第2話
思いも寄らない事態に直面した康介の思考はすっかり停止していた。
慌ただしく動く医師や看護師を見ていながらも、目の前の出来事が現実だとは思えずに呆然とするばかりだった。
心臓マッサージをしていた医師がそっと正子から離れ、臨終を告げた。
「おばあちゃん、どうして……」
正子に駆け寄り、泣き崩れる娘の姿を見て、康介は我に返った。
気がつけば、静江の横には息子の紘一が立っている。康介は今の今まで、知らせを聞いた二人の子どもたちが駆けつけてきたことにさえ気がつかなかった。
医師と看護師が出ていくと、家族だけになった。
無言のままでベッドに近付いて、正子の手を取った紘一の頬が涙で濡れている。景子は「おばあちゃん、おばあちゃん」と言いながら、泣きじゃくっている。
二人の様子を黙って見つめていた康介の手を、傍らに立った静江がそっと握った。
しばらく経って、入ってきた看護師に「エンゼルケアをさせていただきますので」と言われて、康介たちは部屋から出されてしまった。
康介はエレベーターホールに置かれた固いソファーの隅に腰かけた。
全身が鉛のように重く感じる。康介は腕を組んで目を閉じた。
エンゼルケアが終える頃、手回しよく葬儀屋が準備した迎えの車が到着したことに康介は唖然とした。
「お前が呼んだのか?」
静江に聞くと、静江はちょっと気まずそうにしながらも頷いた。
「お義母さんに頼まれていたの。死んだ後のことはちゃんと決めておくからって」
康介は知らなかったが、正子は葬儀会館を自分で決めておいたらしい。
「でも、この先はあなたの役目よ。ショックでしょうけど、ちゃんと送ってあげないと」
言いながら、静江はカバンから薄い冊子を取り出した。
康介は訝しそうにそれを受け取った。
表紙には「エンディングノート」と書かれている。ページをめくると「もしもの時には」と大きな文字で書かれている。
「なんだ、これ」
「救急車が来る前に、お義母さんが……。保険証と一緒に置いてあったの。延命治療は希望しないとか、葬儀屋さんに連絡先とか細かく書いてあったの。私もまだ全部に目を通したわけじゃないけど」
「おふくろの奴、何を考えているんだ、まったく。こんなもの用意していたなんて」
康介は半ば呆れたような声を出した。
康介だって、正子にもしものことがあったらどうするか考えておかなければとわかってはいた。だが正子が元気なうちから病や死について考えるのは何となく縁起が悪い気がして考えたくなかった。
もし病気でもなったらその時になってちゃんと考えればいいことだと、目をつぶって先送りにしていたことだった。
まさか、こんな形で死を迎えることは想定していなかったし、康介もいい年になっているとはいえ親を亡くすのは初めてのことだから、何をどうすればいいのかさっぱりわからない。
静江には呆れてみせたが、康介は内心ほっとしていた。
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