第16話

「あなたはもしかして……」

「健次郎は私の本当の父親ではないそうです。それを知ったのは母の死後、ほんの数時間前です。きっとご推察の通りでしょう、その故人こそが私の父だと思います」

「健次郎さんがご友人からお母さんを奪ったと思っているのですね」

「自死を選んだのはそういうことでしょう。恋人と友人に裏切られて……」

「それは違うと思いますよ」

 住職の言葉はどこまでも穏やかだった。

「ようやく腑に落ちました。健次郎さんは常々、ご友人が死んだから大切なものを返し損ねてしまったとおっしゃっていました。返すことはできないが、かといって自分が受け取るわけにはいかないと。ずいぶん長い間、悩んでいたようです。お二人の埋葬を約束した日、健次郎さんは、『これでようやくあいつに預かっていたものを返すことができる』と言っていました。大切なものというのはあなたのお母さんとあなたのことでしょう」

「どういうことか、私にはわかりません」

「あなたがもし何も知ることがなくても、墓参りをすれば自然と実の父親にも手を合わせることになるでしょう」

「どうしてそんなややこしい真似を……お袋といい、親父といい何を考えているんだか、私にはさっぱりわからない」

「そうですね。人の心中など推し量ってもわかるものではありません。時には自分自身の心中でさえ見失うこともあるのかもしれません。ただ、あなたのご両親はご夫婦という体裁はとっていたようですが、私には夫婦というより同志だったように思えます。お二人ともそれぞれに思うところがあって、共に生きながら一緒に何かを守ろうとなさっていたのかもしれません」

 住職との話を終えた康介は、深々と頭を下げてから退室すると、控室には戻らずにそのまま外へと向かった。

行き交う車、自転車を走らせて帰宅を急ぐ高校生、夕暮れの街角は何気ない日常の延長で、どこにでもある風景と変わりない。あてもなく歩く喪服の康介だけが、何気ない風景に溶け込めない異質な存在だった。

 康介は頭がパンクしそうだった。

 正子が急死してから、まだ一日しか経っていないこが信じられない。取り留めもない思いが胸に去来し、簡単に気持ちの整理などつけられそうになかった。

(もう一度、親父に会おう。会って、ちゃんと話を聞きたい)

 だが、父の思惑がどうであれ、母の思惑がどうであれ、何が起ころうとも今の康介には守るべき家族がいる。このまま一人で抱え込んでしまっては、自分も両親と変わりない。そう思い至った康介は、くるりと体の向きを変えた。

(静江も子供たちも心配しているだろう)

 何から話せばよいのか、わからなかったが、それでも康介はまずは家族とちゃんと話をしようと心に決めた。

 長い一日はまだ終わりそうもなかった。

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