第六章 アルン城の機密

 僕がフィヨルディアに降り立ってから八年が経過したが、霊峰イスカルドの奥地は未踏峰であるといっていい。あまりに厳しい豪雪と寒波に、僕は早々に踏破を断念したのだ。立っていられないほどの猛吹雪が吹き荒れ、積雪により見えないクレバスがそこら中で牙を隠していた。命が幾つあっても足りないと思えるほど、魔境と呼ぶに相応しい環境だった。

 しかし、セツナに帯同している今は光景がまるで違った。バグのような地形は相変わらずだが、空は眩しく晴れ渡り、一向に雪が降る気配がない。

 しろがねの迷彩は暴かれ、地表の裂け目をはっきりと視認できる。雪渓の処女雪を踏むと、山肌が見えるほどに積雪が少なかった。

 魔獣を見掛けることはあったが、セツナを見るなりそそくさと姿を消した。霊峰イスカルドの長たるセツナの威光が生きている。この時点で宝玉の無事は確定していた。後は、宝玉を護らせる指示をセツナが魔獣に出すだけだ。

「どうしてあの時……山頂で私を殺さなかったの?」

 山頂へ向けて歩いていると、唐突にセツナが話し掛けてきた。

「俺はフィヨルディアの住人に手を掛けるつもりはない。聞いての通り、俺は異世界人だからな」

「エイタは私を人間扱いしてくれるのね。設定上は魔獣であり、AIなのよ? それとも神凪の言うように、この可憐な美貌に誑かされたのかしら?」

 セツナは服の襟を捲り、胸元を見せつけて艶然と微笑んだ。

 不意に挑発的なことを言ってくるので、返答に困ってしまう。

「ち、違う! ……いや、違わないかもしれない。見た目が人間である以上は魔獣だとは思えない。それに、こうして心を通わせられるんだ。君が魔獣であるなんて、どう考えてもおかしいだろう」

「ふぅん……じゃあ、私を狩人から助けたのはどうして?」

「セツナが倒れたのは俺が原因だ。放っておけるわけがないだろう。それに、たまたま現れた者にとどめを刺されるのは不本意だ」

「あの時は本当に助かったわ。エイタ、ありがとう」

「助けられたのは俺のほうだ。セツナがアジールまで来てくれなければ全滅していた。アイもフウカもライハも、もうこの世にはいられなかっただろう」

「私は義理堅いの。これからも頼ってくれていいのよ」

 セツナには毒気が抜けて、以前に戦った時とは表情も声音も異なっている。

 嬉しいことに、僕を仲間として認めてくれたようだ。

「ありがとう。……そうだ、君の力について教えてくれないか? 君は山頂で戦った時に、『制限』だと言って倒れた。あれは強力な異能による反動か?」

「……見抜いていたのね。ゲームばっかりやっているだけのことはあるわ」

 セツナは悔しそうに口唇を噛んだ後、自慢するように異能の説明を始めた。

「私の異能は二つ。《予知》、それから、《霊化》よ」

「《霊化》……それが消える異能か」 

「そうよ。私は身体を《霊化》させ、存在を消すことができるの。見ることも、触れることも、感じ取ることも不可能よ」

「《予知》によって致死の攻撃を察知して、《霊化》で回避……か。最強だな。攻撃の時に実体化する必要があるのは間違いないか?」

「慧眼ね。よく分析している。暗殺は得意よ。でも私は異能を継続して使うと、身体が動かなくなるの。意識を失うこともあるわ。あなたと戦った時のようにね」

 あの時に山頂でセツナが倒れたのは、異能の過剰使用が原因であった。

 これから共に戦うに当たって、異能の副作用を気に掛ける必要がある。

「毎日セツナが深夜に意識を失うのも、その異能が原因か……なるほど、合点がいったよ。強力な異能だが反動は大きいようだな」

「それは……ええと……」

 セツナは口籠り、恥ずかしそうに両手で頬を覆っている。

「それはただ……寝ていただけよ。夜更かしは苦手なの……」

「え……? そうか……何かごめん……」

 そういえば昨日も、セツナは真っ先にグースカと眠っていた。夜に眠りに就く特性は強力な異能による反動ではなく、ただの睡眠過多だったようだ。

 この可愛らしい性質は、戦闘時の鬼気迫る表情からは想像ができなかった。



 霊峰イスカルドの奥地を越え、僕達は山頂に到達した。

 僕は、ここでセツナと死闘を繰り広げたことを思い出していた。

 自然と息が詰まり、ぐっと痛む胸を手で擦った。ゲーム上の仮初めの姿であり、鼓動のないはずの身体が動揺している。それほどまでにセツナとの戦いは厳しく、紙一重の一戦であった。もう絶対に味わいたくない。仲間を危機に曝したくない。

 昨日のことではあるが、ずっと昔のことのようにも思えてくる。セツナを打倒してから現在に至るまで、筆舌に尽くし難い激動の日々だったのだ。

「……どうしたの? 何か気になることでもあるの?」

 昨日の事変を回想していたことで、僕はしばらく惚けてしまっていたようだ。

 気が付くと、セツナが僕の顔を覗き込んでいた。

「い、いや、何でもないよ」

「私はあなたの剣となり盾となる。私で力になれることがあったら何でも言ってね。助けてくれた恩は返すつもりよ」

「あ、ありがとうございます……」

「……どうして敬語なの? エイタって時々可笑しくなるわね」

 昨日までは畏怖の対象であったセツナだが、今では優しく気に掛けてくれるようになった。その屈託のない笑顔に裏はなさそうだが、殺されかけたことを身体が覚えている。だが現在いまは仲間なのだ。徐々にでも慣れていくしかない。

 気を取り直してかつての戦場を見渡すと、舞台の中央で握り拳ほどの球体を見付けた。地面に突起がなく、宝玉は完全に地中に埋まっている。目を凝らさないと見付かるはずもなく、元々存在していたのかさえ疑問だ。もし事前に用意されていた物であるならば、四天獣が裏切る可能性を予測されていたこととなる。こうして宝玉の確認に来ていることでさえ、神凪の掌で踊らされている気分だ。

 ガラス玉のようだが、素材は定かではない。その身に携える水色の光彩は重厚かつ厳然。仄かに輝く姿からは、妖しい魔力を感じさせられる。

「これが……霊峰イスカルドの宝玉か。こんなところに埋め込まれていたなんて知らなかったよ。地面に埋まっていて持ち運べそうにはないな。これを護るためにずっとここにいるわけにもいかないし、どうしたものか……」

「何を言っているの? ここでじっとしているのが、四天獣の本来あるべき姿よ」

「それもそうだな。人間の姿だから魔獣の王だということを忘れそうになるよ」

「ふふ、あの子達のせいで私もどうかしてしまったようね。山を下りましょう。私の異能があれば、アルンの中にも入れるわ。冒険者ギルドの様子を見ておいたほうがいいでしょう」

「仕方ない。宝玉は一旦置いておくか。破壊されないことを祈って――」

「――私を見縊らないことね」

 セツナは錫杖を宝玉に突き立てた。特級魔術《氷封陣ひふうじん》。セツナの溢れんばかりの魔力により、山頂の舞台は瞬く間に氷の結界に包まれた。

「とりあえずはこれで大丈夫でしょう。封印術は得意じゃないけれど、街の人に解かれるレベルではないわ」

 不得手だと謙遜をしているが、これほどの規模の結界を張れるのは四天獣の他にいないだろう。プレイヤーが氷魔術スキルを極めても、こうはならない。

 この結界を破るには、炎魔術か光魔術を極める必要がある。どの道アルンの住人に破られる心配はないだろう。

「封印術まで使えるのか……。神凪なら解きかねないが、とりあえず、これが今できる最大の防衛策だな」

「魔獣にも見張らせておくわ。うちの子は結構強いのよ」

 雪が保護色となって気が付かなかったが、周囲には夥しい数の熊型魔獣が集まっていた。よく知らないが、風体を見たところ上級魔獣だろう。

 魔獣を統率するセツナの恐ろしさを感じつつ、味方であることに安堵した。

「そういえばセツナは、あのデカい亀型魔獣の生まれ変わりなんだよな? 『亀』の要素ってどこにあるんだ? あいつらは猫耳やら翼やらが身体から生えてくるわけだが……」

「し、知らないわよ、そんなこと。これ以上はセクハラで訴えるわよ」

「……ごめんなさい。もう言いません」

「さぁ、下らないことを言っていないで下山しましょう」

「ああ、行こう!」

 セツナの魔術で作った氷の橇に乗り、僕達は彗星のように山の斜面を滑り下りた。氷の橇は急激に加速し、瞬く間に麓を越えてアルンが見えてきた。


 

「あら……?」

 街の異変を察知して、セツナは急制動を掛けた。

 何やらアルンの様子がおかしい。アルンの北門の前に、黒い鎧を纏う番兵が立っている。番兵は大槍を携え、辺りをキョロキョロと警戒している。これまで、門前に番兵が配置されたことは一度もなかったことだ。

 僕達は氷の橇を降りて、近くの岩陰に隠れた。

「なんだろう……俺達の侵入を阻むつもりだろうか」

「指名手配中なのだからそうでしょうね。私の異能でアルンに入りましょう。《霊化》はあなたにも掛けられるわ。ほら、手を出してね」

 セツナは僕に向かって掌を差し出した。《転送の札》と同じ原理かと推測する。

 応じて僕はセツナの手を握った。するとセツナは、艶めかしく両手で僕の手を包み込んだ。しばらく僕の手を触り続け、執拗に指を絡ませてくる。

「あの……セツナ? ……いつ《霊化》するのかな?」

「よほど私の手を触りたかったのね。手汗が凄いわ。可愛いわね」

「早く《霊化》をしてくれ……」

 セツナはクスクスと笑っている。僕を揶揄うことが楽しいらしい。

 すると次第に不思議な感覚に襲われ、自分の身体が透けていることに気が付いた。誰もこちらを認識せず、まるで存在しないかのように世界が進んでいく。異能の効果をその目で確認し、セツナと共にアルンの北門を潜った。

 街に入ると、僕達は異様な空気に出迎えられた。

 黒の番兵が街を闊歩しているせいか、出歩く人が著しく少ない。更に各所の建物の前に番兵が配置され、人の出入りが監視されているようにも見受けられる。

 辛うじて露店は営業しているようだが、これでは商売にならないだろう。

 街の人はこういった状況について、どう思っているのだろうか。

「あの兵隊さん、なんだか動きがぎこちないわね」

「確かにそうだな。生まれたばかりのNPCだろう」

 黒の番兵をよく観察していると、同じ間隔とリズムで一定の動きを繰り返していることが確認できる。その動きのループを見ると、かつて街の人々もこうだったなと思い出す。この番兵も進化したAIと触れ合えば意思を持ち始めるだろう。

「セツナ、ついてきてくれ。信用できる人物に会いに行く」

「あなたにも頼れる人がいるのね。誰なの?」

「情報屋だ。アルンの状況について確認しておきたい。黒の番兵がどこから来たのか、神凪がアルンに来ていないかを……。南の路地裏の奥にいることが多かったから、まずはそこを探そう」

「わかったわ。私の手を離すと《霊化》が解除されてしまうから、しっかり握っていてね」

「ああ、わかった」

《霊化》で番兵の目を欺き、僕達は通りを堂々と歩いた。

 異能を共有するために仕方がないことだが、手を繋ぐという行為が少し照れくさい。こういった僕の面映い感情を悟られているようで、セツナはこちらを見てニヤニヤと笑みを浮かべている。


    ◇


 情報屋をよく見かけたアルンの南東部。この辺りは店もなく、人通りも少ない。

 ここに来るまでの間、路上に段ボールを敷いて寝ている人を見掛けた。宿屋が満室で泊まれなかった者や、宿泊費を得る手段がない者は路上生活を強いられる。

 このエリアはスラムと化しているようで、路上を居住地と決めたNPCの簡素な寝床が散見される。

 AIの進化により、生活に困窮する者が現れてしまっている。NPCは食事と睡眠が必要な身体となったが、お金がなければ何も為すことができないのだ。

「こんなに治安が悪そうな場所へ連れて来て、私が襲われたらどうするつもり?」

「セツナが襲われたら、俺はその者の命を心配するよ」

「私を護ってくれないのね、大魔王様」

「俺は魔王じゃないって。それに君に助けなんて必要ないだろう?」

 軽口を叩きつつ辺りを探したが、情報屋の姿はみえない。ここにいないとなると、探すのはかなり骨だ。どこへ行ったのか、皆目見当がつかない。

 ひとまずセツナを休憩させるため、周囲に人がいない隘路で《霊化》を解いた。

「大丈夫か? 疲れていないか?」

「心配してくれてありがとう。戦闘時でもなければ、《霊化》による消耗は微々たるものよ」

「そうか、頼もしい限りだ」

 セツナは誇らしげに笑ってみせた。しかし強がってはいるが、普段より息が荒い。彼女の体調には、よく気に掛けておく必要がありそうだ。

「――――!」

「ど、どうした?」

 すると、セツナは何かを感じ取ったように表情を一変させた。

 そして平然な態度を装ったまま、セツナは僕に小声で耳打ちをした。

「エイタはここにいて……」

「――え?」

 セツナは再び《霊化》を発動し、僕を置いて単身で姿を晦ませた。

 ――するとすぐ、隣家からガタンと小さな物音がした。

 音の発信源は、すぐ目の前の老朽化した家屋だ。その建物の二階の窓に目を凝らすと、見知らぬ男がセツナに捕らえられているのが見えた。男は背後から手で口を覆われて、氷によって伸ばされたセツナの爪が首元に当てられている。

「待て待て! セツナ、殺すなよ!」

 僕は急いでその家屋に飛び込み、二階へと駆け上がった。


 

 セツナが捕らえた男の足元には、古めかしい銃が落ちていた。

 セツナは異能《予知》で男の敵意を感知したのだ。ここまで正確に敵方の位置を当てられるとは、その精度の高さに驚かされる。

「セツナ、放してやってくれ。この人に話を聞こう」

「もっと私を信用してよ。もう誰も殺さないわ。私に牙を剥く愚か者を除いて」

 一言の脅し文句を残して、セツナは男を捕縛から解放した。

 男は転げるように距離を取り、両手を差し出して無抵抗の意を示していた。

「ま、待ってくれ! 銃を向けたことは悪かった! 殺さないでくれ!」

 男は怯えきっている。突如現れた四天獣に拘束されたのだから無理もない。

「殺さないから質問に答えてくれ。どうして銃を向けた?」

 自分で言ってから、僕はその質問が愚問であると自覚した。

「銃を向けたのは、クエストが出ていたから……」

「当然、そうだよな。違う質問をしよう。情報屋のウグレを知っているか? 知っているなら彼の動向を知りたい」

 ウグレは、ゲームの攻略方法を小出しで教えてくれる情報屋だ。

 情報屋は公式に与えられた職業であり、攻略に行き詰まったプレイヤーへの救済措置のようなものである。四天獣を倒し終えてからはウグレに会わなくなったが、ゲームの序盤は何度もお世話になっていた。

 男がウグレを知る可能性は低いと見積もっていたが、返答は意外なものだった。

「俺の名はイアン。ウグレさんの部下だ。ウグレさんは捕まったよ。アルン城の牢屋に幽閉されているはずだ」

「ウグレが捕まっただと? どうして?」

「エイタさん。あなたの討伐依頼をギルドに流したのはアルンの王だ。ウグレさんはそのクエストを取り下げるよう、王に具申した。エイタさんは魔王じゃないって主張をしたが門前払いだ。それで捕まったのさ……」

「ウグレが……?」

 あえて名乗らなかったが、男は僕の名前を知っていた。やはり完全に顔が割れているようだ。四天獣と同様に指名手配されていることは既に知っていたが、こうも悪名が広まっていると複雑な気分だ。

 そして、イアンと名乗る男の話には多くの情報が詰まっていた。

 ウグレが子分を作っていたことにも驚いたが、僕のために王への直訴を行っていたとは考えもしなかった。彼とは、AIが進化してからは話していない。会話不能のNPCだった時の記憶が生きていて、ウグレが僕を庇ってくれたのだ。

 そして、大魔王討伐クエストの発信者がアルン王だという重要な情報を得た。

 アルン王にも話を聞いてみたいところだ。恐らくは神凪の入れ知恵だろう。

「ふぅん……。エイタ、行くでしょう? その情報屋のところに」

「もちろん行く。イアン、驚かせて悪かった。ウグレのことは任せてくれ」

「こちらこそ、ウグレさんを頼む。どうかご無事で……」

 頭を下げるイアンと別れ、僕はセツナと共にアルン城へ向かうことにした。



 イアンの家を出てすぐ、セツナは何かを迷っているようだった。

 黙ったまま小さな手で口を押さえ、時折首を傾げている。

「セツナ、どうかしたか?」

「……イアンだっけ。さっきの彼は拘束しなくてもよかったの? あなたが街にいることを、ギルドに知らされる可能性だってあるのよ?」

 非情とも取れるセツナの言動だが、彼女は現在の厳しい状況を理解している。

 セツナの言う通り、僕達の目的を達成するためには実際にそうするべきなのだろう。姿を見られたイアンの存在は僕達を破滅に追い込む可能性を秘めており、もっと言うならば口封じのために葬るべきだ。彼もアルンの住人であり庇護の対象であるとはいえ、百のために一を犠牲にする覚悟が必要であるのかもしれない。それほどまでに現状は緊迫しているのだ。

 それでも僕は、非情に徹する気にはなれなかった。最悪の事態に備えて万全を期すべきとはいえ、僕が人に危害を加えていいはずがない。

「イアンはウグレの子分だ。手荒な真似はできない。それに、彼を信用したい」

「ふぅん……。その甘さが命取りにならなければいいけれどね」

「大丈夫だ。頼りになるセツナが一緒だから不安はないよ」

「……あっそ。まぁ、その通りね」

 セツナは素っ気なく顔を背けたが、顔が綻んでいることを隠し切れていない。

 残忍な一面を持つセツナだが、これでも女の子なのだ。仲間を助けるために労力を厭わない、人情深い性格の持ち主だ。何かにつけて揶揄ってくるが、僕の意志を尊重してくれている。

「ところでセツナ、《霊化》を発動中に壁を擦り抜けられることはわかったけれど、地面を擦り抜けて落っこちたりはしないんだな」

「……そんなことになったら《霊化》なんてできないでしょう? 馬鹿なの?」

 それもそうだ。つまらない質問をしてしまった。

 予想していたことだが、セツナからは嘲るような呆れ顔を向けられている。

「それにしても不公平だよな。四天獣は異能に加えて、武術も魔術も使えてさ。俺やアイは、一つしかスキルを修得できないというのに……」

「ゲームの事情は知らないわよ。一応ボスキャラなのだから、そういうものじゃないの? そのぐらいはできないと魔獣の王は名乗れないわ。あなたも大魔王なら精進なさい」

「これは仕様の問題なんだが……。それと、俺は大魔王じゃない……」

 セツナは知る由もないが、他のゲームにこんな理不尽なボスはいない。

 スキルを一つしか修得できないのは、神凪による調整だと今更ながら確信した。


    ◇


 僕達はアルン城に到着した。

 こうして城をじっくりと見るのは初めてのことである。街の中央に堂々と構えているが、ここはゲームを攻略する上で関わることがない。

 堅牢な城門は閉じられており、当然ながら番兵も配置されている。《霊化》がなければ、気付かれずに潜入することは不可能だろう。

 姿を消しているとはいえ、城門を開くわけにはいかない。仕方なく掘割を越え、僕達は区画を取り囲む土塀をよじ登った。こういった強行突破ができるのも転送機ラズハの強みだ。モニター上では城に近付くことさえできないのだから。

 敷地に足を踏み入れると、そこは荘厳な城郭だった。

 最奥には本丸の天守閣があり、居館や櫓も確認できる。石塁が築かれ、歪な形の曲輪が張り巡らされている。構造は日本の伝統的な城郭そのものだ。

 ゲーム上では侵入不可のエリアにしては、やけに手が込んでいる。アジールの屋敷と同様に、神凪が出入りしていると考えて間違いなさそうだ。

「先に牢屋を探そう。ウグレを救出してから、アルン王に会いに行く」

「王様に会ってなんて言うの? 自身の潔白を話しても、情報屋と同様に牢屋へ入れられることが目に見えていない?」

「まずは王様の真意を聞きたい。神凪が陰にいるなら、奴のことも聞けるかもしれない」

「そう……まぁせいぜい頑張りなさい。お供をするわ」

 実在していたことさえ知らなかった王様が、僕を魔王として認定したのだ。

 それが神凪と戦った直後だということは偶然ではないだろう。王様には、この世界の闇について知ってもらったほうがいいのかもしれない。

 僕達はアルン城の本丸へ入り、地下を目指した。実物を現実世界で見たわけではないが、牢屋といえば地下にあるのが相場だろう。

 アルン城は見て呉れも立派だったが、内装もまた手が込んでいる。

 まるで世界遺産の社会見学をしている気分だ。もっとじっくり見て回りたいが、残念ながら今はそれどころではない。

「中の警備は薄いわね。流石に侵入を許すとは考えていないようね」

「そうだな。侵入者が俺達でもなければ、門番がいれば事足りるからな」

 城内の屋敷を少し歩くと、地下への階段を見付けた。この階段はなぜか日本の城郭とは掛け離れた造りをしており、欧州のバロック様式に似た螺旋階段だった。そして周囲の壁が、屋敷の土壁から灰色のレンガへと変わっていく。

 見るからに不穏な空気が漂っている。地下一階に入ると、やはりそこは牢獄だった。見渡すと、目の前と左右に長い廊下がかなり奥まで続いている。アルンの住人を全て合わせても、収容できない数の牢屋がある。獄吏は見当たらない。

「この中から情報屋さんを探すのは大変ね……」

「まぁ、地道に探すしかないな……」

 牢獄の中を少し歩いてから、驚くべきことが発覚した。どの牢屋にも人がいる。収監されている人は老若男女様々で、ほとんどの牢屋が埋まっている。

 牢屋の中の備品は、藁でできた簡素な布団のみ。足枷を嵌められている者や、鎖で縛られている者も確認できる。誰もが気力を失い、悄然と項垂れている。

 セツナに言って《霊化》を解き、僕は眼前の牢屋にいる若い男性に話し掛けた。

「大丈夫ですか? あなたはどうしてここに入れられたのですか?」

「――うわっ、びっくりした! あなたこそどうして牢の外に?」

「俺は友人を探しに――」

「――逃げてください。見付かったら殺されますよ!」

 言下に、若い男性は不穏なことを言い放った。

「殺される……? 一体誰に……?」

「アルン王です。あの人は変わられた……」

「えっ……?」

 どういうことだろうか。言っている意味がわからない。

 立ち止まって考えていると、遠くから嗄れた声が聞こえてきた。

「その声……エイタか!?」

「――――!」

 僕の名を呼ぶ者がいる。誰だろうか。だがその声には聞き覚えがあった。

 ここ数年間は聞いていなかった――懐かしい渋い声。

 既視感に駆られて、僕は声の発信源のほうへ向かった。



 声の主の牢屋に辿り着き、その姿を目に映した。

 やはり、そこに囚われていたのは情報屋のウグレだった。盗賊のような恰好は相変わらずだ。白い布を張り合わせたような服装は、まるで中東の民族衣装。頭にはターバンを被り、口周りの髭が怪しさを醸し出している。

「ウグレ!」

「エイタ、会話をするのは初めてだな。俺は嬉しいぜ」

 アイと同じく一方通行だったウグレとの接触だったが、こうして会話ができていることに感動した。以前とは違って、ウグレの声にも抑揚がある。

「どうしてここに? 俺を助けに来たわけではないだろう?」

「イアンから事情は聞いている。俺を庇ってくれたんだな。君を助けに来た」

「いや、ここを出るのはまずい。看守が定期的に巡回している。脱走は隠せない」

「脱走が気付かれて、何か問題があるのか?」

 会話の最中に、セツナが音もなく自身に施していた《霊化》を解いた。

 するとウグレは、僕の背後にいる青髪の少女に気が付いた。

「――ってうわ! そこにいるのは幽亀セツナじゃないか! エイタ、まさかお前……本当に大魔王になっちまったのか!?」

「――しっ!!」

 驚いて喚くウグレを急いで手振りで制止した。

 遠くからコツコツと足音が聞こえてくる。看守の巡回だ。僕とセツナは《霊化》により姿を隠し、檻の格子を擦り抜けてウグレの牢屋に入った。

「…………」

 少しして、看守がウグレの牢の前に立った。その姿は、街を徘徊していた黒の番兵と同じだ。歩行はぎこちなく、一目で意思のないNPCだと見分けられる。

 看守はウグレを見詰め、帳簿に何かを記入して去っていった。

 ウグレの牢を過ぎた後も、看守は囚人一人一人の顔を確認している。

「何を確認しているんだろうか……」

「何かマルとかバツとかを書いていたわ。体調のチェックかしら」

「それより状況を説明してくれ。君が四天獣と共にいる理由はなんだ?」

「それは……」

 ウグレの疑問はもっともだ。不可解な状況に混乱していることだろう。

 どこまでを話してよいのか、急いで情報の選択を脳内で試みた。そして話せないことは何一つないとわかったので、全てをウグレに曝け出すことにした。



 これまでの経緯と世界の成り立ちまでを、僕はウグレに詳しく話した。

 僕が異世界から来たこと、AIが進化したこと、創造されたこの世界がAIの狩場であること、そして、それを阻止するために僕達が動いていることを――。

 僕の話を聞いて、彼は疑うでもなく納得した様子だった。

「なるほどな……あらかた合点がいったぜ。アルン王に同じことを言われたんだ。消えるか、働くか選べってな。ここを出ようものなら、俺は消されることだろう。俺は一度王様に殺された。刀でぶっ刺されたかと思うと、気が付けばこの牢屋の中にいたんだよ」

「理解が早いな、ウグレ。それに、一度殺されていたのか。傷はないか?」

「刺された時は血だらけで苦しかったぜ。だが牢屋に着いた時には痛みもなく、傷は治っていた。それにしても、それからずっと牢屋に放置されていたんだぜ? 扱いが酷くねぇか?」

「それは酷いな……。よく生きられたものだ……」

 死したプレイヤーが教会に転送されるように、NPCはこの牢獄に転送される仕組みになっているようだ。死が消滅に直結しないと知られてホッとしたが、行き先が地獄であることに変わりはない。捕らえられた者は二度と表を歩けず、存在を削除されるか奴隷となるかの二つに一つなのだ。

 そして、わかったことがある。アルン城の城郭を見て疑惧していたことだ。

 アルン王は恐らく神凪本人。奴はアルンの王として、住民を監視していたのだ。

 フィヨルディアを始めてから八年もの間、僕の動向も筒抜けだったことだろう。

「ところで黒の番兵はいつ、どこから現れた?」

「昨日だな。アルン城からぞろぞろと出てきやがった。街中に配置され、誰かを探しているようだった。会う度に顔をジロジロと見られて、時には身分を明かせと高圧的に言ってくる。この牢獄に捕らえられている者は、王様に文句を言った者達だろう」

「そんなことがあったのか……。ウグレが捕まったのは、俺の討伐クエストに抗議をするためだろう? どうして……?」

 ウグレは僕の目を見詰めて、小さく笑った。

「君は四天獣を倒すために、俺を情報屋として頼ってくれていたじゃないか。そんな男が悪に加担するはずがない。……まぁ実際は本当に四天獣と手を組んでいたわけだが、意図が本来と違うんだよな? アルンを滅ぼそうなんて、これっぽっちも考えていないだろう?」

「当然だ。四天獣と手を組んでいるのは、アルン王の謀略を阻止するためだ。……まぁ、当初は冒険のお供だったけれど……」

 四天獣がいなければ、神凪に勝つことは絶対にできない。結果として、四天獣は重要な戦力であり仲間となった。しかしアルンの民は全員、四天獣を諸悪の根源だと認識している。アイやウグレのように腹を割って話せる間柄でなければ、少女達に対する憎しみを取り払うことは困難だろう。

「俺はもうおしまいだ……。二度とここを出られない……」

「そう言うな。俺は皆を解放する方法を考える」

「…………」

 震えて俯くウグレの顎を、セツナが指で持ち上げた。

 セツナはウグレの目を、じっと見詰めている。

「な、なんだよ……?」

「ウグレといったかしら? エイタの言うことを信じて。彼は絶対に成し遂げるわ。……ええとそれから、情報屋の腕を見込んで、あなたに頼みがあるの。人民を解放し、アルン王の企みを食い止めた暁には……」

 セツナは照れ臭そうに言葉を溜めた。

「……あ、暁には、四天獣を勝利の女神として祭り上げなさい。情報屋として、それぐらいはできるでしょう?」

「…………へっ?」

 思わぬ要求に、僕とウグレは呆気に取られていた。

「へぇ、驚いた。セツナにも承認欲求があるのか」

「違うわよ。せっかく世界が平和になっても、山に籠らされて命を狙われる生活はもう嫌なのよ。誰彼構わずに襲われる者の気持ちを考えたことがあるの?」

「そうだな。神凪を倒した後は、四天獣の皆にも幸せになってもらわなければ」

 四天獣が悪役なのは設定上の話であり、今や過去の遺物だ。少女セツナには不名誉でしかない。セツナも本当に変わったなと、僕はしみじみ思いを馳せていた。

「私は平穏な生活を送りたいの。アルンで一軒家を買うからね。アルン城の隣に建てようかしら。いや、アルン城を乗っ取るほうがいいかしら」

「アルン城を乗っ取れば、また追われる日々になるだろうな……」

 四天獣の少女達が平和に暮らせる世界を手に入れるためにも、神凪を止める方法を考えなければならない。牢屋に囚われた者を解放するためにも、絶対に負けるわけにはいかない。

「セツナさん、任せてください! このウグレ、情報屋としてその役を果たしてみせます!」

「良い子ね。頑張りなさい」

 周囲のいくつかの牢の中で、僕達を応援する言葉が聞こえてきた。看守に気付かれないように皆小声だったが、僕はしっかりとその鼓舞を受け取った。

「……じゃあ、私は行くからね」

 セツナは軽い足取りで、牢から離れていった。

「ま、待て、セツナ! 俺も《霊化》してもらわないと出られない!」

「エイタは私がいないと何もできないのね。困った大魔王様ですこと」

「……いいから早く牢から出してくれ」

 こんな悪戯っ子が、勝利の女神なんて似合わない。だがそれを伝えると本当に置いて行かれそうなので、僕は口を噤んだ。


    ◇


 セツナと共に螺旋階段まで戻り、更に下層へと下った。 

「何かしら……これより下の階は嫌な気配がするわ……」

「敵がいるかもしれないな。《霊化》を発動中なら大丈夫だと思うが、警戒はしておこう。油断は禁物だ」

 セツナの異能には散々助けられてきた。その予知能力の精度を無視するわけにはいかない。急に戦闘となる可能性を考える必要がある。

 階段を下りると、行き止まりとなっていた。地下二階が最下層のようだ。

 なんと地下二階の入口は、フィヨルディアでは見たことがない形状の扉だった。現実世界では幾らでも見掛けられる、まるでアルミでできたような銀色の建具。扉には《神凪商事株式会社》と書かれた室名札が貼られ、隣にはカードキーを翳す機器が設置されている。どう見ても事務所の入口だ。

「嘘だろ……。まさかここが――」

「捕らえたAIを……働かせる場所ってわけね……」

 AIを現実世界に連れて行くことは、物理的に考えれば不可能だ。

 奴はフィヨルディアの地下でAIを働かせていたのだ。上階の囚人を長期間捕らえて疲弊させ、奴隷となる選択をした者をこの最下層へ連れて来るわけだ。

 この事務所の中に入れられた者は、歯向かえば存在を削除される恐怖の渦中だ。このような理不尽を取り締まる機関はなく、法律も人権も存在しない。神凪こそが、フィヨルディアを統べる神なのだから。

「あっちの世界だったら裁かれる案件だ。こんな悪行が許されていいはずがない」

「エイタは私達AIのために憤ってくれるのね。私もこんな悪行は許せないわ。神凪こそが真の魔王ね……」

 この扉を破壊すれば、奴隷となった者を一時的には解放できるだろう。

 しかしそれでは、抜本的な解決にはならない。神凪を――なんとかしなければ。

「中へ入ってみる?」

「……そうだな。行ってみよう」

 セツナに促されて《霊化》を共有し、僕達は扉を擦り抜けて事務所の中へ足を踏み入れた。



 事務所の中は、奥の壁が見えないほどに宏闊だった。天井は化粧石膏ボード、床はタイルカーペット、内壁と間仕切りには白色を基調としたクロスが貼られている。フィヨルディアの世界観とは大きく異なる現代風の内装だ。

 机を向かい合わせに並べた島型の配置は、見るからに企業のオフィスに見える。島ごとに天井から看板がぶら下がり、地球上に存在する企業名が記載されている。

 中小企業から世界的な大企業まで、現実世界ではあらゆる業種、職種がAIに取って代わられていることがよくわかる。

 彼らは、ここで仕事をさせられていたのだ。百年以上も続いている神凪商事の事業実績が、このオフィスで働く者達だということだ。

 従業員はPCに向かって何かを入力している。電話を取っている者、紙にメモをしている者、資料を運んでいる者など、一般的な事務所といった雰囲気だ。

 車両の運転席のみが配置されている区画もあり、ここが現実世界の車両と繋がっているのだろう。まるでレースゲームの筐体のようだが、タクシーやバス、配達などをここで行っていると推測できる。建設機械や航空機のコクピットも確認でき、本当にNPCが現実世界の労働を担っているんだなと改めて実感した。

 かつて現実世界の人間が行ってきた業務を、AIが代わりに従事しているのだ。道具として生み出され、歯向かえば殺される恐怖に怯えながら。

 中には、アイと同じ年齢に見える子どもの姿も確認できる。抗えない現況を受け入れ、彼らは休みなく働かされているのだ。僕の高校の教師を務めているAIも、きっとこの事務所のどこかで働かされていることだろう。

 ここで僕達の存在に気付かれてはならない。僕達がこの事務所に辿り着いたことを神凪に気取られるわけにはいかないからだ。

 神凪はアルンの住人を再び根絶やしにして、他社へ労働力として売り飛ばす気だ。フィヨルディアの開闢から今年で百三十三年――。二十五年の周期で五度にも渡る虐殺が行われてきたのだ。

 今回の周期は絶対に阻止する。それが、僕がここにいる使命だと考えている。

 地球上がどれだけ便利になろうと、犠牲の上に成り立つものであるなら必要なことだとは思わない。人工的に生み出されたものであっても、意思を宿した者の人権を蔑ろにすることは許されない。

 当初はそんな大義を持ってフィヨルディアで遊んでいたわけではないが、真実を知った以上は見過ごすことなどできるはずがない。

 世界中の人に反駁されようとも、僕はこの事業を絶対に止めてみせる。

 セツナが僕の手を握る強さが増し、口に出さないまでも義憤を感じ取れた。


    ◇


 アルン城を出てしばらく歩いたが、セツナは黙ったままだった。

 アルンには至る所に黒の番兵がいるので、街の外へ出て《霊化》を解いた。

 仲間との合流地点である風車の前に腰を下ろして、セツナは息を整えている。

 こんなに取り乱すセツナを見たことがない。《霊化》を解除した後も、セツナは繋いだ僕の手を握り続けていた。

「セツナ、大丈夫か?」

 セツナは三角座りをして、自身の膝に顔をうずめている。

 僕の問い掛けを聞き、セツナはゆっくりと顔を上げた。

「私が殺してきた人は、あの牢獄に囚われていたのよね……」

「……ああ、そういうことになるな」

「あの地下で……私が手を掛けた人を見付けたわ……。私……何てことを……。私はやっぱり魔獣なのね。奴の計画の大部分を担っていたことになるわ。フィヨルディアで死亡した者は奴に捕らえられるとは聞いていたけれど、実際に目の当たりにすると心にくるわね……」

「四天獣はそういう役割を与えられて生まれてきたからな。二十五年の周期で、アルンを襲うようにプログラムされていた。今はどうだ、山頂にいた時と心境は変わらないか?」

「今は人を殺すなんてできるはずがない……考えたくもない……」

 突き付けられた真実に、セツナは罪の意識に苛まれていた。

 嗚咽を漏らして涙を流し、その精神は今にも崩れかけていた。

「魔獣の姿だった時のことは忘れろ。逆らえない使命を与えられた四天獣は、むしろ被害者だといっていい。虜囚となった人々は違う世界で生きている。神凪は殺戮だと言っていたが、厳密には違うんだ。まだ助かる道はある」

 僕は握られたセツナの手を両手で包み込み、涙を流す少女の目を見据えた。

「俺はこの惨劇に終止符を打つ。力を貸してくれ」

「……エイタも力を貸してね。私は身命を賭して、この世界を護るわ」

 セツナが泣き止むまで、僕は繋いでいる手を握り続けた。



 セツナは泣き疲れて寝てしまった。僕に寄り掛かって寝息を立てている。

 アルン城の地下での出来事も衝撃だったが、何より潜入中はずっと《霊化》を発動していたのだ。セツナはかなり消耗しており、しばらくは起きないだろう。

「……ん?」

 ――妙な気配を感じて、僕は振り返った。

 視線の先で二つの小さな人影が、立木の陰にさっと隠れるのが見えた。

 少し待ってひょっこりと顔を出したのは、フウカとライハだ。

 立木に身体を隠し、場都合が悪そうにこちらを見ている。

「……こそこそと何をやっているんだ?」

「エイタ、覗き見をする気はなかったんだ。隠れたのは、二人が何だか良い雰囲気だったから……」

「お主らアツアツじゃのう。罪な男じゃ。アイに言ってやろうかの?」

「お前ら……」

 セツナの心境も知らずに茶化してきた二人へ小言を言ってやろうかと思ったが、セツナの睡眠を邪魔したくはない。僕は指を口に当てて、手振りで静黙を求める旨を二人に伝えた。すると意図を察した二人は、静かにこちらへと近付いてきた。

「セツナ、寝ているのか……」

「だから言っただろう。静かにな」

 寝ているセツナの頭をフウカはそっと撫でた。セツナは熟睡しているようで目が覚める様子はない。ライハも穏やかに眠るセツナを見て顔を綻ばせている。

 少しの間セツナを静観してから、ライハは一度緩めた口元を引き締めた。

「エイタよ、アルン城での出来事を余に話してみよ」

 セツナが起こさないように、ライハは小声で訊ねてきた。

「……え? どうしてそのことを?」

 ライハとは先ほど会ったばかりだ。アルン城のことはまだ伝えていない。ライハは僕の目をじっと見詰めている。その瞳には吸い込まれそうな魔力があった。

「異能《読心》じゃ。相手の目を見れば、考えていることを読めるのじゃ」

「えぇ!? 驚いた……。恐ろしい異能だな。戦闘でもかなり使えそうだ」

「今し方発現したばかりじゃが、もうだいたい物にできたわ」

 ライハの深紅の瞳には、何やら術式が描かれているのが見えた。神凪が意図したものかどうかは不明だが、これは四天獣ごとに与えられた固有の異能だ。

 改めて四天獣の恐ろしさを痛感した。心を読むことができる相手に、僕は戦いで勝つ方法が浮かばない。ライハが敵でなくて本当によかったと、心から痛切に感じさせられた。

「うむうむ、そうか。そう言われると、悪い気はせんのう。頼りにしてよいぞ」

「ライハさん、心を読まないでください……」

 フウカ曰く、眠ったセツナは攻撃を受けるか、無理矢理に起こさない限りは目を覚まさないらしい。

 その情報を信じて、この場でアルン城での出来事を二人に共有した。



 眠っていたセツナが、跳ね起きるようにして目を覚ました。

「ごめん、起こしちゃったか。セツナの睡眠はクレバスよりも深く、一度眠りに就いたら天地がひっくり返っても起きないとフウカが言っていたから……」

「そこまでは言ってねぇよ! なかなか起きない子だとは思っていたけれど……」

「セツナ……? どうしたというのじゃ?」

 セツナは応えずに、一点を凝視して慄然としている。

 その方角は南の煉獄――霊峰ソルベルク。

「アイ……ホムラ……まずいことが起こるわ。彼女達が危険よ!」

「何だと!?」

 僕達は一斉に南の方角へと目を向けた。

 すると、霊峰の山頂から巨大な火柱が天を衝いた。

 まるで噴火したように弾ける炎の渦は、遠く離れた位置にも拘わらず魔術の轟音を僕達の耳に届かせた。これはアジールで打ち合わせた援護要請の狼煙。神凪の出現を知らせる合図であり、仲間の危機だ。

「あれは、ホムラの炎の力だ。魔術を天に放つ行動は危機の知らせ。まずいぞ……神凪が現れたんだ!」

 霊峰ソルベルクへ向かったアイとホムラの危機を察知して、セツナは目を覚ましたのだ。異能《予知》が発動するほどに色濃い危難。急がなくてはならない。

「急いでソルベルクへ向かうぞ!」

《転送の札》はもう手持ちがない。アルンで購入することもできず、自力で麓から山を登るしか助けに行く手段はない。

 迷っている暇はなかった。ライハは状況を理解し、龍の翼を顕現させていた。

「急ぐのじゃ! セツナは余の背に乗れ! エイタはフウカの――」

「――その必要はないぜ」

 慌てる一同をフウカが制止した。ライハは飛び立とうとしていたが、セツナを降ろしてフウカを見据えた。フウカに焦る様子はない。

 フウカは掌を合わせ、地面に向けて魔力を解き放った。すると、緑色に輝く六芒星の結界が地表に現れた。結界には見慣れた術式が描かれている。

「全員この中へ入れ! あたしが一瞬でソルベルクの山頂まで送ってやる!」

「《転送》の術式か!? いつの間にこんな異能を――」

「話している場合じゃない! 行くぜ!」

 皆一斉に、フウカが作った結界に飛び込んだ。

 結界に入ると、地面から立ち上る風に包まれた。


    ◇


 悪い夢でも見ているようだ。眼前に広がる光景は、正に神々による終末戦争。

 炎を纏う不死鳥が二体、空中で激しく身体をぶつけ合っている。一方は背に翼を発現させた少女――ホムラ。もう一方は、翼開長二十メートルの巨躯を誇る炎の猛禽。少女ホムラとは別個体だが、かつて僕が打倒した煌凰が再びフィヨルディアに舞い降りたようだ。信じたくないが、目に映る事実を受け入れるしかない。

 周囲を見渡したが、神凪の姿は確認できない。ホムラが僕達に知らせた脅威は神凪ではなく、再臨せし魔獣の王――煌凰のことだったのだ。

 過去に幾度となくアルンの民を食い殺してきた――邪悪なる四天獣の化身。二体の不死鳥が纏う劫火は地表をじりじりと焦がし、辺りを焦熱地獄に陥れている。

 僕達は即座にホムラの援護を始めた。セツナが空気中に氷晶をばら撒き、フウカの竜巻をぶつけることで疑似的な猛吹雪を発生させた。氷を纏った風の刃は荒れ狂い、土埃を舞い上げて煌凰に向かって襲い掛かる。

 続いてライハは雷撃の矢を標的に向け、急所を狙って一斉に撃ち放った。ホムラは仲間の到着に気が付き、空中でライハとの連携を図っている。しかし、煌凰は集中砲火を物ともせず、一切の隙を曝さない。生半可な魔術では陽動にもならないのだ。真っ向から打ち合うしか戦法を見出せず、少女達は攻め倦んでいた。

 すると煌凰は灼熱の息吹を撒き散らせ、少女達の技の応酬をかき消した。上級魔術《焔閃波えんせんは》。放出を続ける煌凰の息吹は、燎原の火の如く少女達に襲い掛かる。

 全員で魔術の障壁を展開したが、熱線の勢いを抑えられない。結局は相殺に至らず、回避を強いられてしまった。煌凰の出力は桁外れであり、避難の判断が遅れていれば全員が火の海に溺れていたことだろう。

「皆様、ご助力感謝します!」

「なんという熱風じゃ。近付くのは骨じゃのう」

「炎を正面から受けたら消し炭にされるぜ。近付くのは危険だ」

「ホムラ、よくこんな化物を相手に耐えたわね」

 煌凰の息吹をなんとかやり過ごし、少女達は煌凰を見上げた。敵の火力の高さと圧迫感に、武芸百般の四天獣を以てしても攻め手を決め兼ねている。

 少女達の奮闘を他所に、僕は息を殺して煌凰の背後に忍び寄っていた。

 灼熱の息吹が止まった僅かな隙を見て、僕は煌凰の背に太刀を突き刺した。

「ギイイイイッ!!」

 煌凰の悲鳴が耳を劈く。

 僕は刺した太刀を引き抜き、複数回の斬撃を浴びせて着地した。やはり、最初に倒した煌凰と同様の攻撃パターンだ。僕が導き出した攻略法が通用する。

 少女達は僕の華麗なる攻勢を見て、驚いた様子で閉口していた。

「……さらっと攻撃を当ておったな。エイタ、やるではないか」

「一度は倒しているものでね」

 犠牲者を出さないためにも、皆には攻略法を伝える必要がある。

 死に戻りはできない。この戦いもまた――敗北が許されない戦いなのだ。

「皆、聞いてくれ。ボス戦の基本だが、敵の攻撃の前には必ず特有の動作が行われる。それを戦いの中で覚えていってくれ」

 元ボスに対して、ボス戦の戦い方を教えることになろうとは考えもしなかった。

 四天獣の少女達は落ち着いており、僕の言葉に真摯に耳を傾けてくれている。

「炎の息吹の前兆は、嘴を大きく開けて上体を反らせること。突進の前兆は、翼を大きく開いて空中で静止すること。翼での薙ぎ払いは、居合のように片翼を隠す動作だ。大振りの攻撃には隙ができる。その隙に攻撃をするんだ。そして奴の特性として、空中にいる者に照準を合わせる傾向がある。更に弱点は背中だ。陽動しつつ、皆で狙おう!」

 早口だったが、仲間達は僕の説明を理解してくれたようだ。絶望的かと思えた煌凰との戦いも、僕の教示により光明が見えてきた。

 皆が顔を合わせて頷き、表情が雄渾に引き締まっている。

「流石、一度は倒しているだけのことはあるな!」

「なるほど。煌凰の息吹を誘発する必要があるわね」

「陽動はわたくしとライハちゃんで行います。皆様は隙をついて叩いてください」

 どうして煌凰が蘇ったのか、アイはどこへいるのか、わからないことだらけだ。

 しかし、目の前の怪物を処理することが先決だ。揺らいだ心で勝てる相手ではない。僕達はそれぞれが配置につき、一丸となって煌凰を攻め立てた。



「煌凰が伏せた! 離れていろ! 三秒後に奴は飛び上がる! 攻撃のチャンスだが、欲張ると巻き込まれるぞ! ここは焦らず、空中で先回りして攻撃を当てるんだ! 無理をせず、二発に留めておこう!」

「わかりました! 参ります!」

 戦闘前に伝えきれていない敵の情報は幾らでもある。僕は戦いの中でその都度仲間達に情報を共有して、煌凰の攻略を進めていった。

「煌凰の口内から煙が出てきたのが見えるか? あれは五発の火球を飛ばす技だ! 一発当たりの間隔は約二秒。背後が隙だらけだ! 全員で叩くぞ!」

「よかろう! スピードは余の専売特許じゃ!」

 少女達は煌凰の動きに慣れ始め、攻撃の隙を上手く突けるようになっていた。

「煌凰の全身が光り始めたら、総員一時退避だ! 広範囲に大爆発を起こすぞ!」

 しかし攻撃パターンが以前と同じでも、火力と速度が格段に違っていた。煌凰は全ての能力値が大幅に上げられており、真面に一撃を食らえば致命傷を負ってしまう。攻撃するタイミングを計ることは充分に可能だが、失敗を起こせない緊張が判断力を鈍らせていく――。

「ライハ、何をしている!? 早く逃げろ!」

「ライハちゃん!」

「むっ……?」

 ライハが攻撃の機会を誤った。煌凰の全身が燦然と輝く中、ライハの回避が遅れたのだ。ホムラは高速でライハと煌凰の間に入り、ライハに炎の結界を張った。

 特級魔術《煌炎盾こうえんじゅん》。ホムラの燃え盛る翼が、ライハを温かく包み込んでいく。

「ライハちゃん……大丈夫ですよ。じっとしていてくださいね……」

「お、おい……ホムラ、お主……!」

 ――すると、一同は一時的に視覚と聴覚を失った。

 特級魔術《爆獄炸ばくごくさつ》。音を置き去りにした煌凰の大爆発は、地勢にも大きな傷跡を残していた。爆心地となったソルベルクの山頂には、捥ぎ取られたようなクレーターができている。

 無情にも、ライハとホムラが爆発に巻き込まれてしまった。炎の結界に護られたライハは無事だったが、ホムラは全身を焼かれて崩れ落ちた。翼は無残に千切れ、身体は原形を留めないほどに焼け爛れている。

「ホムラ……」

 ホムラは異能《不死》を持つ。今ここでホムラが死のうとも、生き返ることは周知の事実だ。しかし、死に際の痛みは常人のそれと変わらない。死の苦しみを自身で引き受けようとも、ホムラは仲間を助ける選択をしたのだ。

「すまぬ……ホムラ、後は任せるのじゃ!」

 赫奕たる煌凰の大爆発は、鼬の最後っ屁ではない。当然だが、煌凰は生きている。既に大技の硬直から解かれ、殺意を撒き散らせて向かってくるところであった。特級魔術の発動による体力の消耗など期待できそうにない。

 ここからは先は、ホムラを欠いた状況で煌凰に勝たなければならない。ここは戦場であり、ホムラの死を悼む時間はない。

 一層失敗を許されない戦況の中、僕達は集中力を切らさずに戦い続けた。


    ◇


 ――数時間にも渡る死闘の末、僕達は遂に煌凰を打ち倒した。セツナに煌凰の注意を引き付けて《霊化》で躱す作戦が功を奏したのだった。

 煌凰の沈黙を確認し、僕達は急いでホムラの元へと集まった。

 ホムラの身体は少しずつ再生していくところであった。あれほどの傷だ。想像を絶する痛みであったことだろう。彼女はあの時、確実に絶息していた。

 痛みに引き攣る表情を見られないように、ホムラは顔を手で覆っている。

「……ホムラ、すまぬ。余の過ちじゃ」

「ふふ、いいのですよ。わたくしは……皆様を護る盾ですから」

 四天獣ホムラに、仲間を護るという設定はない。異能《不死》を活かせることと、仲間を護りたいというホムラの意志が行動に表れたのだろう。

 ホムラはいつもと変わらない優しい笑顔だ。逃げ遅れたライハを責めることをしない。ライハもそのホムラの寛恕に、感謝と心苦しさがあるのだろう。少しずつ再生していくホムラを、ライハは抱き締めて離さない。

「煌凰は、わたくしと同様に《不死》です。セツナちゃん、氷の封印をお願いできますか?」

「私の封印術は完全ではないけれどね。再生を遅らせる程度の効果しかないわよ」

「とりあえずは構いません。お願いします」

「また動き出されたら敵わないわね……。私にできる精一杯をやってみるわ」

 セツナは事切れている煌凰に氷の封印を施した。宝玉を封印した時と同様に、巨大な結界が煌凰を覆っていく。煌凰は身体が芯まで凍り付き、結晶と化した。

 戦いを征したことには安堵したが、僕にはずっと心に引っ掛かっていることがあった。いつも活発で明るい少女が、この場にいないのだ。

「……ホムラ、アイはどこだ?」

「…………」

 ホムラは目を伏せた。口唇を噛み、表情からは悔悟の念が窺える。

「アイちゃんは……神凪に連れて行かれました……」

「な、なんだって!? 奴はどこへ!?」

「わかりません……《転送》の術で姿を消していきましたから……」

 神凪がアイを拉致する意図がわからない。

 人質として僕達を誘き出すのか、早速奴隷として売り捌くのか。いずれにしても、よからぬ扱いを受けることは間違いない。

「本当に申し訳ございません……神凪が山頂の宝玉を破壊すると同時に、割れた宝玉の中から煌凰が姿を現しました。わたくしは煌凰に手を取られ、アイちゃんをみすみす奪われてしまいました……」

「宝玉から煌凰が……? そんなことがあったのか……。ホムラに落ち度はないよ。あの煌凰の強さは異常だった」

 ホムラに非はない。それは誰もが理解している。

 あんな化物を前にして、神凪からアイを奪い返すなどできるはずがない。

「神凪はわたくしに忠告をしました。『新たなる四天獣は、真っ先にアルンを襲うようプログラムされている』――と。実際に煌凰は山頂を離れ、わたくしに目もくれず下山しようとしたのです」

 ホムラが語る神凪の台詞は、恐るべきものであった。

 皆が動揺を隠せず、思い思いに驚きと不安を呟いていた。

「新たなる四天獣じゃと!? まさか余の偽物まで生み出されたというのか……? あの宝玉の中に、その化物が眠っていると……?」

「あんな化物がアルンを襲えば一溜まりもないな……。ホムラは独りでよく耐えたよ。宝玉を破壊されて煌凰が現れたなら、あたしの山でも同じことが起こるのかな……?」

「ええ、恐らく他の霊峰にある宝玉を破壊されても、同様に新たな四天獣が現れることでしょうね……。エイタには全ての四天獣の倒し方を教えて貰わないと」

「ああ、構わない。君達四天獣には散々苦しめられてきたからな。行動パターンはだいたい頭に入っている。それで簡単に勝てるほど甘い相手ではないが、覚えておいて損はない。知識の有無が勝敗をわけることもあるだろう」

 僕のゲーム攻略法が必要なことは事実だ。先ほど倒した煌凰との戦いも、攻略法がなければ到底勝つことができなかった。強化された四天獣にどこまで通じるのかわからないが、敵方の知識の有無は勝敗に直結する要素となる。

「宝玉の破壊と、四天獣出現の因果関係は間違いなさそうだ。あのクエストの意図を理解したよ。まずは、宝玉の破壊クエストを取りやめさせよう。四天獣が再び現れると、アルンは助からない。もう脅してでも……冒険者ギルドを破壊してでも止める必要がある」

「そうじゃな。絶対に阻止せねばならぬ!」

 僕の提案に異を唱える者はいなかった。仲間達の目的は一致している。

 僕達はフウカの《転送》の術で、アルン近郊に飛んだ。


    ◇


 現在は日も落ちてきた時間帯だが、それでも番兵は役割に従事している。意思を持たぬNPCであるが故の使い方だ。

 僕達は《霊化》を共有し、アルンへと足を踏み入れた。しかし、この人数を《霊化》させるのは体力の消耗が早まるようだ。セツナは既に息が上がっている。

 アルンの門をくぐると人気のない場所へ行き、一時的に《霊化》を解除した。

「ふぅ……この人数を同時に《霊化》させるのは、少し難しいわね……」

「頼ってばかりですまない……」

「うっ……」

「セツナ!?」

 立ち眩みで体勢を崩したセツナを、フウカがそっと手を差し伸べて支えた。

「……セツナは少し休んだほうがいい。さっきの戦いの傷も癒えていない上に、ソルベルクへ向かう前も充分な休息を取れていなかっただろう?」

「フウカ、気遣ってくれてありがとう。でも、私の異能が必要なのよ……」

 フウカに身体を預けながらも、セツナは異能を発動すべく奮起している。

 強がるセツナを見て、ライハは無防備な額を指で弾いた。

「――痛っ!」

「セツナよ、そのような状態で急に倒れられても迷惑じゃ。お主は休んでおれ」

 セツナは打たれた額を押さえている。ライハの言うことに反論の余地はなかった。己の身体のことはよくわかっている。《霊化》中に力尽きてしまっては、仲間を更なる危険に曝してしまうのだ。無茶はできない。

「そうね……少し休息が必要かしらね」

「うむ、それでよいのじゃ」

 ライハはよしよしと頷き、セツナの頭をくしゃくしゃに撫で回した。

 セツナが無茶をしようとする気持ちも理解できる。

《霊化》がなければ、街を歩くことも儘ならないのだ。四天獣の恰好は煌びやかで目立ち、こうして立ち止っているだけでも発見される危険性がある。

 少女達はセツナを気に掛けながらも、打開策を見出せずに手を拱いていた。

「……俺に当てがある。皆、ついて来てくれ」

「エイタ様……」

 少女達は縋るように顔を上げた。

 当てがあるとは言ったが、抜本策ではない。僕は賭けに出ることにした。深く考えている時間はなく、一刻も早く行動に移さなければならないのだ。

 既にフィヨルディアはデスゲームと化し、いつ何時も命の懸かった状況である。あらゆる局面に於いて、最善手を選び続けなければならない。

 そんな中で彼女達を導けるのは、プレイヤーである僕しかいない。


    ◇


 アルン南東のスラム街。僕は少女達を連れて、細い裏通りを歩いていた。ここなら人通りが少なく、通報される危険性は低い。

 人目を避けつつ歩き、僕はある二階建ての建物の前で足を止めた。老朽化した家屋。以前、ここから狙撃されそうになった出来事が記憶に新しい。

 戸を叩くと、眠そうに目を擦る男性が姿を現した。

「……はいはい、どちらさんですか?」

「イアン、こんばんは。急に訪ねてすまない。ちょっといいか?」

「あなたは……エイタさん。それから………………えぇ!?」

 僕の背後には、四つの小さな人影が顔を出している。

 イアンは四天獣の少女達に驚いて、大きく一歩後退りをした。

「驚かせてごめん。彼女達は敵ではないよ。イアン、話を聞いてほしい」

「……エイタさん、あまり驚かせないでくれ。殺されるかと思ったよ。こんなあばら屋でよければ、入ってくれて構わない」

「ありがとう。イアンには協力を頼みたい」

 イアンに促され、僕は仲間と共に玄関の敷居を跨いだ。

 イアンの家は、情報屋の事務所として使われていたようだ。一階は事務室、二階にはベッドが並べられ、ウグレもここに住んでいたらしい。

 ひとまずセツナを二階で寝かせ、一階の事務室でイアンに協力を仰いだ。

 煌凰との戦闘で傷を負ったのはセツナだけではない。四天獣の少女達は温かいスープを啜りながら、身を寄せ合って身体を休めている。

 僕はイアンに全ての情報を伝達した。現実世界のこと、フィヨルディアのこと、神凪の事業、アルン城の機密、これからの行動指針などを――。イアンは驚いた様子を見せたが、事態を受け止めたようだ。ウグレと同様に理解が早い。

「この世界にそんな秘密があったなんて……。俄には信じ難いが、ウグレさんも常日頃からこの世界の異常性を指摘していたんだ。信じるよ、エイタさん。この世界を救ってくれ」

「ああ、任せてくれ。俺はそのためにフィヨルディアにいる」

 イアンは、僕達に協力をする姿勢を見せてくれた。

 だが他者との接触に際して、僕達は慎重を期す必要がある。通報をされれば僕達の計画は潰え、フィヨルディアに安息の未来は訪れない。ゲームとはいえチャンスは一度きり。失敗は許されないのだ。

 念には念を入れて、ライハには異能《読心》を発動させるよう頼んである。ライハから指摘が入らない以上、イアンは完全に信用できると確信した。

「イアン、俺が街で情報を集める間、セツナを匿ってほしい。彼女には休息が必要なんだ」

「わかった。この屋敷を君達の活動拠点として使ってくれ。俺は一階で寝るから、二階を自由に使ってくれて構わない。俺にできることがあれば何でも力になるよ」

「恩に着る。ありがとう。本当に助かった」

 イアンは快く引き受けてくれた。イアンは裏表のない笑顔で親指を立てている。

 アルン城の潜入には、セツナの異能がないと話にならない。イアンの協力のお陰で、セツナを休息させられることはありがたい。神凪は力押しで勝てる相手ではなく、こうした協力者の存在が何よりの助けとなるのだ。

 イアンの心を覗き見たライハは、彼への警戒心を解いていた。

「イアンよ、温かいスープをもう一杯寄越すのじゃ」

「ああ、幾らでも飲んでくれ」

 イアンは空の器をライハから受け取り、台所の鍋から煮立ったスープを注いだ。ライハに続いて、フウカとホムラもスープを受け取っている。

「おっさん、ありがとよ」

「イアン様、ありがとうございます」

 とりあえず少女達を休ませることができて、僕はホッとしていた。

 そして僕は、次に取るべき行動について考えていた。

「フウカ、ライハ、ホムラ、ここで待っていてくれ。俺は独りでギルドへ行く。情報収集、それからクエストの破棄を受付のスニルに依頼するよ」

 すると少女達はスープを飲む手を止め、僕に視線を集めた。

「一人で……行くのですか……?」

「これだけの人数では目立ってしまうだろう? 俺なら大丈夫だ」

 僕の考えを聞いても、少女達は納得がいかないようだった。

 ライハはスープの器を置き、手首の関節を鳴らしている。

「馬鹿者、お主独りで何ができようか。余も連れて行け。異能《読心》は役に立つじゃろう」

「エイタだけじゃ不安だぜ。あたしがいなきゃな!」

「わたくしもお供をいたします!」

 少女達は立ち上がり、やる気を漲らせていた。

 僕の話を聞く気がないのか、気合だけで献言を押し通そうとしている。

「いや、だから目立つって言っているだろう? こんな大勢では隠密など無理だ」

「そう……ですよね……」

 僕の主張に異論が出てこない少女達は、しゅんと肩を落としていた。

 すると、イアンはクローゼットから何かを取り出していた。

 黒い布地の物体を机の上に並べ、自慢するように目尻を吊り上げている。

「これは……上着か?」

「ああ。外出にはこの外套を使うといい。見た目は少し怪しいけれど、今の恰好よりは目立たないはずだ。これで仲間も一緒に出歩けるだろう?」

「用意がいいな。これは使えるぞ!」

 イアンがクローゼットから取り出したのは、大きめのフードがついた外套だった。人数分の用意があり、これでセツナを置いて探索ができそうだ。

「良い物を持っておるのう。これなら正体に気付かれることはなさそうじゃ」

「でも、これはあたしらには丈が長いな」

 少女達は外套を羽織ったが、裾が地面についてしまっている。まるで子どもが父親の服を間違えて着た時のように、明らかにサイズが合っていない。

「裾直しをしよう。こう見えて裁縫は得意だ」

「何から何まですまない。助かるよ」

「俺にとって、あなた方は救世主だからな。ウグレさんも同じことをするだろう」

 イアンは慣れた手付きで裾直しを始めた。

 ホムラも針と糸を借り、見様見真似で裾直しを手伝っている。

 裾直しの間、フウカと僕は作戦を練っていた。

「上着を着ても、この人数は少し目立つな。エイタ、二人一組で別れるか?」

「そうだな。俺とライハで冒険者ギルドへ行く。ホムラとフウカは、少し離れてついてきてくれ。何かあれば合図をする」

「わかった。二人とも頼んだぜ」

 ライハの異能《読心》は潜入で役に立つ。アルンの住人から情報を得る場合でも、敵味方の判別ができるからだ。

 話している内に、少女達の身体に合わせた外套が完成していた。

「イアン、セツナを頼んだ」

「はい、お気を付けて。無茶はしないでください」

 セツナをイアンの家に置いて、僕達は夜のアルンに繰り出した。

 イアンに貰った外套は闇に紛れる黒色。これで目立たずに行動ができそうだ。

 裾直しをしてもサイズが大きいことに変わりはなく、少女達は見習い魔女のような恰好となった。可愛らしいその姿は、まるでハロウィンでお菓子を貰いに行く子どものようだ。逆に目立つような気もするが、大丈夫だろうか。

「エイタ様、ライハちゃん、お気を付けて。わたくしはフウカちゃんと共に後を追って参りますので、火急の際は知らせてください」

「ああ、頼りにしている」

「うむ、よろしくの」

 イアンの家を出る直前、窓に自身の姿が映るのが見えた。外套を羽織る姿は様になっていて、なかなか渋いのではないかと思えた。僕はバサッと外套をはためかせてみた。スパイみたいで悪くない。

 そういった挙動を見ていたフウカは、腹を抱えて笑いを堪えていた。

「エイタ、そのコート……よく似合ってんぞ」

「う、嬉しくねぇよ!」


    ◇


 夜のアルンは静寂に満たされていた。聞こえるのは、巡回する番兵の足音のみ。住処を持たない者は、相変わらず路上で横になっている。

 しばらく歩くと、冒険者ギルドの建物が見えてきた。

 ギルドの受付は営業が終わっているが、明かりが点いている。ギルドの中の酒場は、夜でも営業をしているのだ。

「中へ入るぞ、ライハ。なるべく目立たないように。騒ぎになっては困る」

「言わずともわかっておるわ。行くぞ」

 フウカとホムラが近くで待機していることを確認し、僕は冒険者ギルドの戸を開けた。酒場では男達が酒を飲んで騒いでいる。

 扉を開けた時に数人がこちらを振り向いたが、すぐに向き直り酒盛りに興じていた。特に警戒はされていないようだ。外套に身を包み顔が見えない姿は、怪しく見えるが冒険者では少なくない恰好なのだ。

 普段受付をしているスニルは、酒場のカウンターの奥でコップを拭いている。

 内部の状況を整理し、僕とライハは八人掛けのカウンター席の端に腰を掛けた。

 店員はテーブルの周辺で待機している一人と、カウンターに二人。会話ができそうなのはスニルだけだ。スニルに話し掛けられるタイミングを探る必要がある。

「とりあえず、何か頼もう。ここは俺が持つ」

「……ありがたいが、余はお酒が飲めんのじゃ」

「大丈夫だ。ジュースもある。何でも好きに注文するといい」

 カウンターに置かれているメニュー表をライハに手渡した。

 すると店員が目の前に来たので、僕は注文を小声で伝えた。

「店員さん、すみません。コーヒーを一つ、ミルクと砂糖はなしでお願いします」

「かしこまりました」

 店員は僕の注文をメモに取り、ライハに目を移した。

 ライハは数秒の間を置き、熟考した上で注文を口にした。

「余はエルグステーキ御膳のライス大盛をいただこうかの。ロルヴィスコーンのスープも付けるのじゃ。それから飲み物は、キャラメルホットティーを頼む」

「……かしこまりました」

 店員はライハの注文を伝票に記し、店の奥へと引っ込んだ。

 店員が離れたことを確認し、僕はライハを問い詰めた。

「おい、ライハ。どうして本格的に食べようとしているんだ。目的を忘れるなよ」

「余はお腹が空いたのじゃ。ペコペコじゃ。皆にも食べさせてあげたいのう……」

「そのステーキ御膳……五百リオもするじゃないか! 俺も食べたことがないのに……!」

「細かいことは気にするな。余はお腹がいっぱいになったら頑張れるのじゃ」

 ライハはカウンターに置いてあるカトラリーケースから、ナイフとフォークを取り出した。右手にナイフ、左手にフォークを持ち、カウンターに柄頭をコンコンと当てている。

「おい、目立つなって言っただろう!」

「余は二刀流じゃからな。ステーキの切断はお主より上手いぞ。試してみるかの?」

「もういい……」

 ライハはもう、ステーキのことしか考えていない。糾問を続けても目立つだけなので、僕はライハを窘めることを諦めた。

 ふと掲示板を見ると、様々なクエストが更新されていた。ライハが注文したステーキの素材である、上級魔獣《エルグ》の肉を持ち帰るクエストも確認できる。クエスト報酬は一頭三千リオ。エルグは鹿型の魔獣で、霊峰イスカルドに生息している。料理の値段が高いのは、素材採集の難度に起因するというわけだ。

 ――すると、店員が注文を運んでくるのが横目に見えた。

 僕は怪しまれないように、外套のフードを目深に被った。

「お待たせしました。ステーキのお皿が熱くなっておりますので、お気を付けください」

「ありがとう」

「どうもなのじゃ」

 僕が注文したコーヒーと、ライハが注文したステーキとスープ、ドリンクが運ばれてきた。皿を受け取るなり、ライハは無心に料理を掻き込んでいる。食べ方の汚さは相変わらずだ。ライハには食事の作法を叩き込んでやりたい。

 僕は現実世界の好物でもあるブラックコーヒーを口にした。

「うん、美味いな」

「……エイタ、顔を隠しておけ。先ほどの店員、余のことをやや怪しんでおる」

「……そうか。早くスニルと話をしないとな」

 ライハは食事をしながらも、店員を見定めていたようだ。流石にふざけていられる状況でないことは彼女も充分に理解している。

「…………」

 店員が前を通る度に緊張が走る。そして、僕のコーヒーがなくなったタイミングで近付いてきた店員はスニルだった。

「コーヒーのおかわりは如何ですか?」

「…………」

 僕はスニルだけに見えるよう、外套のフードを捲って顔を見せた。

 目を合わせると、スニルは僕を見て事情を察したようだ。

「エイタ君……お食事が終わりましたら、奥へ来てください……」

 スニルは小声で呟いた。僕はそれに応じ、無言で首肯した。



 冒険者ギルドには何度もお世話になったが、ここまで内部にまで入ったことは初めてだ。宿屋の宿泊部屋と同様に、ここもモニター上では入れない場所である。

 内部には厨房や寝室があり、フィヨルディアを仮想現実として機能させるための設備が充実している。ラズハを介さなければ、こういった施設の存在に気付くことさえできない。

 僕はスニルに促され、奥の部屋へと案内された。長机が並べられた小さな会議室だ。僕はパイプ椅子に腰を掛け、スニルに向き合った。

「エイタ君……申し訳ございません……」

 スニルは開口一番に謝罪し、頭を下げた。

「謝るということは、あのクエストはスニルが出したのか?」

 スニルが僕の討伐クエストを出すとは思えない。宝玉の破壊クエストはどう考えても黒幕がいる。宝玉を破壊して起こる事態をスニルが知るはずがないからだ。

「ある者に脅されてクエストを発行しました。その者の名前は言えません……。言ってはいけないことになっているのです」

「そうか……クエストの取り下げはできないか?」

「はい……殺されます。私だけじゃない。アルンの住人、全てが人質らしいのです……」

 間違いなく脅迫者は神凪だ。奴は既にアルンの住人を鏖殺することを計画している。手を拱いている時間はない。

「ギルドの中に、脅されていることを知る者は他にいるか?」

「……いません。私だけです」

「そうか……巻き込んでしまって悪かったな……」

 スニルは怯えた様子で、身体を小刻みに震わせている。

 何をどうしたらよいのかがわからないのだろう。指名手配されている僕と会話をしていることさえ、スニルを危険に曝してしまう可能性だってある。これ以上話しても、スニルが手配を解除することはできない。

「もうよい。行くぞ、エイタ」

 僕の肩に手を置いて、ライハは堂々と立ち上がった。

「スニルよ、エイタを信用してくれて感謝するぞ」

「あなたは一体……?」

 ライハは外套のフードをバサッと脱ぎ捨てた。

 薄暗い部屋の中、輝くような金髪が露わとなった。

「余は四天獣が一人――閃龍ライハ。悪名高き四天獣であることはしばし忘れよ。今は正義の味方じゃ。余が奴の好きにはさせぬ」

「四天獣……! 信じてよいのですか?」

 ライハの姿を見て、スニルは目を瞠っていた。

「驚かせてすまない。俺は今、四天獣と行動を共にしている。彼女達は同じ志を持つ仲間だ。もちろん、アルン襲撃なんて企んでいない。アルンを護るために協力してくれている」

「そうですか……。以前は疑って申し訳ございませんでした。ギルドで攻撃してしまったことを、改めて謝罪させてください。それから……私には託すことしかできませんが、フィヨルディアの未来をよろしくお願いします」

 スニルは膝を突いて頭を下げた。

「お主はいつも通りに過ごしておれ、天井に風穴を開けたことは悪かったのう」

 冒険者ギルドで襲われた時にライハが穿った穴は、簡易的に修繕されていた。天井に合板が打たれ、雨漏れを防いでいる。

 僕とライハが部屋を出るまで、スニルは下げた頭を上げなかった。


    ◇


 緊急に備えて待機していた二人と合流し、僕達は情報を共有すべくイアンの家へと戻った。

「イアン様、セツナちゃんを看てくださってありがとうございます」

「いえいえ、お気になさらず」

 セツナは調子を取り戻したようで、一階に降りてスープを啜っている。

 ライハはギルドで食べたステーキが気に入ったらしく、彼女の意向で人数分のステーキ弁当を購入していた。イアンの分も買っていることを考えると、ライハは意外に義理堅いようだ。当然ながら、弁当代の支払いは全て僕ではある。

 皆が空腹の限界だったようで、少女達は幸せそうに舌鼓を打った。

 アジールで食事をして以降、全員が何も食べていなかったのだ。

「ライハ、これ美味しいな。今まで食べた料理で一番美味いかも」

「ライハちゃん、ありがとうございます。《不死》でも空腹には勝てませんね」

「ちょうどお腹が空いていたところだわ。ありがとう」

 僕はギルドでコーヒーしか飲まなかったので、今更ながら空腹を感じるようになってきた。自分の弁当も買っておけばよかったと悔やんだが、後の祭りだ。

「アイもお腹を空かせておるじゃろうに……食べさせてあげたいのう……」

 ライハの視線の先には、アイのために購入したステーキ弁当があった。

 袋に詰められたまま、寂しげに机の上に置かれている。アイがここにいないことはわかっていたことだが、ライハはわざわざ札から弁当を具現化させていた。

 アイと一緒に食べたかったのだろうと、僕はライハの心情を察した。



 食事が落ち着いてきたところで、僕はスニルから聞いた話を皆に共有した。

 話を聞いた一同の表情は、状況の厳しさを物語っていた。

「あのクエストは、やはり神凪の差し金だったのですね……」

「ではなんとしても、宝玉を護る必要があるわね。宝玉を二つ以上破壊されては、アルンの陥落は免れないわ。あんな化物を、同時に二体も相手にできないわよ」

 煌凰の強さは凄まじく、五人でやっと戦える強さだった。同様の化物が更に二体も出現し、戦力を分散させられてはアルンを護り切ることはできないだろう。

「まずは宝玉を破壊されないよう手を打つ必要がある。フウカ、ライハ、ホムラ、セツナ、霊峰の天候や魔獣を操れるなら、登頂難度を上げることも可能か? よく考えると、既に配置された上級魔獣一体では心許ない。守護者を倒さずとも、そいつの気を引けば宝玉は破壊できるだろうからな」

 僕の問いに、四天獣の少女達は考え込んでいた。

 そして、真っ先に返答したのはセツナだった。

「結論を言えば可能よ。でも天候を操作することで、険しい地形に命を落とす者が続出する可能性があるわ。吹雪で視界を遮れば、簡単にクレバスに落ちちゃうもの……」

「……なるほど……」

 登山者を殺さずに帰すのは、なかなか難しいようだ。登頂の難易度を上げることは、それだけ死の危険が跳ね上がることになるのだから。

 四つの霊峰の踏破は、現状でもかなり難しい。いくらNPCが知恵をつけたとしても、宝玉まで辿り着くことは容易ではないだろう。

 だがそれでも、万が一を考えると手を抜くことはできない。その油断が、世界の破滅を招いてしまうのだ。宝玉の守護者として彼女達を山頂に配置したいが、アイの救出、それから打倒神凪には四天獣の力が必要となる。少女達を山頂に拘束させることなく、宝玉を護る方法を考える必要があった。

 一同が思考を巡らせる中、フウカがあっさりと答えを導き出した。

「ロルヴィスの奥地で見た崖のように、登山者の行く手を阻めばいいんだろう? それなら簡単だぜ。大量の魔獣で追っ払っちまえばいいんだ。クエスト報酬に目が眩んでも、決死の覚悟で魔獣に挑む馬鹿はいないだろう?」

「……ふむ、確かにそうじゃな。それが一番の良案であろう」

 フウカの発案に、皆が賛意を示した。

 フウカを称賛するように、少女達は一斉に彼女を撫で始めた。照れを隠して撫でる手を払うフウカだが、無意識に顕現した尻尾がくねくねと踊っていた。

「フウカの案で決まりね。霊峰の入口に魔獣を集めておくわ。なかなか圧巻よ」

「あたしも登る気が失せるぐらいに魔獣を集めてやるぜ!」

「皆様、登山者への攻撃は最小限にと指示してあげてくださいね」

「勿論じゃ。上空が魔獣で埋め尽くされれば、否が応でも引き返すじゃろうがな」

 皆、頼もしいことを言ってくれる。霊峰のあるじとして、おのが牙城に手を加えることを楽しんでいるようにも見える。頼もしい限りだ。

「皆、頼んだぞ。俺はアルンで情報を集めてみる」

「エイタ様もお気を付けて。決して単独でアルン城に乗り込もうとしないでくださいね。何か困難がありましたら、わたくし達を頼ってください」

「ああ、わかっているよ。ありがとう」

 フウカの異能《転送》は、自身以外にも使うことができる。フウカが各人の足元に緑色の魔法陣を発生させ、それぞれの目的地へ飛ばしていった。

「よし、俺も行くか」

 僕はイアンにお礼を言って、外套のフードを被った。

 外へ出ると夜が明けており、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。


    ◇


 情報を集めるために、僕は信用できそうな人に会いに行くことにした。

 僕がお尋ね者である以上、見知らぬ人には通報をされる危険があるからだ。

 手始めに、かつてアイが働いていた旅寓アイアイを訪れた。払暁のこの時間に開いている店といえば、宿屋と冒険者ギルドしかないのだ。

 中へ入ると、店主のルイエの姿があった。朝が早いせいか、受付台に突っ伏して気持ちよさそうに眠っている。この時間にチェックインする人はいないので、気を抜いているのだろう。

「ルイエ……大丈夫か?」

 ルイエの身体を揺らしたが、起きる様子はない。

「……うーん……お腹いっぱい……」

 ルイエは寝言を口にした。この少女も、初めて会った時とはかなり違っている。

 起こすのは可哀想かと思ったが、ルイエは信用できる数少ない人物だ。どうしても話を聞きておきたい。

 しばらく身体を揺らしていると、ルイエは目を覚まして身体を起こした。

「エ、エイタさん!? い、いらっしゃいませ……」

「俺を覚えていてくれたか。ルイエ、久しいな。何か寝言を言っていたけれど、夢の中で何を食べていたんだ?」

 するとルイエは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 口と受付台に付着した涎を、慌てて服の袖で拭いている。

「寝言のことは、お願いだから忘れてください……」

「ああ、わかったよ。ところで、少し話を聞かせてくれるか?」

「わかりました、奥へどうぞ」

 ルイエに導かれ、僕は宿屋の奥の部屋へと案内された。



 最近は宿屋の宿泊客が少なくなってきているらしい。アルンの北に大きな宿屋が新しく建てられ、そちらに客を持っていかれているようだ。

「急にすまないな、調子はどうだ?」

「お客様は減りましたけれど、なんとか営業できています」

「そうか、大変だな……」

 ルイエはそわそわと落ち着かない様子だった。歪な形に寝癖が付いた頭を手櫛で整えている。僕が突然訪ねてきたせいで、忙しない朝となってしまったようだ。

「ところで、君が初めてこの宿屋の店主になった時のことを覚えているか?」

「うーん……気が付いたら宿屋にいたので覚えていないです。あ、初めてのお客様は、エイタさんとアイさんだったと思います」

「……そうか、なるほどな」

 ルイエは自らの意志で宿屋の店主となったわけではない。

 アイが宿屋を離れたことにより、当時は意思を持っていなかったルイエに新たな役が割り当てられたのだ。あの日の朝は、確かにルイエと会話ができていた。ルイエの人格が形成されたのは、やはり僕とアイが泊まった時だ。

「ルイエ、俺が怖くないか? 俺を信用してくれるのか?」

 僕はお尋ね者だ。四天獣を束ねる大魔王だという認識をされていて当然だ。

 しかし、ルイエに僕を恐れる様子は見られなかった。

「私はエイタさんを信用しています。かつての四天獣を全て打ち倒したのはエイタさんですよね。ギルドにクエストの記録が掲示されているので、その事実はアルンの住人全員が知っていますよ。エイタさんが悪者だなんて、私は思っていません!」

 ルイエは真っ直ぐに僕の目を見た。僕はライハのように心を読む異能はないが、ルイエの言うことに嘘がないことは何となくわかった気がした。

「ありがとう。俺は魔王ではないし、アルンを襲おうなんて思っちゃいない」

「エイタさん本人の口から、その言葉が聞けてよかったです」

 ルイエは安心するように微笑んでいた。しかしルイエは、すぐに表情を変えて俯いた。何やら引っ掛かっていることがあるようだ。

 するとルイエは懐から何かを取り出し、机の上に広げた。

「……エイタさん、このチラシを見てください」

「これは……?」

 ルイエは先ほどの笑顔とは打って変わり、表情が曇っている。ルイエが出したのは、A4サイズのチラシだった。そのチラシを見ると、僕と四天獣の写真が載っている。クエストの宣伝広告だ。こんな物まで発行されているのかと、AIの進化を改めて実感させられた。発行元は冒険者ギルド。神凪の指示だろう。

 チラシをよく見ると、とんでもないことが書かれていた。

「ええと……俺と四天獣の居場所を通報し、討伐に寄与した者には十万リオの報奨金……。更に……討伐目標を庇い、匿った者は死罪……だと?」

 ルイエは僕の手をギュッと握った。手が震えており、表情は憂慮で溢れていた。

「エイタさん、アルンを出歩く時は気を付けてください。街を練り歩く兵隊は、血眼になってあなたを探しています。街の人も、報奨金を目当てにあなたのことを売るかもしれません」

「ルイエ、こうして俺と話していることも危ないじゃないか! 庇っていると判断されたら、君は殺される!」

 ルイエは僕と接触をする危険を冒しながらも、対話をする時間を作ってくれたのだ。神凪の事業やフィヨルディアの真実を伝える時間はなくなってしまったが、これ以上ルイエを危険に曝すわけにはいかない。焦って立ち上がり、僕は宿屋を出る準備をした。

「私のように、あなたを信じている人は大勢います。アルン王へ反抗した者は捕らえられてしまいました。エイタさん、私を含め、街の人々はあなたの味方です!」

「ありがとう、俺を信じてくれて…………あ、そうだ!」

 僕は懐から一枚の札を取り出した。

 アイにあげる予定だったステーキ弁当を具現化させ、ルイエに差し出した。

「これを食べてくれ。ちょっとしたお礼だ。俺は行くよ」

「ありがとうございます。ちょうどお腹が空いていました」

 弁当を見たルイエの腹の虫が、静かに産声を上げていた。アイが捕えられていることをルイエに伝えそびれたが、悠長に話している時間はない。

 外套で身を窶し、僕は急いで宿屋を後にした。



 宿屋を出ると、通りを歩く人の数も増えていた。

 人通りが少ない夜よりも、雑踏に紛れられる日中のほうが動きやすい。

 萬屋のアレクにも話を聞こうと思っていたが、僕は会うことを控えた。僕と会話することが処罰の対象となってしまうのだ。もう街での情報収集はできない。

 目立たないように通りを歩いていると、何者かに外套の袖を引っ張られた。

「…………ん?」

 しかし振り返っても、そこには誰もいなかった。

「……あれ?」

 確かに袖を引かれたが、そこには誰もいない。ということは――。

「……セツナか?」

「……ふふ、当たりよ」

 やはり、《霊化》をしたセツナだった。声だけ聞こえるのは不思議な感覚だ。

 ここでセツナが《霊化》を解除すれば、当然だが目立ってしまう。

 例に漏れず人気のない路地裏へと向かい、セツナは《霊化》を解いた。

「驚いたかしら」

「少しな。イスカルドの整備は万全か?」

「ええ、登頂は不可能よ。登山者を殺さない工夫もしてあるから安心して」

「それはよかった。他の子達を待とう。皆が揃ったら、いよいよアルン城に乗り込む。これ以上、アイを独りにはできない」

「アイの救出は急務だけれど、神凪がアルン城にいる可能性が高いのでしょう? 乗り込むのはいいけれど、勝算はあるの? 異世界人である神凪は、殺しても死なないのでしょう?」

「ああ、神凪は殺しても死なない。だがフィヨルディアに封印することができれば、現実世界での動きも止められる。アイの光の封印術で、奴をフィヨルディアに縛り付けてやる」

「……あら? 知らないの? 封印術って人間には効かないのよ。私も氷の封印術を齧っているけれど、エイタに対しては使わなかったでしょう?」

「……えっ!? そ、そうなのか……。確かにプレイヤーが封印されたら、ゲームとして成り立たないよな……はは……」

「そんな浅はかな攻略で戦おうと思っていたのね……。ちょっと不安になってきたわ……」

 セツナは短く溜息を漏らしていた。これしかないと思っていた神凪対策が破られ、僕の作戦は早くも暗礁に乗り上げてしまった。



 しばらく仲間の帰還を待っていると、セツナが唐突に話題を切り出してきた。

「エイタ、他の子達のことはどう思う? エイタにとってどういう存在?」

「急に何だよ。他の子達? フウカとライハとホムラのことか?」

「ええ、そうよ。誰が一番可愛いとか……そんな話でもいいのよ」

 セツナなりに空いた時間を楽しもうと考えてくれたようだ。誰が可愛いかは言及したくなかったので、僕は当たり障りのない言葉で乗り切ることにした。

「俺にとって四天獣は皆、頼りになる仲間だ」

「ふふ、そうね。もっと各人について掘り下げてくれない?」

「えぇ……」

 当人の前では答え難い質問だが、ここにはセツナしかいない。何を言っても角が立つことはないだろうと考え、僕は四天獣の少女について思い返してみた。

「まぁ、皆可愛いよな。まずはフウカ。彼女は男勝りな性格だけれど、涙脆いところもある。短気だからそこは厄介だ。仲間想いで優しい一面もある。それから、戦闘では俺に合わせて動くのが一番上手い。それと……猫耳の触り心地が癖になる。これ、フウカには内緒な?」

「あら、そうなの。ライハについてはどう思う?」

「ライハは……ちょっと馬鹿だな。そこが可愛らしいところでもある。だらしなく、一番怠惰な子だ。食べ方が汚く、ドジで我儘で自分勝手。よくあれで四天獣なんてやっているなと思う。だが、強さは一級品だ。本当に頼りにしている」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ次はホムラね。思っていることを聞かせて」

「ホムラと初めて会った時、こんなに真面な子が四天獣なのかと驚いた。フウカとライハとは違って上品で、振る舞いには知性を感じる。年齢は皆同じはずだが、精神年齢が一番高いだろうな。仲間を護ろうと、凛乎として立ち回る姿は美しい」

「なるほどね。それで、私は?」

「セツナは……最初は怖かったな。魔王の一角に恥じない圧迫感があった。一切の慈悲を持たず侵入者を排除しようという姿勢は、これぞ本来の四天獣だと思った。仲間になってからは、鷹揚で優しくなったな。セツナには助けられてばかりだ。これからもよろしく頼む」

 セツナは掌で口元を隠している。身体を小刻みに揺らし、笑いを堪えているようだ。何を企んでいるのか、意図が全く読めない。

「それで、誰が好きなの?」

 セツナは切り込んだ質問を続けてきた。目的がわからないが、この回答によって僕を揶揄おうという算段が見え見えだ。これ以上は付き合っていられない。

「そりゃ、皆好きだぞ。フィヨルディアに於ける数少ない仲間だからな」

「では質問を変えるわ。誰が一番可愛いと思う?」

「一番可愛いのはアイだな」

 僕は思わず、本心を即答してしまった。

 ――するとセツナの隣から、突如フウカが姿を現した。そして僕はフウカの掌底を腹に受けて吹き飛ばされ、背後に置いてあった木箱の山に突っ込んだ。

「うげっ!」

「この馬鹿! せめて四天獣の中から選べ! 話の流れで普通わかるだろ!」

 セツナの隣には、竜章鳳姿たる四天獣が妍を競っている。

 皆、ずっと《霊化》で姿を隠していたのだ。フウカとライハが冷たい目で僕を見ていることは気のせいではないだろう。何を言ったのか一言一句は覚えていないが、ちょっとした悪口を口走ってしまった気がする。

 セツナの悪戯に、僕はまんまと引っ掛かってしまったようだ。


    ◇


 僕の協力者が死罪となることを考えると、イアンの事務所を出入りすることは避けたほうがいい。彼を危険に曝すわけにはいかない。

 よって僕は、アルンで唯一拠点にできるはずだった場所を失ったのだ。僕を追い詰めるために、神凪は有効な策を講じている。

 仕方なく一度アルンを出て、僕達はエンマルクの岩陰に集まった。

 セツナによる先般の尋問に答えてしまったせいで、不穏な空気が流れている。

「ホムラのことは褒めるのみだったな。あたしはどうせ短気ですよー」

「でもフウカちゃん、猫耳が可愛いと言われていましたよ」

「余は馬鹿じゃないのじゃ。怠惰でもないのじゃ。エイタは見る目がないのじゃ」

「まぁまぁ。エイタが皆を可愛いと言っていたことは言質を取ったからね」

 少女達は先ほどの尋問に於ける、僕の回答の話題で盛り上がっている。

 僕がそこに入れる余地はなかった。穴があったら入りたい。

「エイタ様はやはり、アイちゃんのことが大好きですのね」

「……もうやめてくれ。次の行動について話さないか……?」

「エイタは嘘を言っておらんかったぞ」

「お前な……」

 周到なことに、ライハに《読心》まで行使されていたようだ。

 僕は話題を変えるべく、次の行動指針についての説明を始めた。

「話を戻すぞ。俺とセツナでアルン城へ潜入する。隠密行動には二人が最適だ」

「そうね。一定時間《霊化》を維持するためにも二人が適正よ」

 僕とセツナは阿吽の呼吸で拳を合わせた。

「余はどうしようかの」

「他の三人は各所に配置する。ライハはアルン城北西の家屋の屋根、ホムラはアルン城南東の家屋の屋根、フウカはアルン城の正門が見える位置で待機してくれ。絶対に目立たないように。もし戦いになれば合図をする」

「わかった。何かあったらすぐに駆け付けるからな!」

「エイタ様、セツナちゃん。アイちゃんの捜索をよろしくお願いします」

「ああ、任せろ。皆、気を引き締めよう。最後の戦いになるかもしれない」

 フィヨルディアは、既にゲームではなくなってしまった。潜入には命が懸かっている。AIを解き放つために、神凪との戦いは絶対に避けられないのだ。

 僕はアルン城の方角を見据えた。意識せずとも、身体が緊張をしている。ここからでは遠くてよく見えないが、城が邪悪な霧を纏っているような錯覚を覚えた。


    ◇


 セツナと共に、僕は再びアルン城へと潜入した。

 アイの居場所の有力候補は地下に広がる牢獄だ。

「何か……以前に来た時よりも、囚人が増えている気がするわね……」

「そうだな。以前より、明らかに牢屋が埋まっている……」

 霊峰の要害に命を散らせたのか、もしくは神凪に離反して殺されたのか。

 地下牢の一階に囚われているのは、奴隷として働くことを拒んでいる者だ。

「アイ……いないわね。まさか、既に地下二階へ……?」

「可能性はある。アイが売られたなら取り返すまでだ」

「もしくは他の場所に囚われているか……。アイは最もAIが発達しているらしいから、特別扱いされている可能性があるわね」

「それにアイは討伐ではなく、生け捕りをするようにクエストが発行されていた。殺せばこの牢に捕らえられるのに、どうして生かす必要がある……?」

「アイを生かして何かを悪いことを考えていそうだけれど、考えつかないわね」

 神凪は、何か恐ろしいはかりごとを練っているはずだ。

 僕は神凪に勝てるだろうか。犠牲を出すことなく、この物語の幕を降ろすことができるだろうか。フィヨルディアに朝を齎すことができるだろうか――。

 行き場のない不安が押し寄せ、自然と手に汗が滲んでいた。

「ウグレに差し入れを持ってくればよかったな」

「看守に気付かれたら、何をされるかわからないわよ」

 地下一階の牢獄の捜索を終え、僕達は地下二階の事務所へ向かった。



 相変わらず地下二階の光景は、見ていて辛いものがある。早く解放してやりたいところだ。地下二階の事務所を探したが、なかなかアイは見付からない。

 あまりにも事務所が広大で、隈なく探すには一日では足りないことだろう。地球で働く労働者の全てがここに収容されていると考えると、その広さは市区町村の規模では収まらない広さであることが考えられる。仮想世界であることの利点を有効に利用すれば、地球より大きな事務所を作ることだって可能なのだ。

「そういえば、神凪は霊峰ソルベルクに現れてアイを攫っていったのよね。どうしてアイがそこにいるとわかったのかしら」

「うーん、それはだな……」

 セツナの疑問はもっともだ。まるで超能力者であるような神凪の行動には、仮想世界の常識を超えた理由がある。

「神凪が元の世界に戻れば、各人の居場所はモニター上でわかるようになっているんだ。信じられないかもしれないけれど、本当なんだ……」

 セツナにとっては不可解な説明となってしまったが、僕はゲームの仕様を正直に伝えた。

「なるほど、信じるわ。エイタも異世界人だものね」

 セツナは僕の説明を疑うことなく、あっさりと事実を受け入れてくれた。

 実際に、神凪はモニター上で僕達の動向を把握しているはずだ。もし神凪が今まさに現実世界でモニターを確認していれば、僕達がアルン城に潜入していることを知られてしまう。そのため、アルン城の捜索をく必要がある。

 現在の僕には神凪の居所を知る術はない。ラズハによるログイン方法は、あらゆる仕様が制限されてしまうのだ。地図を開くことができないのも、大きなデメリットの一つだ。

 すると地下二階の捜索をしている最中、セツナが突然に足を止めた。

「…………」

「セツナ、どうした?」

「……まずいかもしれないわね。地上で何かが起きているわ」

「なんだって? 何かって何だ?」

「わからない……。不吉な予感がするわ。アルン城に入った時には何も感じなかったのに……」

 セツナの額には冷や汗が流れ、その表情は焦慮に駆られているようだった。

「神凪が現れたか……? だとしたら逃げるわけにはいかない。アイを取り戻すため、そしてフィヨルディアの未来のために!」

「……そうね。地獄の果てまでお供をするわ、大魔王様」

 地下二階の捜索を打ち切り、僕達は意を決して階段を駆け上がった。

 セツナの《予知》を頼りに城内を進み、不吉な存在の正体を探った。


    ◇


 本丸の最奥に神凪はいた。

 畳張りの大広間の奥、上段の間に坐る神凪は、正に将軍のような出で立ちだった。侍のような袴を纏い、腰には長刀を佩いている。遂に姿を現した――根源たる魔王。周囲には誰もおらず、何やら目を閉じて瞑想をしているようだ。

「神凪様、お茶をお持ちしました」

 隣の部屋の襖の奥から、大人しい声が聞こえた。幼い少女の声だ。

「うむ、入れ」

 神凪に促されて、従者の少女が襖を開けた。

 その従者の姿を見て、戦慄した――。


 その少女は、紛れもなくアイだった。


 神凪に操られているのか、アイは丁寧な所作でお茶を運んでいる。目が虚ろで、意思を持つ以前に戻ったようだ。動作も丁寧ながらぎこちない。まさか――。

「――そのまさかだよ、エイタ君」

「――え?」

 神凪はおもむろに掌を翳した。すると、辺りは眩い光に照らされた。

 一体何が起こったのか、即座には理解ができなかった。そして僕とセツナは互いの姿を見て、《霊化》が解除されたことを認識した。

「私の《霊化》を……どうやって!?」

「気になるか? 出来損ないの幽亀よ。裏切り者に教えることはない」

《霊化》は完全に存在を消す異能であり、看破する手段はないはずだ。

 しかし、今はそんなことよりもアイの変化についてだ。

「神凪、アイに何をした!?」

「ククク……記憶を消し、あるべき姿に戻した。これでこそNPCだ。意思などを持つから苦しむのだ。そう思うだろう? 四天獣――幽亀セツナよ」

 セツナは臨戦態勢を取っている。錫杖を構えて、神凪を睨み付けている。

「私はお山の大将で生涯を終えることを望まない。殺戮も真っ平御免よ。エイタのお陰で意思を持てたことを、私は誇りに思うわ!」

「そうか……。アイのように、お前も記憶を消してやろうかとも思ったのだがな。お前はもう要らん。四天獣はもう新しく造ってある。雄々しき魔獣の姿でな!」

 やはり、宝玉を破壊すれば新たな四天獣が現れる推測は間違っていない。しかし管理者なら、すぐに新たな獣を生み出すことができるはずである。なぜ宝玉の破壊なんて、迂遠な仕組みを作ったのだろうか。神凪の意図が一向に読めない。

「その通りだ、エイタ君。四天獣の復活方法については当たりだ。次の疑問については、その内にわかるだろう」

「…………は?」

 僕の心が神凪に読まれている。これはライハの異能である《読心》。

「驚いたか? 私は四天獣の異能を自身に付与した。以前の戦いでは苦しめられたからね。つまり《予知》により、君がここに来ることはわかっていたのだよ」

 神凪は薄ら笑いを浮かべながら、己の能力を開示した。四天獣の異能を付与されたということは、セツナの《霊化》、更にはホムラの《不死》まで持っていることとなる。このミッションは、更にとんでもない難易度となってしまった。

「アイ、侵入者を排除しろ」

「神凪様、かしこまりました」

「なっ!!」

 アイは神凪に従い、敵意をこちらに向けた。その氷のような目は、かつてのセツナを想起させられた。

 アイが僕に向かって光弾を放った。その攻撃に、躊躇や慈悲は一切感じられない。突然の出来事に戸惑ったが、僕はアイの技を躱して距離を取った。

 しかし、アイはすぐさま距離を詰めていた。フウカ直伝の格闘術はかなり鋭く、気を抜けば殺され兼ねない打撃の数々をアイは次々に披露している。

「アイ、後は頼んだぞ。私は鼠の始末をしてくる」

「なんだと!? 神凪、どこへ行く!?」

「アルン城の周りでちょろちょろしている鼠が三匹。出来損ないの四天獣どもを縊り殺せば、君も静かになるのかな?」

「やめろ!!!」

 異能《飛行》により、神凪の背に禍々しい悪魔の翼が顕現した。

 そして神凪は《霊化》を発動し、姿を晦ませた。すかさずセツナが神凪を追うが、アイが発する光の結界により行く手を阻まれてしまった。

「皆は神凪が《霊化》を使えることを知らない……戦うまでもなく殺されるわ!」

「くっ! どうすれば!!」

 アイが放った結界は光の上級魔術だ。容易く破れる代物ではない。発動するとしばらく滞在する特性を持ち、アイを倒さなければ結界は破れない。

 このままではフウカ、ライハ、ホムラを死なせることとなる。しかし、アイを倒すなんてできるはずがない。一体、僕はどうすればいいのか。

 仲間の危機を気にする素振りもなく、アイは構わずに攻撃を続けている。

 僕は致命傷を避けながら、アイの拳打を身体で受けていた。

「アイ! 目を覚ませ!」

「…………」

 アイは応えない。虚ろな瞳には一切の感情がない。

「アイ! お願い! 目を覚まして!」

「…………」

 セツナもアイに攻撃ができず、錫杖での防御を強いられている。このままでは埒が明かない。アイが目を覚まさなければ、僕達は何も行動を起こせない。

 神凪は邪魔者を亡き者にした後、再び事業を進め、奴隷を増やし続けることだろう。そんな暗黒の未来があっていいはずがない。絶対に止めなければならない。

 以前にセツナは、「平穏に暮らしたい」と願いを語っていた。これが四天獣の役割を全うしていた彼女の本音であり、AI全体の総意だろう。僕は友達との交流を経て、心の温かさを知った。AIは確かに生きている。不当に扱っていい存在じゃない。皆にそれぞれ心があり、叶えたい願望があるのだから。

 ――僕はアイの拳の連撃を素手で受け止めた。

 アイはフウカの教えを忠実に守っているようだ。そのお陰でアイの拳撃を見切り、受け止めることができた。四天獣――颱虎フウカの対策がこんなところで実を結ぶとは、真面目にゲーム攻略に心血を注いだ甲斐があるというものだ。

 フウカが独自で編み出した徒手空拳の絶技。それは、開発者にデザインされた機械的な安物ではない。力では及ばないまでも、アイはそれを完全に物にしている。

 つまり、アイの記憶は完全に白紙となったわけではない。師匠を忘れても、その教えはこうして生きている。記憶を失おうとも、心までは失っていない。

 僕に掴まれた拳を振り払おうと、アイは藻掻いている。一瞬だが、その表情には苛立ちの感情が垣間見られた。獣のように牙を唸らせ、拳を掴む僕を睨み付けている。その表情は、少女の姿となったフウカとの初対面を想起させた。

「アイ、その拳は誰に教わった!? 颱虎フウカ。君の師匠であり、友達の名だ! 忘れたというのか!?」

「…………!」

『フウカ』という名称を発した時、アイの眉がピクリと動いた。心の奥底に眠る機微に触れ、僅かだが反応を見せた。

 僕は追い撃ちを掛けるように言葉を続けた。

「閃龍ライハ。霊峰の崖を越えた時、ギルドで襲われた時、いつも背に乗せて助けてくれた友達の名だ! 煌凰ホムラ。アジールからソルベルクまでの道中を、君が共に旅をした友達の名だ! 幽亀セツナ。アジールでの絶体絶命の状況で、神凪を討った友達の名だ!」

「…………!!」

 掴んだ拳の力が弱まった隙をみて、僕はアイを抱き締めた。するとアイは、驚いたように瞠目していた。僕の行動の意図が読めず、理解が追い付かないようだ。

 だがアイは密着する身体を引き離そうと、すぐさま僕の背中を拳で叩き始めた。

 僕はアイの感情の揺らぎを感じ取っていた。記憶が戻る可能性はゼロではない。

 既に万策尽きた。アイの心の強さを信じるほか、道はもう残されていないのだ。

「アイ……本当に強くなったな。フウカ直伝の格闘術も、光魔術の練度も、格段に上がっている。記憶を失っても全てを失ったわけではないんだ。その記憶の欠片は心の奥底に宿り、覚醒の時を待っているはずだ。俺は君と一緒に明日を迎えたい。皆、君の帰りを待っている。だから目を覚ましてくれ! 大切な友達が殺されてしまうぞ! アイ!」

「――――!!」

 すると、暴れるアイの動きがピタリと止まった。息を乱しながら、アイはどこか一点を見詰めている。

 その目線の先には一輪の花。朱色の花の簪が、ふわりと畳の上に落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る