第15話
「お恥ずかしい話ですが、私はこの年まで墓参りをしたことがありません。菩提寺があることも母が亡くなって初めて知りました」
住職に呆れられても仕方ないと思っていたが、康介の予想に反して住職は笑みを浮かべた。
「菩提寺というわけではありませんから、あなたが知らなくても当然です」
康介は思わず大きくため息をついた。内心、康介はうんざりしていた。
「母が死んでからたった一日にしか経っていないのに、私の知らないことばかりで、正直何が何だかわかりません。母は墓所をそちらにお願いしていたようですが、菩提寺ではないとはどういうことでしょうか。どうして母はご住職に……父と一緒に埋葬するようにお願いしたのか、教えていただけませんか」
住職は目を閉じて、遠い記憶をたどるように静かに語りだした。
「もう数十年前の話です。あなたのお父さん、健次郎さんがご友人の遺骨を私の寺へ持ってみえました。天涯孤独の友人を無縁仏にしたくないから弔ってほしいと。当時の住職だった私の父は、墓を立てても管理する人がいなければ寂れるだけだと諭したようですが、健次郎さんは墓石もいらない墓標もいらない、それでも無縁仏にだけはできないのだと食い下がったようで、父は困った挙句に桜の樹を墓標にしたらどうかと言って、墓地にある桜の樹の下にご友人のお骨を埋葬しました。今でこそ樹木葬も当たり前になっていますが、当時は荒唐無稽な話です。それでも健次郎さんは大変喜ばれて、それからずっと折にふれては一人でお参りにいらしていました」
住職はそこで言葉を切って、茶をすすった。
「あなたのお母さんにお会いしたのは、つい数年前です。歩けなくなった健次郎さんの車いすを押してみえました。てっきり付き添ってこられただけだと思っていたのですが、お母さんも故人をご存じだったようで、ずいぶん長いこと二人で桜の樹を見つめていらっしゃいました。何度か二人でくるうちに、自分たちが死んだら、故人と同じように桜の樹の下に埋葬してくれないかと相談をされました。最初はお断りしようかと思ったのですが、お二人とも熱心で……。なんでも故人は失意のうちに自死を選んだらしく、その責任の一端は自分たちにあるのだとかおっしゃって……。これ以上、故人に寂しい思いはさせられないのだと」
住職の話を聞いているうちに、康介はその故人こそが自分の父親なのではないかと思い始めていた。その父親を追い詰めたのが、健次郎なら許せない、と。
「ご住職、他には何か聞いていませんか、その友人の死について。どうして父は責任を感じていたのかご存じですか?」
住職は康介の意図をつかみかねたように首を傾げた。
「お二人は故人をとても大切に思っていたようですよ。故人は学生紛争、いわゆる安田講堂事件で逮捕されたと聞いています。何年か服役されていたそうですが、真っ正直でいい奴だったとお父さんがおっしゃっていました。服役中だった故人の代わりに、妊娠している彼の恋人を守るつもりだったと……」
住職ははっとしたように言葉を切った。
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