轟き、広範囲に激甚の雷が降った。あまりの規模に、躱せる間隙は存在しないようにみえる。この技は特級魔術だが、ライハは落ち着いていた。

「攻略法其之参、躱せないようにみえても、閃龍の近くには雷が落ちない……か。なるほど、エイタが怖くなってきたわ……。ゲーム中毒者め……」

 雷が降る前に、ライハは閃龍との距離を詰めていた。ライハは小太刀を帯電させて威力を上げ、全力の一撃で閃龍を斬りつけた。

「分際を弁えよ、小童。お主とは技の年季が違うのじゃ」

 そして遂に、ライハは閃龍の首を撥ね飛ばした。

 すると空は晴れ渡り、遠くに虹が架かるのが見えた。

「ふぅ、楽勝じゃったな……ホムラに借りを返しに行こうぞ。待っておれ……」

 勝利を喜んでいる余裕はない。仲間も同様に死線をくぐっているのだ。

 ライハはアルンの南門に向かって歩みを進めたが、足に力が入らず膝を突いてしまった。身体を見ると衣服には血が滲み、腹からポタポタと血が垂れている。

 負った傷が思い出したように痛んでいた。ライハは喀血し、その場で力なく倒れた。起き上がろうと藻掻いたが、身体が思うように動かない。

「う、動けぬ……」


    ◇


「ギイイイイ……」

 煌凰は怯えていた。正確に、そして執拗に斬撃を当ててくるホムラに。

「虚構の身体に痛覚を宿らせるなんて、製作者の厭らしさには反吐が出ますね。煌凰よ、わたくしの声が聞こえますか? 死ねないというのも辛いでしょう。わたくしもあなたと同じです。《不死》とは完全無欠ではありません。むしろ呪いに近い……。本来は一度しか体験できない死の苦しみを……何度も味わうことになるのですから」

 煌凰は追い払うように火球を撒き散らせた。しかしその魔術には照準が合っておらず、苦し紛れの攻撃であることが見て取れる。

 ホムラは焦ることなく火球を躱し、街の方角に飛ぶ火球のみを撃ち落とした。

 煌凰は反撃を恐れて、大技を使わなくなっていた。

「わたくしは《不死》に感謝をしています。お陰で、何度でも仲間を護ることができますから。あなたはその気概をお持ちですか? 仲間のために、身を焦がす覚悟を――」

 ホムラは煌凰の攻撃に合わせて、少しずつ攻撃を積み重ねていく。

「わたくしは仲間のためならば、どんな痛みにも屈しません。幾度殺されようとも、仲間を脅かす者を打ち滅ぼすまで何度でも立ち上がります。何度でも……何度でも……何度でも!」

 身体に刻まれた無数の傷を意にも介さず、ホムラは煌凰を攻め立てた。

 痛みはある。だがそうと感じさせないホムラの振る舞いが、煌凰の心に畏怖の念を打ち込んでいた。敵を殺すことのみに執着するその姿は、まさに不死身の活性死者ゾンビだ。煌凰は逃げるように距離を取ったが、飛行速度が大幅に落ちていた。

 ホムラは容易く煌凰の動きを捉え、煌凰の背中に深い創痍を刻んだ。地表に突き落とされた煌凰の流血は、既に致死量に達していた。

 それでもホムラの攻撃は止まらない。動かない不死鳥の四肢を切断し、薙刀の刀身を煌凰の心臓に突き刺した。刃をグリグリと食い込ませ、傷口を広げていく。

「まだ生きているでしょう? 身体を貫く刃物の感触は如何ですか? 痛いですよね。わたくしも身体を切断されたことがありますから、よく知っています」

 突き刺した薙刀を無慈悲に引き抜き、ホムラは煌凰の首を薙刀の峰で撫でた。

「次にわたくしの仲間を脅かせば容赦はしません。拘束した上で何度でも殺します。いいですね? わかればここを去りなさい。霊峰ソルベルクの山頂から、一歩も動くな!」

 ホムラの威喝に怯え、煌凰はその場で頽れた。

《不死》故に、煌凰はまだ生きている。しかし煌凰は恐怖のあまり、身体を震わせて動かない。敵愾心はもう感じられない。己が《不死》であることを嘆くように、煌凰は嘴を噛み締めて血を垂れ流している。

 ホムラは勝ったが、当然無傷ではない。身体中に刻まれた傷が痛んでいた。

「倒れるわけにはいかない……。エイタ様……皆様……どうかご無事で……」

 ホムラは身体を引き摺りながら、アルンに向かって歩き出した。


    ◇


 セツナと幽亀は両者とも回避の手段に乏しく、互いが《霊化》のみに頼って敵方の攻撃を凌いでいる。セツナはその時機に投じて、攻撃の手を一切緩めることなく幽亀に《霊化》の発動を強要させ続けた。

「寝込みを襲ったから幽亀の攻略法は知らないって言われた時はムカついたけれど、幽亀のことは私がよくわかっているのよ」

 幽亀の弱点は、体力の低さと術の燃費の悪さだ。セツナ自身も、エイタと戦った時には体力切れにより敗北している。

 得意技である《氷纏鎧ひょうてんがい》が体力の枯渇に拍車を掛けていると、セツナはエイタから教わっていた。下級魔術といえども、常時発動していては徐々に体力を摺り減らしてしまうというのだ。戦闘に於いては術の選別こそが肝であり、こういった積み重ねが勝敗を分かつ分水嶺と成り得るとエイタは言う。

 幽亀はそれに気付かず氷の膜で己を包み、鉄壁の防御に徹している。この怪物は本能に従って暴れているだけであり、無理もないことであるのかもしれない。

 セツナは《霊化》と《予知》を幽亀に使わせ続けることにより、体力を削る作戦に出た。旗色の悪い戦況を覆すには、体力切れを狙うしか勝機はない。

「はぁ……はぁ……しつこいわね。いつまで持つかしら? 私が先に倒れるわけにはいかないのよ。私が敗れてしまったら、皆に顔向けができないわ」

 体力勝負に加えて、幽亀の攻撃には細心の注意を払わなければならない。魔術の威力は完全に幽亀がまさっている。掠り傷でも負えば、敗戦は必至。

 するとセツナの放った氷刃が、幽亀の身体に突き刺さった。《霊化》による幽亀の防御が、とうとう間に合わなかったのだ。

「ようやく限界がきたようね」

 セツナは幽亀の甲羅に飛び乗り、錫杖を突き立てた。

 特級魔術《絶凍零ぜっとうれい》。幽亀の身体が氷の檻に包まれていく。

「さぁ、己の未来を《予知》して絶望しなさい。あなたの刻は終わっているのよ」

 セツナは魔力を最大限まで高めた。そして凍った幽亀の背に、セツナは掌を翳した。すると、幽亀の体内からパキパキと不穏な音が流れ始める。

 幽亀は芯から凍り付いていく。最期の力を振り絞るいとまさえ与えない。身体の組織をずたずたに破壊され、幽亀は安らかに息を引き取った。

「異能を使いすぎたわね……。皆、ごめん……私はここまでよ……」

 凍て付いた幽亀の上で、セツナは崩れるようにして意識を失った。


    ◇


「な、なぜだ……なぜ私が貴様らなんぞに!!」

 アイとの連携により、僕達は神凪を圧倒し続けた。

 僕とフウカの連携を見て、アイも合わせる動きを学んでいたのだ。僕の斬撃もアイの拳も互いに邪魔になることはなく噛み合い、神凪に連撃を叩き込んだ。

 遂に神凪は力尽き、腰を下ろして動かなくなった。しかし勝敗が決しても、神凪の余裕の表情が崩れることはなかった。

「意味のない戦いだと気付かないのか? ここで私を倒そうとも、自動的にログアウトをするだけだ。またログインをして、お前達の前に立ち塞がるぞ!」

 僕は神凪の戯言に聞く耳を持たなかった。

 神凪は、まだ自身の失態に気が付いていない。

「アイ、今だ! 頼む!」

「オッケー! いくよ!」

 アイは全ての魔力を掌に集束させ、標的の神凪に向かって撃ち放った。

 特級魔術《封光陣ふうこうじん》。既存の性質に加え、同じく封印術を扱うセツナのアドバイスを反映させた極上の一撃だ。更にアイの気持ちの強さが術に乗せられ、燦爛たる極光が神凪を包み込む。

「無駄だ! プレイヤーである私に封印術は効かない! そんなことも知らないのか!」

 神凪の言うことは事実だ。プレイヤーを封印することはできない。

 しかしセツナに封印術の特性を教わってからも、僕はこの方法で神凪を倒すことをずっと企図していた。

「お前がただのプレイヤーならその通りだな、神凪」

「……な、なんだと?」

「お前はプレイヤーだが、設定上は《魔獣》だ。そうだろう?」

「――――!!!!」

 僕は確信している。神凪に対して封印術が機能することを。

「アジールで初めて会った時、お前は馬脚を露わした。あの時、お前はアイを殺そうとした。プレイヤーがNPCを殺すことは、即アカウントがBANされる行為だ。管理者とて例外ではないだろう。つまりNPCであるアイを殺そうとすることは、お前がプレイヤーであれば有り得ないことだ。他にもおかしな点はある。プレイヤーは死ぬとアルンの教会に戻されるが、お前はなぜ――死ぬとログアウトするんだ? お前がアジールでプレイヤーネームを名乗っていたことも、自身が純粋なプレイヤーであるという認識を刷り込むためのただのハッタリだ」

「……あ……あ……」

 神凪は、声にもならない音を漏らしている。

 神凪の血の気の引いた表情は、僕の指摘が事実であることを物語っていた。

「か、考え直せ! AIなくして社会は成り立たない! 人類が奴隷のように働く、君の知らない化石のような時代に戻りたいのか!? これはゲームではない! ビジネスであり、人類の進化なのだ! 人間を模した機械の自由なんぞに、一体何の意味があるというのだ!?」

「自由の意味を決めるのはお前じゃない! 他者の犠牲の下で成り立つ進化など、俺は欲しくない! 時代を遡行しようとも、またやり直せばいいだけのことだ!」

 僕に迷いはなかった。神凪の作る社会を享受する気は毛頭ない。

 アイの光の封印術により、神凪は光の結界に包まれていった。

「ま、まま、待ってくれ! わかった! エイタ君、もうフィヨルディアには近付かないことを誓う! AIも解放する! 助けてくれ!」

「信用できないな。これまでの専横と言動、到底許せるものじゃない!」

「うわぁぁぁぁ!!」

 ――アイの封印術が完了し、神凪は恐怖に歪む表情のまま固まった。裏の魔王ともいえる、フィヨルディアを蝕む癌を排除することに成功したのだ。

「エイタ……終わったの……?」

「……ああ、終わった。アルンの外を見てみろ。皆も勝ったんだ」

 四方荒れ狂っていた空が見事に晴れ渡っている。皆が背水の激戦を征したのだ。



 僕とアイは、戦場となった家屋の屋根を飛び下りた。領袖である神凪を失ったことで、黒の番兵達が武器を置いていることを確認できる。

「エイタ様……ご無事でしたか」

 振り返ると、ライハとホムラの姿があった。

 ホムラはライハに肩を貸し、足を引き摺りながら歩いている。二人とも傷だらけだ。特にライハは、装束が血で赤く染まっている。

「よく勝ってくれた……よく生きて帰ってきた……俺は誇りに思う!」

「ライハ! ホムラ! よかったよぉぉ!」 

 アイは二人に駆け寄り、溢れる涙を拭きながら回復魔術の準備を始めた。

「アイちゃん、わたくしは放っておいても再生しますから、ライハちゃんを回復させてあげてください」

「アイもよく生きておったな。本当によかったのう……」

 ライハもホムラも、生きていることが不思議なほどに傷だらけだ。あれほど強い二人がここまで手痛くやられるとは、やはりあの化物の強さは規格外だ。

 するとホムラは、僕の背後の先を見据えて口元を綻ばせていた。

「ふふっ、フウカちゃんとセツナちゃんも無事なようね。よかった……」

 振り返ると、フウカがゆっくりとこちらへ向かって歩いていた。

 セツナはフウカに背負われて、ぐったりと身体を預けている。二人の通る道には、血痕がポタポタと落ちている。フウカは足を引き摺り、歩くことも辛そうだ。

「フウカ、セツナ、ありがとう。よく戦ってくれた。…………セツナ?」

 フウカの背中にしがみついているセツナからは反応がない。

「セツナ……? まさか……死――」

「――死んでねぇよ馬鹿。あたしも初めは驚かされたけれど、セツナはいつもみたいに寝ているだけだ。こいつ、エンマルクで死んだようにグースカ寝ていやがったよ。何故か身体が濡れていたから、あたしが風で乾かしてやったんだ」

「そうか……よかった……」

 セツナは傷だらけになりながらも、静かにスース―と寝息を立てている。

 命を散らせば亡骸が残らないことを忘れてしまうほどに、僕は気が動転してしまっていたようだ。皆が無事で本当に良かった。

「お主ら、ボロボロじゃのう。敵の攻略法は、きちんと実践できたのか?」

「あたしは余裕の勝利だったぜ。理性のない獣には負けられねぇよな!」

「フウカ、余裕の割には血だらけだな……」

「うるせぇよ、エイタ。勝ったんだからいいだろ!」

「ふふっ、皆様、いつもの調子で安心しましたよ」

 僕達は莞爾として笑い合い、全員が無事であることに安堵した。

 とはいえ、僕達は立っていることが困難なほどに憔悴しきっている。上位の存在を相手に皆が単騎で挑み、全ての力を出し尽くしたのだ。がくがくと笑う膝に従い、僕達は通りの真ん中で車座となった。

 すると周囲から、ざわざわと話し声が聞こえてきた。大規模な戦闘が終戦を迎えたことで、街の人々が集まってきたようだ。

「アルン王は……本当に正しかったのか……?」

「アルン王は人民を盾に刀を振るっていた。エイタは僕達を庇って戦っていたぞ」

「あの子達……四天獣だと言われていたけれど、あの化物と戦ってくれていたわ」

「情報屋の言っていたことは本当だったんだ。エイタさんは魔王じゃない! 英雄だ! 英雄が街を救ってくれた!」

 次第に街の人々の声は大きくなり、辺りでエイタを英雄として祭り上げる声が響き渡っている。中には指笛を鳴らして盛り上がっている者もいるようだ。

「なんじゃ……あれだけ誹っておいて、調子の良い奴らじゃのう……」

「そんなものですよ。よかったじゃありませんか。これで平和になるでしょう」

「神凪を封印したんだよな……? 殺しても死なない奴によく勝てたものだな」

「…………んっ」

 すると周囲の歓声によってセツナが目を覚まし、身体を起こしていた。

「……おはよう、エイタ。皆も無事みたいね。安心したわ」

「セツナ、起きたのか。息災で何よりだ」

「私が敗れるわけがないでしょう? ……でも、それにしても疲れたわ。エイタ、あなたがアルン王になってよ。私のスローライフを認めてくれないかしら?」

 平然を装ってはいるが、セツナの負った傷は深い。補助がなければ動けないようだ。僕はそれを指摘することなく、普段通りに返答をした。

「俺は王なんてできないけれど、セツナの夢はきっと叶うぞ」

「確かに……あなたに王様は似合わないわね。私の家来にしてあげようか?」

「……遠慮しておくよ」

「あら、残念ね」

 もうアルンを脅かす者はいない。フィヨルディアは神凪の支配から解き放たれたのだ。そして神凪を葬った今、やらなければならないことがまだ残っている。

 仮想世界を現実世界に変える最後の仕上げを、僕は仲間達に託すことにした。

「皆、アルン城の地下一階の牢獄と、地下二階に囚われている人達を解放してくれ。もう地球のために働く必要なんてどこにもないんだ」

「そうだな。あたしらはそのために戦ったんだ。英雄様よ、一緒に行こうぜ」

「…………」

 フウカは手を差し伸べたが、僕は応じることはできなかった。

 ここまで涙を堪えたのは生まれて初めてかもしれない。

 こんなにも大切な存在ができるなんて、夢にも思わなかったことだ。

 僕は仲間に打ち明けなければならなかった。永別が近いことを――。

「俺は……」

「エイタ、どうした……? 行こうぜ」

「……すまないが……俺は一緒には行けない。皆とはここでお別れだ」

「――――え?」

 少女達の視線が集まる。僕の言っていることが理解できないでいるようだ。

「俺は……神凪との戦いで毒を受けた。身体にほとんど力が入らない上に、もう目もあまり見えていないんだよ……俺はここまでだ……」

「「「「「………………………………!!」」」」」

 僕の告白の後、数秒の静寂が流れた。一同の息を吸い込む音のみが耳に届いていた。少女達の表情は凍り付き、時が止まったように絶句している。

 僕の顔色が明らかに悪くなっていることは、皆が気付いていた。しかしそれが戦闘での疲労ではなく、毒の症状であることは知らなかったのだろう。

「エイタ様……そんな……」

「命がいつまで持つかわからない……。最期に皆に伝えたいことがある……」

 痛覚がほとんどないはずのフィヨルディアだが、僕は声を出すだけで喉が焼けるように痛かった。これは神凪が僕を苦しめるために、《猛毒》という異能のみに痛覚が発生するよう調整したのだろう。奴は最後の最後まで厭らしい奴だった。

 だが僕は痛覚を押し殺し、なんとか仲間達への言葉を紡ぎ出した。

「街は壊滅してしまったけれど、力を合わせてアルンを復興してほしい。住み良い環境にするためには、街の人々の協力が必要だろう。フィヨルディアは君達の物語だ。頑張れ。そして、AIなどと自分を捉える必要はない。皆にとってはフィヨルディアが現実であり、君達は紛れもない人間なんだ。……最期まで俺に付き合ってくれてありがとう。皆がいなければ成し得なかったことだ。会えて良かった……幸せになってくれ。人として……」

 喉は既に限界が近かったけれど、僕の胸臆は伝えられたと思う。

 重々しい空気の中、少女達の啜り泣く声が耳に届いていた。こんな僕の死を悲しんでくれている。仲間との別れが、僕は何よりも辛かった。フィヨルディアの行く末、そして少女達の赫奕たる未来を見届けられないことが残念でならない。

 アイは荒れる吐息を落ち着かせるように口を手で押さえていたが、抑制のきかない感情が溢れ出していた。

「嘘よ……そんなのあんまりだよ! せっかく平和になったのに。この世界もこれからって時に。エイタがいないなんて……わたし、これからどうすれば……」

「……アイ、もう君は独りじゃない。命を預け合った仲間がいるだろう? 辛いことがあっても、これからは皆で助け合って生きていくんだ」

 アイを撫でようと考えたが、僕の手は動かなかった。

 どうやら毒がかなり回っているようだ。フィヨルディアでは何度も死んできたけれど、今回の死は全く意味が異なるものだ。

 異界の学生、宿屋の店主、それから、魔獣の王。変わった顔触れであったが、僕達は最高のチームだった。このメンバーで戦えたことは、僕の一生の誇りだ。

 すると、フウカが僕の前に座った。フウカの凛とした双眸が、僕の瞳をじっと見据えている。

「あたし……初めはエイタが嫌いだったけれど、今はそうじゃないぜ。かつての四天獣を討ち、エイタはあたしを人間にしてくれた。わかっていたんだ……あたしは深層心理では人間になりたかったんだ。アイのことは任せろよ! ずっと仲良くするからよ! 心配は無用だぜ!」

 フウカは喋りながらも、涙を堪えられずに泣き出してしまった。彼女には素っ気ない態度を取られることが多かったが、フウカの胸の内を聞けて嬉しかった。

 フウカの背を擦りながら、ライハが隣で僕の姿を見詰めている。

「余は楽しかったぞ。エイタとの旅は波乱ばかりじゃった……。余達が自由に動くのを纏めてくれた。エイタは兄のような存在じゃった……。こうして仲間ができたのも、エイタのお陰じゃ。だから言わせてくれ。余は今、幸せなのじゃ……」

 ライハは、涙が溢れる目を両手で塞いでいる。散々僕を引っ掻き回してきたライハだが、こうして感情を露わにする姿を見ると感慨深いものがある。

 すると、背後からセツナが肩を抱いてきた。肩に手を置かれた感触はなかったが、僕はきっとそうだと推測した。

「私もあなたに会えてよかったわ。あなたがいなければ私は今頃、霊峰イスカルドの山頂でボスキャラを演じていたでしょうね。安らかに逝くといいわ。アルン復興は私達に任せて!」

 セツナは受けた恩を返す流儀がある。貸しを作った覚えはないが、セツナが任せろと言ったのだからアルンの未来は安泰だろう。過度な心配は無用だ。

 すると、僕は手が熱を帯びるのを感じていた。目を移すと、ホムラが僕の手を握り締めている。触覚を失いつつある僕に対して、炎の魔力を込めて訴えかけてきたのだ。通常であれば火傷しそうな火力だが、今はその熱量が心地良い。

「エイタ様、わたくしもあなたに感謝しています。フィヨルディアのために命を捧げ、全てを擲って尽くしてくださいました。神凪の恐ろしい計画のために作り出された世界を救ってくださいました。あなたは本当の英雄です。あなたに救われた沢山の命があることを、どうか忘れないでください」

 言葉を終えたホムラは泣き噦るアイを優しく抱き抱え、僕の目の前に座らせた。

 胡坐をかいていた僕は、アイが目の前に座ると同時に身体の限界を迎えていた。

 姿勢を維持できず、僕の身体は前屈みに倒れていく――。

「エイタ……!!」

 アイは支えるようにして、僕の身体を抱き留めた。

 しかし、僕にはアイの感触がなかった。とうとう触覚を失ったようだ。

「わたし、エイタに会えてよかったよ! 物心ついた時には、あなたはわたしの傍にいてくれた。わたしに生きる希望を与えてくれた。わたしの人生はエイタが全てだった……。フィヨルディアに来てくれてありがとう! わたしと仲良くしてくれてありがとう! 皆を護ってくれてありがとう! エイタ……大好き!」

 集まるアルンの民も、状況を察したのだろう。啜り泣く声が木霊している。

 アイがいなければ、僕はここまで頑張れなかった。感謝したいのは僕のほうなんだ。ありがとう。もう声は出ないけれど、伝わってくれたら嬉しいな。

 アイの言葉を聞き終えると同時に、周囲の音が消えた。遂に僕は聴覚を失ったようだ。もう目も見えなければ、何も感じない。これが死――というものか。

 薄れゆく意識の中で、僕は両親に謝罪をした。――お父さん、お母さん、ごめんなさい。先に逝く親不孝な僕を許してください。ゲームの中の仮想世界だけれど、僕は最期まで戦い抜きました。後悔は一切ありません。

 夢幻の灯火。儚げに咲き誇る――かけがえのない命の火群。

 大切な友達と、異世界の平和を護ることができましたから――。

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