第8話

「こんなに早くお別れする日が来るなんて思ってもいませんでした」

 静かな口調で語る駒田の目に涙がにじんでいた。

「正子さんの誕生日にお祝いしようってみんなで準備していたんです」 

 駒田は肩から下げていたカバンを開けて、色紙を取り出して康介に差し出した。

 桜をあしらった薄桃色の色紙の中央にはピースサインをして笑う正子の写真が貼られていた。

 写真の上に大きな文字で「お誕生日おめでとう」と書かれており、写真を囲むようにカラフルなペンで書いたメッセージが幾つも並んでいる。

 施設のスタッフが書いたらしいメッセージには、祝いの言葉だけでなく正子との思い出や正子に対するそれぞれの思いが添えられていた。

 寄せ書きに目を通し終えた康介に、駒田が小さな紙袋を差し出した。中にはサーモンピンクの薄手のスカーフが入っていた。

「誕生日プレゼント、用意してあったんです。みんなで何がいいかと相談していたんですが、正子さん、おしゃれでいつもスカーフを巻いてみえたので……一番、好きな色にしようってことになったんです」

 康介は胸が熱くなった。

 康介にも、色紙とプレゼントにスタッフの思いが込められているのがわかる。

 駒田の話し方からは正子に対する情が伝わってくる。

 正子がこんなにも大切にされていたことに感謝すると同時に、康介は自分が何も知らなかったことに軽い衝撃を覚えた。

 これまで康介は正子の生活をあまり気にしたことはなかった。子供じゃないんだから、元気にしていてくれるなら良しと思っていた。

 デイサービスを利用していることは知っていたが、そこで何をしているのか、どう過ごしているのかと気に留めたことはなかった。

正子は「デイサービスなんてただの暇つぶしだ」と憎まれ口を叩いてが、案外、正子流の照れ隠しだったのかもしれない。

「本当に最後までありがとうございました」

「こちらこそ。正子さんに出会えてよかったです。ありがとうございました」

 駒田は丁寧に頭を下げたが、帰る素振りは見えない。

 訝し気な康介に困惑した様子でもじもじとしている。

「あの、まだ何か?」

 康介の問いに駒田は言い出しにくそうに切り出した。

「今後のことなんですが……」

「今後……?」

 康介は駒田の意図がわからずに首を傾げた。

 正子の死でデイサービスは終了になるはずである。今後も何もあったもんではない。

「ええ、健次郎さんのことです」

 その名前を聞いても、康介は一瞬誰のことだか分らなかった。


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