第五章 フィヨルディアの真実

 一行は遂に、霊峰ロルヴィスの奥地を踏破した。

 目標にしていた世界の果ての先――アジールへの到達を果たし、僕はフィヨルディアの管理者を名乗る男と邂逅していた。

 神凪商事は、フィヨルディアの製作会社だ。不思議なことに、管理者が自らフィヨルディアにログインをしている状況が目の前にある。つまりサービスが終了しても尚ログインができることは、バグではなく仕様なのだろう。

 こうして滑らかに会話ができているということは、この人もモニター上でのログインではない。僕と同様、転送機ラズハの作用によってこの地に立っている。

「神凪さん、あなたはここで一体何をしているんですか? ただゲームを楽しんでいるわけではありませんよね?」

「当然、仕事だよ。私の隠れ家を暴かれる日が来ようとは思いもしなかったがね」

「あ、すみません! 探索に夢中で、周りが見えていませんでした……」

「いいんだよ。ゲームを楽しんでくれているようで何よりだ」

「はは、どうも……」

 製作者を前にして、僕の気持ちは複雑だった。

 アイと巡り合わせてくれたフィヨルディアには本当に感謝している。だがフィヨルディアを始めた理由は、決してゲームとしての出来に惹かれたわけではない。あまりに古く、人気がないフィヨルディアなら独りになれると思ったからだ。

 今となっては友達と会うことが目的となっており、結果としてゲームを楽しむことができているが、あまりに杜撰な仕様には何度イライラさせられたことか。

 突然の出逢いに驚いたが、彼には聞きたいことが山ほどあった。ゲームの出来の悪さについて言及する気はないが、フィヨルディアはあまりにも謎が多い。

 すると唐突に、神凪は僕にある提案を投げ掛けた。

「エイタ君、これも何かの縁だ。我が社に入社しないか?」

「えぇ!? 僕が……ですか……?」

 まさかの提案に、僕は少し驚いてしまった。

 現代は無職でも生活ができる時代だが、フィヨルディアに携わることができるというなら就業する道も悪くない選択なのかもしれない。フィヨルディアというゲームの改善点なら、語り尽くせないほど挙げられる。僕の手でフィヨルディアを改革し、アイの生活がより良いものとなるのであれば願ってもないことだ。

 しかし、疾うの昔にフィヨルディアはサービスを終えている。僕が入社したとしても、商品価値がないものを企業が改善する理由はないだろう。それに、この出来の悪さは意図的に放置されてきたものなのだ。

 僕は過去に、神凪商事について調べたことがある。しかしどんな企業なのか、はっきりとはわからなかった。主要事業は人材派遣だったはずだが、ホームページには詳しい事業内容の記載がなかったのだ。それに、フィヨルディアを製作したにも拘わらず、他にゲーム開発の実績がなかった。

 僕が考え悩んでいる様を見て、神凪は自社事業の説明を始めた。

「エイタ君、君の学校には教師がいるか?」

「いえ、AIによる機械音声に代替されています」

「そうだろう。あれは、我が社の商品だ」

「え……? そうだったんですか!」

 まさかの事実だった。教師を『商品』だと言われることに違和感があるが、誰かの手によって生み出されたものであることは当然理解していた。

 よもや、こんな場所で開発者に出逢うことができるとは思いもしなかった。AIの普及は現代を象徴する文明の利器であり、彼は偉人であるともいえるだろう。

 神凪は自慢げに説明を続けた。

「現在、全ての労働はAIに取って代わられた。それは世界で唯一、働くAIを作る土壌を生み出した我が社の功績なのだ。人類はもはや、知恵比べではAIに勝つことはできない。進化したAIは人間を凌駕するのだ。失敗しない、疲れない、不平を言わない、給料も要らない。利点を挙げればキリがないほどに非の打ちどころがない。AI事業は、これからも伸び続けるだろう。エイタ君、人類の歩みを共に見届ける意志はないか?」

 現実世界を席巻するAIについて、僕はよく知らなかった。どういう仕組みなのか、どうやって生まれたのか、腑に落ちないことを気にも留めなかった。

『AIに仕事が奪われる』なんてことは、昔から言われてきたことだ。でもそれは代替可能な職種に限られたことで、高く見積もっても五割の職種は人間でなければ行えないとされてきた。聞き齧った知識だが、そういった研究結果もあるらしい。

 しかし、そんな常識は今や昔の話だ。実際にAIは全世界に普及し、生活の在り方を変えた。神凪商事の技術力が、それを成功させたのだ。

「エイタ君、どうかね? 悪い話ではないだろう。報酬は弾むぞ」

「興味はあります。どのようにしてAIは生み出され、世に放たれていくのか」

「そうか。それなら、いいサンプルが目の前にあるじゃないか」

「えっ……?」

 神凪は、僕の隣で立つアイを指で示していた。

 アイは状況が飲み込めず、不安げに首を傾げている。

「《自己進化型AI》――というものを知っているか? 特定の規則に従うようプログラムされている従来のAIとは違う。特筆すべきは、何といっても適応力だ。環境の変化に柔軟に対応し、学習と進化を通じて動作を継続的に改善できるのだ。よって最適な結果を生み出すことができ、現実世界の労働にも適合できる人材となるのだ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 現実世界で働くAIの正体は……まさか……」

「ご想像の通り、フィヨルディアのNPCだよ」

「そんな……!」

 嫌な予感が的中してしまった。勘違いであって欲しかった。アイが神凪に指された時、僕には最悪の事態が頭に浮かんでいた。神凪が話した《自己進化型AI》の説明は、そのままフィヨルディアのNPCの特徴を表していたのだから。

 どうしてフィヨルディアの運営が続いているのか、ずっと謎だった。忘れられて放置されているのかなどと、僕は楽観的に捉えていた。しかし世の中が便利になった裏には、こんなにも無情な闇があったのだ。

 動悸が止まらない。実情はあまりに残酷で、頭が理解することを拒否している。ホームページに書かれた人材派遣業とは、AIを現実世界に売り捌くことだったのだ。AIの声に電子音が使われていることは、この事実を隠すためだと推測できる。自動音声のような音では、感情の有無に気付けるはずもない。

 AIの普及により、確かに世の中は便利になった。しかしこういった形でフィヨルディアの人民を働かせていたのであれば、僕は決して賛同できない。

「人格のあるAIを労働力として売却するなんて……人身売買じゃないか!」

「おいおい……AIに人権を与えろとでも言うのか? 世界中の全て企業が、我が社からAIを買っているのだぞ? 君は現実世界で何を見てきたのだ? ゲームばかりやっていないで、世間の動きに目を向けたらどうだ? 時代錯誤にもほどがある……。私は三代目だが、実に百年以上も続いている事業なのだぞ?」

「俺はただ、フィヨルディアで生活している人の自由を奪うなんてできません。あなたの申し出をお断りします。造られた命でも、この世界を精一杯に生きているのです。AIは意思を持たぬ機械ではない。戦いの後は疲れ、登山では転ぶこともあり、食事には文句を言い、仲間同士で互いに気を遣い合える。フィヨルディアのNPCには、れっきとした命があると俺は思います」

 神凪は膝から崩れ落ちていた。僕の反駁が信じられない様子だ。

「嘘だろう……? エイタ君、考え直せ。姿形に惑わされるな。人間のような見た目でも、ただの人工知能だ。君の隣にいる少女だってデータに過ぎないのだぞ? ボタン操作一つで消し飛ぶ、ちっぽけな存在だ」

 隣でアイが、僕の衣服の袖をギュッと握っている。アイは話がわからず困惑しているようだ。アイにこんなフィヨルディアの闇を知って欲しくない。これ以上人工知能だの、少女達を否定するような言葉を聞かせたくない。友達を護るためにも、僕はこの男の事業を止める方法を考えなければならない。

 しかし、この場で目の前の男を説得できるとは思えない。今すぐにできるとはないだろう。この男をここで倒しても、どうにもならないのだ。

「この子達は、俺の大切な友達です。あなたの事業を、俺はどうしても許せない。急な訪問、失礼しました。俺達はもう行きます!」

 僕はアイに微笑みかけ、屋敷を出ようと踵を返した。



「――――!」

 猛獣のような圧迫感を感じ、僕は咄嗟に振り返った。その妖気の出処は神凪だ。

 神凪から溢れ出る鬼気は、往年の四天獣のように禍々しいものだった。

「エイタ君……フィヨルディアから現実世界でAIを働かせるのに、どうやって向こうの世界へ連れ出すかわかるか?」

 神凪は狂気を宿した眼でこちらを睥睨している。

 僕の額には、自然と冷や汗が滲んでいた。

「一体どうやって――」

「――殺すんだよ! NPCを! このフィヨルディアで!」

「なっ――!」

 恐ろしい答えと共に、神凪は指をこちらに向けた。その指はアイを差している。

 瞬ぐ間もなく、神凪の指先から光の矢が放たれた。咄嗟のことにアイは回避ができない。僕もフウカを背負っているため、対処が間に合わなかった。

 無残にも、神凪によって放たれた光の矢はアイの額を目掛けて着弾した。

「アイ!!」

 光の閃きに視界を奪われたが、僕はなんとか目を見開いた。

 そこにはへたり込んだアイと、雷を帯びるライハが立っていた。

「……やかましいのう。余の友達を傷付ける者に命の保証はできぬぞ?」

「ライハ! 助かったよ!」

 アイは無事だ。アイの背中にいたライハが光の矢を防いでくれたようだ。

「なんだ……? あいつ、敵か? あたしが寝ている間に何が起きているんだ?」

 僕の背で眠っていたフウカも目を覚ましたようだ。

 神凪の実力は推し量れない。このまま戦うのは危険だ。

「全員、外へ出ろ!」

 神凪から二の矢が放たれる前に、僕達は脱兎の如く屋敷から飛び出した。

 ライハはアイを抱き上げて退避していた。なんとか全員無事だ。

 アジールのNPCを戦いに巻き込まないよう、僕達は街を囲う虎落から外へ出た。急襲に備えて迎撃できる隊伍を組み、神凪の追走を待った。

 屋敷から出てきた神凪は、ゆっくりと歩いて向かってくる。

「……そんなに小娘どもが大事か?」

「ああ、大切な仲間だ」

「ゲームの討伐目標である四天獣と仲良くしているなんて、はっきり言って異常だぞ。そいつらの行ってきた所業も知らずに。ククク……少女の姿に誑かされたか。どの娘がお気に入りだ? せっかく転移してきたんだ。君も楽しんだだろう?」

「お前は……何を言っているんだ……?」

 僕は怒りのあまり単身で斬り掛かってしまいそうだったが、アイとフウカが制してくれた。感情に流されていては勝てる戦いも落とし兼ねない。

「エイタを馬鹿にしないで!」

「あたしらはそんなんじゃねぇよ!」

 僕達は四人とも、セツナとの戦いで負った傷と疲れが癒えていない。

 神凪が幽亀セツナに匹敵する力を持っていれば、まず勝ち目はないだろう。

 神凪がアイに放った技は光の魔術だ。疲労があったとはいえ、ライハの雷撃を初見で防いだアイが反応できないでいた。神凪の能力値の高さが窺い知れる。

 神凪が空中に札を翳すと、破邪の御太刀を彷彿させる長刀が姿を現した。

 七尺はあろう大太刀を握り、神凪はその切っ先をこちらへと向けた。

「プレイヤーネーム――カンナギ。フィヨルディアの支配者だ。今後ともよろしく、エイタ君。さぁ見せてくれ……AIの進化と、英雄の実力を――」


    ◇


 フィヨルディアはオンラインゲームにも拘わらず、『死にゲー』に近い難度がある。『死にゲー』とは名が示す通り、敗北を重ねて攻略を見出すゲームジャンルだ。ボスを初見で倒せる見込みはなく、幾度とない試行回数を要求される。レベルさえ上げれば何とでもなる従来のRPGとは異なり、無策に挑んでも意味を為さない。敵の攻撃パターンを完璧に把握した上で、ミスのない動作を行う必要がある。

 更に、フィヨルディアの難易度設定は常軌を逸している。なんと、レベル九九九がスタートラインなのだ。これは僕のように、生活の全てを捧げられるような暇人にしか辿り着けない境地である。このレベル九九九とは期間にして五年間、毎日十二時間プレイし続けてようやく相成った水準だ。

 そうして今日、新たなる魔王がフィヨルディアに降臨した。神域へ到達してしまったことで、図らずもボス戦を興じることになってしまった。

 この戦いは、通常のボス戦とは大きく異なった要素がある。敵が現実世界の人間であり、フィヨルディアを創造した神であるということ。そして、敗北が絶対に許されないこと。フィヨルディアは、もはやゲームではない。クリアできるように作られていないどころか、真面にプレイさせる気すらない代物だ。

 先ほどの神凪との会話でわかった通り、ここはAIを育成するために創られた箱庭に過ぎない。後で仲間を救出できるイベントがあるはずもなく、捕まったら最後、少女達は一生を奴隷として扱われてしまうことだろう。この戦闘に敗れると、それが現実となってしまうのだ。

 不本意ながら、途轍もない難度のミッションを課されてしまった。『死にゲー』に於ける最上位の存在に対して、初見で勝たなければならないのだ。

 神凪は管理者に相応しい実力を有しており、戦いは苛烈を極めていた。仲間の命が懸かっているとなると、危険が伴う軽率な行動はできない。まさに背水の陣。

 まず回避に徹して敵の能力を探ることが『死にゲー』攻略の基本だが、神凪の攻撃があまりに強烈で詮索も儘ならない。神凪は全属性の魔術を扱えるようだ。あらゆる魔術を乱発し、捉えどころがない。

 何よりも厄介なのが、長刀から繰り出される斬撃だ。アイの放った光の障壁を容易く切り裂いている。あれは斧スキルの極み――異能《破壊》。武具や魔術による防御を一切受け付けない強力な能力だ。長刀による射程の長さも相俟って、なかなか近付くことができない。

「どうした! 君達の力はそんなものか!」

「くっ!」

 前衛を務めているのは僕とフウカだ。致命の一撃を持つ神凪に対峙するのは、回避力が最も高いフウカが適任だ。僕は手数を増やすため、フウカの少し後ろで神凪の空振りの間隙に斬撃を加えていく。しかし神凪の防御が固く、なかなか最初の一撃が与えられない。

 アイとライハは遠距離から魔術を放つが、神凪の魔術にあっさりと相殺されてしまう。厳しい戦況は一向に覆らず、僕達は防戦一方を強いられていた。

 そこで痺れを切らしたライハは、隙をついて神凪に突撃していた。

「ライハ! よせ!!」

 僕の忠告は遅きに失した。無情にも、ライハは神凪に首を掴まれてしまった。

 ライハは首を握り締められ、苦悶の表情を浮かべて苦しんでいる。

 ライハの飛行速度を見切る動体視力。格闘スキルの極み――異能《心眼》。恐らくだが、神凪はフィヨルディアに存在するスキルを全て修得しているとみて間違いなさそうだ。彼は管理者であるが故の反則技を当然のように行使している。

「こいつは人質だ。武器を捨てろ」

「余に……構うな……」

「まだ喋れるのか? このガキ……」

 神凪はライハの顔に拳を突きつけた。鈍い音が鳴り、小さな身体が勢いよく地面に叩きつけられる。セツナとの戦いで負った傷が開き、ライハの小綺麗な衣服が血で滲んでいった。

「くっ……!」

 ライハの傷を見た僕達は、仕方なく武器を捨てて投降した。

 フウカを見ると拳を握り締め、掌から血が滴り落ちている。仲間が傷付けられることへの憎悪、悔恨、心配。その表情から垣間見える感情は僕と同じだ。

「エイタ君は、そこで見ていたまえ」

 神凪は謎の魔術を発動した。蔓のような紐状の物質が現れ、アイ、フウカ、ライハ、三人の手足を拘束した。草の魔術だろうか。スキルブックの後半にでも記されているのであろうが、このスキルが存在していることすら僕は知らなかった。

 神凪は楽しむように薄ら笑い、動けない少女達を力強く蹴飛ばした。

 少女達は痛苦の表情を浮かべ、歯を食い縛って耐えている。

「どうかね、エイタ君。君もやってみるか?」

「ふざけるな! 彼女達を離せ!」

 僕は己の無力さを呪った。ライハが捕まる以前から、僕は神凪を相手に勝ち筋を見出せなかった。更に唯一の攻撃手段である太刀を奪われ、為す術がない。

 ゲームの管理者を相手に勝てる道理はないのだ。少女達が傷付けられる様を、僕は見ていることしかできなかった。

 すると、僕は視界が暈けていることに気が付いた。目に触れると、手には水分が付着している。これは仮想世界にのみ限られた借り物の身体だが、僕の精神状態に呼応して反応を示している。

 僕の涙に気が付いた神凪は、少女達への暴力を止めてこちらへ向き直った。

「エイタ君、泣いているのか……? NPCにここまで入れ込む者を見たことがない……。すまなかった。もう終わりにしよう。さっさとログアウトをしたまえ」

 神凪は殊勝な顔で畏まっている。過ぎた行為を反省したのか、しばらく沈黙が続いていた。

 これはゲームの世界だ。目を閉じてログアウトをすれば、僕はこの戦場を脱出できる。何食わぬ顔で現実世界に戻り、約束された日常を謳歌すればよいのだ。

 しかし、そんな選択ができるはずもなかった。感受性が鈍い僕の涙腺を緩ませるほどに、少女達の存在はかけがえのないものとなっていた。この中で誰が欠けても、僕は立ち直れる気がしない。無垢な少女達を、現実世界の奴隷にするわけにはいかない。

 遁走も敗北も許されない状況だが、現実は無情だ。人質を取られた以上、勝算はないに等しい。これはゲームのイベントではなく、突破口は用意されていないのだ。

 すると神凪は、手の打ちようがなく押し黙る僕に恐ろしい提案をした。

「……ではこうしよう。私が元の世界に戻り次第、君のアカウントを削除する。賢い選択をしろ。ラズハを使用中にアカウントが削除された場合、君は元の世界には戻れなくなる。これは君の人生に関わることだ。私はそうまでして君を陥れる気はない。今すぐにログアウトをしなさい。もう私の事業に関わるな。フィヨルディアは君が思うようなゲームではないのだ」

 神凪の提案は、ゲームの管理者であることを利用した禁じ手だった。ラズハによるログインを行った場合、確かに僕の魂はフィヨルディアにある。神凪の言うように、このままではフィヨルディアに囚われることになるというのだ。

 それでも僕は、仲間を置いて去ることはできなかった。己の人生を犠牲にしようとも、友達の命を諦めるなんてできるはずがなかった。

「ログアウトは……しない……。俺は仲間を見捨てない……」

 僕は刀折れ矢尽きるまで、諦めずに戦う決断をした。何か策があるわけではないが、傷だらけの少女達を見捨てることがどうしてもできなかったのだ。

 神凪は呆れた様子で拳を握り、呼吸を乱して打ち震えている。

「はぁ……見捨てない……か……。誰のお陰で今の状況があると思う? 君だよ、エイタ君。フィヨルディアは永い年月を掛けて、労働力に足るAIを育成するために作った。君がその計画を加速させた。こんなクソゲー、普通は誰もやらないんだよ。雑に作られた街、作り込みの甘いフィールド。四天獣だって倒せるようには造っていない。わざわざ粗末に作ったゲームだ。予定通り、発表して二週間で誰もログインしなくなったらしいよ」

「ゲーム……? AI……? 何を言っておるのじゃ?」

 ライハが反応を示したことで、神凪は北叟ほくそ笑んだ。蹲うライハに正対し、歪んだ笑みを浮かべて少女に詰問を始めた。

「聞くが閃龍よ。お前に両親はいるか? 幼少期の記憶はあるか? 人間は死ねば骸が残るが、お前らはどうだ? お前らAIは我々異世界人が造った、命などない空っぽの存在なんだよ!」

「余は……一体……」

 ライハはその言葉が信じられなかった。屋敷の中で神凪の発言を聞いていたが、その話を事実だと受け入れられてはいなかった。自分が造られた命であるなんて。

「神凪! それ以上、俺の仲間を侮辱するな!」

「侮辱ではない。ただの事実だ。それにしても、三年前に君が四天獣を打ち破った時は驚いたよ。君に敗れるまで、実に百三十年も生きたAIだったんだ。四天獣の諸君、使命を忘れたというのならば思い出させてやる。お前ら正体を、エイタ君に聞いてもらおう」

 続いて神凪は――恐るべき真実を口にした。


「二十五年周期でアルンを襲い、NPCを一匹残らず絶滅させるための存在――それが四天獣という魔王の正体だ」


「――――え?」

 耳を疑った。フィヨルディア、そして四天獣の本質に――。

 フウカとライハは戦慄していた。己の正体が事業の歯車として生み出された、正真正銘アルンを滅ぼす災害だったというのだ。四天獣とは単にゲームの中での設定ではなく、実際に殺戮の限りを尽くしてきたと――。

「嘘だ! あたしは――」

「――嘘じゃないぞ、颱虎よ。フィヨルディア創世から百三十三年。お前らは五度にも渡る殲滅活動を行ってきた。エイタ君に殺されたお前らを蘇えらせたのは、育ったアルン中のNPCを再び滅尽させるためだ。そうであるにも拘わらず人間ごっこをしやがって! お前らは役割も果たせない出来損ないだ!」

 フウカとライハは記憶を辿った。微かに残る――前世の殺戮の歴史。

 自分はいつから四天獣だったのか。今まで疑問に思っていたことを考えると、全てが繋がった気がしていた。

「神凪……俺の仲間を傷付けないでくれ。彼女達はもう人を殺さない」

「感動させるじゃないか、エイタ君。AIと友誼を育んでいるつもりか? 可笑しなことを言う。所詮は人工知能、データを消せば失われる存在だ。こんなくだらない玩具のために、君が人生を懸けるなんて馬鹿げている!」

 追い討ちをかけるような神凪の長広舌は、一向に止まらない。

「エイタ君。君がNPCと接触することで、AIは言葉を学習していった。そして、NPC同士が意思疎通をすることにより、AI進化の坩堝はフィヨルディア全土に伝播した。君が優秀なAI達を育て上げたのだ。倒された四天獣を生き返らせたが、こいつらが人間の姿となり君に与するとは思わなかった……。これは誤算だが問題ない。NPC虐殺のために送り込んだ四天獣が、こんなにも立派に成長してくれたんだからな。AI進化の元凶はお前だ!」

 僕のせいだ。僕がNPCと話すようになったから。僕がこんな場所まで仲間を連れ出したから。僕はただ友達が欲しかっただけなのだ。アイ、フウカ、ライハ。僕は無力だ。仲間を助ける手段がどうしても見付からない。


「わたし……知ってた……」


 すると、今にも消え入りそうな声でアイが口を開いた。

 血が滲んだ衣服はボロボロに汚れ、アイの身体には無数の擦過傷や火傷の痕がある。手足を謎の魔術で縛られたままアイはなんとか座り、胸懐の言葉を紡いだ。

「わたしは宿屋の店主だった……。何年も受付台から動いたことはなかった……。そんな退屈な毎日を楽しませてくれたのがエイタだった……。エイタの話を聞いていると、わたしという存在の異常性に気が付くの……。わたしはお腹が空かない、睡眠を取らない、動けない、上手く喋れない……。わたしとエイタは何かが違う。フィヨルディアはエイタのいる異世界の住人に作られた世界だって考えていたの……。この憶測は正しかったのね……」

「アイ……」

 なんとアイは真理にまで辿り着いていた。毎日を一緒に過ごしてきたが、それに気が付いた素振りを見せたことは一度もなかった。

「フウちゃん……ライハ……。歳が近い女の子と知り合えて、わたしは嬉しかった。年齢はデータ上の設定に過ぎないけれどね。エイタ……わたしはエイタが好き。わたしに生きる楽しさを与えてくれた。ずっと一緒にいたかった。エイタとは住む世界が違うことを受け入れたくなかった。今まで……ありがとう……」

 アイは胸中を述懐し、自身の末路を悟ったように笑ってみせた。アイはこの戦況を打破する手立てはないと理解している。だから殺される前に――これが永訣になると考え、僕とフウカとライハへの想いを、感謝を伝えたのだろう。

「なんということだ……こんなに進化したAIを見たことがない。二十五年で労働力に足るAIが育つが、エイタ君のお陰で今周期は八年間で既にAIが十全に育っている。アイといったか? 君は高く売れるぞ!」

 神凪がアイに歩み寄っていく。止めなければ。

 フウカは動こうと藻掻いているが、手足を縛られて動けない。

 ライハは酸鼻を極める傷を負い、呼吸をすることも苦しそうだ。

「おっと、エイタ君。動いても無駄だぞ。君は私に勝てない」

 駄目だ。僕にアイを救う力はない。誰か、助けてくれ――。



 神凪がアイを縊り殺そうと手を伸ばした時だった――。

 突如、周囲が炎の渦に包まれた。

 高速で飛来した何者かがアイを掴み、燃え盛る翼を羽搏かせて上空で静止した。

 夜半の草原の上、太陽が舞い降りたように赫々たる煌めきを放っている。

「ふぅ、なんとか間に合ったようですね」

「お、お前は……なぜここにいる!?」

 神凪は驚動して後退りをした。目を血走らせて取り乱している。

 アイの窮地を救ったのは、燃えるような深紅の長髪を持つ少女。靡くポニーテールの髪は美しく、僕は見惚れてしまっていた。

 炎の結界を纏う彼女の手には、縛られたフウカとライハの姿もあった。あの転瞬の間に助け出したのだ。

「ホムラ……!」

 縋るようにフウカが彼女の名を叫んだ。この少女が四天獣の一角――煌凰ホムラだ。ホムラの纏う炎は、三人を縛る草の魔術を焼き尽くしていた。

 そしてホムラは地上に降り立ち、三人を草原の上に寝かせた。

「フウカちゃん、ライハちゃん、アイ様。ここで休んでいてください」

 ホムラは三人を慈しむように優しく撫でた後、僕の元へと駆け寄ってきた。

「あなたがエイタ様ですね。間一髪でしたが、間に合ってよかったです」

「ありがとう。本当に助かった。どうやってここに――」

「――話は後です。目の前の敵に集中をしましょう」

 ホムラにはライハと同様に異能《飛行》を持つため、霊峰の奥地を踏破することは難くない。しかし山頂から奥地へ進めるという知識がなければ、ここへ来ることは不可能だ。一体どうやって、ホムラはここの存在を知ったのだろうか。

 神凪も僕と同様に、瞠目して驚きを隠せないでいた。

「AIが自らの意志で境界を越えてきたというのか……? そんなことはプログラム上、有り得ないことだ。それに四天獣ホムラよ! お前は魔獣だ! お前が何のために造られたのかをわかっているのか!? そいつらは獲物だ! 殺せ!」

 管理者の命令を聞き入れることなく、ホムラは神凪を睨み付けている。

 グッと拳が握られ、表情に出さずとも怒りの感情が見て取れる。

「わたくしの友達を傷付ける者は許しません。それにわたくしは、己の心のままに行動します。あなたに指図される謂れはありません」

「な、なんだと……?」

 ホムラは神凪に背き、僕の味方をしてくれるようだ。友達を護るという一心で。

「エイタ様、協力して奴を討ちましょう。霊峰ソルベルクの王、四天獣――煌凰ホムラ、推して参ります!」

「そうだな、頼りにしているぞ。ホムラ!」

 アイ、フウカ、ライハは完全に沈黙している。

 ここからは、僕とホムラで戦わなければならない。投降した時に投げた太刀をホムラは拾っており、僕に手渡してくれた。

 隣で並び立つホムラに、僕は神凪の情報を簡潔に伝えた。

「ホムラ、奴は全ての属性魔術を扱える。半端な魔術では相殺され、牽制にもならない。そして、格闘スキルによって素手が届く間合いに入れば命はない。更に厄介なのが奴の長刀だ。斧スキルの異能により、防御不可属性が付与された斬撃を繰り出してくる。間合いに入ることは危険だ」

 絶望してもおかしくはない敵方の性能だが、ホムラの涼しい表情は恬然として変わらない。寧ろ勝利を確信したように、緋色の瞳には気炎が漲っている。

「防御不可ですか……同じですね」

「え……? 何が――」

 眼前で神凪が長刀を振り上げている。

 しかしホムラは、従容と焦る素振りをみせない。

「――わたくしの得物と」

 ホムラが札を翳すと巨大な薙刀が出現し、神凪の斬撃を受け止めた。

「な、なんだと!?」

 異能《破壊》による絶死の斬撃を凌がれ、神凪は驚愕のあまり眦を決している。

 ホムラは背丈より長い薙刀を軽々と振り回し、神凪の長刀を押し返した。

「エイタ様、奴の斬撃はわたくしが防ぎます。まずは盤石に立ち回れる戦況を実現させましょう。わたくしが奴の太刀を弾いた隙に死角から攻撃を狙ってください。フウカちゃんに合わせられたあなたになら可能でしょう?」

「了解だ。合わせやすくて助かる。流石はフウカの友達だな!」



 僕とホムラの連携は神凪に通用した。ホムラは静かに怒り、闘志を燃やして神凪に対峙していた。神凪と伍して打ち合い、剣速も膂力も引けを取っていない。神凪の斬撃をホムラが防いでくれるため、僕の斬撃を神凪に届かせることができた。

 するとなかなか押し切れない状況に苛立ちをみせた神凪は、傷を負って蹲るアイに向けて光の魔術を撃ち放った。

 中級魔術《光嵐雨こうらんう》。アイも同様の術を扱うが、その威力は比べ物にならない。輝く無数の光線が、無慈悲の咆哮を上げてアイの頭上に降り注いだ。

「しまった!」

 僕は神凪との戦いに集中しており、アイへの攻撃を許してしまっていた。

「アイ様!」

 迷うことなくホムラはアイに覆い被さり、身を挺して翼を大きく広げた。背中で熱線を受け止め、光線の熱がホムラの燃える翼を焦がしていく。

「うっ……!」

 光熱はホムラの炎とは性質が異なるようで、無効化することはできないようだ。

「ようやく隙を見せたな。煌凰よ、愚かなり!」

 神凪が長刀を振り落とし、動けないホムラの身体をバッサリと両断した。

「ホムラ!!」

 ホムラは致死の一撃を受けてしまった。無残にも身体は二つに断たれ、鮮血が迸る。声にならない悲痛な叫びを上げて、ホムラは息を引き取ったように頽れた。

「くそおお!!」

 僕は神凪に向かって、刺し違える覚悟で吶喊した。

 しかし、神凪の放つ風の魔術により吹き飛ばされてしまった。

 万事休すだ。最後の砦である僕が敗れると、負傷した仲間が神凪の手に落ちてしまう。落ち着け。焦るな。必要なことは気合ではなく具体的な戦略だ。心情の変化によって己が強化されるような、漫画みたいなことは絶対に起こり得ない。

 恐怖を飲み込め。勝機を探れ。考えなしに突っ込んでは勝負にならない。己への欺瞞の行先が光明に帰結することはない。

 どうする。考えろ。諦めるな。皆を助けるんだ――。

「エイタ君、君の努力は敬服に値する。このバーチャル世界で、よくぞここまで己を鍛え上げた。だが、もういい。君はアルンの教会で休んでいなさい」

 神凪がこちらへ向かってくる。僕には神凪の斬撃を防ぐ手はない。

 そして慈悲もなく――僕の頭上に神凪の長刀が振り下ろされた。

「……………………」

 ――しかし、その斬撃が僕に及ぶことはなかった。

 無意識に閉じられた目をゆっくり開くと、神凪は顔を歪めて固まっている。カランカランと音を立てて、振り下ろされた長刀が神凪の手から零れ落ちていく。

 そして僅かな間を置いて、爆撃を受けたように神凪は血飛沫を上げて倒れた。

 崩れ落ちた神凪の背後には、小さな人影が立っている。その正体は、艶やかで美しい青髪の少女。血に染まった錫杖を掲げ、恍惚の笑みを浮かべている。

「やっと隙を見せたわね、お馬鹿さん」

「君は……」

 なんと、現れたのは幽亀セツナだ。氷の女王の登場により、盤面は一変した。

 神凪といえども、セツナの消える異能は看破できなかったようだ。

「幽亀……貴様! なぜ私に逆らうのだ! 何のために四天獣を蘇らせたと――」

 セツナはまだ微かに息がある神凪に対し、容赦なく氷の刃で滅多刺しにした。

「あなたは誰かしら? 知らないわ。あの子達を虐めることは許さない」

 セツナの氷刃に貫かれた神凪は光となり、上空に軌跡を残して消え去った。

 耳を塞がれたような静寂が場を満たし、仲間の乱れた息遣いのみが聞こえてくる。どうやら、神凪を退けることができたようだ。



 酷烈な戦いを終えて、僕とセツナは倒れている仲間の元へと駆け寄った。

「ホムラ、セツナ、よく来てくれた。本当に助かった。ありがとう」

「皆様、ご無事で安心しました」

「ホムラ、身体は大丈夫なのか?」

「はい。わたくし、実は死ねないのですよ」

 ホムラは片目を閉じて首筋を撫でながら、舌をペロッと突き出して戯けた。

 神凪の斬撃により、ホムラは確かに絶命していた。しかし、ホムラは再生したのだ。倒れたホムラが青白い炎に包まれたかと思うと、切断された身体は接合され、傷は跡形もなくなっていた。

「それにしても、どうやってここに……?」

「わたくしは、セツナちゃんからあなた方の救出を依頼されました。そして、セツナちゃんと共にここへ馳せ参じたのです」

「セツナが……?」

 セツナに目をやると、負傷した三人の手当てをしていた。ホムラとの会話は聞こえているようで、こちらを見て得意げに微笑を湛えている。

「セツナ……どうして?」

「私を護ってくれたでしょう? 私はあなた達を殺そうとしたのに……倒れて動けない私をあなた達は庇った。恩人をみすみす死なせるわけにはいかないわ」

 昨日に勃発した霊峰イスカルドでの激闘の後に、倒れたセツナを狙う男達を追い払った時のことだろう。

「あの時、意識があったのか……」

「微かにね。お陰でこの場所へ行くことも、あなた達の会話を聞いて知ったの」

 セツナは慈しむように、傷だらけで動けないアイの頭を優しく撫でている。

「私は未来を視ることができるの。あなた達には死相が出ていた。つまり、この地には何か危険がある。私では山を越えられないことがわかっていたから、ホムラに協力を求めたの」

 四天獣としての使命を全うし、霊峰イスカルドを一途に護っていたセツナが霊峰を下りたのだ。苦渋の決断だったことだろう。それに、セツナはフウカやライハとは違って疾くは走れない。氷を操るセツナにとって、霊峰ソルベルクの酷暑は辛かったはずだ。そうまでして助けに来てくれたのだ。

「感謝してもしきれないな……。ホムラが四天獣としての役割を果たし、山頂に侵入した君を排除しにくるとは考えなかったのか?」

「うーん、それは頭になかったわね。あなた達がホムラとは親しいと言っていたから、協力してくれると確信していたわ」

 セツナはホムラと目を合わせ、お互い照れくさそうに微笑み合っている。

 四天獣という同族の絆によって為せる業か、僕達の救出のために奔走してくれたセツナと、迷わず駆け付けてくれたホムラには感謝しなければならない。誰か一人でも欠けていれば、神凪を退けることは叶わなかった。

 すると、フウカがゆっくりと身体を起こした。まだ傷が痛むのだろう。腕を押さえて顔を顰め、消耗しきったように肩で息をしている。無尽蔵にも思えるフウカの体力を以てしても、この戦いの厳しさは極限だったようだ。

「奴を……倒したのか……?」

「フウカ……」

 NPCが死亡する時とは異なり、神凪を倒した時はまるでワープするようなエフェクトが発生していた。これは死ではなくログアウトだ。

 現実世界の人間である神凪は、当然だが無傷で生きている。

「神凪は生きている。残念だが……また戦うことになるだろう」

「そっか……」

 フウカは落胆したように俯き、小さな身体を恐怖で震わせている。刻み込まれた神凪の悪意が、蜷局のように少女達を縛り付けている。

 怯えるフウカを心配して、セツナが優しく抱き寄せていた。

 僕は改めて、フィヨルディアについての概要を仲間達に明かそうと決心した。騙し騙しやっていては、神凪に勝つことは到底できない。僕の正体を仲間達に周知した上で、皆には協力してもらう必要がある。

「神凪から聞いての通り、俺は異世界から来た人間だ。神凪もまた俺と同じく異界の住人であり、この世界――フィヨルディアは奴に生み出された仮想空間だ。フィヨルディアの人民を拉致し、神凪、つまり僕が住む異世界の奴隷にすることが奴の目的だ。神凪の計画は、今も尚実行されている。その計画を加速させてしまったのは、紛れもない俺なんだ。皆、本当にごめん……」

 僕は頭を下げた。弁解の余地はない。僕のせいで皆を危険に曝したのだ。

 不本意とはいえ、僕はAIの利便性を享受して生きてきた。フィヨルディアの民にとって地球人は、悪魔と呼ぶに相応しい外道であるといえることだろう。

「エイタ様、一つ教えてください。ゲームとは何でしょうか……? セツナちゃんと共の身を隠していた時に、神凪の口からそう発せられました。わたくし達の存在は……まやかしなのでしょうか?」

 ホムラの疑問はもっともだ。突然告げられて受け入れられるはずがない。

「ゲームとは……説明が難しいけれど、俺のようにこの世界に降り立ち、現実とは掛け離れた体験をして遊ぶための場所だ。フィヨルディアは、神凪一族が創世した仮想世界なんだ。森の木も花も、魔獣も人間も、目に映るもの全てが奴によってデザインされたものだ。でも、この世界で生きている人々をまやかしだなんて俺は思わない。皆はこうして、フィヨルディアで生きているんだからさ」

 少女達は確かめ合うように互いの身体に触れ、肌をつつき、頬を抓り合っている。

 地に生える草を抜いてみたが、複雑に伸びる根子まで精密に再現されている。仮想現実のリアリティは、僕でさえ現実と見分けがつかないほどの精度だ。これは自己進化型AIの進化を促進し、己の正体について気付かせないための工夫であるといえるだろう。

 少女達にとっても、簡単に信じられることではないはずだ。それでも皆、「何を馬鹿な」と一蹴することなく、僕の突飛な釈明を受け入れていた。

「エイタが謝ることではではなかろう。どの道、奴は計画を進めておったのじゃろう? お主がいなくては、余は何も知らぬまま生きておったのじゃろうな……。異邦からわざわざご苦労なことじゃ。むしろエイタには感謝せねばならぬ」

「エイタが異世界人って本当だったんだな……。にしても、あたしらにとってはフィヨルディアが現実世界なんだが……。ここがゲームの中の仮想世界なんて笑っちまうよ。一体……あたしらって何者なんだろうね……」

 少女達は頭を掻きながら頷いていた。まだ信じ切れていないが納得したようだ。この世界について考えていると、あながち間違いだとは断定できないのだろう。

 少女達は僕を責めなかった。僕の目には堪えていた涙が滂沱と溢れていた。

「俺は……神凪の事業を終わらせたい……。それが贖罪になるとは思わない。神凪の事業を止めることは、奴と同じ異世界人である俺の役割であり使命だ。皆、俺に力を貸して欲しい。俺と共に戦って欲しい」

 一同は決意を固めた表情で首肯していた。

 視線を交わし、互いの意気を確かめ合った。

「フィヨルディアはわたし達の世界。好きにはさせないわ!」

「あいつ……あたしらを玩具みたいに言いやがって。許せねぇ……」

「余も脇が甘かったのう……。もう後れは取らんぞ」

「奴は私達の異能を攻略しきれていないわ。付け入る隙はあるはずよ」

「神凪の奸計を阻止するため、わたくしの力を全て捧げます!」

 フィヨルディアを統べる魔獣の王――四天獣が遂に出揃った。

 彼女達は大きな助けとなり、神凪攻略の鍵となるだろう。


    ◇


 街灯のないアジールの夜は、目を閉じたように深い闇に包まれていた。

 アジールには宿屋や飲食店、品数の少ない萬屋など、拠点に必要な施設が一通り揃っている。屋敷の凝り具合を見ると、神凪は僕と同様にこの世界を楽しんでいたのだろう。

 皆が空腹であったため、質素な定食屋で一緒に食卓を囲んだ。そこでは鍋料理しか売っていなかったので、大きな鍋を注文して六人でつついた。

 疲労のせいか、食事にうるさいライハが珍しく文句を言わなかった。あっという間に大量の料理を平らげ、僕達は店を後にした。

 霊峰の奥地や宿屋の宿泊部屋など、フィヨルディアにはラズハを介さなければ立ち入れない場所が幾つもある。アジールも当然ながらその一つだ。もっと早くフィヨルディアの異常性に気付くべきだった。明らかに一般的なゲームとは異なる仕様を疑うべきだった。立ち入れない場所を彩る必要はどこにもないのだから。

 僕は何度も旅寓アイアイに泊まってきたが、特に疑問を持つことはなかった。

 ゲームタイトルによって仕様が異なるが、フィヨルディアでは宿屋の店主に話し掛けるだけでログアウトとなり、時間経過で夜が明ける。モニター上では宿泊部屋にも入れない。しかしラズハによって具現化された旅寓アイアイには、部屋に実用的な家具が取り揃えられていた。ベッドや遮光カーテン、ポールハンガーが全ての部屋に配置されているのだ。それはゲームによくある飾りのためのオブジェクトではなく、実際に使用可能な什器だった。

 これは進化したAIが生活するために、周到にも神凪が用意した物なのだ。アルンに建てられている全ての物件に、こういった家具が配置されていることだろう。

 神凪はラズハが発売される以前から、AIを世に送り出していた。つまり、仮想現実でなくとも自己進化型AIを育てることが可能なのだ。

 フィヨルディアの闇を暴く手掛かりとなったラズハだが、その機能によって事業を加速させてしまうとは何とも皮肉な話だ。二十五年間も掛かっていた事業を、ラズハは八年間で達成してしまったのだ。ここで食い止めなければ、神凪の事業は爆発的に加速してしまうことだろう。誰にも知られることなく、許多の犠牲が生まれてしまうことだろう。僕がこの手で、何とかしなければ――。



 僕達はアジールの宿屋に泊まることにした。宿屋には大部屋が一室しかなかったので、皆で雑魚寝をすることとなった。布団は人数分の用意があり、アイが率先して綺麗に並べてくれた。流石は元宿屋の店主。良い仕事だ。

 少女達は修学旅行の夜のように、向かい合った布団の中で歓談を楽しんでいた。

 フィヨルディア創世の秘密、自身がAIであること、セツナと敵対したこと、積もる話は幾らでもある。深刻な話もあるが、少女達は楽しい話にも花を咲かせた。歳相応の少女らしく笑い、戯れ合い、枕を投げ合っていた。神凪との戦いで極限まで疲労が溜まっていたが、少女達は今を楽しむことを優先していた。どうやら仲間との寝泊まりが楽しかったようだ。

 しかし、僕は憂い事を拭い切れないでいた。神凪に反旗を翻した四天獣の少女達、それからアイの命は風前の灯火だといえる。少女達には口が裂けても言えないが、元の世界に戻った神凪にデータを消される可能性が高い。こうして仲間達と話せる時間は、もうほとんど残されていないのだ。

 僕自身もまた、アカウントが削除されているとすればログアウトができない。

 あの時の決断を悔いるつもりはないが、両親には本当に申し訳が立たない。



 丑三つ時――。

 夜が明けるまで続くかと思えた大騒ぎは、次第に落ち着き始めていた。

 途切れ途切れにポツポツと、小声で話す声が聞こえてくる。各々が気儘に会話をしながら、瞑目して眠りに落ちる時を待っている。どうやらセツナは、既に意識を失っているようだ。

 僕はアイと話がしたかった。しかしアイはライハの布団に潜り込み、二人だけの世界に入っている。

 アイと話す機会を窺っていると、隣の布団の中で丸くなるホムラが目に入った。

「……ホムラ、まだ起きているか? 少し話がしたい」

「はい。如何なされましたか?」

 ホムラは仰向けの状態から、身体をこちらへと向けた。

「今日は助けに来てくれてありがとう。改めて礼を言う」

 僕は布団の上で胡坐をかき、両手を突いて頭を下げた。

 すると、ホムラは目を丸くして起き上がった。ホムラの手が僕の頬に添えられ、ゆっくりと顔を持ち上げられた。

「エイタ様、頭を上げてください。礼には及びません。当然のことを遂行したまでです。結局、わたくしも神凪に後れを取ってしまいましたね……」

 ホムラは申し訳なさそうに目を伏せていた。

 改めて近くで見ると、ホムラの容姿は考えられないほどに美しかった。

「君は……死なないと言っていたな。その……なんともないのか? 再生による副作用とか……」

「副作用は特にございません。死した瞬間に少し痛いぐらいでしょうか。どのような傷であろうとも、自然に治癒します。際限はございません」

 神凪から致死の一撃を受けたホムラは、何事もなかったかのように生き返っていた。異能《不死》。死なないという、単純かつ明快な最強特性。前身の煌凰にはみられなかった異次元の能力だ。

 転生した四天獣の少女達には、前身にはなかった異能が付与されている。かつての四天獣を倒した僕を確実に葬るために、神凪によって追加されたものだろう。

 もしかすると、フウカやライハにも新たな異能が発現するかもしれない。四天獣特有の異能は、鍛錬やゲームのスキルポイントで身に付けられる代物ではない。

 僕はホムラに聞きたいことがあった。嫋やかに微笑む彼女が激昂する姿は想像できないが、この質問はホムラを修羅に変えてしまう可能性がある。

「……ホムラ、前世の記憶はあるか?」

「……ええ、はっきりと」

「そ、そうなのか……」

 ホムラは僕の首に手を伸ばした。首筋に彼女の指の腹が触れ、力が込められる。

 僕は顔を引き攣らせていた。ホムラの瞳は氷のように冷たく、このまま縊り殺されるのかと思ったからだ。

「ふふっ、何を怯えているのですか?」

「……え?」

 ホムラは悪戯っ子のように笑い、伸ばした手で僕の頬をそっと覆った。

「前身の煌凰がエイタ様の手で葬られたこと、その事実に憤りはありません。あなたが倒した煌凰とわたくしは、全くの別物なのですから」

 ホムラの答えは意外なものだった。

「前世の記憶があっても、全く別物だといえるのはどうして……?」

「あなたから学んだのですよ。今のわたくしは人間として生きることを選びました。人間として友人を作り、あなたに協力しているわたくしは前身の煌凰と同じですか? 暴れ狂う過去の面影をわたくしに感じますか?」

「……そう思うと、全然違うな」

 前身の煌凰は問答無用で襲い掛かってきた。

 今の静謐なホムラとは似ても似つかない。

「わたくしは、あなたが前身の四天獣を倒してくれたことを感謝しています。百三十年にも渡る殺戮の螺旋を断ち切ってくださいました。わたくしを含め四天獣は皆、心中では殺戮を拒んでいたのです。人間として生まれ変わることができたのも、あなたのお陰なのです」

 AIが意志を持ち、自ら考えて選んだ結果がこの少女の姿だということだ。

 四天獣は望まない殺生を強要されてきたのだ。フウカ、ライハ、セツナも同様の理由で今の姿となったのだろう。本人に問うと照れ隠しで否定されそうだが――。

「俺は今のホムラで本当によかった。これからもよろしく頼む」

「はい。これからもお願いしますね!」

 ホムラは婉然と微笑んだ。ホムラの笑顔を見て、胸に棘が刺さった気がした。

 これからも――と言ってしまった。ホムラと話せるのも、これが最後かもしれないのだ。僕は言葉を続けることができず、唇を窄めて閉口した。



「エイタはあたしらを見捨てないんだな」

 振り返ると、向かいに敷かれた布団の中でフウカが顔を出していた。

 俯せの姿勢で手の甲に顎を置き、巻き寿司のように布団に包まっている。

「見捨てるわけがないだろう。俺達は仲間だ」

「お陰でエイタはもう……自分の世界には戻れないんだろう?」

「ああ、でも後悔はしていないよ。俺はこの世界で戦うと決めたんだ」

「あたしを……玩具扱いしないのか? あたしは造り物らしいぞ?」

 フウカの声は震えていた。同族の前では気丈に振舞うが、フウカの精神は崩壊しかけていた。自身の正体を知り、自我同一性アイデンティティが失われかけていたのだ。

 フウカはじっと僕の目を見ている。その表情は悲哀――或いは憂慮か。

「造り物か……じゃあ、俺はどうなんだろうな……」

「え……?」

 僕は諭すようにフウカの目を見詰めた。

「俺は地球という異世界で生まれて、赤ん坊から幼少期を経て今の姿となった。人格は生まれてから現在までの人生の中で形成されていったものだ。フィヨルディアで生まれたフウカと、どこが違うかな?」

「それは……」

「神凪が作ったのは四天獣としての設定だ。能力や思考、性格もある程度は決められていたことだろう。でもフウカは四天獣としての設定を放棄して、勝手気儘にロルヴィスを離れた。力の使い方も戦いの中で研ぎ澄まされている。喜び、怒り、哀しみ、友達と友情を育む君の感情は、これまでの生活と仲間との絆によって形作られたものだ。今のフウカは造り物なんかじゃなく、俺と同じ人間だよ」

「あたしが……人間……?」

「ああ、違いない」

「そっか……」

 フウカは顔を伏せ、腕で目を隠した。そして、黙って頭から布団を被った。

 フウカの布団の中から、啾々と啜り泣く声が聞こえてくる。

「……エイタ」

「どうした?」

「……ありがと」

 僕はフウカの頭を、覆い被さった布団の上から強く撫で回した。いつもなら手を払い除けられる場面だが、フウカは黙って受け入れている。

 造られし命であるが故、その身で味わう恐怖、葛藤、疑心暗鬼。そうした壁を乗り越えて、少女達は今ここに存在している。

 護らなければならない。この先で仲間が神凪に消滅させられ、また独りになろうとも。奴の調略を認めてはならない。フィヨルディアの真実を知った唯一の者として、闇を打ち払わなければならない。それが僕に課せられた使命だ。



 全員が寝静まったようで、各所で安らかな寝息が聞こえてくる。

 僕は眠りに就いた少女達を見回した。セツナとライハは寝相が悪く、布団が散乱している。せっかくアイが綺麗に敷いてくれた布団が滅茶苦茶だ。ライハに至っては、むにゃむにゃと寝言を呟いて涎を垂らしている。ホムラは一糸乱れず寝姿が美しい。アイとフウカは布団を全身に被っていて姿が見えない。

 各々の性格を決定付ける初期設定は、知能や気性ぐらいのものだろう。無から生み出された人格が、こうも十人十色に異なるとは驚きだ。彼女達の個性は唯一無二であり、ただのデータだとか造り物だとか、そんなことは到底思えない。まして強制的に働かせるなんて、とてもじゃないが看過できない。

 最後の対話となる可能性があるので、僕は眠ったアイを起こそうかと迷っていた。朝になってアイがいなくなっていたら、僕はずっと後悔することになるだろう。

 ――すると、僕の布団がもぞもぞと動き始めた。

 ぎょっとしたが悲鳴を堪え、僕は蠢動する布団を捲り上げた。

「……エイタ、起きてる?」

 なんと、布団の中からアイが顔を出した。

 驚いたが、僕は咄嗟に口を塞いで叫声を押し殺した。

「アイ!? どうして俺の布団から出てくるんだ!?」

 僕はアイにだけ聞こえるよう小声で叫んだ。

「わたし、エイタと話がしたいの……」

 アイは僕にしがみついて離れない。何やら神妙な面持ちだ。

「わかった、アイ。ちょっと外へ出よう」

 願ってもない提案だ。ちょうど僕も、アイと話す機会を探っていたところだ。

 眠った少女達を起こさないよう息を殺し、アイと共に宿屋の縁側へと移動した。



 外は寂莫として、夜気が心地良く肌を撫でている。

 フィヨルディアはゲームとしての出来は酷いが、宿屋に濡れ縁まで作るとは要所で作り込みが凝っている。これも神凪の嗜好なのだろう。

 当初はゲームを楽しんでいただけだった。つまらない現実から目を背けるために、僕はゲームの世界に入り浸っていた。

 フィヨルディアを選んだのは、現実世界の人間と出会いたくなかったからだ。百年以上も前に発売されたゲームにログインする物好きはいない。ログインができる謎の古いゲームは、僕の隠れ家に打って付けの場所だった。

 本当に、とんでもないデバイスが開発されたものだ。ラズハがなければ、アイや四天獣の少女達と仲を深めることは叶わなかった。それどころか、アジールに辿り着くことさえもできなかった。神凪の事業を知ることもなく、僕はのうのうと一生を終えていたことだろう。

 百三十三年前に発売されたフィヨルディアは、元々仮想現実を体験できるゲームではない。十年前に発売された転送機ラズハが偶然にも適合したことにより、僕はこうしてここにいる。天文学的だといえるほどに限りなく低い確率をくぐり抜けて、こうして僕とアイは出会ったのだ。

 僕の隣に座る可憐な少女は、緊張した面持ちでこちらを見上げている。

「エイタ、初めて会った時のことを覚えてる?」

「ああ、覚えている。八年前、俺が初めてフィヨルディアに来た時のことだ。俺がひたすらアイに話し掛けていたな。あの時はごめん。あっちの世界に友達がいなくてさ……。今思えば可笑しな奴だったよな、俺……」

「ううん、わたしは嬉しかったよ。わたしの宿屋はエイタしか泊まりに来なかったから、エイタに会うことが毎日の楽しみだったの。エイタはわたしに優しく笑い掛けてくれた。お陰で独りぼっちでも寂しくなかったわ」

「俺もそうだ。アイに会うことがフィヨルディアへ行く理由になっていた。それに、アイが少しずつ表情を作れるようになったのも嬉しかった。笑って、驚いて、頷いて。決まった台詞以外の声を少しずつ出せるようになっていったな」

「そうだね……。あの時、頭で考えていても声が出せないのがもどかしかった……。エイタと会話がしたかった……。聞きたいことがいっぱいあった……。わたしのことを知って欲しかった……。会えて嬉しいと……伝えたかった……」

 アイは膝に置いた手で、寝間着の裾を強く握り締めている。

 僕はその小さな手を握り、顔を上げたアイの目を見詰めた。

「今は何だって話せる。アイのことを、もっとよく教えてくれ」

「うん。わたしもエイタのことを、もっとよく知りたい」

 僕はこの時、アイを一人の人間として見ていた。当然、身体の構造が僕と異なっていることは百も承知だ。フィヨルディアに於ける人間――という認識だ。今までのように人間だと思い込もうとすることなく、無意識にそう認識していた。こうして腹を割って話せる人物は、現実世界を含めてもアイ以外にいない。

 僕とアイはお互いに趣味や嗜好、過去やこれからのことをざっくばらんに話し合った。異世界の敷居を跨ぎ、種族の垣根を越えて、互いには胸の内を明かした。

 会話の中で、僕は切り込んだ質問も織り交ぜていた。アイがフィヨルディアの全貌を知った以上は、隠す必要のある事柄は何一つ存在しないのだ。

「自身がその……AIであることには、いつ辿り着いた?」

「エイタと関わっていく内に少しずつ……かな。エイタを見ていると、わたしにはできないことが多すぎるんだもの」

 まさかNPCが言葉を学ぶとは、僕も到底思わなかったことだ。それが結果として、アイに自身の正体を知らせる遠因となってしまった。

「アイと意思の疎通ができるようになって、俺はとても嬉しかった。でも、それが神凪の事業を加速させてしまった……。血も涙もない……奴の策略に……」

「そのことだけれど……わたしに責任があるの……」

「え……?」

 アイは悲愴の面持ちで俯いている。

「エイタが元の世界へ帰った後、わたしは毎日宿屋の外へ出るようになったの。エイタと話せるようになるために、街の人と話す練習をしていたのよ。エイタから聞いた話を街の色々な人に話したわ。徐々に声が出るようになっていく中で、街の人も同様に言葉を学習していったの。街の人同士でも会話をするようになり、物凄い早さで進化の波は広まっていった……。神凪の計画に最も寄与したのは……きっとわたしなのよ……」

「そう……だったのか……」

 アイは僕と同じように、意思を持たないNPCを相手に会話を試みていた。

 それは大変だったことだろう。アイは僕のために――僕と会話をするために外に出て話す練習をしていたのだ。その涙ぐましい努力を僕は否定したくない。

「きっかけを作ったのは俺だ。アイのその考えだと、アルンの住人全員が共犯者ってことになるぞ? ……アイ、君は何も悪くないんだ」

「わたしは……」

 己を責める少女を咎めるように、僕はアイの手を強く握った。

「俺は神凪の事業を食い止めたい。今は確実な方法を思い付かないけれど、だからといって抗うことを止めるわけにはいかない」

「そうね。わたしもあの男の計画を阻止する方法を考える。一緒に戦おう。そして……これだけは言わせて。エイタがわたしを人間にしてくれたこと、本当に感謝している。わたしはずっと、エイタの傍にいる」

 アイは万斛の涙を流し、僕が握った手を両手で包み込んだ。アイは己の行動を過ちだと捉え、罪の意識に苛まれていたようだった。

 僕は涙を流すアイを抱き寄せた。アイも僕の腰に手を回し、ぎゅっと服を掴んでいる。アイは堪えていたようで、しばらく僕の胸の中で泣いた。


    ◇


 アジールはアルンの対蹠地にあるにも拘わらず、朝になると陽光が地表を眩しく照らしている。この光は実質をいうと太陽光ではないため、この世界での日照時間の差は存在しない。等しく世界を照らし、フィヨルディア全土に朝を齎している。

 昨日僕は眠りに落ちたが、ログアウトが行われなかった。更に、この世界での活動時間も二十四時間を優に越えている。それでも尚、現実世界の身体が目覚めることはなかった。つまり、僕のアカウントは既に削除されていることだろう。

 神凪の言っていたことは真実であった。元の世界に戻る手段は潰え、僕は完全に異世界に閉じ込められてしまったのだ。アカウントを失った今の僕にとってこの世界での死は、本当の意味での死となることが考えられる。死ぬとアルンの教会で再スタートできる可能性もあるが、それを試すことは絶対にできない。バーチャルだがリアル。僕は仲間達と同じ、フィヨルディアの住人となったのだ。

 フィヨルディアに於ける数奇な運命を巡る戦争の火蓋は、既に切って落とされている。もう――後には戻れない。



 今朝、僕達はアジールの中央広場に集まった。

 朝といっても、既に現在は昼の十二時過ぎだ。出立が遅れたことには理由がある。ライハとセツナがなかなか起きてこなかったのだ。

 昨日の戦いと、昨晩のお泊り会で疲れていたのだろう。ゆっくりさせてあげようと彼女達が起きるのを待っていると、昼の十二時になってしまった。

 ライハはそれでも起きる様子がないので、皆で布団の没収を執行した。

 だがライハは必死の抵抗を見せた。布団にしがみついて離れなかったので、起こすのに苦労させられた。ライハは未だにアイの背中で頭を揺らせている。

「久方振りの布団は最高じゃった……何か夢を見ていた気がするのう……」

「ライハ、気持ちよさそうに寝ていたね」

「あらあら。トルエーノを下りたのは、布団が恋しかったからなのかしら?」

 うとうとと頭を上下させるライハの頬を、セツナがつついて揶揄っている。

「うるさいわ、セツナよ。お主も起きるのが遅かったと聞いておるぞ」

「残念。あなたよりは早かったわよ」

「三十分だけじゃろうが……偉そうに……」

 皆、ちゃんと休息できたようだ。一緒に泊まったことで、かつて敵対したセツナとも親睦を深めている。少女達が仲良く戯れ合う光景は見ていて微笑ましい。

 アジールに冒険者ギルドはないが、クエストを確認できる掲示板が立っていた。ここで神凪はクエストの達成状況を見ていたのだろう。

 掲示板を見ると、幾つかのクエストが更新されていた。

「……む? エイタとアイがお尋ね者になっておるぞ」

「え……? 本当か?」

 掲示板に目を通すと、クエスト表の一番上に当該クエストを発見した。

《メインクエスト:大魔王エイタの討伐》。

 とうとう僕は、公式に魔獣の親玉扱いとなったわけだ。ある意味では、僕が大魔王だという認識も間違いではないのかもしれない。かつてのボスキャラクターである四天獣を従えて、プレイヤーの一人である製作者に挑もうというのだから。

 このクエストは神凪が追加したものか、それとも冒険者ギルドのスニルが発行したものか。いずれにしても、完全に街を歩ける身分ではなくなってしまった。

 それからもう一つ、追加されている不穏なクエストがある。

《エクストラクエスト:囚われの少女アイの救出》。アイに関するクエストは、どういうわけか『討伐』ではなく『救出』となっている。

「アイ、四天獣の首よりも懸賞金が高いな」

「本当だ……どうしてかな……?」

 アイには十五万リオもの懸賞金が掛けられている。僕と四天獣討伐の報酬である十二万リオに対して、かなり高額に設定されている。

「アイは討伐ではなく救出……。何か嫌な予感がするわね。生け捕りにしてよからぬことを考えているのかしら」

「ああ、有り得るな……」

 セツナの言うことは当たっている気がする。

 僕を追い詰めるために、人質として利用するつもりなのかもしれない。

「大丈夫ですよ。エイタ様とアイちゃんは、わたくしがお護りしますから」

 ホムラは毅然とした態度で言い放った。昨日で仲を深めたのか、ホムラのアイに対する敬称が変わっていることに気が付いた。

 僕に対しては変わらず、『エイタ様』――である。

「ホムラ、俺に対して『エイタ様』はやめてくれないか? 『エイタ』でいいからさ。気軽に呼んでくれて構わない」

「何を仰いますか。あなたは我ら四天獣を統べる大魔王様ですから。呼び捨てなど烏滸がましいですわ。エイタ様」

「えぇ……」

 ホムラは、僕の呼び方を変えるつもりはないようだ。そして、大魔王という僕に似合わない肩書を早速茶化してきた。

 背後でフウカは敬礼をしており、小馬鹿にされていることがわかる。アイもフウカに倣って手を額に当て、笑いを堪えて顔を膨らませている。

 僕を揶揄うことに関して真っ先に参加してきそうなライハは、掲示板に釘付けであった。掲示板をまじまじと見詰めて、顔を顰めている。

「む……? むむむ?」

「ライハ、どうかしたのか?」

 ライハは掲示板に記されている一つのクエストを指した。

「これじゃ。《サブクエスト:宝玉の破壊・霊峰トルエーノ》。これは余の山ことじゃな。宝玉って何のことじゃ? 山にお宝でも眠っておるのか?」

「え……? 何だそれ。俺は聞いたことがないな」

 掲示板をよく見ると、トルエーノ、ロルヴィス、ソルベルク、イスカルド、四つの霊峰全てに対して、宝玉破壊を目標とするクエストが確認できる。

 なんと宝玉の破壊クエストには、五十万リオもの莫大な報酬が設定されている。

 ライハの言葉を聞いたセツナは、呆れて大きな溜息をいていた。

「はぁ……そんな知識でよく四天獣をやっているわね。山頂の広間の中央に嵌め込まれている宝玉のことよ。実際はお宝でも何でもないわ。クエスト内容が収集ではなく、破壊であることから察せないのかしら?」

「いちいち一言が多い奴じゃ……」

 セツナに悪態をかれたライハは、腕を組んで顔を背けた。

「山頂にそんなものがあったのか……。気が付かなかった。宝玉が破壊されたら、何か問題があるのか?」

「問題は大有りよ。霊峰の天候操作や、魔獣の統率ができなくなるわ。宝玉を失うことは実質、霊峰の陥落を意味するのよ。つまり、四天獣の肩書が剥奪されることになるわね。これは由々しき事態よ」

「そうだったのか……」

 宝玉の破壊なんて、以前まではなかったクエストである。

 四天獣の討伐と宝玉の破壊。似たような内容のクエストが重複してあるのはなぜだろうか。四天獣を倒せばゲームクリアではないのか。何か嫌な予感が拭えない。

「そういうことですか……」

 ホムラが悟ったように呟いた。

「ホムラ、何かわかったのか?」

「……ええ、恐らくですが。お尋ね者のわたくし達はアルンに戻ることができません。加えて霊峰の支配権を失えば、行き場を失います。それが狙いでしょう」

「休む場所を奪い、俺達をじわじわと追い詰めるつもりか……」

 八年前にはなかったクエストが突如として現れたのだ。

 現況に即して考えれば、ホムラの推測で間違いないだろう。

「なら、さっさとロルヴィスに戻るぜ。あたしの住処を好きにはさせねぇ!」

 フウカは掌に拳を打ち付け、猛々しく気合を漲らせた。今にも駆け出しそうな勢いであったが、アイが間に入って猛るフウカを制止した。

「待って! わたし達を分断させる策かもしれない!」

「あ……」

 アイの発言を聞いて、全員が神凪との死闘を思い返していた。

 確かにその可能性も充分に有り得る。僕達を狙うなら、四天獣の結束は厄介だろう。各個撃破のほうが神凪にとって好都合だといえよう。

「……そうだな。アイの言う通り、今の状況で独りになるのは危険だ。俺はせめて、二人一組で行動したほうがいいと思う」

 僕の意見は至極当然な内容だったが、真っ先に反対したのはフウカだった。

「でも……それじゃ宝玉は護れねぇ。霊峰は見殺しか? このままだと、余所者に踏みにじられるのも時間の問題だぜ……」

 ライハもフウカに同調し、ぶつぶつと独り言を呟いている。

「急いで戻らねば、我が城が……。ちょっと見に行ってはいかんかのう……?」

 フウカの心配事は、皆も同様に自分事である。

 四天獣にとって霊峰は我が家も同然であり、大切な存在であるようだ。単独行動は危険だと理解しながらも、一刻も早く霊峰に戻りたい心境であることだろう。悠長にしている時間はなく、気が気でない様子だ。

「エイタ、《転送の札》で各地を周るのはどうだ?」

「なるほど、良い案だが人数分の札はないと思う……」

 フウカの妙案を聞き、僕は懐の中をまさぐった。しかし僕の手は空気を掴むばかりで、札らしき物体を探り当てることができない。

「悪い……《転送の札》はもう手持ちがない……」

 よもや一枚もないとは思わなかった。激しい戦いが続いていたため、落としてしまった可能性も考えられる。

「アジールの萬屋に売ってねぇか?」

「……今朝に品揃えを確認したけれど、《転送の札》は売っていなかったよ」

本当まじかよ……」

 最も使用頻度の高い札が萬屋に置いていないとなると、神凪によって事前に削除されたと考えるのが妥当だろう。何か罠を張るための時間稼ぎをされている気分だ。一刻も早く宝玉を護らなければいけない気がする。わざわざ高い報酬を餌にクエストを発行したのは、何か神凪に意図があってのことだろう。

 それ以前に、少女達のデータが削除されていないことに対して僕は違和感を覚えていた。ゲームの管理者であれば、NPCの削除など造作もないはずだ。そんな命の危機を知る由もなく、少女達は今後の行動指針について話し合っている。

「どこまで役に立つかは疑問じゃが、今の内に宝玉を魔獣共に護らせておくのはどうじゃ? 上級魔獣を一匹でも配置すれば事足りるじゃろう」

 ライハの発案は安直な内容であったが、宝玉を護るための策として充分な働きを見せてくれることだろう。神凪でもなければ、上級魔獣を倒せる者がフィヨルディアにいるとは思えない。

 皆も賛同して首肯している。このまま話が進みそうだ。

「ここは一時的に単独行動をする必要があるわね。各自で宝玉の無事を確認し、対策を講じましょう。考えていても時間が経つばかりよ」

「バラバラになってしまうことは残念ですが、仕方がありませんね……。わたくしはこの中で、誰かがいなくなるなんて耐えられません。皆様、武運を祈ります」

 フィヨルディアに君臨する四天獣。百戦錬磨の少女達だが、神凪の実力に圧倒されてしまったのだ。仲間を失う恐怖は、嫌というほど身に染みている。

「あたしも誰かが欠けるなんて絶対嫌だぜ! あたしらはずっと一緒だ!」

「そうね……。仲間ってこんなに温かいものだったのね……」

 以前まで孤高を貫いてきたセツナは、仲間の温もりを実感していた。気安く肩を抱いてくるフウカの腕も、今では友人として愛おしいものとなっていた。

「一山越えて、また集合だ。何、すぐに会えるさ」

 僕達の結束は固く、互いのために助け合える。僕が現実世界を擲つことができたのも、少女達の平穏を守りたかったからだ。僕は決して揺るがない。

 少女達のデータが削除される可能性については、一旦思考から外すことにした。これ以上考えても答えが出ることはなく、どうすることもできないのだ。



 掲示板の更新はスニルが行っているため、クエストの達成状況を反映するまで多少の時間差がある。今すぐに宝玉の無事を確認するには、自らの目で確かめるしか方法はない。

 僕達は宝玉の調査へ向かう準備を進めていた。《転送の札》の手持ちがないため、自らの足で現地へ赴かなければならない。そのため、どうしても単独行動が発生してしまい、火急の際の対応策を考える必要があった。神凪の他に四天獣を脅かす者はいないため、気を付ける脅威は一名に絞られている。

 話し合いの末、神凪が現れた場合の合図として上空に魔術を放つことに決めた。四天獣の魔力を以てすれば、遠くからでもその爆威を視認できるという。仲間の危機を救うために、その救援信号の発生源へと集結するのだ。

「……して、エイタとアイは誰に帯同するのじゃ?」

 四天獣はそれぞれの根城へ向かうが、空いている僕とアイは遊撃として支援が可能だ。ライハの言葉を聞き、セツナが真っ先に手を挙げていた。

「エイタ、私についてきてよ。私は皆と違って速くは移動できないの」

 昨日の夜はセツナの寝つきが早く、あまり話せなかった。

 ちょうど僕も、彼女について聞きたいことがあった。改めて助太刀に来てくれたお礼も言いたかったところだ。

「いいだろう。よろしく、セツナ」

「決まりね。大魔王様、私を護ってね」

 セツナがグータッチを求めてきたので、僕はそれに応じた。

「それでは、アイちゃんはわたくしと共に来ていただけませんか?」

 ホムラがアイに対し、笑顔で手を差し伸べていた。

 アイはホムラの手を取り、満面の笑顔で首肯した。

「ホムラ、よろしくね!」

「ふふっ、よろしくお願いします」

 フウカとライハも手を挙げていたが、組の結成を見てすごすごと手を下ろしている。互いに顔を見合わせ、残念そうに心情を共感し合っていた。

 僕とアイが別行動を取るのは久方振りだ。僕がアイを心配そうに見ていると、ホムラが気を遣って近付いてきた。

「エイタ様、ご安心ください。アイちゃんはわたくしが必ずお護りします。それに、アイちゃんはもう護られるだけの存在ではないはずですよ」

「……そうだな。ホムラ、アイを頼む」

「はい、お任せください!」

 くだんの少女に視線を移すと、アイもこちらを見ていたようでピタリと目が合った。

「わたしは大丈夫。エイタも気を付けてね」

「ああ、アイも気を付けて……」

 アイが心配で、僕の心はなかなか落ち着かない。ホムラの実力を疑うわけではないが、アイが自分の手を離れることに憂惧の念を拭い切れなかった。

「アイ、霊峰ソルベルクは暑いぞ。辛くなったらこまめに休憩をするか、ホムラの背に乗せてもらうといい。飛来する火球も溶岩も、ホムラと一緒なら問題にはならない。火口の上空は飛ばないようにホムラには忠告しておく。それから、もし噴火した時には――」

 僕がくどくどと霊峰の攻略方法をアイに伝えていると、ホムラが痺れを切らして言葉を被せてきた。

「あの……エイタ様、アイちゃんにはわたくしがついていますので大丈夫ですよ」

「エイタは過保護じゃのう。アイはお主が思っておるより、ずっと頼もしいぞ」

 ライハも呆れて口を挟んできた。

「いや、俺も信頼していないわけじゃない。ちょっと心配で……」

「やれやれじゃ……」

 ひとまず、これからの行動指針は決まった。僕達は四手に分かれて、各々が霊峰の山巓を目指す。合流場所は、エンマルク南部にポツンと建てられた風車の前だ。

「山頂で宝玉を狙う人間に遭遇するかもしれないが、絶対に人を殺さないでくれ。そして皆、首を狙われる立場にある。重々気を付けてくれ」

「わかりました。皆様もお気を付けて」

 そうして僕達は仲間と別れ、各自がそれぞれの根城へと向かった。アジールからだと、本来は通れない霊峰の裏道を登ることとなる。異能《飛行》を持つホムラとライハ、異能《天駆》により空を駆けるフウカは苦労なく進めることだろう。

 心配なのは僕とセツナのペアだ。ロルヴィスの奥地のように、越えられない崖が現れた時の対処を考えなければならない。

 ライハとホムラは颯爽と空を飛び、フウカは草原を逸足の脚で疾走した。解散して間もなく、少女達の姿は見えなくなっていった。

 その脅威の速度に圧倒され、僕とセツナは目を丸くしていた。

「皆、凄い速さだな……羨ましい……」

「ごめんなさいね、私は飛べなくて……。さぁ行きましょうか。きっと徒歩も悪くないわよ。一つ一つの障害を一緒に越えていきましょう」

「そうだな。領主のセツナと共に霊峰イスカルドの奥地に挑めるなんて、登山家としては有り難い限りだ。道中はよろしく頼む!」

 僕はセツナと共に、霊峰イスカルドへ向けて歩き出した。

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