第11話

 康介の声が怒りを含んでいることを静江は察していたが、状況がわからずに困惑していると、駒田と入れ替わるように紘一が戻ってきた。

「今、そこで車いすを押した人とすれ違ったけど、あの人達、知り合い?」

「知らん」

 反射的に答えた康介を見て、静江がおろおろしている。

「なんだよ、父さん。何を怒っているんだよ」

「別に怒ってなんかない」

「その言い方が怒っているだろ」

 気色ばんだ紘一をじろりと康介が見返したところで、和江が止めに入った。

「静江さんが知っているわけないじゃない。康介、八つ当たりはみっともないわよ。紘ちゃん、悪いけど私の荷物、控室に持って行ってくれる」

 納得いかない顔で紘一が渋々控室に向かうのを見送ってから、和江は口を開いた。

「まったく、姉さんも人騒がせよね。ちょっと、座ってもいいかしら。長いこと立っていると腰が痛くてね。本当に歳はとりたくないわね」

 和江はそういうと、並べられた椅子の一つを選んで「よっこらしょ」と腰を下ろした。

 康介も一つ離れた隣の椅子に腰を下ろした。

 静江は迷うように立ち尽くしている。

「静江さんもいらっしゃいよ」

 静江は、顔色を窺うように康介を見た。

 康介が無言で頷いたのを見て取ると、静江はほっとした様子で康介のすぐ隣の椅子に腰を下ろした。

 二人が並んで座ったのを見てから、和江はカバンから白い封筒を取り出した。

「姉さんから預かっていたの。中身はもちろん見てないわ。自分に何かあったら康介に渡してくれって」

 差し出された封筒を受け取った康介は表書きを見つめた。

 表書きには癖のある正子の字で丁寧に「川上康介様」と書かれていた。

 中には便箋が二枚。

 二枚目は白紙で、一枚目の書き出しには「川上健次郎はあなたの本当の父親ではありません」と書いてあった。

 康介はあまりの衝撃にそのまま読み進めることができなかった。

 やっとの思いで顔をあげて、康介は和江に目をやった。

 和江は複雑な顔をしている。

「これはいったい……」

 絞り出すように切り出したものの言葉が出てこない。

 和江は何も言わず、康介に続きを読むように促したが、康介は手紙を手にしたままでしばらく正子の遺影を見つめていた。

 取り澄ました正子の顔は、康介がよく知る母の顔とはどこか違って見える。

 別居していたとはいえ、正子はすぐそばで暮らしていたのに、正子がこんな重大な秘密を持っていたことを康介は知らなかった。

 何も知らされていなかったことに対する怒りと同時に、康介はそこはかとない虚しさを感じた。

 自分の存在が根底から揺らいでしまったような心もとなさと、これまでの人生がすべて架空のものであったかのような虚無感、それに信頼していた正子が自分に嘘をつき続けてきたという事実が綯交ぜになって、康介の心に押し寄せてくる。

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